第八話 初めての会議

 朝の空気は清々しい。肺に思いきり吸い込めば爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、ほんのり冷たい空気が体を満たす。この世界の秋はとても心地よい気温だ。

「賢者様、寒くはないですか?」

「大丈夫ですよ。むしろ気持ちがいいです!朝のお散歩みたいで楽しいです!」

 そう。今はアランの箒に乗せてもらって彼の実家、ステラリア城に向かっている。おかげで地上よりも気温が低い上空を飛んでいるが、寒いというほどではない。

 体全体に風を受けて、いろんなものを吹き飛ばしてくれるような気がする。それに、陽光を受けて輝く森や街は輝いている。それがとても綺麗なのだ。

 あまり外に出たことのない私には見るものすべてが新鮮で楽しい。

「もうすぐ城下ですよ」

 アランの言葉通り、すぐに街が眼下に広がった。

 けれど、それは想像していたものとはだいぶかけ離れていた。

「こ、これは………」

 街のあちこちに地割れがあり、崩れた建物も多く、ひどい場所では瓦礫で道が塞がってしまっている。

 あちこちで街の人たちが協力して瓦礫を片付けているのが見える。

 グレイから月守との戦いによる被害が甚大だとは聞いていたが、ここまでとは。

 言葉をなくしてしまった私に語り掛けるように、静かな声が耳に届いた。

「月守との戦いはこことは違う場所で行われます。ですが、彼らの力が例年より強大だったのか、私たちの力が及ばず、被害が世界中に広がってしまったのです。月守の力の源である月の魔力、その力が最も高まる日が決戦の日です。いつもは月守たちが月から地上へと降りてくるのを阻止して終わりですが、今年は彼らの魔力が段違いに強かったことに加えて、今までいなかった強力な広範囲呪詛魔法を地上に降らせる月守がいたようです。守護魔法が間に合わず、ステラリアのような被害を受けた街や村が数多く出てしまいました………」

 アランはそこで言葉を切って、苦しそうに息を吐いた。後ろにいる私からでは彼が今どんな顔をしているのかはわからない。けれど、箒を強く握りしめているのか、腕が小刻みに震えている。

 どうしようもないやるせなさを感じているのだろう。

「………月の魔力がいつもより増したのには、何か理由があるんでしょうか?」

「わかりません。けれど、おそらく何らかの変化が月で起こったのではないかと思われます。いつもは月守の相手だけでよかったのですが、今年は月そのものから妙な気配が流れていましたから、呪詛魔法にその影響がプラスされて被害につながったのかもしれません」

 何らかの変化。去年とは違う何かが月に起きた。



『私が瑠輝様をこの世界にお呼びし、現在進行形で月の賢者として月にいらっしゃるからです』



 ふと思い出したその言葉にはっとした。

 瑠輝が消えたのは去年、ちょうど戦いがあった時期だろう。

 もしも、もしもだ。瑠輝が去年から月の賢者として月にいるのだとしたら、瑠輝の存在自体が月に起きた変化なのではないだろうか。

 カエルムは私と瑠輝の二人を月のトップにと考えているはず。私が月の女神の生まれ変わりなら、双子の兄である瑠輝も同じかもしれない。

 月の女神の生まれ変わりが月にいる。仮に月の力が衰えていたと考えれば、本当の姿に近づき力も増すのではないだろうか。

 瑠輝が来たから去年よりも月守の力が増したのかもしれない。一度そう考えてしまえば他に思いつかない。

「………あの、賢者様」

 黙り込んだ私の耳に少し戸惑いが混じった声が届く。

「ルイ様から、賢者様には兄上がいらっしゃるとお聞きしました。一年前に行方知れずとなり、今は月にいるかもしれない、と。……こんなことを申し上げるのは、大変失礼かと思いますが、一つの仮定として聞いていただけますか?」

