第五話 瑠奈とディアナと魔法使い(上)

 北の祝祭を終えて、キースのおいしいご飯を食べて、とても満たされた状態で眠りについた。その日、またあの瑠輝に似た女性の夢を見た。今度はどこかの街の広場のようだ。

 女性はテディベアのように愛くるしい子熊を腕に抱き、その周りには子供たちが集まっている。前は映像だけだったが、今回は声もしっかりと聞こえる。

「ねえねえ、次は何して遊ぶ?」

「オレ、鬼ごっこが良い!」

「えー、私はかくれんぼがいいよー」

「ダメだよ!この間、アルテミスも一緒におままごとするってやくそくしたもん!」

 子供たちの声が広場に響き、女性は子供たちを愛しげに見ている。

「やりたいことがたくさんありますね。順番にやりましょう?アルテもそれでいい?」

 腕に抱えている子熊に目を向けながら子供たちと話す女性の声はとても凛としていて、柔らかい。

「いいよ!今日全部できなくてもまた次があるしね!」

 そうしてどこか別の場所に行こうとした女性たちを引き留める、切羽詰まった声が響いた。

「ディアナ!」

「あら、カエルム?そんなに慌ててどうしたんですか?」

「緊急事態だ、すぐ城に戻ってくれ」

 現れたのは召喚された直後に合った銀髪ロングヘアーの男性、カエルムだった。

 彼の言葉に子供たちは「えー!」と抗議の視線を向ける。

「せっかくディアナ様が来てくれたのにー」

「今日は夕方まで遊べる日だって言ってたのにー」

「カエルム様、どうしてもダメなの?」

「どうしてもだ」

 あたりにはまた「えー!」という声が響く。

 駄々をこねたり拗ねたりしている子供たちをなだめるように、ディアナと呼ばれた女性がしゃがんだ。子供たち一人一人と視線を合わせるように見回す。

「みんな、すみません。どうやらお仕事が入ってしまったようなんです。楽しみにしていてくれたのに申し訳ありません。ですが、これは月の女神となった私の務め。今日はもう遊べませんが、また遊びにきます。絶対」

 子供たちはその声に導かれるように彼女と目を合わせた。

 まだ納得できていないような瞳をしているが、それでももう、誰も駄々をこねなかった。

「約束だよ?」

「ええ、約束です」

 最後ににっこりと微笑んで彼女は立ち上がった。

「ではみんな、またね」

「またねー!」

「今度はカエルム様も一緒に遊ぼうねー!」

「ばいばーい!」

 そんな声を背にしてディアナとカエルムは広場から遠ざかっていった。






 チチチ、という小鳥のさえずりで目が覚めた。

 なんだか、体の中を何かが巡っているような、変な感じがする。

「あの瑠輝に似ている女性が、ディアナさん………」

 北の祝祭を終えた翌日、また誰かの記憶のような不思議な夢を見た。

 アメリが神殿のことを伝えに来た時に見た夢は声が聞こえなかったが、今日ははっきりと聞こえた。

 どこかの街で楽しげに笑う子供たちとディアナさん。彼女の腕には前も見たぬいぐるみのような子熊。名前はアルテミスらしい。そこに、カエルム。

 何か緊急事態が起きたようで、子供たちを残し去っていくところで目が覚めた。

「月の女神、か。………確かに、めっちゃきれいだし凛々しいし、女神様って感じ」

 彼女と一緒にいるあの子熊だって、名前が『アルテミス』だ。

 確かギリシャ神話に出てくる月の女神がそんな名前だった気がする。

 月にふさわしい名前をした子熊に、女神らしさがにじみ出ている女性。

「あの人が私の前世とか、ますます信じられないなぁ」

 確かに熊は好きだけど、私はそんな月に関するペットなんて飼ってない。私自身、あんなに凛々しくない。愛想もない。強いて言うなら私の名前、『瑠奈』くらい。

 ルナはラテン語で月という意味だ。ローマ神話では月の女神の名前がルーナ。

 自分の名前の由来を調べた時にそういう神話のことを知った。

 漢字の方を見れば、ラピスラズリを指す『瑠璃』と神事に使われる大樹を指す『奈』だそうだ。お母さんは何を思って私に『瑠奈』と名付けたのか、結局よくわからなかった。

「とりあえず、着替えよう」

 寝間着を脱いでいつものシャツに袖を通す。この世界に来てからずっと、私はこのスタイルだ。

 薄赤のネクタイを締めて、結び目の部分にブローチみたいな飾りをつけ、暗い赤のベストを着る。ネイビーのスラックスにほんの少しヒールのある靴。これが私のここでの普段着だ。今朝は少し肌寒く、白のパーカーを羽織った。

