第九話 叙任式に向けて(下)
私の部屋は魔法舎の二階、廊下の奥の角部屋だ。扉をくぐって真正面に大きい窓が一つと右側に小窓が一つ。陽当たりの良いこの部屋は日向ぼっこに最適だ。丁度良い暖かさにうとうとしてしまうことも多い。
けれどそれを堪えて私は机に向かっている。ヒスイと向かい合わせに座って、お互いにノートを広げて黙々と字の練習をする。そばにはルイとミシェルが作ってくれたお手製の教科書。可愛らしいイラストと共に単語やら文法やらが書かれている。もちろんすべてこの世界の文字なのでそのままでは読めないが、授業をしてもらった範囲にはすぐ下に日本語を書き入れているからなんとか読むことは出来る。
先に進むことは出来ないが、その分復習をたくさんして基礎をしっかり覚えたい。
私は授業でも苦戦してしまい復習もなかなか思うようには進まない。けれどヒスイは呑み込みが早く私よりも綺麗にかつ素早く文字を書けるようになっていた。
「ヒスイは呑み込みが早いよね。私ももっと頑張らないと」
「人には得手不得手がある。瑠奈はもともと語学系は苦手だっただろう?焦らずじっくりやればいい。いざとなれば俺が読み書きする」
それは心強いし、きっと頼りきりになるだろうことはありありと目に浮かぶ。しかしやはり自分で読み書きできるようになりたいと思う。
「ありがとう、頼りにしてる。けど、やっぱり自分でもできるようになりたいから頑張るよ」
そうしてまたノートとにらめっこをする。思うように進みはしなくても少しずつ覚えられているとは思う。この世界の文字は完全に違う文字、というわけではないようで、英語に近いものを感じる。どことなく数学で出てくるようなαとかβっぽいものもあるし、いわゆるギリシャ文字に似ている気がする。
まあ、ギリシャ文字だろうが読めないけれど。
今はまだ依頼などがないから報告書も書いていないが、叙任式を終えればその機会も多くなるはず。それまでに簡単な読み書きはできるようになりたい。
静かな空間でどれだけの時間が経ったのか、暖かな陽射しはいつの間にか淡くオレンジを帯び始めていた。
「賢者様、いるか?」
ノックと共に優しい声が聞こえてくる。
私が立つよりも先にヒスイが扉を開けた。その先には赤茶色の髪と蜂蜜を溶かしたような琥珀色の瞳が印象的な男性、グレイが立っている。
「採寸ですよね?すぐ行きます」
手早く机上を片付けて廊下へと出ればヒスイはネックレスへと戻ってしまった。グレイは石をまじまじ見つめてぽつりとつぶやいた。
「やっぱり何度見ても不思議だな。変身魔法もあるがそれとはまたなんか違う感じだし」
ずっと見られることはヒスイにとって落ち着かないことのようで、赤い石が淡く明滅を繰り返した。
『いつまでも見てないではやく歩け』
少しとげとげした声音が頭に響く。グレイは今も明滅を繰り返す石を見つめている。
とても興味深いものを見つけたようにその目は真剣味を帯びているが、確かにずっとこのままではいけない。私も採寸をしてもらわなければならない。
「あの、グレイ?早く行きましょう?ヒスイがいつまでも見ているなと言ってますし……」
「ああ、悪い。ついどうなっているのか気になっちまった」
さすがに式神の構造は私にもよくわからない。説明できないことをもどかしく思いながら、グレイと二人、静かな廊下を歩く。
「賢者様、お待ちしておりました!採寸はアシスタントが行いますのでどうぞこちらに」
談話室の一角にはカーテンで仕切られた場所があった。中に入るとアシスタントと思われる女性が一人。ラルクは私の採寸はしないようでカーテンの外にいる。
「よろしくお願いします」
「はい。ではまず上の服を脱いでいただけますか?肩幅から順番に採寸いたします」
言われるがまま上着とシャツを脱ぐ。むき出しの肩に触れるか触れないかのところにメジャーがあてられる。
その後も順調に採寸は進み、ものの三十分程度で終わった。
「はい、これで終了です。賢者様はやはりスタイルがよろしいですね。ラルクさんが突っ走ってしまう気持ちがわかります。前のめりにアイデアを出されるので私も度々困らせられます」
「そ、そうでしょうか?私的にはあまり露出度の高いものは避けたいんですけど……」
服を着つつアシスタントの女性と苦笑いを交わす。
「……ですが、ラルクさんは本当にお客様が嫌がるものはお作りにならないんてすよ。その辺の見極めがすごいんです。お客様が何を求めているのかを汲み取り、形にする。もしその時に新しく指定があればすぐに修正して最高のものを仕上げます。あの人の趣味は、まぁ大分酷いですが、それをお客様に強要することは一度もないので安心してくださいね」
