第10話
どこかふわふわとした足元のおぼつかない感覚。
どちらが前か後ろかもよく分からないくらい、前後感覚もはっきりとしない中で、天使のように美しいあの子と向き合っていた。
真っ白なシーツの上。
雪美も凪の下着姿で、お互いが引き寄せられるように抱きしめ合っている。
水色の下着を身につけた彼女はやはり綺麗で、透き通るように白い体をジッと見つめていた。
『……可愛い、雪美』
耳の縁にそっとキスをされてから、優しく体を押し倒される。
以前ソファで押し倒された時とは違って、真っ白なベッドシーツの上に体を倒されていた。
こちらを見下ろす彼女の瞳は酷く熱く、一目で欲情していることが分かる。
こんなに美しい彼女から、欲をぶつけられる状況に興奮している自分がいた。
『雪美、いいの?』
『ん……はやく』
首筋に顔を埋めた彼女は、そっと雪美の肌に舌を這わせる。
飼い猫とは違うザラザラしていない舌触りは柔らかく、擽ったさで身を捩った。
熱い吐息が肌に触れるたびに、体の奥底から言いようのない何かが込み上げてくる。
『…ンッ』
もどかしい感覚に、無意識に声が溢れた。
まだ敏感な部分はどこも触れられていないというのに、彼女からの愛撫に幸福感が満たされていく。
背中に手を這わされて、優しくブラのホックが外されれば、途端に開放感に襲われた。
顔がゆっくりと近づいて、軽く触れるだけのキスをする。
それが数回繰り返された後、今度は薄らと空いていた隙間から舌をねじ込まれた。
『……ッん、ンっ』
互いの舌を擦り合わせて、体を密着し合う。
透き通るように真っ白な肌に腕を回して、優しい手つきで彼女の背中を撫でていた。
『好きだよ、雪美』
天使が優しく微笑んで、雪美の下半身へと手を伸ばす。
ショーツに手を掛けられて、今にも降ろされそうになった瞬間。
ジリリリという騒がしい音に、雪美は一気に現実へと引き戻された。
パチリと目を開けば、当然そこに下着姿の彼女はいない。
いつも通り参考書と百合漫画でいっぱいの、自分の部屋が広がっていた。
恐る恐る目線を下げれば、寝る前に身につけていたパジャマを纏ったまま。
「夢……?」
一体何て夢を見てしまったのだろう。
羞恥心と罪悪感で、両手で顔を覆う。
朝日が差し込むキラキラとした室内で、何とも言えない気分に包まれていた。
天使のように美しい女の子を汚してしまったようで、自己嫌悪に陥ってしまう。
「……最悪だ」
クラスメイトと、ましてや同性と。
体を重ねる夢を見てしまったなんて、誰にも言えるはずがない。
どうしてこんな夢を見てしまったのか、思い当たる節は一つしかない。
昨夜読んだ百合漫画で、凪にそっくりな主人公の性描写を見てしまったせいだ。
あれが脳裏に焼きついたせいで、こんなはしたない夢を見てしまった。
決して自分の願望ではないと、何度も心の中で言い聞かせる。
「……ほっぺ熱い…」
鏡を見ずとも、自分の頬が赤らんでいるのがわかる。
中々熱が引いてくれなかったせいで、まるで恋する乙女のように恥じらいが治らなかったのだ。
たかが夢だと割り切れるほど、雪美は大人ではなかったらしい。
教室で彼女の姿が視界に入るたび、あの夢を思い出して目を背けてしまう。
これではまるで好き避けをする片想い中の女の子のようだ。彼女の姿が視界に入るだけで、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。
だけど本当はジッと見つめていたくて…なんて、どこの少女漫画だと、心の中でツッコミを入れてしまっていた。
勿論誰にも相談出来るはずがなく、悶々とした気分の中1日を過ごしていた。
「……はぁ」
ようやく最後の授業を終えて、誰もいなくなった教室で1人学級日誌を記録する。
出席番号順で日直が回ってきて、これを全て書かなければ帰れないのだ。
授業の感想なんて何でも良いだろうと悪態を吐きながら、シャープペンシルをがむしゃらに動かしている時だった。
目の前に影が差し込んで、同時に甘い石鹸の香りが鼻腔を擽ったのだ。
「……まだ掛かりそう?」
そっと視線を上げれば、予想通りそこには来海凪の姿があった。
キスをして以来、彼女が恥じらって雪美の顔を見れなくなる…何てこともなく、いつも通り平常心で接してくる。
あれくらい大したことがないと思っているのかもしれないが、彼女だって雪美と同じファーストキスだったはずだ。
夕日に照らされて普段より憂いを帯びた彼女は、当然のように雪美の前の席に腰を掛けている。
「なにしてるの」
「上村さんを待ってる」
「約束してたっけ?」
ゆっくりと、凪が首を横に振る。
こうして彼女と教室で喋るのは初めてで、どこか変な感じがした。
同性のクラスメイトで、6ヶ月も同じ教室で共に勉強してきたというのに、全く接点がなかったのだ。
「今日、予備校?」
「ないよ。家で勉強する予定」
「私の家来なよ。教えてあげる」
咄嗟に今朝見た夢を思い出して、慌てて学級日誌を閉じる。
丁度書き終わった所で、逃れるよにそそくさと席から立ち上がった。
「……今日はいいや。またね」
「ちょっと待って」
納得がいかないのか、彼女が後を追いかけてくる。
少し早歩きをしても、身長差はそこまでないため意味がなかった。
一向に彼女との距離は広がらず、寧ろ縮まっているかもしれない。
「なんでよ。私、頭良いよ」
「……そういう問題じゃない」
「意味わかんない」
不服そうに眉根を寄せる姿にまで、可愛らしさを感じてしまうなんて絶対におかしい。
ギュッと腕を掴まれれば、彼女の繊細な指先からいやらしい記憶が蘇ってきた。
水色の下着を着けて、柔肌をこちらに密着させながらキスをしてくれた。
全て夢の中の話だというのに、無性に恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
「いいから、離して」
少し強めに手を振り解けば、シュンとしたように凪が立ち去っていく。
後悔してももう遅く、自分への自己嫌悪でその場にへたり込んでしまっていた。
「何してんだろ…」
彼女は何も悪くない。
勝手に邪な夢を見て、一方的に照れて冷たくするなんて最低だ。
分かっているのに、彼女に対して冷静でいられなかった。肌に触れられるだけで気恥ずかしくて、堪らなく言いようのない何かが込み上げて。
「……意味わかんない」
自分の感情なのに、ちっとも理解することが出来ない。
一人でポツリと呟きながら、凄まじい自己嫌悪に襲われていた。
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