 髪を整えるために壁にかけた鏡の前へ移動して、自分の異変に初めて気づく。

「なに、これ。なんで?」

 鏡に映った私の髪。右側の横髪の一房が青みがかった白色になっている。瑠輝やディアナさんと同じ、白縹しろはなだ色。

 だが、他の部分はいつもの茶色だ。その一房だけが違う。

「昨日まではこんなじゃなかったのに、どうして……」

 そこではたと思考が止まる。もしかして、と思うことが一つ。



『月の女神が持つ力が表に出始めているんだよ。瑠奈はまだ覚醒していないけど、少しずつ月の力を取り戻していってるんだ』



 頭に思い起こされるのはアメリの声。浄化薬を作った時に言われたことだ。

 女神が持つ力が表に出始め、それが見える形にあるとしたら。

 祝祭をする前に木々を浄化した。月の力とやらを解放させて。おかげで体は重かったけれど、全ての木を浄化させれたし祝祭も無事成功して妖精たちが戻って来た。

 あの一件で私の中に眠っている月の力が覚醒を始めているのだとしたら、その力に女神の力も含まれているのだとしたら、この髪色も頷ける。

「瑠奈、おはよう。………どうした」

 テーブルに置いていたネックレスからヒスイが出てきた。私の異変にすぐに気づいたようで側に来る。

「……これ」

 隠さず髪を見せるとヒスイは一瞬目を見開いた。

「その色、瑠輝と……」

「ディアナさんも、同じ髪の色なの。瑠輝と同じ、髪と目の色だった」

「…何か見たのか?」

 今日の夢のことを伝えると、ヒスイは思案顔になった。

「その髪も、夢も、月の力に関係しているのかもしれないな。体調に何か変化は?」

 私が首を振るとどこかホッとしたように表情を緩めた。

「ならよかった。害があるわけじゃなさそうだし、しばらくは様子を見よう」

 私の身に起きている事への不安は残るが、そう深刻にとらえすぎても心がもたない。

 ヒスイの言葉に頷き、気を取り直して髪を整えるためにブラシへ手を伸ばせばそれが横から奪われた。

「今日は俺が梳いてやる。椅子を持ってくるから待ってろ」

 私が止める間もなく鏡の前に椅子を持ってきて座らされた。

 優しい手つきで髪を梳き始めたヒスイの表情はとても柔らかい。

 こんな風に髪を梳いてもらうのはいつぶりだろう。大体は自分でやってしまうし、いつも髪を下ろしているから誰かに結んでもらうこともなかった。結ぶにしても一つにまとめる程度だから自分でできるし。



 ヒスイが生まれたばかりのころの私はまだ小学校四年生で、下手なりに自分で髪を梳いていた。

 お母さんは私が小学校に上がる前に死んでしまい、私の身の回りのことはお手伝いさんがしてくれるようになった。

 けれど、迷惑を掛けたくないと子供心に思い、なるべく自分のことは自分でするようになった。だから、髪を誰かに梳いてもらうという経験があまりない。お母さんが生きていたころは梳いてもらっていただろうが、私にはあまりお母さんとの記憶がない。

 だから、ヒスイが生まれた時はいろいろ甘えてしまっていた気がする。髪を梳いて、ご飯作って、一緒に遊ぼう。そんな風にヒスイに構ってもらっていた。

 友達がいなくて、瑠輝とも遊べなくて、独りぼっちだった私にとっての光。



「ふふっ」

「どうした?」

「ううん。少し、昔のことを思い出していただけ」

 あの時はただ誰かに髪を梳いてもらえることが嬉しくてずっとフワフワした心地だった。そのせいで梳いているときのヒスイの顔を見ていなかったけれど、今みたいに優しい顔をしていたのだろうか。