驚いた。てっきりあの露出度の高いものを無理に着させていると思っていたが実際は違うらしい。
提案するだけならタダだからという感じのものだろう。その反応で本当に嫌かを見極め、顧客の一番を引き出している。
そう聞くと、ラルクは仕立て屋の鑑のような気がしてきた。
「この後のドレスデザインの話し合い、ラルクさんが暴走しないよう私もサポートいたします。一緒に素敵なドレスを作りましょう!」
「はい!」
カーテンの外に出るとラルクの他にランスとアランがいた。三人で紅茶を飲みながら歓談中のようだ。
ランスだけは仏頂面をしているが、和やかな空気を漂わせている。その場に私とアシスタントの女性が入るとラルクの表情が一気に華やかになった。
「賢者様!お待ちしておりました!紅茶を入れますのでこちらに。飲みながらデザインの相談をしましょう!」
テーブルに置かれているポットとカップがふよふよ浮いて、意志を持ったように紅茶が注がれる。そのまま席に着いた私とアシスタントさんの前に小さな音をたてて着地する。
本当に魔法というものは便利だなと感心してしまう。
「さて、早速ですが賢者様。あなたはどんなドレスがいいでしょうか?僕はずっと言っているように体のラインを出したりスリッドがあったりするドレスが良いと思うのですが」
「すみません、それは嫌です」
少々食い気味に否定してしまった。それに対してアランとランスは同時に首を縦に振り、ラルクはおやおやといったような面持ちで微笑んでいた。
「露出の多いものやラインが出るものはなるべく避けたいです。これだけは守ってもらいたいです」
「そうですか……。とてもいいと思ったんですが、それならば仕方ありません。………少しも駄目でしょうか?」
青の混じった灰色の瞳がじっとこちらを見る。どこかしゅんとしていて子犬のようだ。
「譲歩できるのは肩とか、腕くらい、です……」
「ふむ………足はいかがですか?」
「足。………短すぎるのはちょっと。膝丈なら普段も着ていたので平気ですが、それよりも上は、デザインによりますね……」
私の答えを聞いて、ラルクは少し残念そうな表情をしていたがやや間をおいて「わかりました」と了承してくれた。
ひとまずはこれで体のラインと露出問題はなんとかなった。
次の話題は具体的なドレスの形だ。
タイトなもの、可愛らしいもの、上品なもの、様々な案が出される中、私はどれもしっくりこなかった。
それは頭の片隅にずっと一つのデザインがあったから。泉のほとりでランスが描いてくれたデザインが。
「そうか、私ランスが描いてくれたデザインがいいです」
ランスの方を向いてはっきりと声に出す。
するとその場にいた全員がランスの方を見て驚いた表情をした。
「ランスロットはデザインを描けたのか」
「それはぜひとも見てみたいですね」
注目を浴びたランスはとても嫌そうな顔で私を睨む。副音声で何言ってるのと聞こえてきそうなほどだ。
でもこれは本心から出た言葉だ。あの場所で最後に見せてくれたアシンメトリーのワンピースが忘れらないのだ。
「ランス、私あの時見たデザインがすごい好きなんです。ヒスイも褒めてくれたし、あれを着てみたいと思いました」
私の言葉をゆっくり飲み込むように、彼は静かに目を閉じた。そしてまた、ゆっくりと開いた。
赤い瞳が真っ直ぐ私を射抜く。真意を探るようなその瞳を私も真っ直ぐに受け止めると、ランスは小さく息を漏らして片手をあげた。
するとテーブルの上にはあの時のデザイン画が出てきた。
私とランス以外の三人が同時に紙を覗き込むと感嘆の声を漏らした。
「すごいな」
「ええ、素人が描いたとは思えないです」
「なるほど、肩と腕が出た裾丈が前後で違うワンピースですか。いいですね」
その賛辞でとても誇らしい気持ちになった。私が考えたわけでも描いたわけでもないのだが、心の底からそうでしょう!と叫びたい感じだ。
褒められている本人はどこかそわそわしている感じだが、嫌がっているわけではなさそう。私と同じであまり褒められ慣れていないのだろうか。
そんな共通点に親近感がわく。
「ドレスのデザインは、これを元にしてほしいなって思うんですけど、駄目でしょうか?」
