第12話


 他校にまで噂が行き届いている美少女は、廊下を歩くだけでも注目の的だった。


 他クラスの同級生から下級生まで、男女問わず沢山の生徒が凪をチラチラと見つめている。


 甘く爽やかな石鹸の香りは、天使の訪れを知らせる合図のようで。

 ふんわりと漂ってくる香りに癒されたい所だが、今はそんな状況ではない。


 相変わらず凪は仏頂面で、優しく微笑み返してくれる気配もないのだ。


 彼女に連れて来られたのは、人のいない物理室だった。一年生の頃に何度か利用したことがあるが、一般クラスから離れた所にあるため人が近寄らないのだ。


 ホームルーム開始前なため、どうやら担当教師もまだ訪れていないようだった。


 「何の用」

 「……なのに」


 あまりにも小さな声に、耳を澄ますがよく聞こえない。

 彼女は普段から声が大きい方ではないが、一際小声なため耳に届いてくれないのだ。


 「何?聞こえない」


 聞き返せば、キュッと下唇を噛み締めた後もう一度彼女が口を開く。

 どこか寂しそうな声色で、飾ることなく言葉をぶつけられていた。


 「私のメッセージは既読無視したのに、あの子には返事したの」


 石鹸の香りが近付いて、彼女がすぐそばまで近寄ってきたことに気づいた時には、唇にはふわりとしたあの感触が触れていた。


 柔らかい唇の感触。今日はリップグロスを付けているのか、前とは違って少しベタつきがある。


 なぜ突然キスをして来たのか、戸惑っていればギュッと抱きつかれる。


 胸元には彼女の柔らかな胸が当たっていて、きっと雪美の柔らかさも凪に伝わっているのだ。


 「……なんで無視するの」


 拗ねるような言葉に、胸が変な音を立てていた。

 普通はときめいた時、キュンと可愛らしい音で胸が鳴るのだろうが、あまりの可愛さにギュンッと勢いよく胸が弾んだのだ。


 キュンのその先がギュンッだなんて初めて知った。

 只でさえ可愛らしい天使のヤキモチを焼く姿は、目に入れても痛くないくらい可愛らしかったのだ。


 「……私が返事しなかったから拗ねてるの?」

 「だってあの子には返事したんでしょ?」

 「そんなことでわざわざ私を呼び出したの…?」

 「そんなことって……!私全然眠れなかったのに」


 たったそれだけで、彼女は一晩中悩み続けたのだ。

 なかなか寝付けずに、チラチラとスマートフォンに連絡が入っていないか確認していたのだろうか。


 想像するだけで可愛くて、気づけば無意識に背中に腕を回していた。

 お互いが抱きしめあっているため、隙間なくピタリと体が密着している。


 「なに……」

 「なんか、愛おしいなって…」

 「……ッはぐらかさないでよ。上村さんから避けられて寂しかったのに……」

 「……言ったら引くよ?」


 あれほど知られたくなかったというのに、どうしてか言ってもいいかなと思ってしまった。


 彼女の素直さに釣られて、打ち明けたくなってしまったのかもしれない。


 「おしえてよ」


 更に体を密着されて、すぐそばにある耳元に囁く。

 形の良い耳たぶに、甘噛みしたい衝動を抑えていた。


 「来海とエッチする夢見たの」


 驚いたように、凪がビクッと体を跳ねさせる。

 しかし逃れる気配はなくて、コテンとこちらの肩に額を乗せて来た。


 甘えるようなその仕草に、そっと彼女の髪を撫でてやる。


 「……私も来海も下着姿で、ベッドの上でキスしてた…下着も外されて、来海の手が伸びてくる所で起きたの」

 「……だから避けてたの?」

 「なんか罪悪感」

 「……やっぱり上村さんエッチだね」


 揶揄うような言葉だけど、その裏に隠された感情に気付いて胸が熱くなる。

 彼女の声は僅かに震えていて、耳も桃色に染まっていた。


 嫌悪感ではなく、羞恥心を感じている。

 衝動を抑えられずにそっと耳の淵にキスをしても嫌がらなかった。