 あの時と変わらない、優しい手つきだから、きっと同じように優しい顔だったんだろうな。

 そんなことを想い、目を閉じて、梳き終わるまでヒスイの手の感触をただただ感じた。



「ほら、できたぞ」

 目を開けて鏡を見ると綺麗にセットされた姿が映っている。

 ついつい鏡に張り付いていろんな角度から見てしまった。

「すごい!編み込みしてお団子になってる!」

 サイドの髪は編み込まれ、それが下の方で二つのお団子になっている。

 しかも、色が変わった髪が良い具合に隠れている。

 はっとして振り返ればヒスイは優しく微笑んでいた。

「昨日、キースから赤色のリボンを貰っていただろう?今はピンでとめているだけだからあれで結ぼう」

 戸棚に置いていたリボンを手早く結び、私の肩に手を置いて、鏡越しにじっと見つめられる。

「よく似合っている。キースの見立ては正しいな」

 とても愛おしそうに、垂れているリボンを触りながら見つめてくるから何だか恥ずかしい。

「そうだ、このリボン使う時はキースに見せるって言ったの。朝ごはんには少し早いかもしれないけど、食堂に行こう!」

 私は椅子から立ち上がって逃げるように部屋を出た。

 この世界に来てからのヒスイは真っ直ぐだ。素直に言葉を出すようになったし、魔法使いたちとも仲良くやれていると思う。

 この世界に来たことがヒスイにとって良い影響を与えているのなら嬉しいな。





「キース!キース、見てください!」

 食堂にはまだ誰もいなかったがいい匂いが部屋を満たしてた。おそらくキースはすでにキッチンにいるのだろう。

 呼びかけながらキッチンへ入ると、キースが鍋をかき混ぜていた。

「おはようございます、賢者様。今日はお早いのですね。……おや」

 振り向きながら挨拶をしてくれたが、私を視界にとらえた直後、少し怪訝な顔をした。

 何か粗相をしただろうか。それとも、このリボンや髪型が似合っていないのだろうか。

 不安な心を押し隠して問いかけた。

「おはようございます。あの、何か変ですか?」

「いえ、何でもないですよ。その髪もリボンもとてもよくお似合いです。さっそく着けていただいてありがとうございます」

 その言葉に深く安堵している自分に驚く。

 確かに少し不安ではあったが、自分で思っていた以上にキースの反応が怖かったのかもしれない。

「ふふっ。こちらこそ、素敵な贈り物をありがとうございます」

「もうすぐ朝食が完成しますので、席でお待ちください。お持ちします」



 席で待つこと数分、おいしそうな匂いと共に湯気を立ち昇らせたコーンスープと今朝焼いたであろうパンが運ばれてきた。

「本日は北の国で採れる冷え冷えコーンのスープといつもおなじみのパンです。どうぞ召し上がれ」

「今日もおいしそうですね。いただきます!」

 ヒスイと並んで食事を楽しんでいると、他の魔法使いたちも食堂に集まりだした。

「お、賢者様。今日は早いな」

「おはようございます、グレイ。何だか目が覚めちゃったので」

 私の側まで来るとグレイは少し思案顔で首をかしげている。

 じっと見つめられたままなのでこっちも何だかそわそわする。いったいどうしたのだろう。

「なんか、いつもと気配が違う?」

「気配、ですか?」

 疑問形でそうぼやき、私にもその意味が分からず二人して頭を捻っているとまた別の魔法使いたちが食堂へやって来た。

 アランにルイ、ミシェル、アリアだ。

「二人そろって首をかしげてどうした?」

「ああ、アラン、ルイ様。ミシェルとアリアも、おはよう。大したことじゃないんだが………」

「なんか、私の気配がいつもと違う、らしいのですが。………どうですか?」

 四人はじっと私を見つめ、反応は二つに分かれた。

「うーん。言われてみれば何か違うような……」

「何がと聞かれるとわからないですね……」

 釈然としない反応を示したのはアランとミシェル。

 普段とさして変わらないが、何か違うところがあるような、という感じだ。

「そうじゃのう。まあ、違うというとそうじゃな」

「ああ、賢者の気配に別の気配が入り込んだ感じだな」

 年長者であるルイとアリアはどこか確信を持っているようだった。