「…………はい」

 そこで一つ呼吸を置いてからゆっくりと言葉を吐いた。戸惑いはあるものの凛としたその声に耳を傾ける。

「私は賢者様の兄上が月にいることが、月守たちの力が増したことと関係しているのではないかと思いました。月にも賢者がいるという話は聞いたことがありませんし、過去の文献にも出てはいません。なので、本当に憶測でしかないのですが、もしも賢者が月にもいたとして、月守が強くなったことと兄上が消えた時期が重なっている。そこにカエルムの証言。全てを鵜呑みにすることはできませんが、兄上があちら側にいる可能性が高いのではと思います」

 最後に「すみません」という謝罪を付けたし、私たちはしばらく無言で空を飛んだ。

 それから数分してお城がだいぶ近くになったとき、私はアランの腰を掴んでいた手に力を込めて、なるべくはっきりとした声を出した。

「謝らないでください。アランは何も悪くありませんし、兄が原因かもしれないというのは私も考えていたことですから。それに、もしも兄が悪いことをしようとしているのなら、………私はそれを止めなければいけません。この世界をまだ少ししか見ていませんし、私はいずれここからいなくなります。けど、それでも、この綺麗な世界を壊させたくないです。みなさんと一緒に、守りたいです」

「……ありがとうございます。そのように言っていただけるだけで嬉しいです。まずは今日の会議ですね!他国との関係にも関わることが大きな議題ではありますが、これからの大まかな方針や、次の戦いに向けてすべきことなども決めたいと思いますので、賢者様も思ったことをどんどんおっしゃってくださいね!」

「が、頑張ります!」

 私の返事と共に箒はゆっくりと下降を始め、私たちは城門の前へと降り立った。

 初めてのお城。街と同様に崩れてしまっている部分もあるが城壁は高く、それに守られているお城はもっと高い。陽光を反射させて白く輝くお城が眩しい。

 今からこの中に足を踏み入れると思うと足がすくむ。絶対場違いになるとしか思えない。そこで発言なんて、本当にできるのだろうか。

 ただただお城を見上げているだけだったが、アランの声で現実に引き戻された。

「賢者様、こちらです」

「あ、はい!」

 アランの後ろをついて城門をくぐれば整備された庭が横目に広がる。

 緑を生い茂らせた生け垣はすべて同じ高さと形で切りそろえられ、何だか迷路の壁のように思える。だが遊び心もあるようで、ところどころで花があしらわれたものや何かの形を模したものなどもあり、それがまたアクセントになっている。見ていて楽しい庭だ。




 お城の中に足を踏み入れれば、そこはもう別世界のようだ。豪華な装飾、煌びやかなインテリア。とてもじゃないが私がいていい場所ではないように思う。

 嘆息が漏れてあたりを見渡していると見覚えのある男性がこちらに駆け足で近づいてきた。

「お待ちしておりました。アラン殿下、賢者様。会議場までご案内いたします」

「私は一度部屋に寄るから、先に賢者様だけ案内してくれ」

 アランは男性の「かしこまりました」を聞くとこちらに視線を投げかけた。

「では、後ほど。会議場にはピリピリしている者もいるかと思いますが、どうか安心してください」

「はい、心配してくれてありがとうございます。賢者としてできることを、頑張ります!」

 アランは微笑みを残して廊下の奥へと歩いて行った。

 しばらくその様子を見ていたが、やがて男性に声を掛けられ私たちも移動する。

「先日は無礼な真似をしてしまいましたこと、大変申し訳ありません……」

 階段を上っているとそんな沈んだ声が小さく響いた。

 彼は私の前を歩いているため、どんな表情をしているのかはわからないが、声からして相当反省しているのだろう。

「そ、そんな!気にしていませんから謝らないでください。えっと、リグナさんでしたよね?この世界にとっての賢者がどういう存在なのか、魔法使いたちから少し聞きました。あの時は何も知らなかったですけど、今は世界のことや月のことを色々教えてもらって、少しは理解できていると思います。だから、リグナさんたちが私を本当に必要としていたんだっていうことも、今ならわかります。だから、私はこの世界のためにみなさんと一緒に戦うと決めました」

