第三話 北の祝祭(上)

 浄化薬の材料のひとつであるスターマインを採った帰路、北の精霊であるアメジリアことアメリに衝撃的な事実を聞かされた。

 それは、私が月の女神の生まれ変わりだということ。

 女神様と似た力を私も持っており、アメリやスターマインを守っていたホワイトドラゴンのフローズ曰く、女神様と同じ魂をしているのだとか。

 そんなことを言われても私はよくわからないし、どう受け止めればいいのかもわからない。

 そもそも、月守と戦う魔法使いたちを導く賢者が月の女神の生まれ変わりでいいのだろうか。敵側と繫がりがある賢者で、何の問題もないのだろうか。私がいるせいで彼らに何か悪影響が出ることはないのだろうか。

 もやもやとした不安が私の胸中を覆いつくしていく。

 そんな状態でキッチンへ入ると中央の魔法使いの二人が準備を整えて待っていた。

「おかえりなさいませ、賢者様」

「おかえり……って、おい、大丈夫か?顔が真っ青だぞ?」

「だ、大丈夫、です。」

 実際は全く大丈夫ではない。体調面は平気だが、精神的にダメだ。

 不安や戸惑いが頭の中を行ったり来たり。

 浄化薬を作らなくてはならないというのに、まったくそちらに意識が向かない。

 そんなとき、またアメリが話しかけてきた。

『瑠奈?その、驚かせた、よね?ごめんなさい』

「アメリは悪くないですよ。本当のことを教えてくれただけなんですから………私が受け止めきれなかっただけで」

 あまり覇気のない声が出てしまったせいでアメリは眉を下げてしょんぼりしてしまっている。

 言葉通り、アメリは何も悪くない。彼がしょんぼりする必要は何もないのだから。どうにか笑顔を張り付け浄化薬を作るために雪月桔梗が置かれている作業台の前へと立った。

「本当に大丈夫ですから!はやく神殿を元に戻さないとですし、気合を入れて浄化薬作ります!………………アメリ、浄化薬の作り方、知っていますか?」

『っ!うん!覚えてる!ディアナが作っているのを僕も手伝ったから!』

 沈んでいたアメリは私の言葉に元気よく頷いて私の顔の側に来た。完全にとまではいかずとも彼らしい笑顔が戻ってきて私もホッと胸を撫でおろす。

「では、私たちはルイ様たちのところにいますね。どうかご無理だけはなさらないでください。何か困ったことがあればお聞きすることならできますので」

 そう残して二人がキッチンを出て行った。何があったか聞くことだってできたのに、彼らは何も聞かずに立ち去った。おそらく、私の心を重視してくれたのだろう。そんな優しい彼らに心中で頭を下げ、作業台へと向き直った。

『下処理は終わってるから茎、花弁、スターマインのがくをそれぞれすりつぶして。空気が綺麗になるように、景色が美しくなるように、祈りを込めながらしないと浄化薬にはならないから集中を途切れさせないように注意してね』

 作業台の上にはしんなりとした雪月桔梗がそれぞれの部分に分かれて置かれていた。作りやすいように切り分けてくれていたようだ。

 私はアメリの指示の通り、集中して一つずつすりつぶす。

 こうして私たちの五時間にも及ぶ浄化薬作りが幕を開けた。





「で、できたぁ……」

 すり潰して、すり潰して、すり潰して、後はひたすら煮込む。それはもう、ドロッドロになるまで。煮込み始めてしばらくした時はえげつない色味をしていたが、今は透明だ。澄み渡った泉のように透き通っている。火を止めて時間が経つと本当にただの水みたいだ。

 外を見てみればすっかり陽は落ちていた。時計の針は短針が九、長針が十二を指している。

「え、九時?!もうそんな時間なの?!」

 帰って来た時はまだ晩ご飯前だったはず。それだけ集中して鍋の前に立っていたのか。

 浄化薬を瓶に移してほっと一息つくために椅子に座ると一気に力が抜けた。

 体をうまく動かせず、困惑しているとアメリが理由を教えてくれた。

『月の女神が持つ力が表に出始めているんだよ。瑠奈はまだ覚醒していないけど、少しずつ月の力を取り戻していってるんだ。そこに賢者の力を長時間使ったから、多分身体がついていけてないんだと思う。しばらく休んでいれば治るよ』

 月の力を、取り戻し始めている。

 それはつまり月守と同じ力なのだろうか。あれ、それだと私は月の魔力を操る魔法使いと同じ?

