カラルタン島-5

 空を見ると、もう日暮れ時だった。先ほど聞いたおすすめの店が脳裏を過ぎったが、奏澄は首を振った。興味はあるが、おそらく今その店に行けばカップルだらけだ。確実にその空気に萎縮する自信がある。

 結局、普通の食事処で夕食を済ませ、コバルト号で時間を潰した後にアントーニオの店に出直した。

 店には閉店の札がかかっていたが、明かりがまだついていたので、外で出てくるのを待つことにした。しかし、一向に出てくる気配が無い。


「……遅いね」


 誰も出てこない、というところが奇妙である。片付けに相当時間がかかるのだろうか。

 すると、メイズが無言のまま店の前まで行き、扉に手をかけた。


「え、ちょっと、黙って入ったら」


 奏澄の静止を無視して、メイズは扉を開けた。すると、そこには誰もいなかった。


「あれ……?」

「人の気配が殆ど無いと思ったが、やっぱりな」

「でも、明かりが」

いるんだろ」


 その言葉の意味を奏澄が聞こうとしたところで、足音が聞こえた。


「ごめんなさい、営業はもう終わっていて……って、あれ?」

「アントーニオさん」


 厨房の方から駆けてきたのは、奏澄が待っていたアントーニオだった。


「良かった、まだいらしたんですね」

「えと、ぼくに何か……?」

「はい。ちょっと、お話があって。でも、まだ作業中ですよね。終わるまで待たせていただいても?」

「あ、その……時間、かかっちゃうので。先にどうぞ」

「え? でも、他の方をお待たせしてしまうのでは」

「それは、その」


 言いにくそうに言葉を濁すアントーニオに奏澄が首を傾げた時、メイズが言葉を挟んだ。


「他の奴はどうした」

「メイズ?」

「あんたしかいないんじゃないのか、今」

「え……っ」


 奏澄がメイズからアントーニオに視線を戻すと、暗い表情で俯いていた。


「それ、って」

「ち、違います違います! その、閉店後に厨房を自由に使わせてもらう条件で、ぼくが自分から」


 いじめではないのか、と思った奏澄の考えを察したようで、アントーニオは手を振って否定した。


「でも普通、厨房スタッフなら、条件など無しに自由に使えるものでは」

「あ……昼間は、みんなの邪魔になる、から。ぼくは、この時間しか」

「それで、閉店作業を、一人で?」

「ぜ、全部じゃないですよ! ある程度はみんなでやって、るんです、けど」


 尻すぼみになっていく台詞。これ以上は、アントーニオを責めることになる。奏澄は口を噤んだ。


「わかりました。手伝います」

「えっ!? いや、これはぼくの仕事だから」

「私たち、あなたにお願いがあって来たんです。だから、これは少しでも心証を良くする作戦なんです。気にしないでください」

「で、でも」

「とはいえ、これで絶対にお願いをきいてくれってことでもないので。そこは安心してください」


 笑顔で腕まくりをする奏澄に、アントーニオは言葉が出ない様子だった。


「メイズも」

「仕方ないな」


 メイズまでもが作業に加わろうとしたのを見て、さすがにぎょっとしたようだった。しかし要らないとも言えないのだろう、あわあわしているアントーニオに、奏澄がフォローを入れた。


「大丈夫ですよ、噛みついたりしませんから。遠慮なく使ってください」

「え、えっと」

「まず何からしたらいいですか?」


 奏澄が引かないことを察したのだろう、アントーニオは、遠慮がちに奏澄とメイズへ指示を出した。

二人がやったのは簡単な洗い物や掃除、片付け程度だったが、それでもそれなりの量があった。普段はこれをアントーニオ一人がやっているということだ。奏澄は眉を顰めた。

 作業が終わり、三人はホールのテーブルについた。


「ありがとうございました。手伝ってもらっちゃって」

「いえ、このくらい」

「それで、ぼくにお願い……というのは」


 おどおどとするアントーニオを真っすぐ見据えて、奏澄は告げた。


「アントーニオさん。私たちの船で、コックをしませんか」

「え……?」


 予想外の言葉に、アントーニオは何を言われているのか飲み込めていない様子だった。


「私たちの船には、コックがいないんです。今は私と、数人の乗組員で食事の用意をしています。でも、急に乗組員の人数が増えることになって。専門の料理人がいてくれたら助かると思っているんです」

「それで、ぼくに?」

「はい」

「それは……ぼくが、ここで、うまくやれてなさそうだから、ですか?」


 その言葉に、奏澄ははっとした。アントーニオにも、料理人としてのプライドがある。哀れまれて、同情で誘われているのだとしたら。それは彼にとって侮辱になりえる。

 奏澄は慎重に言葉を紡いだ。


「正直、全く関係ないとは言いません。あなたと出会えたのも、それがきっかけだから。でも一番は、あなたの料理の腕を信頼しているからです」

「ぼくの、料理……」

「最初にお会いした時、言いましたよね? アントーニオさんの作ったスープ、本当に美味しかったです。毎日でも食べたいと、思いました。あれほどの腕を持つ人が、それを発揮できないという状況が、私は悔しいんです。あんなに楽しそうな顔で料理を語れる人なら、きっと、この先もっとたくさん美味しい料理を作れるはず」