 何の宣言だというような言葉だが、これは紛れもない私の本心だ。

 あの時、私はリグナさんたち人間ではなく魔法使いたちを選んだ。状況は違えど境遇が似ていると感じたから。そんな彼らの力になりたいと思ったから。

 けれど、この世界のことや月のことを聞いて、魔法使いと人間が協力できるようになれば、もっと大事なものを守れるようになると思った。

 この世界には魔法が溢れているのに、人間の生活にも魔法が活用され始めているらしいのに、魔法使いは敬遠される。そうして魔法使いと人間の間に溝ができてしまう。

 ルイはそう言っていた。けれど、ミシェルは違う考えを持っていた。

 南の国では人間も魔法使いも助け合っていると。住む世界が違う存在じゃなく、手を取り合える存在なんだと。

 私も、同じ考えだ。

 ここに来てまだ日が浅いとはいえ、魔法使いたちとずっと一緒にいた私だから思うことがある。

 彼らは決して人間と住む世界が違う存在じゃない。人間と同じように心がある。笑って、怒って、悲しんで。喜怒哀楽がちゃんとある。怖いと思う瞬間があるのも確かだが、それと同じくらい優しさもある。月の女神の生まれ変わりである私のことも、受け入れてくれた。

 もっとお互いが歩み寄れば、共存できるはずだ。

 ディアナさんが地上との争いを止めたように、私が魔法使いと人間の橋渡しになれるよう、まずはこの国の偉い人たちとの会議を頑張らないといけない。

「………魔法使いを嫌う者は城の重役にも多くいます。言ってしまえばほとんどがそうです。今日の会議も、実のことを言うと、賢者様を魔法使いたちから引き離そうと考えてのものです。今の言葉から察するに、賢者様は魔法使いのことを大事に思われているようですので、今日の会議は、少しお辛いやもしれません」

 なんだか出鼻をくじかれたような気分だ。

 アランは私を吊るし上げるものじゃないと言っていたけれど、代わりに魔法使いが吊るし上げられるのでは、というような雰囲気だ。

 正直、私は何を言われても慣れているから平気だが、彼らのことをほとんど知らないし知ろうともしない人が彼らの悪口を言うなんて、耐えられる自信がない。

 まだ出会って一カ月くらいしか経っていないのだから、私だって彼らのことをよく知らない。けど、知りたいと思うしたくさん会話をするようにもしている。だから、ここの偉い人達よりは知っているつもりだ。

 それに毎日一緒に過ごしていれば情だって湧く。友人になりたいと思っている人たちを悪く言われるのは悲しい。

「たとえ彼らと離れろと言われても、私は離れません。悪く言うのなら、彼らの良いところを伝えます。私にできることはそれだけですから、少しずつでも魔法使いのことを知ってもらいたいです」

 リグナさんは驚いたような表情でこちらを振り返った。

 おそらく、私があまりにも前向きな発言をしたからだろう。だが、これが私の本心だ。

「何も変えられないかもしれないですが、私は魔法使いと人間の関係を変えたいんです。彼らは怖いだけの存在ではないんだと伝えたい。ちゃんと心を持っていて、優しくて、温かいんです。不思議な力を持っているだけで人間と同じです」

「賢者様はアラン殿下と同じ考えなのですね。実のところ、私は魔法使いが嫌いというわけではないのです。魔法舎に突入してしまったことは、弁解の余地もありませんが………。私自身は魔法使いを排斥する取り組みには反対です。何かあれば賢者様の力になるよう努力いたします」

「あ、ありがとうございます!」

 てっきりリグナさんは魔法使いが嫌いなのだと思っていたが、そうでもないようだ。決して好きというわけでもないようだが、排斥には反対している。それならきっと頼りになる味方だろう。なんていっても彼は魔法統制管理大臣なのだから。

「さあ、こちらが会場でございます」

 豪華な扉を開けた先にはこれまた豪華な部屋。中央には円卓、すでに席のほとんどが埋まっており、ざっと見て二十人ほど。空いているのは三席だけ。

 リグナさんが席に案内してくれて、そのまま私の隣に座った。残りは一席。上座だし、アランがまだ来ていないことからそこはアランの席なのだろう。

「あの、もしかしなくても、お待たせしてしまった、んですよね?」

 なんとも厳かな雰囲気が漂い、恐る恐るリグナさんに小声で問いかければ、彼もまた小声で返してくれた。

「そんなことはないと思いますよ。私が賢者様たちをお迎えに行くときにちょうど揃われた感じでしたし」

「すまない、待たせた」

 アランがセクレタリスさんと共に颯爽と入ってきてそのまま着席。セクレタリスさんは部屋の隅に置いてあった椅子に腰かけて何やら紙とペンを用意し始めている。彼は書記官として今回の会議でも書記の役割があるのだろう。

