第3話


 教室の窓側。一番後ろの席というベストポジションに座っている彼女は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いているように見えた。


 ぼんやりと小説を読む姿も、まるでモデルの雑誌撮影のように美しく華がある。


 あまりの美貌は周囲を遠ざけて、話しかけたくても遠巻きに見ることしかできない。


 それが皆の知る来海凪という女子生徒で、昨日まで雪美も同じ考えを抱いていたのだ。


 授業合間の休み時間。

 友人らに囲まれながら、チラチラと彼女の横顔を盗み見る。


 誰とも関わらないおかげで凪は謎が多く、どこかミステリアスな雰囲気を纏っているのだ。


 「雪美ってバイトやめたの?」

 「そろそろ予備校行かなきゃだし」

 「それな、めんどいけど仕方ないよね」


 高校3年生の雪美は来年大学へ一般受験を予定しているため、日々勉強に追われているのだ。

 

 束の間の癒しで百合漫画を愛読しているが、それがあんなことを引き起こすなんて思いもしなかった。


 悩みの種である来海凪へ視線を送っていれば、友人は不思議そうにその視線を辿っている。

   

 「雪美、何見てんの……来海ちゃん?」


 友達の多い雪美と一匹狼の凪では、当然接点もあるはずない。

 

 「仲良かったっけ?」

 「いや…来海が誰かと喋ってるところ見たことないなって」

 「天使だもん。人間とは喋んないって」


 天使、お姫様。

 あまりの美しさに凪は周囲からそう呼ばれて、崇拝されているのだ。


 美しすぎると性の対象にも見られないのか、男子生徒も遠巻きに見るばかりで全く声を掛けない。


 高嶺の花として、皆眺めるだけで満足しているのかもしれない。


 「あんなに可愛かったらアイドルとかやればいいのに」

 「天使がキモオタと握手するわけないじゃん」

 「じゃあモデルとか女優とかは?」

 「なんかそれもイメージつかない……来海ちゃんってさ、謎くない?」

 「どういうこと」

 「嬉しいとか悲しいとか、そういう人間らしい感情なさそうだもん」


 あまりに綺麗すぎて、人形のように思えてしまうのだろうか。

 その場にいる全員が賛同して、誰も否定の声をあげない。


 普段お人形のように無表情でいる彼女は、どこか血の通っていないロボットのように、本音が見えてこないのだ。







 モグモグと美味しそうにハンバーガーを頬張る姿は、まるで新商品のコマーシャルを務めるアイドルのように可愛らしい。


 口元にソースをつけて、頬を緩めながら堪能している凪の前に腰を掛ける。


 言われた通りに足を運んだが、彼女は一足先に腹を満たしているようだった。


 「何食べてんの?」

 「店員さんにおすすめされたやつ。美味しい…!上村さんこれすっごく美味しいよ」


 夢中で食べるせいで、唇の端にソースがついてしまっている。

 そっと右手を伸ばしてから、親指でそれを拭ってやる。


 「付いてる」

 「あ……ありがとう」


 ペロリと舐めてみれば、彼女が夢中になるのも頷ける味わいだった。

 今度友人らと来た時に注文しようと考えながら、チラリと目の前の美少女に視線をやる。


 人間らしい感情がなさそうと言われていた天使が、380円のハンバーガーをニコニコと嬉しそうに頬張っている。

 高級フレンチが主食だと囁かれている彼女は、我々一般庶民と同じ舌を持っていた。


 学校の人間が見ればきっと驚くだろう。

 雪美だって、まさか来海凪にそんな一面があるなんて思いもしなかったのだ。


 雲の上の存在のように、ずっと彼女が遠いところにいるような気がしていた。


 「こんなに美味しい食べ物がこの世にあるなんて知らなかった。世界一美味しいよ」

 「来海って意外とコスパいいね。高級フレンチ以外食べませんみたいな顔してるのに」