 何にせよ、普通の賢者ではないことは確かだ。

 魔法使いを導く賢者は太陽に選ばれているとルイが言っていた。月と太陽は対の存在であり、対極の立場だ。決して魔力が交わることはない。だが、自然に交わることのない二つを合わせれば、世界を滅ぼすほどの膨大な魔力が生まれる。

 太陽が選んだ賢者はこれを防ぐために異界から呼ばれ、太陽の魔力を借りて月の魔力を抑える、もしくは月守を地上に近づかせないようにする役目を与えられた。

 けれど今年は月守の力が例年よりも格段に上がっていたために、甚大な被害が地上を襲った。各地で起きている奇妙な事件をはじめ、異常気象による地震や暴風雨、魔法生物の凶暴化、太古の生物の復活など、おおよそ人間の手には負えないようなことが数多く起きている。

 魔法舎のある中央の国も例外ではなく、アランの実家でもあるステラリア城が建っている都、ステラリア城下はボロボロになっていると聞いた。建物が崩れたり、小さな地割れがいくつもできたり。他の街や国でも同様のことが起きているらしく、その対応のためにアランはずっと忙しそうにしている。

「月の力を持った私が、どうして太陽に選ばれるんだろう……」

 月と太陽は交わらないはずなのに、私という存在が、それを覆している。まだ覚醒はしていないようだが、月の力を取り戻しつつあるのなら、私が世界を滅ぼしてしまうほどの力を持つということなのだろうか。

 そんなのは、苦しすぎる。私が生まれた場所ではないし、育った場所でもない。けれど、私はこの世界が好きだ。あまり魔法舎から出たことはないが、ほんの少し外に出ただけで美しい景色が数多くある。空気だってきれいだし、自然も多い。魔法使いの彼らも、みんな優しい。個性的な人ばかりでまとめることは難しそうだが、誰一人失いたくない。だから私は私にできることを少しずつやっていこうと決めたのに。みんなを守るために私も戦おうと思ったのに。その矢先にこれだ。

 私の存在自体が彼らを危険にさらしてしまう。導くはずの私が突き落とす。

 この先どうすればいいのかという、答えの出ない問いかけを延々と自分に投げかけて、頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。

 いつの間にか体は普通に動かせるようになり、気づけば私は自分の手を強く握っていた。爪が掌に食い込み赤い痕をつけている。

 ゆっくりと手を開いて息を吐き出すと、コンコンという小気味いい音がキッチンに響いた。

「お疲れ様です、賢者様。浄化薬作りは終わったようですね」

「は、はい。ごめんなさい、キース。キッチンをずっと占領してしまって」

「いえいえ、占領だなんてとんでもない。賢者様はずっと鍋の前にいたので私は私で夕食を作っていましたよ」

 夕食を、作っていた?

 全く気がつかなかった。しかも夕食という単語を聞いたとたんにお腹がすいてくる。

「浄化薬作りは時間がかかるとルイ様から聞いていましたから、賢者様の分はこれからお作りしますが、リクエストはありますか?」

「え、リクエストしていいんですか?」

 彼はワインレッドの瞳を細めて「もちろんです」と微笑んだ。

 彼の料理はどれもおいしい。どんなものでも喜んで食べるが、今私が食べたいものは一つだけだ。元の世界でも、何かぐるぐると考え込んでしまった時によく食べていたもの。

「野菜スープが、いいです。人参と玉ねぎがたくさん入ったやつが、食べたいです……」

 彼は何を思ったのか、一瞬困ったような表情をした。しかしそれはすぐ微笑みにかき消された。

「人参と玉ねぎですね。少々お待ちください」

 そうして手早く野菜を刻み、鍋に放り込んで、他にもいろいろ入れて火にかけた。

 魔法使いだというのに、魔法は一切使わないで普通に料理している姿をぼうっと眺める。

「キースは、魔法を使って料理はしないんですか?」

「料理に関しては魔法を使いたくないんです。もちろん、使った方が早いんですが、それだとぬくもりが半減してしまう気がしませんか?」

 確かに、手作りした料理というものはとても温かい味がする。心が和らぐような感じがする。

 元の世界ではお手伝いさんが作ってくれていた。だから例え一人の食事だったとしても、私のために作ってくれたという温かさを感じていた。一人で料理ができるようになってからはヒスイと交代でご飯を作って食べていた。

 普通なら家族と食卓を囲むのだろうが、いつも忙しくしていた父と共にすることはほとんどなかったし、瑠輝もそんな父と一緒にいるから私とはあまりご飯を食べたことはない。私のことを心配していた瑠輝はいつも申し訳なさそうな顔をしていた。