 じっと見ていたら目が合って微笑まれた。

「早速だが、まずは報告から。西の国から書状が届いていると聞いた。詳細を頼めるか」

「はい!西の国より届いた書状には魔法舎の移転、賢者様及び賢者の魔法使いの西の国への移動を提案した内容でした。西の国は魔法科学が発展した国ですが、やはり科学技術に頼っている面が多いようで、さらに魔法を学び、自国の発展に繋げたいとのことです」

「そんなものは建前に過ぎないだろう?西の国は昔から魔法舎が中央にあることを良しとしていなかった。魔法使いを導く賢者様を手元に置いている中央が気に食わないからすべて西によこせということに違いない」

「外務大臣の言う通りだな。西の王家は武力のことしか考えていない。魔法科学では魔法に敵わない。ならば魔法使いを手中におさめれば解決だとでも考えているのだろう。殿下、このような提案は飲むべきではないのでは?」

「慎重に返事をしなくては外交にも支障が出る。が、魔法舎が中央にあるのは各国の元始の精霊が集う元始の神殿を護るためだ。月守との戦いに向かう時も中央の国から向かう。他国に移転することはできない」

 始まってすぐに魔法舎の話が出て驚いた。というか、どう考えても私が口をはさむ隙なんてない。そもそも武力がどうとか、外交がどうとか、全く話についていけない。というか、各国の王家はもともと一つだったとルイが言っていたが、今の王家が仲良しというわけではないようで、少なくとも西の国とは関係が良くなさそうだ。

 その後も私はよくわからない内容を聞くばかりになってしまった。

 私が聞いてしまってもいいのかどうかというような国の深部の話もあった。私、口封じに消されてしまうんじゃないか、なんて考えてしまうほど。




 それからどれほど時間が経ったのか、新しい議題に移り私に話題が振られた。

「魔法使いは危険な魔法も普通に使うのだろう?実際、昔はよく魔法舎を破壊していたと聞く。賢者様を魔法舎に置いておくのはどうかと思います」

「そうですよ。殿下、賢者様はステラリア城で安全にお守りするべきではないでしょうか」

「危険な魔法を普通に使うという解釈は間違っているぞ。魔法舎の魔法使いたちは皆心優しい。魔法舎を破壊ということも事実としてあるが過去のことだ。今いる魔法使いたちは決してそんなことはしない。城に置くべきだという考えもわからないでもないが、私は賢者様の意思を尊重したいと思っている」

 そうして円卓を囲んでいる全員の視線が私に突き刺さる。アランやリグナさんは温かく見守るような目だが、他の人たちはどこか冷ややかだ。

 魔法舎に残りたいなどと言うのではないだろうな。城に来るべきだ。なんて副音声が聞こえてきそうなほどで、とても圧がすごい。

 けれど、それなら私の答えは決まっている。

「私はこれからも魔法舎にいます。確かにお城でお世話になった方が安全かもしれません。けれど、私が賢者として彼らを導く存在ならば、彼らのことをちゃんと知りたいんです。どういう人たちなのかを知って、そばで見守りたい。助けになりたいんです」

 私の回答には眉を顰める人がほとんどだった。納得がいかないようだ。

「みなさんさんは魔法使いが怖い存在だと感じているかもしれませんが、彼らは怖いだけではありません。アランが言ったように優しさもあります。魔法使いも人間も、お互いが歩み寄れば仲良くなれるはずなんです。どうか、彼らのことをもっと信じてはもらえないでしょうか」

「古来より魔法使いは賢者を大事にする。だから賢者様は奴らの本性をまだ知らないのでしょう。魔法使いは平気で人を騙すし、心を操って人間を傀儡かいらいにしてしまうような魔法使いだっています。このまま奴らに毒される前に城へ移った方がよろしいと思いますが」

 魔法使いに、毒される?本性を知らない?