 「なにそれ、上村さんだって少女漫画しか読みませんって顔してるのに百合好きでしょう」


 さらりと言ってのけるから、反応に困ってしまう。

 必死に言葉を選びながら、ここに呼び出した目的を改めて確認した。


 「……で、何のようなわけ?わざわざ放課後に呼び出して」

 「特にないよ?」

 「は……?人のこと脅しといて…」

 「じゃあ、一緒にハンバーガーが食べたかったってことにしよう」


 ハンバーガーを食べているのは凪だけで、雪美が注文したのはポテトとナゲットだ。


 ポテトをむしゃむしゃと頬張りながら、もしやと一つの可能性が思い浮かぶ。


 半信半疑で思い切って彼女に問いかけた。


 「実は私のこと好きとか?」

 「あはは、上村さんって面白いね」


 あっさりと笑い飛ばされて、ジワジワと羞恥心が込み上げてくる。

 こんなに愛らしい天使が雪美を好きなんて有り得ないというのに、何を勘違いしているのだろう。


 「私だって百合は好きだけど女の子が好きってわけじゃないと思う、たぶん」

 「たぶんって?」

 「初恋まだなの」


 執着心や感情の起伏がないと噂されている彼女のイメージ通り。

 誰か1人に対して恋焦がれる美少女の姿なんて、ちっとも想像できない。


 「来海なら焦んなくてもそのうちいい人見つかるよ」

 「上村さんは?彼氏とかいるの?」

 「来年受験生だからそれどころじゃ……」

 「じゃあいたことは?」

 「あ、あるけど……」


 咄嗟についた嘘に、罪悪感でチクンと胸が痛んだ。

 見栄を張って、交際経験がないくせにあるふりをしてしまったのだ。


 告白をされたことはあるが、ピンとこなかったせいで付き合いに発展したことはこれまで一度もなかった。


 「本当?じゃあキスしたことあるよね」

 「え……」

 「付き合ってるならキスくらい経験あるでしょう?」

 「あ、あたりまえじゃん」

 「じゃあ私とキスして欲しいの」

 「いいよ……は?はあ!?」


 予想外すぎる言葉に、かなり大きな声を出してしまう。

 周囲の人に謝りの言葉を入れてから、何とも奇天烈な言葉を口にした彼女に詰め寄った。


 「あんた何言ってんの!?」

 「私、趣味で百合漫画描いてるの…けどキスシーンが苦手で上手く描けなくて」

 「百合漫画!?すご…じゃなくて、なんで私とキスする必要が…」

 「気になるの。キスってどんな感じなのかなって。やっぱり体験するのが手っ取り早いのかなって」


 天使と人間では思考回路が全く異なるらしい。

 普通は好きでもない相手とキスなんて、性別を関係なく拒否反応を示すものだ。


 どうするべきか焦っていれば、向こうが更に畳み掛けてくる。


 「彼氏いたこともあってファーストキスじゃないなら良くない?」


 経験があると嘘をついたことが仇になったのだ。

 どうするべきか必死に考えながら、しどろもどろで声を漏らす。


 「来海はファーストキスなのにいいわけ?」

 「キスなんて赤ちゃんの頃にパパやママにされてるでしょ」

 「それ普通カウントしないから」

 「私は別に気にしなくて、上村さんもファーストキスじゃないなら協力してくれても良くない?」


 今からでも経験がないことを正直に打ち明けるべきか。

 

 すぐに返事が出来ずに黙り込んでいれば、助け舟を出すように彼女がある提案を出してくる。


 「じゃあ、こうしよう」

 「なに?」

 「上村さんを脅す」

 「だから普通は脅す宣言なんかしないんだってば!」

 「上村さんおもしろい。百合が好きなの黙ってて欲しいなら、私とキスして?」


 一体何がおかしいのだろうか。

 愛らしく微笑む姿は酷く可愛らしいのに、彼女が何を考えているかちっとも分からない。

 

 あまりに予想外の展開に、当然理解が追いつくはずもなかった。


 

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