第九話 魔法舎にて

 朝からアランと共にステラリア城で行われた会議に出席し、いざ魔法舎へ帰ろうと外へ出た時にはすでに陽が傾き辺りを柔らかいオレンジ色が覆っていた。

 来た時と同じように箒に乗せてもらい、オレンジに輝く街の上へと上昇する。

 ぽつぽつと星屑灯ほしくずとうが灯りだしている。

 魔法舎もそうだが、街の明かりのほとんどが星の光を凝縮させたものらしい。元の世界でいうソーラーパネル的なものだ。

 中央の国には星の光を蓄えて発光する星屑石ほしくずせきがあり、建国されるよりも前から長い時をかけて星の光を蓄積していたという。これらをシャンデリアの蝋燭の代わりにして部屋を明るくしたり、街頭に用いて街を照らしたりしている。

 電気よりも弱く儚い光はとても幻想的だ。目がチカチカするような眩しさはなく、温かく包み込んでくれるような気がする。

 その景色に溶け込むような優しい声が耳に届いた。

「賢者様、初めての会議はいかがでしたか?あまり、気分の良いものではなかったかもしれませんが………」

「……うーん、一言でいうと悲しかった、ですかね。私が何かを言われることには慣れているんですが、魔法使いのみなさんが悪く言われるのは、ちょっと………」

 私の返答に問題があったのか、アランは少し肩を揺らして笑った。

 前のめりになって顔を覗き込めば見たことがないくらい優しい表情をしていた。

「あ、笑ってしまい申し訳ありません。賢者様らしいなと思って、つい。お会いしてそこまで時間は経っていませんが、やはりあなたは優しいお方ですね。そんなにも私たちに心を砕いてくださってありがとうございます」

 愛おしいものを見るように目を細め、緩く笑んだその顔に思わず見とれてしまった。あまりにも綺麗で、儚くて、ともすれば消えてしまいそうな蠟燭の明かりのような微笑みが私の目に焼き付いた。

「賢者様?どうかしましたか?」

「あ、いえ。………みなさんは、私を受け入れてくれましたから。何もできない私を必要だと言って、普通の賢者とは違うのに温かく迎えてくれて、とても嬉しかったんです。だから少しでもみなさんの役に立ちたいんです」

 話しているうちに下がっていた視線を再びアランに向けると先ほどまでの微笑みではなく、少し困ったように眉を下げて微笑んでいた。

 まるで小さな子供を諭すように。

「そのように思う必要はありませんよ。魔法使いが賢者様を大事に思うのは太古から決まっている事だと言いますが、私は愛情と同じだと思うのです。家族のように支え合い、友人のように楽しさも悲しさも共有できる、そんな存在だと。役に立たなくてはいけない、なんてことは決してないのです」

 賢者は魔法使いを導く存在だから彼らに大事にされる。それ以上でも以下でもないと私は思っていた。

 自分を導いてくれる存在なら大事にするのはわかるが、そこに愛情なんてないと思う。多少の情は湧くかもしれないけれどそれだけで終わる気がする。

 首をかしげていた私に、アランは先ほどまでと同じように柔らかな声をかけてくれた。

「私は賢者様が大事で、大切にしたくて、好きだということです。私たちの役に立ちたいという気持ちは理解できます。私も賢者様のお役に立ちたいですから。けれど、そこに義務感みたいなものはいらないのですよ。お互いに迷惑をかけ合った分だけ支え合えばいいのです。ほら、家族や友人と同じような存在でしょう?私のわがままかもしれませんが、あなたとはそんな関係を築きたいのです。賢者とか王子とか魔法使いとか、そういった肩書は関係なく、私は私で瑠奈様は瑠奈様として」

 確かに、今まではずっと役に立たなければいけないと思っていた。私を受け入れてくれたんだから、彼らに報いなければ、と。

 けれどどこまでも深い優しさを見せてくれた彼は家族や友人のような関係になりたいと言ってくれた。つまりは対等でいたいということだろう。

 確かに、賢者だからといって上とか下なんて決めるのは嫌だ。私も彼らと対等でいたい。友人になりたい。人間が魔法使いを疎んでいる風潮があるのなら、せめて彼らの一番近くにいる人間である私は正面から接したい。