 戸惑うアントーニオの手を、奏澄は両手でしっかりと握った。


「私は、あなたが欲しいんです」


 目を見て告げる奏澄に、アントーニオは瞳を揺らした。

 奏澄は、自分の手が震えないように、ぎゅっと力を込めた。心臓が早鐘を打っているが、それを悟られるわけにはいかない。

 欲しいと。必要だと。ずっと、そう言って欲しかった。だから、それを人に告げることを、ためらいたくない。

 迷惑なんじゃないか。気持ち悪くないか。的外れじゃないか。

 でもそれは、奏澄が恥をかけばそれで済むことだ。

 その程度で、もしも、誰かの心を軽くできるのなら。


「先に、私たちの事情も話しておきますね」


 船に乗ると言うのなら、それを伝えないわけにはいかない。奏澄はラコットにしたのと同じ説明を、アントーニオにも話した。ただでさえ混乱しているアントーニオは、情報量の多さに目を白黒させていた。


「答えは、今すぐでなくて構いません。お店のこともあるでしょうし、明日また、どうするか返答を聞きに来てもいいですか? その上で、準備に時間が必要なら相談しましょう。お店の人にアントーニオさんから言いづらければ、私たちからお話することもできますから」


 準備だとか、手続きだとか、そういう面倒なことは後回しだ。まずは何より、アントーニオの意思確認が重要だ。それでも、この場ですぐに答えが出るものではない。せめて一晩、よく考えてほしい。短くて申し訳ないが、奏澄たちもあまりこの島に長居できるわけではない。


「……わかり、ました。ぼくなんかのために、そこまで考えてもらって、ありがとうございます」

「アントーニオさん。『なんか』ではありません。あなた『だから』です」


 そう言うと、アントーニオは、戸惑ったような、泣きそうな顔で、少しだけ笑った。




 店から出て、奏澄とメイズは夜の街を歩いた。

 飲食店が多いからか、深夜になっても酒場などが開いており、街は比較的明るいままだった。


「アントーニオさん、来てくれるかな」

「さぁな。やるだけのことはやったんだ。後はあいつ次第だろ」

「そう……なんだけど、ね。きっと、すごく悩ませてるから」

「……よくわかるんだな」

「なんとなく、ねー」


 あくまで奏澄の主観だが、アントーニオと自分は少し似ている。それでも、奏澄とアントーニオは違う人間だ。

 これがもし奏澄なら。きっと、無理やりにでも自分を引っ張り出してくれる存在を望んだ。その強引さが、奏澄には必要だから。

 しかしアントーニオの場合は。今まで積み上げたものを捨て、訳ありの集団についていくと言うのなら。自分で決めた、という確かさが必要だ。決断は、彼自身に委ねなければ。


「そんなに、気に入ったか」

「うん?」


 珍しい言い方をする、と思ってメイズを見上げる奏澄。気のせいかもしれないが、微妙に怒っているかのように見えた。いや、これは多分。


 ――拗ねてる?


 浮かんだ考えに、自分で驚いた。メイズが、拗ねる、などと。

 しかし一度そう考えてしまうと、もうそうとしか見えなかった。怒っているような圧は感じない。しかし妙なとげとげしさを感じる。不機嫌、という方が正しい。

 拗ねるような要素があっただろうか。この流れから考えると、アントーニオを勧誘したことに対してとしか思えないが、勧誘に関して反対するようなそぶりは一切なかったはずだ。いったいどこで。


 ――『私は、あなたが欲しいんです』


 奏澄は自分の台詞を思い出し、あ、と思った。奏澄にしては珍しく、かなり直接的な言葉を使った。それほど強い言葉でなければ、アントーニオには響かないと思ったからだ。

 自分で集団を作る、ということが初めてなので、あくまで想像でしかないが。会社の立ち上げから力を尽くしてきたのに、急にヘッドハンティングに熱を上げて、ないがしろにされた気分なのだろうか。

 それは良くない。内部不和を起こす。どうしたものか、と考えて、奏澄はメイズの手をとった。


「私が一番頼りにしてるのは、メイズだよ」


 一番、などと順位をつけるような言い方は本来良くないが。メイズに関しては、いいだろう。彼だけは、唯一無二なのだから。


 言われたメイズは、少し複雑そうな顔をした後、溜息を吐いた。


「知ってる」


 奏澄の頭に手を乗せたメイズは、いつもの顔だった。それに奏澄は、笑顔を返した。

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