 もしかして、その別の気配というのは月のことなのではなかろうか。実際、私の髪は一部色が変わってしまっていた、

 そういえば、キースも私を見て一瞬顔つきが変わった。あれは私の気配を感じ取ってのことなのかもしれない。

 私が月の女神ディアナの生まれ変わりだということはルイ以外に伝えていない。

 けれど、話すべき時が来たら話せばいいと言われている。それがいつなのかはわからないが、まだ様子を見ようと思っているときに話すべきではないかもしれない。

 だが、いつまでもこの髪を隠しておくこともできないし。

 どうしようかと唸っているとルイの明るい声が私の思考を遮った。

「まあ何か害があったわけでもなさそうじゃし、そこまで気にせずともよいじゃろう。今は朝食にしよう」

「ですね!今日もとってもいい匂いがしますー。キースさんのご飯はどれもおいしいですから、魔法舎に来て以来ご飯が楽しみなんですよねぇ」

「お前は昔から食い意地張ってたからな」

 アランとグレイ以外の三人が食い意地の話をしながらキッチンへと歩いて行った。

 アリアの発言にミシェルはぶつぶつ言っていたが、アリアはそんなこと聞こえていないかのように笑って流している。

「そういえば、賢者様。今日は髪型も違いますね。とても可愛らしくて、そのリボンもとても似合っています」

「だよな!俺も見た時から思ってたんだ。おろしている姿も可憐だが、そうやって結い上げているのも可愛いぞ」

 二人そろってキラキラする笑顔でそんなことを言うものだから照れてしまう。

 だが、この魔法舎にはこんな風に真っ直ぐ褒めてくれる人ばかりだ。いちいち照れていてはきりがないし、そろそろ慣れないと。

「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえるならたまに違う髪型をするのもいいですね」

 この世界に来てからうまくできるようになった笑顔で返せば、二人も一層笑みを深めた。

 こんな風に笑い合えるのなら、ずっとこの世界にいてもいい。そんなことを考えてしまうくらい、私はこの世界と魔法舎の魔法使いたちが好きになった。

 まだ一カ月も経っていないというのに、人間の順応性の高さは恐ろしい。





 朝食を終え、ヒスイはそのままグレイとアランに誘われて鍛錬に行った。特に急用もないし、部屋で文字の練習をしていると軽やかなノックがした。

「賢者よ。少し良いか?」

 ルイの声だ。返事をしながらドアを開けるとアリアもいた。

「二人そろってどうしました?」

「おぬしに仕事じゃ」

 笑みを深めて私の手を取るルイは意地悪な男の子というような感じの声音で外へと連れだした。

 目的地は賢者の執務室。ということは、仕事というのも自ずと絞られる。

「まさか、机仕事ですか?」

「ご名答!昨日の浄化と祝祭についての報告書を書いてほしいのじゃ。といっても、どう書けばよいかもわからぬじゃろう。じゃから今回は我がまとめた資料に目を通して、こっちのマニュアルに沿って報告書に仕上げてほしい」

 マニュアルなんてあるのか。まあ、月斗さんも書類仕事はしていたみたいだし、その時のものをマニュアル化したのだろう。

 執務室の机の上にはすでに何枚か紙が置かれていた。

 それ以外は羽ペンとインクとランプしか置かれていない、とてもすっきりとした机だ。

「本棚には国ごとの特徴や歴史、どんな動植物がいるのか、どんな気候でどんな暮らしなのかなどが描かれた本が入っておる。他にも、今までの賢者が報告書を書く際に参考にした資料がある。これも好きに見て構わんぞ。もちろん、図書室の本を参考にしても良いしの」

 今回はすでにまとめられた資料をもとに作成するからあまり必要はなさそうだが、これから作っていくであろう報告書には使えそうだ。

 未だ書くことは慣れないが、ある程度読むことはできるようになったし、もしもわからなければルイに聞けばいい。ヒスイだって、私より読み書きができる。

「わかりました。期限はありますか?」

「いや、そう焦らずともよい。提出するのは叙任式の後じゃから、まずはゆっくりやってみればよいぞ。まだ文字にも慣れておらんじゃろうし、書き上げたら一度我のもとへ持ってきてもらえるか?確認をしてやろう」

