第八話 叙任式に向けて(上)

 仕立て屋による採寸日。

 私は今、応接室にてテーブルをはさんでその仕立て屋と対面している。

「初めまして、賢者様。僕はラルクと申します。あなたのように美しい人のドレスを仕立てることができてとても嬉しく思います」

「こ、こちらこそ。魔法使いたちも多いので大変かと思いますが、よろしくお願いします」

 挨拶と共に握手を交わす手をがっしりと握られて少し動揺してしまう。

 物腰こそ柔らかだが目の奥には確かな熱をはらんでいる。それは服作りに対する情熱か、彼好みの女性を見つけたという快感か。前者であることを祈りたい。

 握手をして数分が経ったにもかかわらず、彼は全く手を放そうとしないまま私をじっと見つめてくる。瞳の奥まで覗かれているような感覚が少し怖い。

 彼の様子にご立腹なヒスイの気持ちがネックレスのままでも伝わってくる。石がかすかに熱を持っているのだ。

「あ、あの。どうかしましたか?」

 耐えかねた私はじっと見てくる瞳に問いかけた。

「おや、これは失礼しました。本当に美しく、どんなドレスを仕立てようかと考えてしまいまして。背中が空いたドレスでも、深いスリッドの入ったものでも、少し趣向を変えて裾の短いドレスなんかもよさそうで」

 これは、おそらく好みにはまってしまったようだ。先ほどからあげられているドレスはどれも露出の多いものばかり。

 アランの言った通り、肌を見せるドレスを作りたいと考えているようだ。

 そんな派手なものよりも無難なものがいい。どうにかしてそれは避けなければならないが、私の採寸は最後なのでとりあえず魔法使いたちの採寸をしてもらおう。解決策はその間に考えればいいし。

「と、とりあえず、魔法使いたちの採寸をお願いしてもいいですか?中庭を挟んで向かい側の談話室に魔法使いたちを集めていますので、そちらでお願いします」

 彼は少々残念そうな顔をしたが素直に「わかりました」と言って、アシスタントらしき女性と共に談話室へと移っていった。

 彼らの後を追うようにルイとミシェルも談話室へと向かったが、ランスだけは応接室に残っている。

「ランス、どうかしましたか?」

「賢者様は今から何をするの?」

 質問に質問で返されてしまった。

 特にすることもないので自室に戻るか、森に行こうか悩んでいる。それを素直にそのまま口にするとランスは「じゃあ森に行くよ」と言って私の手を掴みずんずん歩いていく。

 彼の行動の真意が掴めないが、おそらく一緒にいてくれようとしているのだろう。彼の気まぐれなのだろうけれど、一人でドレスのことを考えるよりも誰かといた方が気が紛れるかもしれない。

 私はつながれた手を握り返し、彼の後ろをついて歩いた。




 小さな森と言っても私からすれば十分広く、何度も足を運んではいるものの未だにすべてをまわりきれている気がしない。小川や花畑など入口の近くまでしか入ったことがないし、あまり奥へは一人で行くなとルイからも釘を刺されている。

 そんな中、ランスは小川の近くで足を止めた。

「賢者様、ドレスのことで頭がいっぱいでしょ」

 振り返りざまに図星をつかれ大いに動揺する。表情に出した覚えはないが、そんなにもわかりやすかっただろうか。

「アランもグレイもあの仕立て屋のことで賢者様が頭を抱えるかもって言ってたんだよ。あいつの好みに当てはまっていたら露出度の高いドレスになるかもって。まあ、それがなくてもさっきのあいつの様子を見てたら心配にもなるけど」

「……心配、してくれたんですか?」

 ついその部分を聞き返してしまったが、案の定ランスはそっぽを向いてしまった。ほのかに耳も赤くなっている。

 けれど、そんな風に心配されることはあまりなかったため、私もどんな反応をすればいいのかわからない。ランスの照れが移ってしまい、私まで顔が熱くなってきた。

 幾分かの時間が流れてさわやかな風が私たちの間を通り抜ける。少し冷たいそれが頬の熱を取ってくれるようだ。

 今は九月の半ば、これからどんどん気温が下がる季節だが、この世界ではどれくらいまで下がるのだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、上から視線を感じた。

 見上げれば真剣な表情をしたランスと目が合った。赤い瞳が細められ、目が離せない。そもそもランスは人形のように白い肌で整った顔をしている。一つ一つの動作も優美な感じだ。だからこそ、彼の一挙一動に目を奪われる。