 そんな言葉に私は絶句してしまった。いったい何を言っているのかわからない。

 確かに私はまだ彼らのことをほとんど知らないけれど、悪い人でないことはこの身で実感している。

 仲間を大事にしていて、思いやりがある。誰かが傷を負えば悲しむし、傷が癒えるように手を尽くす。人の心に寄り添うことができる人たちだ。

 私にも、そうやって歩み寄ってくれている。少しずつ、心を見せてくれている。意地悪をしたとしても本当に嫌がることはしない。ちゃんと見極めができている。

「私はこの世界に来て一カ月ほどしか経っていないので魔法使いたちのすべてを知っているわけではありません。それでも、彼らは悪い存在ではありません!頭ごなしに決めつけないでください!」

 思わず大きな声が出てしまった。そうして部屋が静まり返り、なんとも言えない空気が漂う。

 そんな空気を払拭するように、ぱんっと乾いた音が響く。どうやらアランが手を合わせたようだ。

「よし、一度休憩にしよう。もう昼時だからな。昼食と休憩を取ってリフレッシュしよう。会議の再開は十四時からにする」

 アランがメイドさんたちに指示を飛ばせばすぐに料理が運ばれてきた。見た感じは魚料理だ。さわやかな香りが鼻腔をくすぐる。

「ホワイトサーモンのレモンクリーム煮でございます」

 メイドさんがセッティングを終え料理の説明をしてくれた。

 ふっくらとした身が特徴のホワイトサーモンに青レモンを絞った生クリームで作ったソースをかけ、さっぱりとした味付けになっているとのことだ。

 サーモンと言えばオレンジ色が綺麗なイメージだが、これは名前の通り白身のようだ。

 用意されたカトラリーで一口サイズに切り、口へ運べばレモンの爽やかさが口いっぱいに広がった。ソースにはいくつか野菜も入っているようでシャキシャキとした食感も楽しめる。

 とてもおいしくてついつい手が進んでしまう。

 さっぱりとした味付けながら食べごたえは最高で、いい感じにお腹にたまる。

 食後の紅茶で一息ついていると空席がたくさんあることに気付いた。会議が始まる時間まではまだ一時間ほどある。ここにいてもなんだか落ち着かないし、外の空気を吸いに行こうか。でも、勝手に城の中をうろついてもいいものか。

 ひとしきりカップを片手に考えて、残りの紅茶を飲み干す。

 考えていても仕方がないし、ここは人に聞いてみるのがいいだろう。

「アラン、中庭に行ってみてもいいでしょうか?」

「それでしたら私もご一緒してもよろしいですか?少し外の空気が吸いたかったので」

「もちろんです!」







 案内されたのはとても落ち着く場所だった。

 綺麗に配置された多くの花壇には色とりどりの花が咲き、中庭の中央には陽光を反射して煌めく噴水、その奥には立派なガーデンアーチのトンネルがある。

 花壇の前で花の香りを楽しんでいると、ふと思い出したかのようなつぶやきが聞こえてきた。

「魔法舎でもそうでしたが、賢者様は綺麗な所作でお食事なさっていましたね」

「え、そうでしょうか?普通だったと思いますが………」

「そんなことないですよ。魚を切る動作も、口に運ぶ姿勢も、紅茶を飲んでいらっしゃるお姿さえも美しかったです」

 そこまで手放しに褒められると少し照れくさい。嬉しいやら恥ずかしいやらで絶対顔が赤くなっているに違いない。

「前の賢者様はあまりナイフやフォークを使っていなかったらしく、とても緊張した様子のことが多かったのですが、賢者様は堂々としていらっしゃて食事を楽しんでいるというのが伝わってきました」

 月斗さんの実家は神社だと言っていた。おそらく普段の食事は和食がほとんどだったのだろう。洋食だったとしても、今日みたいなものを家で食べることなんてそう多くないはず。実際、私も普段はナイフとフォークを使うことは少ない。