「わかりました!」

 とりあえず資料を読もうと椅子に座ろうとしたところで、今まで黙っていたアリアが口を開いた。

「その前に、賢者。確認したいことがある」

「な、なんでしょう?」

 いつもの好戦的な笑みはなりを潜め、今は獲物を狩るような鋭い視線が私に注がれている。どう考えてもただ事ではない。

「このおちゃらけジジイに聞いたんだが」

「我はおちゃらけてなどおらぬぞ」

「うっせぇ。賢者……お前、ディアナの生まれ変わりなんだって?」

 その言葉に私は指先から緊張が走った。

 ルイは時が来ればと言っていた。アリアに話したということは、今がその時なのだろうか。事実を知ってからまだ二日ほどしか経っていないが。

 今朝食堂で考えていたことが再び頭の中を占めていく。

 ルイの方を見やれば緩く頷いた。

「……はい。私自身、あまり実感はありませんが、北の精霊のアメリもホワイトドラゴンのフローズも、私がディアナさんと同じ魂で同じ力を私から感じると言っていました。アメリに至ってはディアナさんの生まれ変わりだと断言していました」

「じゃあ、お前から感じる微かな月の魔力は勘違いじゃねえってことか」

 アリアの眼光がさらに鋭くなった。

 ここで肯定すれば、私は殺されてしまうのだろうか。殺されずとも、せっかく近づき始めた距離があいてしまうだろうか。

 頷いてしまうことがとても怖い。けれど、ここで嘘をついたって仕方ないし、何より嘘をつくことで彼らからの信用を無くしてしまうことが嫌だ。

「………おそらく、勘違いじゃないと思います」

 私はヒスイが結んでくれたリボンを右側だけほどき、結んでいた髪を下ろした。

 隠されていた白縹色の髪が覗き、二人はその部分に釘付けになった。

「今朝、目が覚めたらここだけ色が変わっていました。体調に変化はありませんが、何か、体の中を巡ってるような、変な感じがするんです。これもアメリが言っていたんですが、私の中の月の力が表に出ようとしているらしいです」

 もうすべて話してしまおうと思い、祝祭をする前に見た夢のこと、今朝の夢のことも二人に洗いざらい話した。

 魔法使いたちに秘密にしていたことを、魔法使いであるルイとアリアに話せて、少しだけ心が軽くなった。

 秘密にすることで彼らに嘘をついているような感じがしていたから。少しだけでも私の秘密を知ってくれる人が増えたことはとても嬉しい。

 けれど、やはり不安はある。

 私が敵である月守に近い存在だということを知って、このままここにいられるのか。彼らに嫌われないか。

「………月守に近い存在の賢者なんて、だめです、よね……」

 二人の顔を見ることができず、私は俯きひたすら自分のつま先を見つめる。

 どんな言葉が耳に入るか、びくびくしながらその瞬間を待つ。

 しばらくして、コツコツという足音が私に近づいた。

 ぎゅっと目を閉じると足音がすぐ前で止まり、思わぬ力で顔を掴まれ上を向けられた。

「ぐえ」

 可愛くなさすぎる声が漏れ、恥ずかしいと思うよりも先に誰かの顔が近づいた。

 アリアだ。

 嗅ぎ慣れない男物の香水の匂いが鼻腔をくすぐる。さわやかでいて、ほんの少し甘い、アリアによく合った匂い。

 息がかかるほど近く、少しでも動けば唇同士が触れてしまいそうだ。

「お前が誰だろうが、どんな存在だろうが、賢者であることに変わりはねぇだろ。きっとお前はこの先も同じように悩むだろうし、その月の力と気配も増していくだろうよ。けどな、そんなの関係ねぇんだよ。月の女神の生まれ変わりだからなんだ。そんなんでお前が女神になるわけじゃねぇ。いいか、瑠奈。お前は月の女神じゃなく、賢者だ。仕組まれたことだとしても、月じゃなくて太陽に選ばれた、地上の賢者だ。そんな情けねぇツラしてる賢者だと他の魔法使いに示しがつかねぇだろうが。お前はお前らしく、堂々としてりゃいいんだよ。何か言ってくる奴がいるなら俺に言え。ぶっとばしてやるよ」