素人が考えたデザインを起用してほしいだなんて、職人からしてみればプライドをへし折られるようなものかもしれない。それでも、私の側にいてくれる彼が私のために考えてくれた服を着たい。強くそう思ってしまった。
少しの不安を抱えながら問いかけた私とは正反対にラルクは晴れやかな微笑みを返した。
「もちろんですよ!ラフ画とはいえ、このように素敵なデザインで、それを賢者様がお望みならばそれを形にするのが僕の役目ですから。それに、この形のドレスは賢者様にとてもよく似合いそうです。これをベースにアレンジを少し加えていきましょう」
「ではそろそろ時間もないので大まかな色味を決めていきましょうか。ラルクさん、お願いします」
「おや、そうですか。では、セトルーク・グリード」
静かに呪文を唱えると部屋中に色とりどりの布がふわふわと現れた。
濃い色や薄い色、グラデーションが綺麗なもの、などなど様々だ。それらがいろんな種類の生地で分かれている。サテン系だったりシルク系だったり、綿っぽいものや麻っぽいものまで、本当にいろいろある。
「賢者様、色の希望はございますか?」
その問いかけを聞いて、宙に浮かぶ色とりどりの生地を眺める。赤、青、黄色、緑に紫。鮮やかな色のそれらを見ているとなんだかカラフルな世界に迷い込んだような気分だ。
同じ色でも濃淡で印象は変わってくる。少しのラメが織り込められたものもあり、本当に迷ってしまう。
「うーん、どれも素敵な色なので迷っちゃいますね……。あ」
ふと視線を奪ったのは濃紺に金色がちらついている生地。シルク生地のためとてもなめらかに宙でうねっている。部屋の明かりを反射して金色が煌めき上品さがある。
突然静かになった私の視線をみんなも辿る。
「深い色ですね。まるで真夜中の空の色のようです」
そんな詩的なことを口に出したのはアランだ。青臭い、恥ずかしい言葉でも、王子様が言うとそんな言葉もとてもきれいなものみたいに聞こえるから不思議だ。
「あの色、すごく特別な、懐かしい色なんです。もとの世界で儀礼用に着ていた服があんな感じの色で。………瑠輝と、兄とお揃いで着ていた服でした」
祓い屋といっても仕事は祓うことだけではない。鎮魂の儀をすることだってもちろんあるし、なにかと儀礼を重んじる家だったこともあり、そういった機会は月一間隔であった。月に一度、お揃いで濃紺の着物を着て、髪も結い上げて、舞だの弓だの薙刀や剣の演舞だの、いろんなことを瑠輝と一緒にした。
そういったことが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「落ち着いた色味のなかに上品な金が美しいですね」
そう言って生地を手元に引き寄せたラルクはそのまま私にあてがった。
「ああ、とても。とてもお似合いですよ。賢者様さえよろしければこちらで仕立てますがいかがですか?」
「はい、よろしくおねがいします!」
「さて、ラルクさん帰りますよ。生地を片付けてください。ドレスが出来上がり次第ご連絡しますのでしばらくお待ちください。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しみにしてますね」
ラルクさんたちはにこやかにお辞儀をして部屋を出る準備をする。
「私が外まで見送ってきます」
そうして残ったのは私とランスだけ。とりあえず私はまだ紅茶が残っているし、夕食まではまだ少し時間があるし、このままゆっくりしようと椅子に座る。
ランスも少し離れたところにあるソファに深く腰掛けて、飲みかけのティーカップを手元にふよふよと引き寄せて一口すする。
「……冷めてる」
しばらく放置していたせいで私のものも冷めてしまっている。これはこれでおいしいが、ランスはお気に召さなかったようだ。
「入れなおしてくるけど、賢者様は?」
「あ、私も行きますよ」
「いいから座ってなよ」
それだけ残して談話室を出て行ってしまった。
突然訪れた一人の時間。手持無沙汰になりながら席に座りなおした。
静かな部屋で先ほどの光景を思い出していると、ネックレスが淡く光り、テーブルの横にヒスイが現れる。
「瑠奈、疲れたか?」
「ううん、さっきの光景を思い出してただけ。一度にあれだけの生地を見たのが初めてだったから結構衝撃的で。………すごく綺麗だったんだけど、ヒスイは見てた?」
小さく微笑みながら「ああ」と、先ほどの感想を述べ始めた。
「カラフルで楽しい気持ちになる生地とか、思わず見とれるくらい綺麗な生地とか、たくさんあって見ていて面白かった」