 それでも、使い慣れてはいる。御神楽はそういうことに厳しいから。

「テーブルマナーは一通り覚えているだけですよ。私の実家は変わった稼業ですけど、表向きは名家として名が通っていましたから。おかげでいろんなことを叩き込まれました。武芸はもちろん、一通りの家事や勉学、もっと詳しく上げればきりがないほどです」

 一度にたくさんさせられたわけではないし自由な時間は多かった。それでも、普通の家庭と比べれば自由じゃなかった気がする。そもそも家からはあまり出られなかったし。

 やりたいことをやって、行きたいところに行く。それができなかった私は、周りから見ればかわいそうに映っていただろう。

 外に出られるのは学校があるときだけ。放課後も休みの日も、家で過ごす。その過ごし方もすべてを自分で決めることはできず、やらなければならないことが多かった。

 たくさん習い事をしているというような感じだ。

 けれど、私はそれでよかったと思う。

 自分の意志で動いて誰かに迷惑をかけるよりは、誰かの指示に沿って動いていた方がいい。それに、多くのことを学べたおかげでこの世界でも割と苦労はない。

「賢者様は多才なのですね!私も王子として、見習わなくてはいけません」

「見習うだなんて、アランはもう十分立派な王子ですよ」

 凛として、多くの人を動かす力を持っている。真っ直ぐで、誠実で、この人についていきたいと思う人は多いはず。魔法使いとしてもアランは優秀なのだと聞いている。北の魔法使いのように精霊を力で屈服させるのではなく、誠実な対話で心を通わす。良き魔法使いの手本のようだとルイは言っていた。

 そんな彼が私を見習うだなんて。どう考えても見習うべきは私の方だ。

 そんな私の言葉にアランは緩くかぶりを振る。

「私は立派などではありません。今できることは精一杯勤めていますが、それでも、至らない部分も多い。よくリグナやグレイに怒られています」

 意外だ。何でも器用にこなしそうなのに怒られることが多いだなんて。

 彼は初めから親しみやすさがあったが、この話を聞いて普通の人と何も変わらないのだと実感した。王族でも、魔法使いでも、アランはアランなのだと。

 私と同じで失敗だってするし、できないことだってある。

「賢者様?何か面白いことでもありましたか?」

「あ、笑ってすみません。面白かったわけではないんです。ただ、アランも私と同じなんだと思うと、なぜだかほっとしてしまって。………あれです、親近感がわいたんです」

「他でもない賢者様に親近感を持っていただけて嬉しいです!そうだ、私ももっと賢者様のことが知りたいのですが、お聞きしてもよろしいですか?」

「もちろんですよ。私もアランのことをもっと知りたいです」

 何が好きなのか、子供のころはどんなことをしていたのか、最近は何にハマっているのか。そんな他愛もない会話をしながら中庭を歩いて、会議が再会するまでのわずかな時間を楽しんだ。







 昼食前の議題のまま会議が再開され、また私がどこにいるべきかという言い合いが始まった。今度は当事者の私は蚊帳の外で。

「賢者様がこれ以上魔法使い贔屓になられては困る!この世界において最重要人物が、よりによって魔法使いの手の内にいるなどあってはならない!」

「その通りですね。賢者様はあくまで人間。ならば、魔法使いたちから離れているべきです。戦いのときにだけ指示を飛ばせばよいのではないですか?」

「しかし、それでは魔法使いが黙っていないのでは?賢者様を彼らからずっと離していれば何をしでかすかわからん」

 私が口をはさむ隙なんてまるでない。二十人ほどいる会議室の中で発言をしているのは四、五人だけだというのに、火花が飛び散っているように見えるのは気のせいだろうか。

 問答無用で私を城に置いた方が良いとする考え、城に置くにしても魔法使いたちに何らかの処置をするべきだという考え、これまで通り魔法舎に置いておくが日中は城に居させるという考え。今のところこの三つで問答が繰り返されている。