 口もはさめず、不安がっていた心にアリアの声が染み渡っていく。

 本当に、魔法舎の魔法使いは優しすぎる。懐が深すぎる。

 どうしてこんな私でも受け入れてくれるのだろう。やはり賢者だからだろうか。

 いや、もうそんなことすらどうでもいい。

 アリアは口こそ悪いものの、その言葉はちゃんとその人自身に向けられている。確かに優しがある。ミシェルに慕われている理由が少しわかった気がする。

「返事は?」

「ふ、ふい」

 片手で両頬を内側に押しつぶすようにつかまれているせいでちゃんと喋れない。というか、だんだん頬が痛くなってきた。

 ずっと鋭かった目元を緩め、にやっと笑って「よし」という声と共にようやく解放される。

「話はそれだけだ。じゃあな」

 踵を返してドアへと歩きだしそのまま立ち去るかと思ったが、アリアは突然足を止めた。

「サナーティオ」

 振り向いて私に向かってチェックをつけるみたいに指を動かし、不思議の呪文を口にした。

 ほどいた髪が浮き上がり、ヒスイが結んでくれていたように編み込みのお団子が作られリボンが結ばれた。元通りだ。

「そのリボンと髪型、似合ってるぜ」

 それだけ残して部屋を出て行った。

 パタン、という音が響いてしばらく、口からこぼれたのは本当に私の心から零れた言葉だった。

「………かっこいい」

「キザったらしいのう」

 どうやらルイはお気に召さなかったようだ。むぅっと頬を膨らましている。

「あの、ルイ。私のこと、他の魔法使いたちにも言っていいですか?みんなアリアのような反応を示してくれるのかはわかりませんが、隠しておきたくないんです。というか、この髪のこともありますし、隠せない気がします」

 ルイは顎に手をやりしばし沈黙した。

「そうじゃのう。…………よし、明日明後日には出かける者がおるやもしれぬが今日は全員、魔法舎におるはずじゃ。夕食後に談話室でナイトティーパーティでもしようかの」

 あれ、私のことを話すのにティーパーティ?

 ルイの提案に戸惑いが隠せず混乱していると、ルイがふわっと笑った。

「重い空気は嫌いじゃからの。楽しい時間を過ごそう」

 ルイはドアへと手をかけ、「じゃあ、仕事頑張って」と残して部屋を出た。

 静かな執務室に残され、とりあえず椅子に座って机に向かった。

 けれど、資料を呼んでも頭には入ってこない。今になって恥ずかしさがこみあげてきたのだ。

「アリア、香水付けてたんだなぁ」

 匂いがわかるくらい近くにいて、さっきは突然のことに驚いたがアリアはとても顔が良い。

 顔が良いのは魔法使いたち全員に言えることではあるが、アリアは何というか、群を抜いていい。全体的に形やバランスがいいのだろうか。

 何にせよ、目を惹く顔の良さだ。

 しかもそこにほんの少し悪い匂いがする。実際に悪いことをしているというわけではないだろうが、どことなく悪い男の香りがするというか、口が悪いところがかっこよさを引き立てているというか。

 仕事ではなくアリアの顔ばかり頭に浮かぶ。

「あああ、もう!集中しよ!」

 思い切り頭を振って強制的にアリアの顔を外に追いやる。

 こうでもしないといつまでたっても仕事ができない。急ぎではないにしろ、早く終わらせるに越したことはないのだから。

 ルイの資料はとても見やすかった。私が教えてもらった単語が多く使われ、教科書や単語帳と見比べながらではあるが正しく読めていると思う。少し意味が分からない部分もあったが、実際に私も立ち会った祝祭のことだ。ある程度は理解できているはず。