「………僕は、守ると決めたものは絶対に守る。お前はその中に入ってるんだから、心配するのは当然。他の魔法使いたちだってそう。お前は賢者としてここにいるけど、魔法舎にいるやつらは全員、賢者としてじゃなくて、瑠奈として見ている。瑠奈を守ろうとしている。変わらず賢者様って呼ぶだろうけど、瑠奈を守りたいと思ってることだけは忘れるな」

 賢者の肩書ではなく、私自身を見てくれる。そんな人はほとんどいなかった。もとの世界で私は異端者で、いらない存在だった。私を見てくれる人なんてずっとそばにいるヒスイだけ。瑠輝も気にかけてくれていたけれど、あまり一緒にはいられなかったから、遠い存在のように感じてしまうことが多かった。この世界に来てからも、賢者として働け、みたいな風に言われているように感じていた。

 けれど、この魔法舎では、賢者の魔法使いたちは、私として見てくれる。来たばかりの私を温かく迎え入れてくれる。そのことが本当に嬉しくて、気づけば瞳から雫がこぼれていた。

「あ、あれ。すみ、すみません……。すぐに、止めますから………」

「別に止めなくていいよ。お前の泣き顔も悪くない。好きなだけ泣けば?僕はここにいるから、気が済むまでどうぞ」

 優しく伸ばされた手は、私の頬を伝っていた雫を掬い取る。それでも次から次へと溢れてくるそれは彼の手をびしゃびしゃに濡らす。

 彼の言葉に、彼の手に、甘えるようにしばらくの間涙が止まらなかった。






 どれくらいの時間がたったのか、さわやかな秋の風で涙が乾くころには私もだいぶ落ち着いていた。

 落ち着いたが、人前であんなにも泣いたのは初めてでじわじわと羞恥心が湧き上がる。

「急に泣いたりしてすみません。もう、大丈夫です」

 ランスは静かに「そう」と呟いて、小川に沿うように森の奥へと足を運ぶ。

 速足でその背中を追いかけた先には小さな泉があった。入口からはだいぶ離れて奥まで入っているため、こんな場所があるとは知らなかった。

 泉の周りも開けていて小さな花畑のようになっている。泉の水はとても澄んでおり底まではっきりと見える。陽の光と木々の緑を反射させた水面がキラキラと眩しい。

「………きれい」

 ぽつりとこぼれた私の一言にランスは得意げに笑った。眩しい水面の光を浴びる彼の赤い目がより輝いて見える。まるでルビーのようで目が離せない。

「いいでしょ。ここ、僕のお気に入りの場所なんだ。あんまり森に入らない他の魔法使いたちには内緒だよ」

「え、私来てよかったんですか?」

 ランスが誰にも教えないくらい気に入っている場所に、私なんかが来てもいいのだろうか。

 そんな疑問を抱えているとランスは少し不機嫌な顔で目を細めた。声も少し拗ねた感じだ。

「賢者様だから連れて来たんだけど。……それとも何、僕が気に入っている場所には来たくなかった?グレイやルイと一緒が良かった?」

 どうしてここでグレイとルイの名前が出るのか。頭にはクエスチョンマークが浮かぶもののそれは一度置いておくとして。来たくないなんてとんでもない。グレイやルイと一緒でも楽しいだろうが、ここは彼だけの場所。そんな場所に招待してもらえて嬉しくないわけがない。