 私は魔法舎から出るつもりなんてないと言ったのに、そんなことは関係ないというようだ。

 おそらく今発言している人のほとんどが、私の意志なんてこれっぽちも気にしていないのだろう。まるで御神楽に戻ったみたいだ。

 あまり良く覚えてはいないが、私が一度家から抜け出したとき。私が怨霊に殺されそうになって、瑠輝に助けてもらって、そのあと広間に重役が集まって話し合いをしていた。






          ○






「もっと結界を強めましょう!」

「結界を強める以前に、瑠奈様の行動をもっと厳しく見張るべきです。そもそも今回の件は瑠奈様が無断で家を出たことが原因なのですから」

 その言葉と共に、鋭い視線が私に注がれた。怒りとも取れるその視線は私にとって恐怖しかなく、うつむくことしかできなかった。

 勝手に家を出たことは悪いと思っている。けれど、別に家出がしたかったわけではない。

 家の裏手にある山で修行をしていた瑠輝がなかなか帰ってこなかったから、不安で、心配で、どうにかなってしまいそうだったから。家の側だし、迎えに行くだけなら大丈夫だと思って外に出た。

 四年生になって霊力の少ない私でも扱えるような弱い術ではあるが護身術を教わりだしたこともあり、もしも霊と遭遇しても対処できる、なんて自分を過信していた。

 山に入る手前の道、かなり凶暴化していた怨霊と目が合ったことをきっかけに私の記憶は途絶えた。

 気がついたら道は干ばつでも起きたのかと思うほどひび割れ、そばの木々はなぎ倒されていた。目の前にはこれでもかというほど大きく目を開いてぽろぽろ涙を流す瑠輝が立っているだけ。

 その異常事態にすぐ大人たちが来て、そのまま話し合いが始まった。

「瑠奈は何があったのか覚えていないんだな?なら、もう部屋に戻りなさい。今日は部屋から出るんじゃないぞ。瑠輝はこの場に残りなさい」

 そうして私のことを話すのに私だけ外に出された。






          ○






 まるであの時と同じ。私のことなのに私だけ外に出される。

 私の考えは関係なく話は進む。私がどう思っていようが決定が下ればその通りにする。

 あの時はまだ子供だったし、考えとか意志とかもよくわからなかったけれど、今は違う。

 そもそも状況が違う。

 ここはしがらみだらけの場所じゃない。私に課せられているものはとても重たいものかもしれないけれど、それでも大事にしたい気持ちがある。

 私を受け入れてくれた人たちと一緒にいたいのだ。無視して従わせるような人たちではなく、私を見てくれる人たちと共にいたい。

 そんな決意を込めて、机に手をつき立ち上がった。それも勢いよく。

 バンッという大きな音が部屋に響き、言い合いの声が止み、静寂が訪れる。

 全員がこちらを向いていることを確認してから深く息を吸い込み、はっきりとした声を心がけて想いを吐き出した。

「私は、魔法舎に残ります。私を受け入れてくれて、必要としてくれたあの人たちと一緒に戦いたいんです。これから先何をするか、すべて決められた通りに動くのではなく、彼らと共に考えたいんです。このお城にいた方が安全かもしれませんが、私は賢者なんですから、ただ安全な場所にいるだけじゃだめだと思います。というか、危ないことを魔法使いたちに押し付けるのだけは嫌なんです。危ないのなら私も請け負いたい、力を貸したい。そのための太陽から借りた賢者の力です。だからこそ、私は魔法舎にいたいんです」

 しばらくは誰も言葉を発せずただただ静かな時間が流れた。

 そんな静かな時間をアランが破った。

「賢者様のお気持ち、よくわかりました。私としても賢者様には魔法舎にいていただきたいと思います。城は確かに安全かもしれませんが、何か緊急事態が起きた際に魔法使いがすぐそばにいた方がいい。それに魔法舎には強力な結界が張られ、入り口も隠されているから簡単には侵入できない。みなも、それでいいか?」

 魔法舎に残ることに反対していた重役の人たちは未だ納得はしていないだろうが、渋々といった形で頷いた。

 これで、私はこれからも魔法舎にいられることが正式に決まったようだ。

 その後も会議は続き、今後の魔法舎への依頼や魔法使いの統制について、近々執り行われる叙任式とパレード、パーティーの詳細などを確認して終了となった。

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