「………そんなの、わがままにならないですよ」

 私は小さく「ありがとうございます」と呟くのが精一杯だった。

 私も対等でいたいと、あなたと同じ気持ちだと、ちゃんと伝えたいのに感情があふれ出るばかりでうまく言葉にできなかった。

 それからの時間はまた静かになってしまったが、決して重苦しくはなく、むしろ確かな心地よさがあった。沈黙に息が詰まることなく、穏やかな心持ちで魔法舎へと帰れた。

 きっと、アランが私の心を掬い上げてくれたからだ。彼らと仲良くなりたいとはここに来た当初から思っていたことのはずなのに、すっかり抜け落ちていたようだ。仲良くよりも役に立たなければと焦っていた。

 自分が思っていた以上に賢者と言う肩書に飲まれていたと実感する。

 私は、私なんだ。

 ルイやアリアも伝えてくれたことに改めて気づかせてくれた。






 魔法舎に着いてすぐ、いつも以上に静かなことに気付いた。

 時刻は十九時前。そろそろ夕食の時間だからいつもはもっとにぎやかなのだが。

 アランと顔を見合わせて不思議に思いながら談話室へ向かうと、少しぐでっとした魔法使いたちがお茶をしていた。

「ああ、賢者様にアラン、おかえり」

 いち早く私たちに気付いたグレイがゆったりと手を振る。何だかお疲れモードのようだ。

「ただ今戻りました。あの、何かあったんですか?みなさん疲れているようですけど……」

「いや、ちょっとな。二人が出てすぐに仕立て屋のラルクが来て、とりあえず今いるやつだけでも試着させろっていうから、急だが試着会をしたんだ」

 その言葉に私は固まってしまった。あまりにも驚きすぎると身動き一つできなくなるんだと初めて知った。

「………ま、待ってください。私、返事出してないですよ?」

「らしいな。むこうも我慢できずに来たって言ってたよ」

 我慢できずに来るなんて、マイペースにもほどがある。せめてアポイントを取るなり手紙を送るなりするべきなのでは。

 なんてことを今言っても仕方がない。とりあえず、試着がどんな感じだったのか聞こうと口を開きかけた時、気だるげに確かな怒りが籠った声がした。

「あいつには常識ってものが欠落してるよ。突然来るし、不法侵入だし、好みの女にだけかと思ったら僕たちにもべたべたしてくるし、ほんっと最悪」

 だいぶご立腹なようで眉間にしわを寄せているのはランスだ。

 随分と大変な試着会だったようだ。それにしても、不法侵入なんて。

「魔法舎にはルイ様の結界が張られているだろう?ラルクはそれを破って入って来たのか?」

「破ったと言えばそうなんだが、どうやら綻びが出来ていたらしい。そこを少し広げたと言っていたな。そのままになっているから早く修復しないとなんだが、ここ数日ルイ様を見ていないんだ。ルイ様ほど強い守護魔法は使えないからうまく直せないし………」

 ルイは今北の国を見て回っていて魔法舎にはいない。軽くではあるが、広大な北の国をぐるっと一周すると言っていたから、帰ってくるのももう少し先になる。

 魔法使いにも得手不得手があるようで、攻撃魔法が得意な人がいれば、ルイのように守護魔法が得意な人、アリアやミシェルのように治癒魔法が得意な人もいる。他にも細かい魔力操作だとか物質を操るだとか、いろいろあるらしい。

「ルイは数日前から北の国に行っているんです。明日か明後日には帰ってくると思いますが、それまで上手い具合に隠せないですかね?」

「でしたら私が補強いたします。幼少のころに結界について詳しく教えていただいたことがあるので、ルイ様ほどではありませんがそれなりの強度は保てるはずです」

「では夕食前に行ってきてはいかがですか?」

 優雅な足取りでこちらに近づいてきたのはキースだった。しかも何だか照り焼きのような匂いを漂わせている。

「結界を補強したころには夕食が出来上がりますので、終わったら食堂に来てくださいね」

「そうだな。では先に済ませてくる」

 そうしてアランが足早に談話室を出た後、帰ってきてからっずっと気になっていたことを口に出す。

「そういえば、ヒスイの姿が見えないんですが、どこに行ったか知っていますか?」

「ああ、ヒスイならここにいるぞ」

 そうしてグレイはネックレスに戻っていたヒスイを手渡してくれた。

 こちらに来てから寝るときや来客があるとき以外はずっと外に出ているのに、今は珍しく石のまま。しかもいつも以上に静かだ。

『ヒスイ、ただいま。もうすぐで夕食だけど食べる?』

『………』

 石に触れて呼びかけるも何も反応がない。

『………ヒスイ?』

『………今日は、いい……。もう休む』

 それだけ残してまた静かになった。

 ヒスイがここまで疲れているのは初めてだ。

 私とアランが魔法舎を出てすぐにラルクが来たということは、おそらく特訓はできていないはず。となると、彼も魔法使いたちと同じようにラルクの相手をして疲れたのだろうか。

