第15話


 友人と談笑をしながら、視線はチラチラとあの子の席を向いていた。

 もうすぐホームルームが始まるというのに、一向に彼女がくる気配がないのだ。


 結局分針がカタリと動いてから、担任が教室へ入ってきても凪はやって来なかった。


 「来海は今日風邪で休みな」


 さらりと言ってのけた言葉に、心配で堪らなくなる。

 よくもそんなに平常心でいられるものなど、担任教師へ野次を飛ばしたくなってしまっていた。


 シングルファザー家庭の彼女は、いま家で一人なのではないだろうか。


 一人で寂しくないか。高熱でうなされていないか。

 ちゃんと水分補給はしているだろうかと、まるで娘を大切にする母親のように心配で堪らなくなってしまう。


 もしも、倒れていたりしたら……とどんどん悪い方向に考えて顔色を青ざめさせていた。


 「雪美どしたん」


 気づけばホームルームは終わったようで、仲の良い友人に心配そうに声を掛けられる。


 「大丈夫なのかな……」

 「は?」

 「来海…風邪って。熱とか酷いのかな」


 心配だと伝えれば、友人が戸惑ったように目を瞬かせる。

 たかがそんなことで?と彼女の瞳が語っていた。


 「熱くらい誰でも出すでしょ……」


 言われてみればその通りだというのに、凪の事となると冷静でいられなかった。

 念のために『大丈夫?』とメッセージを送っても一向に既読がつく気配もなかった。


 あまりにも凪を心配する雪美を見て、友人が怪訝な顔をする。


 「……雪美ってなんで来海ちゃんとそんな仲良くなったの?」

 「まあ、色々あって……」

 「てか来海ちゃんとなに話すの?あの子って好き嫌いとかあるの」


 振り返ってみれば、何を話していたかあまり覚えていない。凪といるといつも時間があっという間に過ぎて、幾ら時間があっても足りないのだ。


 しかし思い返してみれば、いつもくだらない言い争いばかりして、まともに彼女と話し合ったことは殆どないのかもしれない。






 衝動的にこの場所にやってきたことを、雪美は後悔してしまっていた。

 先ほどからインターホンを押すことが出来ずに、扉の前で立ち往生してしまっている。


 このままでは近隣住民に迷惑だと分かっているのに、長いこと悩み続けてしまっているのだ。


 左手にはコンビニで購入したお見舞いの品が入っていて、心配から彼女の暮らすマンションへやって来ていた。


 「重いかな……てかキモい…?」


 約束してもないのに、見舞いに来たなんて凪はどう思うだろう。

 もしもキモいと言い捨てられてしまえば、数ヶ月は引きずってしまう自信がある。


 何度目か分からないため息を吐いた時、玄関扉がガチャリと開く。

 中から現れたのは凪ではなくて、雪美よりも幾つか年上であろう綺麗な女性だった。


 「どなた……?」


 デパートのコスメコーナーのように、高級感漂う香りを纏った女性。

 綺麗なグレージュカラーの髪は、毛先まで手入れが行き届いていて、器用にくるくると巻かれている。


 長い前髪は斜めに流されていて、ひどく大人っぽい雰囲気を纏っていた。


 一瞬部屋を間違えたかと戸惑うが、番号は合っているため確かに凪の家なのだ。


 「えっと……」

 「あ、もしかして凪の友達?」

 「はい……」


 反射で肯定してしまったが、雪美は凪の友達で良いのだろうか。

 二人の間に流れる独特な空気感を、何という言葉で表せば良いのか分からない。


 友達と呼ぶにはどこか甘ったるい。

 だけど他人と呼ぶには近すぎるが、決して恋人ではない。


 「ちょうど熱も下がって来たところだから、入って入って」

 「あの……」

 「私、もう出なきゃいけなくて。お見舞いありがとうね」


 こちらの返事も聞かずに、女性はいそいそと部屋を出て行ってしまう。

 モデルのように長い足で、さっさとエレベーターの方へ向かって行ってしまった。


 鍵のかかっていない玄関扉の前で、覚悟を決める。

 今ここで帰ってしまえば解錠されたままで、そんな不用心な状態で病人を置いていけるはずもなかった。


 「お邪魔します……」


 恐る恐る室内に足を踏み入れるが、返事はない。

 以前も訪れたことがあるというのに、どうしてこんなにも緊張しているのだろうか。


 しっかりと鍵を閉めてから、彼女の部屋の前まで足を進める。

 一度深呼吸をしてから、勇気を出して扉をノックした。


 「紗南さなちゃん?どうかした?」


 どうやら、まだ先程の女性がいると勘違いしているらしい。

 いつもより覇気のない声から、弱っていることが伝わってくる。


 そっと扉を開いて顔を覗かせれば、ベッドに横たわっていた彼女が驚いたように飛び上がる。


 どうしてそこにいるのだと、何も言わずとも凪の想いが伝わってきた。


 「上村さん…なんで…?」

 「これ、お見舞い」


 コンビニで購入したプリンとミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡せば、両手で受け取ってくれる。


 意外なことに、彼女の部屋着はなんともシンプルなものだった。

 てっきりワンピースタイプの可愛らしいデザインの部屋着を着ていると思っていたが、淡いクリーム色の上下のスウェットを身につけている。


 その姿がまた新鮮で、可愛らしく思えてしまう。


 女の子らしい部屋着を着た彼女も可愛いだろうけど、シンプルなスウェットが個人的には一番好きだ。


 「いいの…?」

 「病人なんだから遠慮しないでよ」

 「大事にする…」

 「いや、食べてって」


 寝過ぎたせいか、瞼はいつもより腫れぼったい。

 髪の毛は寝癖がついていて、いつもの石鹸のような香りだってしないというのに、酷く可愛らしく思えた。


 そんな姿も新鮮だと、どんな彼女であっても可愛く感じてしまうのかもしれない。

 来海凪が綺麗な天使だからだと、理由はそれだけではないような気がしてしまう。


 「じゃあ、私帰るね」

 「え…もう帰るの?」

 「それ渡しに来ただけだから」


 背中を向ければ、ブレザーの裾をキュッと握られる。

 遠慮がちに掴まれた裾先から、彼女のいじらしさが伝わってきた。


 「来海…?」

 「帰っちゃやだ」


 駄々っ子のような言葉。

 俯いてしまったせいで表情は見えないが、耳は桃色に染まっているため照れているのは明確だった。


 「……もうちょっとだけ一緒にいよう…?」


 風邪のせいで弱っているのだろうか。

 いつもの彼女からは考えられない素直さに、また胸が変な音を立てていた。


 ただでさえ可愛い天使が、可愛すぎる言動をすれば、それはもう無敵なのだ。

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