「ヒスイは昔からああいうの好きだったよね。私の着物も洋服もいつも選んでくれて、生地とか柄とかの組み合わせを考えて私と瑠輝にいろんな小物を作ってくれたよね。何だか懐かしいなぁ」
元の世界での出来事を思い出すように瞳を閉じる。今でも鮮明に思い出せる、和やかで温かな記憶。私も瑠輝も笑顔で、ヒスイとルリも私たちの側で静かに微笑んで、仲良しの四兄妹のようだった。
またあの頃に戻れたら、どれだけ幸せだろう。
過去の記憶に浸っていると、耳になじんだ声がゆっくりと私を現実に引き戻した。
「瑠奈も瑠輝も、何を着ても似合うから考えるのが楽しかった。こっちでも時間はたくさんあるし、いい生地があればまた作ろう」
「本当?嬉しい、楽しみにしてるね!」
そう答えたと同時にカチャっという固めの音が部屋に響いた。
音の方に目を向けるとティーポットやらお菓子やらを乗せたトレーをふよふよと浮かせながらこちらに歩いてくるランスと視線が交わる。
「やっぱりヒスイも出てきてたんだ。なんだか楽しそうな話をしてたみたいだけど」
「はい、元の世界での思い出話を少し。……あ」
ランスの顔とヒスイの顔を見比べてはっとひらめいた。
この二人がいれば素敵な服が出来上がるのではないだろうか。
今回みたいな正装はむりでも、普段着程度なら。
不思議そうな顔をしてこちらを見ている二人に私は自分の思いついたことを打ち明けた。
「あの、ヒスイとランスで服を作ってみませんか?」
「「は?」」
見事に揃った。お互いの顔を見合って、目を大きく開いて、『こいつと?』みたいな表情だ。
「ねえ、賢者様?何を思ってそんな馬鹿なこと言ってるの?」
「服くらい俺一人でも作れる。こいつの手を借りなくても平気だ」
そう言って今度は睨み合っている。
「ふ、二人とも落ち着いてください!私はただ、ランスのデザインした服をヒスイが作れば、とても素敵なものができると思ったんです。ランスはデザインセンスがいいですし、ヒスイはとっても手先が器用で昔から私や兄に小物を作ってくれていたんです。だから、二人が一緒に作ったら、どうかなー、なんて……」
話すほどに二人が眉間にしわを寄せていく。そんな彼らを前にして尻すぼみになってしまった。
やっぱりこんな提案は聞き入れてもらえないか。
「すみません。やっぱり今のは忘れてくだ……」
「はぁ」
忘れてという私の声にかぶせるように溜め息が落ちてきた。
その主は腕を組んで私を見下ろしていたランスだった。
溜め息がでてしまうほど呆れさせたのだろうか。
「こいつがどうするかは知らないけど、気が向いたらデザインくらい描いてあげる」
「え」
思っていたものと違う言葉が聞こえてきて、つい間抜けな声が出てしまった。
その反応にランスは眉間にしわを寄せる。
「何?僕のデザインじゃ不服なの?」
「ち、違います!普通に拒否られると思ってたので、少し、驚いてしまって……」
「はぁ。それで、お前はどうするの?賢者様は僕のデザインをお前に作ってほしいみたいだけど」
ランスの細められた視線がヒスイを射抜く。
それを真っ直ぐに受け止め、凛とした声で答えた。
「瑠奈が望むのなら、俺はそれに従うまでだ。俺一人でも作れるが、瑠奈はお前のデザインを気に入ったみたいだし、瑠奈が喜ぶことをする」
場には数秒の沈黙が下りた。
何かを飲み下すようにランスは瞳を閉じ、ずっと浮かせていたトレーを机に置くと同時にすっと目を開く。
何も言わずにティーポットとカップを操って紅茶を注ぐ。暖かい湯気を立ち昇らせたそれを三つ用意して私たちの前に静かに置いた。ヒスイの分も用意してくれていたことに、心が温かくなる。
「そうだ。賢者様の世界のことを教えてよ。あの大きな弓のこととか」
「いいですよ。なかなかに説明が難しくて長くなっちゃうかもですけど」
弓やら矢やらを見せながら使い方を教えたり、元の世界にあったものや行事ごとについて話したり、先ほどの空気とは打って変わって和やかな時間が訪れた。
夕食までの少しの時間を私たちは三人で共有し、ほんの少しだけ距離が縮まったような気がする。そのことにまた心が温かくなる。
ランスは率先して元の世界のことを聞いてくる。私のことを受け入れて、知ろうとしてくれる。もとの世界のことを含めて私という存在を見つめてくれる。
そう実感できるから、彼と過ごす時間はとても心安らぐものだった。
その日の夜、不思議な夢を見た。誰かの記憶のような、温かい夢。
花畑の中で青みがかった白が美しい、