 ヒスイがこんなにも疲れている理由に首をかしげていると、苦い声が横から聞こえた。

「悪い、賢者様。俺がついていながらラルクを止められなかったのが原因なんだ」

「どういうことですか?」

 ラルクが来た時、ヒスイは自分から私のドレスを着る際に赤いネックレスを付けると言ったらしい。だから一度色合わせも兼ねてドレスと合わせてみることになり、ヒスイはネックレスに戻っていたという。

 そうしてラルクがヒスイに触っている間、どうやら魔力を流し込まれていたようでそれにあてられたのかもしれない、とのことだった。

「鑑定だとか言って魔力に包んでもいて、そっちはすぐに開放してくれたが、やはりヒスイ的にはつらかったのかもな。もともと魔力を持たないんだから、あてられると確かにしんどいと思う。一応シュカを食べさせたから、ゆっくり休めば明日には回復してるだろう」

「そうだったんですね。教えてくれてありがとうございます」

「いや、あんたの大事な家族を守れなかったんだ。………すまない」

 グレイは本当に申し訳なさそうに頭を下げている。確かにヒスイがつらそうで私も少し悲しいけれど、決してグレイのせいではない。

 守れなかったと言ったが、ヒスイが少しでも楽になるようにシュカを食べさせてくれている。それだけで十分だ。

「グレイ、謝らないで。頭をあげてください。そんなに悔やまなくていいんですよ。守れなかったと言いましたが、ちゃんとヒスイのことを考えてくれているじゃないですか。それだけでヒスイの心はあなたに守られているんです。本当に………ありがとうございます」

 私の気持ちが伝わるように、彼の誠意に応えるように、琥珀の瞳を真っ直ぐ見つめて優しい声を心がけた。私の感謝をたくさん乗せてその気持ちを忘れないようかみしめて、言葉に託す。

 グレイは困ったように眉を下げて笑っている。帰ってくるときのアランのように。

 こういうところ、長い間一緒にいる彼らはよく似ている。

「………はは、それは、あんたの魔法使いとして光栄だな。………ありがとう、瑠奈。けど、これからは心だけじゃなく物理的なことからも守れるようになるから」

「はい!これからもよろしくお願いします!」





 食堂へと移動すると香ばしい匂いに満たされていた。

 キースから漂っていた匂いはやはり照り焼きだった。

 見た目もまさしく鳥の照り焼き。

 月斗さんが魔法舎に来てから和食をいくつかキースに教えたそうだ。

 全く同じにいかずとも、かなり再現度の高いものを作ってくれた。

「これは、どこからどう見ても鳥の照り焼きです!え、この世界でこれが食べられるなんて!」

「この照り焼きの味付けはこの世界にはないものだったんですが、みなさんお気に召したようで、アレンジを加えて時々出しているんです。今日は賢者様の会議初参加を労おうと思い、アレンジはせずに前の賢者様から教えていただいたものを作ってみました」

 魔法使いは賢者のことを忘れてしまう。けれどそれは名前とかどんな体型だったとか、何が好きだったとか、賢者本人のことだけで、一緒に過ごしたこと自体は割と覚えているらしい。つまり、存在そのものが完全に記憶からなくなるわけではないということだ。

 忘れてしまうと言われたときはやはりショックだったが、私が覚えているからいいと思った。けれど、私のことを忘れてしまっても、ここにいたことや一緒に過ごした時間は少なからず残る。それだけでほんの少し救われたような気分になる。

「ありがとうございます。キースはいつも、私の食べたいものを聞いてくれますし、こうして元の世界とこの場所を繋げてくれますよね。本当に、嬉しいです」

「賢者様がそうやって笑ってくれるからですよ。私はあなたの笑顔が好きなんです。ここに来てすぐはあまり表情が変わりませんでしたが、最近はよく笑ってくれますし、私の料理をおいしそうに食べてくれます。私はそんなあなたが見たいだけなんです」