 資料を読むだけで夕食の時間になってしまったが、これで明日には報告書を書き始めることができる。





 食堂には珍しくキッチンにいるキース以外の全員がいた。いつもは食べる時間がバラバラなのに、全員がまとまって席についている。

「珍しいですね、全員一緒だなんて。何かあるんですか?」

 テーブルの端のほうに着席していたミシェルに声をかけると柔らかな笑みが向けられた。いつも思うが、ミシェルの笑顔を見ているとほっとして和む。

「賢者様!突然なんですが、今日は夕食を全員で食べてそのままティーパーティをするそうですよ」

 もしやと思い、ルイの方へ視線をやるとウインクされた。

 やはりルイの仕業のようだ。

 だが、こんな風に全員そろっての食事は初めてだし、私は十人以上で食事をするのも学校の給食ぐらいの経験しかない。

 この後のことを思えば少し怖いが、今は食事を楽しむことだけに専念しよう。

「賢者様はどうぞこちらへ。ヒスイも賢者様の隣に座ってくれ」

 アランの言葉に反応するかのようにヒスイが出てきた。

 私たちが案内された席は上座、いわゆるお誕生日席だ。

「え、ここですか?お誕生日席なんてアランが座った方が良くないですか?王子様ですし」

「そんなことはありません。この席は賢者様にこそ座っていただきたいのです。今日の主役はあなたとヒスイなのですから」

 主役とは、どういうことだろう。私から話があるということを聞いているのだろうか。

 首をかしげながらもとりあえず着席し、すぐにキッチンからキースが出てきた。それも、料理が乗った大量のお皿を周りにふよふよ浮かせながら。

「お待たせいたしました。突然のことでしたしあまり大層なものは作れませんでしたが、今できる最大限のものをご用意いたしました」

 私たちが座っている卓とは違うテーブルに乗せられた料理は種類が豊富だ。いくつもの大皿に肉料理や魚料理、サラダ。大きな器に入ったスープが数種。また別のお皿にはたくさんのケーキやらシュークリームやらチュロスやら。コース料理が一度に出されました、というような感じでどことなくビュッフェににている。

「すごいたくさんありますね。今日って何か特別な日なんですか?」

 あまりにも日常と違い過ぎるために出た疑問。それに答えてくれたのはこれを提案したであろうルイだった。

「今日は歓迎会じゃ!おぬしや新しい魔法使いたちが来てから自己紹介しかしとらんかったじゃろう。親睦を深めるためのパーティじゃ!」

 ルイが指を鳴らすと、食堂の一角にある蓄音機から軽快な音楽が流れだした。聞いているとウキウキするような感じの曲だ。

 曲が流れだしてすぐ、好きな料理を取って席に持って行ったり、待ちきれずに立ったまま食べたり、食事よりもおしゃべりに花を咲かせたり。各々が好きなように過ごしている。

「賢者様はどの料理が好きですか?」

「賢者様の好きなもの、私も知りたいです!」

 アランとミシェルが手を引いて私を料理がずらっと並んだテーブルへと誘ってくれた。ヒスイも私の後ろをついてきて、しげしげと料理を見ている。

 キースの料理を食べた時、ヒスイは必ず無言で食べ続けていた。どの料理も気に入ったということだ。

 今日並べられている料理はすでに食べたことがあるものもあれば、初めて見るものもある。

「うーん、キースのご飯はどれもおいしいですから悩みますね」

 たくさんの料理の中、私の視線を奪ったのはトロっとしたソースの掛かった肉料理。何かの肉、ということ以外わからない。

 じっと見ているとそばをキースが通った。

「あ、キース!これはなんですか?」

「こちらはラグーフィッシュの赤ワインソース掛けです」

 お肉にしか見えなかったがどうやら魚らしい。

 肉々しい見た目のそれを眺めていると続けてキースが解説をしてくれた。

「ラグーフィッシュは中央の国にあるベイル湖でしか獲れない魚なんです。食感も味わいも踊り豚に近いので、赤ワインとも相性がいいんですよ。今回はとろみをつけたソースにほんの少しレモンを入れましたのでさっぱりと召し上がられるかと思います」