何かを話しているが、声は聞こえず内容がわからない。けれどもとても楽しそうだ。
女性が花冠を作り子熊の頭にそっと乗せると、子熊はフワフワとした黄金色の毛並みを揺らしてあたりを駆け回った。まるでぬいぐるみのような毛皮とくりっとした瞳が愛くるしい。
女性はその様子を白銀の瞳を愛おしそうに細めて眺めている。
すると誰かに呼ばれたのか子熊と女性はそろって後ろを振り向いた。
その視線の先にいたのは―――
「………夢、か」
視線の先に誰がいたのか、わからないまま目が覚めてしまった。
あの女性も誰なのか。わからないことしかない夢だった。
「でも、何だか懐かしい気がするんだよね……。瑠輝に似ていたからかな」
あの女性を私は知らない。もちろんあの子熊のことも。けれどもどこかで会ったことがあるような気がするのだ。瑠輝と同じ髪と瞳の色をして、同じように微笑んでいた。
「というか、あの子熊。………可愛かったぁぁぁぁぁ」
寝台の上で起き上がったまま夢のことを考えていると、賢者の紋章がある左手の甲がほのかに熱を持っていることに気付いた。薄紫になった部分が淡く光っている。
何かと思って見ていると、そこから光る何かが飛び出てきた。
「うわあ!」
思わず大声をあげてしまったが、よくよく見てみればそれは北の精霊だ。
こんな風に出てくるなんて想定外。呼べば来るというのは聞いていたが、まさか自分の手から出てくるなんて。
「び、びっくりしたぁ……」
『あ、驚かせてごめんね。でも緊急事態なんだ!』
とても慌てた様子で顔をしかめている。頭に響く声も焦っている。
どうかしたのかと問いかけようとしたとき、部屋にノックの音が響いた。
突然の音にびくついてしまったが、どこか緊張した声音は耳に聞き馴染んだ声だった。
「賢者様、どうかしたか?大きな声が聞こえたが、何かあったか?」
「だ、大丈夫です!何もないです!わざわざ声を掛けに来てくれてありがとうございます、グレイ」
「何もないならいいが……。もうすぐ朝食ができるから、支度が終わったら食堂に来いよ?それじゃ、またあとで」
そう言って足音が扉の前から遠ざかっていった。
一度深呼吸をしてから精霊に向き直り、落ち着いた声を心がけて問いかける。精霊にも一度落ち着いてほしかったからだ。
「それで、どうしたんですか?緊急事態って言ってましたけど」
『……実は、僕の家でもある北の太古の神殿が魔力汚染にあっていて、近づけなくなってるんだ。あの辺りには人が住んでる集落はないし、動物たちも危険を察知したみたいでそばを離れているから、そこまで被害は大きくないんだけど………』
ひどく悲しげな顔でうつむいてしまった。被害は大きくなくても、彼にとって悲しいことが起きているというのが言葉がなくても伝わってくる。
安心させるように彼の手を取り、視線を合わせて先を促すと、小さな声で衝撃の事実が告げられた。
『………神殿周辺にいた妖精たちが、消滅しかけているんだ……。僕の大事な友達で、家族のような彼らを、助けて…』
最後は涙ぐんだような声だった。
妖精が消滅しかけている。完全にそうなればどうなるのか、私にはわからない。けれど、彼はとても悲しんでいる。それに、友達で家族みたいな存在だという。
大事な存在が消えかけているなんて、つらいに決まっている。何とかして助けてあげたいというのが本音だが、今すぐにというわけにもいかない。
「魔力汚染の浄化の方法は少し聞きましたが、消えかけている妖精の復活については、なんとも……。力になれず、すみません」
妖精のことに関して力になれず申し訳なく思っていると、ネックレスからヒスイが出てきた。
「そういうことはルイに聞けばいいんじゃないのか?あいつ、二千年近く生きてるんだろ?何か知ってるかもしれないぞ」
まさに目から鱗だ。どうして気づかなかったのか不思議なほどだ。
確かに長く生きる彼なら何か知っているかもしれない。知らないにしても、この魔法舎には長く生きている魔法使いがたくさんいる。一人くらい知っている人がいてもいいはず。
「確かに!あの、精霊さん。魔法舎には長く生きている魔法使いがたくさんいるんです。何か助ける方法を知ってる人がいるかもしれないし、このことを他の魔法使いたちにも話していいですか?」
精霊は顔を少しほころばせて頷いてくれた。
私は大急ぎで支度をして、彼らと共に速足で食堂へと向かった。
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