 ふんわり、という言葉がぴったりの微笑みでそんなことを言われたら照れてしまう。

 しかも最近、好きと言われることが多くて何だか恥ずかしい。

「さ、早速いただきますね!」

 きっと顔は赤くなってしまっているだろう。それをずっと見られるのもまた恥ずかしい。

 しばらくは頬の熱が冷めないまま、私は懐かしい味を堪能した。







 夕食後、私はラピスと共にキッチンへと足を運んだ。スターマインの様子を見るためだ。

 水に浸けてから今日で一週間ほど経つ。そろそろ水が濁っているはずだ。

「昨日確認したときは薄濁りって感じだったので、そろそろいい感じになっていると思いますよ」

「楽しみですね!出来上がったらどこに飾ろうかな……」

 瞳をキラキラさせて思案するその顔はすこし少年らしさがあった。普段のラピスは綺麗な顔立ちや振る舞いから大人びて見えるが、実際は私より二つ年下だ。

 普段はあまり見せない表情には驚いたが、私の心は嬉しいに全振りしている。

 私が教えることをこんなに楽しみにしてくれると、私まで楽しみになる。一緒に楽しめる人がいることの心地よさを知れた。

 棚に並べて置いていた瓶はいい感じに水が濁っている。けれどスターマインの淡い光はそのままだった。

「腐っても光が消えないなんて、不思議ですね」

 瓶の中から実を取り出し、そっと水で洗い流せば大体の萼がはがれた。

 葉脈が破れないように優しく残りをはがして完成だ。

「結構上手に作れましたね!」

「はい!」

 朱色っぽいレースのような葉脈から金色の淡い光を放つ実が透けて可愛い。なんだかいつまででも見ていられる気さえしてくる。

「決めました!私、部屋の窓の側に飾ります!すぐには無理ですが、台を用意して少し浮かせる感じにするんです!」

「いいですね!………こんな感じでしょうか?」

 口の中で呪文を唱えたラピスの手元に小さなツリーのように組み合わされた木が現れた。ツリーと言ってもただ三角錐の形に木が組まれていて、ただの枠組みのような感じだ。それに先ほど完成したスターマインを紐で括り付けている。

 台を軽く揺らせばスターマインも一緒に揺れて、淡い光がゆらゆらしている。

「そうです!こんな感じ。というか私が想像していた通りです!台としか言っていないのによくわかりましたね。ラピス、すごいです」

 ラピスははにかんだように頬を染めて、こちらを窺うように視線を投げてきた。

「その、よければ賢者様にもお作りしましょうか?」

「え、いいんですか?」

「はい。お礼みたいなものですから」

 何かお礼をされるようなことをした覚えはない。

 何のことを言っているのかわからず首をかしげているとラピスは視線を落とした。

「賢者様が初めてここに来た日、アルを助けてくれました。このドライフラワーのことも教えてくれました。それ以外にも、ここに来てからずっと、賢者様は俺たちのことをいつも気にかけてくれて、今までが過ごしにくかったわけではないですけど、賢者様が来てから毎日楽しくて、過ごしやすくて、感謝しているんです。だから、こんなものでお礼にはならないかもしれませんが、賢者様のために何かしたいんです」

 言い終わるころにはしっかりと目を合わせるようにこちらを見ていた。

 心からそう思っているのだと、私に伝えたいのだと、彼の態度や視線から感じ取れる。

「……私も、同じ気持ちですよ。私がこの世界で何も困らず過ごせているのはみなさんが支えてくれるからです。この世界のことをたくさん教えてくれて、みなさん自身のことも少しずつ知れて、この世界で私の帰る場所は魔法舎だと思えるようになったんです」

 そこで一度深く息を吸い込んだ。ここに来て約一カ月、いろんなことがあった。状況をうまく呑み込めないまま魔法舎に来たけれど、ここでの生活はすぐに楽しいものになった。

 悩むこともあるし、賢者として考えなければならないことも多い。これから先もそれは変わらないだろうけれど、それでも魔法使いのみんながいれば何とかなると思える。

 それに、肩書なんて関係なく私として見てくれている。その事実が何よりも嬉しかった。私は私なんだと言って、してあげられることなんて少ないのに側にいてくれて、感謝しているのは私の方だ。

「私の方こそ、いつも気にかけてくれてありがとうございます。もしもラピスが困っていたらすぐに駆け付けますから、何でも言ってください。みなさんの力になれたら、私も嬉しいです」

 義務感からではなく、心の底からそう思う。

 同じように思っていたことが少しくすぐったくて、二人揃って小さく笑った。

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