 恐る恐る舌を伸ばして、チロチロと舐めてみればビクンと肩を跳ねさせる。

 その様が可愛くて、軽く耳を甘噛みすれば彼女が熱い吐息を漏らしていた。


 「なにして……っ」

 「どっちが上だったと思う?」

 「そんなの知らないし……」

 「じゃあ今のでどっち想像した?」


 顎をすくって目線を合わせれば、羞恥心からか瞳には涙の膜が張っている。

 うるうるとした瞳はどこか物欲しそうに、こちらをジッと見つめていた。


 一体自分はどちらと答えて欲しいのだろう。

 凪に攻められたいのか、彼女を攻めたいのか。


 悩んだ末にどちらでも良いと思ってしまう。

 凪とだったら、どちらの姿でも想像できて、しっくり来てしまったのだ。


 「……来海、はやく」


 答えを急かせば、突然視界が反転して目を丸くさせる。

 視界には教室の天井が広がっていて、すぐに綺麗な彼女が覆い被さって来た。


 視線を横にやれば、黒色の机が目に入る。

 普段みんなが勉強している机の上に押し倒されている状況に、背徳感を覚えていた。


 「……ムカつく」


 そう言った後、勢いよく口づけをされる。

 歯が当たらなかったことは幸運だったが、彼女相手であれば痛みすら快感に変わるような気がした。


 以前とは違うキスをするつもりだと、彼女の雰囲気で察してしまう。

 勇気を出して唇を薄く開けば、ゆっくりと熱い舌が侵入してくる。


 入り口を優しくなぞった後、遠慮がちに引っ込んでいた雪美の舌をツンと突いてきた。


 「ん…ッ、ンッ」


 絡め取られて、互いの熱を感じ合う。

 柔らかい感触に、くぐもった声が無意識に漏れ出て行く。


 夢でした深いキスとは全く違う。

 実際に感じる熱も、彼女の吐息も。


 あまりに熱すぎて、心地よさも全然違った。

 時折漏れるリップ音が、更に羞恥心を煽る。


 「……ッ」


 そっと唇が離れてから、赤く染まった彼女の顔を見つめていた。


 ファーストキスどころか、初めてのディープキスも彼女とシてしまった。


 「……上村さんにばっかりリードされるの癪だから」

 「私だって来海のペースに乗せられてばかりで嫌だもん」


 キスをした後だというのに、相変わらず口数は減らない。

 だけど心臓は煩いほど早く鳴っていて、少しでも気を抜けば顔を覆ってしまいそうなほどの羞恥心に駆られていた。


 「……ばか」


 手を取られて、パーカーの袖を捲られる。

 そしてこちらの許可も取らずに、少し強い力で手首に吸い付いて来た。


 当然赤い鬱血痕が出来て、見る人が見れば一目でキスマークだと分かるだろう。


 「そんな所困る…」

 「もう冬が来るんだから、捲らなきゃバレないでしょ」


 手首に刻まれたキスマーク。

 まるで彼女のものだと印を付けられたようで、更に胸をドキドキと高鳴らせていた。


 「私もつける」

 「やだよ」


 こちらの気持ちなんてお構いなしに、凪はあっさりと起き上がってスタスタと入り口へ向かってしまう。


 雪美も慌てて起き上がって、美しい彼女を呼び止めようと声を上げた。


 「はあ?ちょっと待ってよ」

 「私だって上村さんを翻弄したいもん」


 どこか得意げな笑みを残した後、天使は一人で物理室を後にしてしまう。

 

 「……ッ」


 残された物理室にて、そっと両手で顔を覆い隠していた。


 胸がドキドキとうるさくて仕方ない。

 キスをしたからドキドキしているのか、相手が凪だったからこんなにも心を掻き乱されたのか。


 一体これはなんなのだろう。

 感情を掻き乱されて、天使に翻弄されて嬉しいと思っているなんて、間違いなく何かがおかしい。

 感情が少しずつ、変わり始めているのだ。

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