 けれど、ヒスイと二人の食事も楽しかったし、瑠輝も本当にたまにではあるがルリを連れて私たちと四人で食べてくれたこともあった。その時は料理が苦手なくせに瑠輝がキッチンに立って悪戦苦闘をしていた。

 そうしてできたものはお世辞にもおいしいとは言えないものだったが、瑠輝の想いがこもった、心に残る味がした。嬉しくて、おいしくて、楽しくて。心がぽかぽかしていくようだった。

 だから手料理の温かさやぬくもりはよくわかる。それをキースも意識している。

 こうしていると普通の男性のようだ。

「手料理って、心をほぐしてくれますよね。キースの料理はどれもおいしいですし、幸せをたくさんもらっています。いつも、本当にありがとうございます」

「おほめいただき光栄です。さあ、仕上げにシュカを入れましょう」

 彼がこちらを軽く振り向いて手を掲げると、そこには金平糖よりも二回りほど大きな可愛らしい塊が数粒現れた。

「可愛いですね!シュカって、何ですか?」

「砂糖の代わりにもなる万能薬みたいなものですね。魔法使いが魔力のコントロールのために一番最初にすることがこのシュカ作りです。体力回復や精神安定などの効果があり、人間にはよく売れます。魔法使いによって追加の効能は少しずつ変わりますし、形や色、味も作る人の性格が出るので面白いですよ。ちなみに私のは『真心』です。包み込むような癒しが得られるというものですね」

 一粒くれたのでありがたくいただく。

 彼のシュカは薄紅色で少し丸みを帯びたトゲトゲが本当に金平糖のようだ。口に含めばほのかな甘みに頬が緩む。

「おいしいです!何だかホッとする味がします」

「それはよかったです。さあ、スープができましたよ。熱いのでやけどしないよう気を付けて召し上がってください」

 コトッと小さな音を立てて目の前に湯気の立ち昇る野菜スープの器が置かれた。

 リクエスト通り、人参と玉ねぎがたくさん入っている。

 一口飲むだけ体中がぽかぽかしてくる。少し前までぐるぐると考え込んでいたものがすっと溶けていくようだ。

 気づけば私は手を休めることなくスープを飲んでいた。

「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。おかわりもありますので、ゆっくりどうぞ」

 キースはそのままキッチンを出て、代わりにルイがやって来た。

「ルイ?どうかしましたか?」

「帰りのおぬしがちと気になってのう。何やら考え込んでおったじゃろう?我に話せることなら話してみよ」

 思わず手元に視線を落とすとアメリがスープをじっと見ていたので、少し掬って口元に近づけてやるとゆっくり飲み始めた。その様子が小動物のようで頬が緩んでしまう。

 今の私には答えを出せないし、一人で抱え込めることではないだろう。ルイならディアナさんのことを知っているだろうか。なにか、答えに近づけるだろうか。

 そんな淡い期待を抱いて少しずつ言葉にする。

「……ウドリアの森で会ったホワイトドラゴン、フローズっていう名前なんですけど、彼が、私が月の女神と同じ力を持っていて、同じ魂をしていると、言っていたんです。………北の精霊のアメジリアも、私はアメリと呼んでいますが、彼も同じことを言っていました。それに、私がその方の生まれ変わりだとも」

 私が話している間、ルイは声をはさむことはなくただじっと聞いてくれている。

 だからなのかはわからないが、私は考え込んでいたことを包み隠さず話していた。

 敵対している月につながる力を持っている私が賢者として魔法舎の魔法使いたちを導いていけるのか。彼らに悪影響を及ぼすことはないのか。

 胸の内の不安を吐露して、ルイに問いかける。

「私は、…………本当に、ここにいても、いいんでしょうか…………?」

 そんな問いかけをしても、私の心はここにいたいと思ってしまっている。もしも、こんな中途半端な私はいらないと言われてしまったら。そんな恐怖からスープの器に添えていた手が震える。

「………瑠奈」

 初めて、ルイが私の名を呼んだ。落ち着けとでも言うように、優しい声音で。

「瑠奈は賢者としてこの世界に呼ばれた。それは変わることのない事実じゃ。たとえ仕組まれたことでも、おぬしが月の女神の生まれ変わりだとしても、瑠奈は瑠奈じゃよ。我ら、賢者の魔法使いを導く者じゃ。おぬしには我らと共にいてほしいし、おぬしの今の居場所は、ここじゃよ」