 踊り豚とは、その名前の通り踊っている豚らしい。今朝食べた冷え冷えコーンだったり踊り豚だったり、この世界の食べ物は不思議な特徴と名前をしている。

 まあ、味自体はおいしいし元の世界とそこまで差はないけれど。

「まあ、ベイル湖でしか獲れないなんて、とても貴重なお魚なんですね!味わって食べないと」

 そう言いながら大きな一口でかぶりついた。

 もぐもぐと噛んでいくにつれてミシェルの瞳が輝きだす。頬袋にドングリをたくさん詰め込んだリスみたいになっている。

「………ん~!これ、すっごくおいしいです!お魚なのにお肉にしか思えません!しかもこのソースも、奥深い味わいですね!私、これすっごく好みかもしれません!」

「おや、そんなに気に入ってもらえるとは。ラグーフィッシュは他の食べ方もいけるのでまた仕入れた時は作りますね」

 キースはそのままキッチンへと戻ってしまった。

 ミシェルは相当この料理が気に入ったようで、黙々と食べている。

「おい、そればっかり食べてないで野菜も食べろ。お前、薬草は山ほど育てるくせしてなんで全然食べねぇんだよ。そんなんじゃ栄養偏るぞ」

 なんだかお母さんのようなことをいいながらアリアがミシェルの前にサラダを突き出している。当の本人はサラダにはまったく見向きもしていないが。

「ミシェルは薬草を育てているんですか?」

 しばらくの咀嚼の後、ミシェルは笑顔で頷いた。

「…………はい!南の国でアリア先生の助手をしていると言いましたよね?その一環で、お薬の材料になる薬草の中で比較的栽培しやすいものは私が育てているんです。あ、魔法舎の中庭に花壇がありましたよね?あそこ、少しだけでいいので場所をお借りしてもいいですか?」

「もちろんですよ。いっそのこと花壇を増やしてもいいですね。中庭の花壇、確か結構小さかったですし、薬草を育てる育てないに関わらずお花を増やしたいと思っていたんです」

「まあ、それはいいですね!私もご一緒に考えます!業者さんに頼んでもいいですが、ここはやはり手作りした方が愛着もわくと思うのですが、いかがでしょう?」

「手作り、いいですね!花壇なんて作ったことないですが、やってみたいです」

 そうして花壇づくりについて話し込んでいたら両サイドからぬっと頭が突き出てきた。

 左にアルブレヒト、右にヒスイだ。

「おい瑠奈、しゃべってばかりいないで食べろ。まだ一口も食べてないだろ」

「花壇を作るのか?なら俺に任せろ。ベリル家で庭師見習いだったから花壇の作り方も植物の扱いも慣れてる。あと、見習いだからってなめるなよ」

 突然だったから少し固まってしまった。

 こんな風に気軽に話しかけてくれる人が増えるというのはとても嬉しい。

 ふと、そんな思いが込み上げてきた。

「ありがとう、ヒスイ、アルブレヒト。そういえばまだ何も食べてなかったね。二人のおすすめを教えてくれますか?あとアルブレヒト、後日になりますが花壇づくりお願いします。けど、私やミシェルもちゃんとお手伝いしますので一緒にやりましょう!」

 二人は満足気に笑って私の手を引いた。

「この魚料理が美味しかった。身がふっくらしてるんだ」

「俺のおすすめはこっちだな。レモンビネガーがかかっているらしい」

「どっちも美味しそうですね!」

 私の周りには多くの魔法使いたちが集まって、終始ワイワイしたまま夕食の時間が過ぎていった。

 みんなが私と話すとき、本当に友人のように接してくれる。昔からの知り合いみたいに気軽く話してかけて、少しずつお互いを知っていくみたいにいろんな話をして、魔法使いの輪の中に人間の私を入れてくれた。

 そんな彼らに嫌われるかもしれない。それならいっそ話さない方がいいんじゃないだろうか。

 彼らとの時間が楽しいほど、そんな身勝手で臆病な考えが頭をよぎる。

 けれど、魔法使いは人の機微に敏感だ。嘘をついてもすぐにばれてしまう。

 ちょっとしたことならこんなに臆病になる必要もないが、今回は違う。私自身のことではあるが、賢者の魔法使いたちにも関係してくる。もっと言えば世界に関わることだ。ちょっとどころの問題ではないのだ。

 彼らに嫌われたくないなんて、そんな自分勝手、許されるわけがない。

 正直に話して、それで彼らがどう思うかはわからない。ルイやアリアのように『私は私だ』と言ってくれるかもしれないし、月の力を持つ賢者なんて信用できないと突き放されるかもしれない。

 彼らの反応を考えたって意味はないのに、そればかりがぐるぐるする。

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