 ゆっくりと、穏やかに紡がれる言葉に耳を傾けていくうちに手の震えは止まっていた。うつむいていた顔をあげて目の前の金色の瞳を見つめると、彼もまた真っ直ぐに見返してくれる。

 決して不安がすべてなくなるわけではないが、彼の言葉は私を安心させるに足るものだった。なぜだかわからないが、心からの言葉だと確信できる。

 だから私は、今できる精一杯の笑顔を浮かべて言葉を返した。

「ありがとう、ございます……。少し落ち着きました。………私は、私。そうですよね、生まれ変わりだろうが何だろうが、私は、賢者なんですよね」

「その女神の名を聞いてもよいか?」

「ディアナという方です」

 その名を聞いて彼は一度目を見開き、優し気に細めた。

「ディアナか。……もう、名を思い出せんが、前の賢者が来るよりも以前、賢者がおらん時期があった。ディアナが月と地上の交流を図っておったからじゃ」

 私は今でも前の賢者である月斗さんを覚えている。けれど、ルイはそうではない。彼自身が言っていたが、魔法使いは異界から来る賢者を覚えておくことができないらしい。生きる世界が違う者の存在は薄れやすいと言っていた。だから私のことも、いつか忘れてしまうと。

「月と地上の争いはずっとあったわけではないんですね」

「ああ。果ての見えない戦いをして、ディアナが女神として交流を持ち一度終わりを迎えたが、六年ほど前かのう。再び争いが始まったのじゃ」

「それは、ディアナさんが、死んでしまったからですか?」

 私がディアナさんの生まれ変わりなんだとすればディアナさんはすでにいないということだ。彼女がいなくなったことが原因で再び争いが始まってしまったのなら、私はそれを止めなければならない。

 私はディアナさんではないけれど、無関係だとは思えない。顔も知らない人だけれど、彼女が守っていたものを、私も守りたい。

 あれ、でも六年前だと私はすでに生まれているし、生まれ変わりというのは変だ。

 「半分正解、半分不正解、じゃな」

 そのままルイは黙ってしまった。

 私が生まれ変わりならディアナさんが死んでしまったことは本当なのだろう。では、六年前に何があったのか。

 ふたりそろって口を開けず、ただ静かな時間がキッチンに広がる。

 それを破ったのは明るい声だった。

「とりあえず、おぬしがディアナの生まれ変わりというのは他の者たちには言わずにいよう。ディアナを知っておる者はそう多くないじゃろうが、月の女神の存在くらいは知っておるじゃろう。あやつらに話して混乱させるのもよくないし、話す必要がきた時に話せばよい。いいな?」

「わ、かり、ました………。さっきは取り乱してしまってすみません。明日は浄化と祝祭をする大切な日ですし、しっかり気持ちを切り替えます!」

 金の瞳に優しい色を滲ませてルイはキッチンから出て行った。

 私はキースが作ってくれたスープをもう一杯いただいてから部屋へと戻った。





 翌日、出発までに時間ができ、私はスターマインを採っていた時の約束を果たすためにラピスと共にキッチンへやってきた。用意するものはスターマインと瓶のみ。

 瓶の中に鬼灯ほおずきを入れて完全に浸かるまで水を入れ蓋をして放置していれば鬼灯のドライフラワーが完成する。これと同じようにスターマインを水に浸けるだけだ。

「こうやって水に浸けて腐らせます」

「く、腐らせるんですか?」

 明らかな戸惑いを見せるラピスに私は笑顔で続けた。

「はい。スターマインに似ている植物、鬼灯って言うんですけど、水に浸けてがくを腐らせたら葉脈だけが綺麗に残るんです。もしこれも同じ性質を持っているのなら、きっとうまくいくはずです!」

 ちゃんと水に浸けていないと空気に触れた部分が黒ずんでしまうことがあるため、全体が浸かっていることを確認してから蓋を閉めて料理の邪魔にならない戸棚の隅に二つの瓶を並べる。

「一週間から十日くらいこうやって水の中で腐らせるだけでいいんですよ。こまめに様子を見つつ水が濁っていたら取り出して洗い流します。とりあえず、しばらくは放置ですね」

「本当に簡単なんですね……」

 瓶の中のスターマインをまじまじと見つめて呟いた。スターマインは市場に出回る植物ではないため珍しいのだろう。

 スターマインは木に実っているときからずっと金色の淡い光を放っていた。それは収穫した後もそうだったし、水に浸けている今も光っている。水で反射しているため、スターマインではなく水が光を帯びているようにも見える。ちょっとしたランプみたいだ。

 その光は温かく、緊張で強張っていた心をほぐしてくれるようだった。

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