 そんな気持ちを吐露すれば、彼はまた満足そうに頬を緩めた。

「あなただけの秘密の場所に連れてきてくださってありがとうございます。こんな素敵な場所にランスと来られてよかったです」

「当然だよね、僕のお気に入りなんだから。素敵じゃないわけがない」

 自信満々でそう言い切り彼は泉の周りを歩き始めた。

 花を摘んだり、泉の水を掬ったり、ゆったりとした時間を二人で過ごす。ヒスイもネックレスから出てあたりを見て回っていた。

 こんなにものんびりとした時間を味わうのは久しぶりで、とても穏やかな気持ちになる。だからだろうか、ドレスのことなんてこれっぽちも頭になかった。

「あ、忘れてた。ドレスをどうしようか考えたかったんだ……」

「じゃあ、今から賢者様のドレスのデザインを考えようか」

 そう言うが早いか、何もないところからペンと紙が出てきた。それを手に取るなりランスはあっという間にデザイン画を完成させてしまった。

 そこに描かれていたのはオフショルダーのワンピースだった。足首まであるスカートはプリンセスラインを意識したもので、歩くとふわっとしたシルエットになりそうだ。

「ランスは絵が上手なんですね」

「見てほしいのはそこじゃないんだけど。形は?肩が出てるのは嫌?」

 オフショルダーは別に問題ない。が、この絵を見るとおそらく胸元がだいぶ開いているだろうし、背中も開いていそうだ。

「うーん、肩とか腕は別にいいんですけど、胸と背中が開くのはちょっと。……勇気がないです」

 それを伝えると少し考えるそぶりを見せてからまた別の紙にデザインを描き始めた。今度は一枚ではなく三枚ほど。よくもまあこんなにもすらすらと案が浮かぶものだ。

 考えることもすごいが、こうして絵に描き出せるのもすごい。

「ランス、騎士よりもデザイナーの方が向いてるんじゃないんですか?」

 ついそんなことが口をついて出てしまった。はっと思って口を押えてもすでに遅く、ぎろりとした鋭い目つきが私を射抜く。彼のかんに障ってしまったようだ。

「なに、お前は僕が弱いって言いたいの?」

「違いますよ!襲撃された時は守ってもらいましたし弱いなんて微塵も思ってません!ただ、こんなにたくさんのデザイン案がぱっと浮かんで、それを絵に描き出せるから、デザイナーも向いてるんじゃないかなって……」

 怒らせないように素直に思ったことを言うも、彼はむすっとしたままだった。やっぱり、怒ってしまっただろうか。

 そんな不安に寄り添うような柔らかで小さくも、ほんの少し寂しそうな声が耳に届いた。

「僕は、もう千年以上生きてるから、家族のことなんて覚えてない。……けど、悲しいこととか、つらいことはなかった、と思う。僕が描いた絵を褒めてくれて、僕がデザインした服を作ってくれた。……気がする。動物たちと会話できるのと同じだよ。昔からずっと動物たちと一緒にいたからあいつらの言葉がわかる。同じようにたくさん絵を描いていたからすらすら描けるだけ。別にデザイナーになりたいなんて思ったことはないし、自分の手で大事だと思うやつを守りたいっていうことのほうが大事。……もう目の前で大切なやつらを失いたくないんだ」

 魔法使いは長い時を生きる。これはルイから聞いていたから驚かないが、彼もまた悠久の時を生きてきた一人だというのを実感させられる。

 彼の過去に何があったのかは分からないが、悔しさを逃がすように、とても真剣に言葉を吐き出す姿から、彼が騎士ということに誇りを持っているのだと感じる。それを私は、何も考えないでデザイナーに向いているとか言って。

「すみません、騎士よりデザイナーに向いてるなんて……。ランスが騎士になったのには何か強い気持ちがあったからなんですよね。じゃなきゃ騎士だなんて危険と隣り合わせの職業に就いたりしませんもん」

「べつに、強い気持ちってわけじゃ……。魔法騎士団に入ったのだって成り行きだし、騎士になりたかったわけでもない。動物たちを守りたかっただけだ」

 少し照れたように言葉尻が萎んでいったあと、意志の強い声で言葉を吐いた。それらを隠すように彼と私の顔の間に三枚のデザイン画を割り込ませた。

「はい、こんな感じのは?!」

 先ほど書き上げたデザイン画とはどれも形が違っていた。

 一つは先ほどと同じようなプリンセスラインのもので胸元や背中は開いてない。肩の先から七分ほどの袖はレースになっているようだ。

 二つ目は中世ヨーロッパの貴婦人が着ていそうなカクテルドレスだ。二重になっているスカートと袖口にフリルがあしらわれている。きっちりとではないが刺繍のようなものもドレス全体にあしらわれており、とても華やかな印象だ。

 最後のはまたガラッと変わり、ノースリーブのアシンメトリーワンピースだ。前後で長さの違う裾で、前は膝丈、後ろはふくらはぎくらいだ。スカート部分にはゆったりとしたプリーツがかかっている。Aラインのそれはシルエットも綺麗な気がする。

 私はその最後のデザインに目を惹かれた。

「これ、瑠奈に似合いそうだ」

 私の後ろから指さされたのは私が目を奪われていたデザイン。今まで会話に参加していなかったヒスイが、迷いなくそれを選んだのだ。

「あとこれ、似合いそうだと思って作った」

 そう言いながらヒスイは私の頭に色とりどりの花で作られた冠を乗せた。白がメインで赤やオレンジの暖色でまとめられ、差し色程度に小さな水色の花も混じっている。普通の花ではなく花弁が透けているため、ステンドグラスみたいだ。

 頭に花冠を乗せた私を確認して、ヒスイはオッドアイの瞳を細めた。

「やっぱり、瑠奈は花が似合う」

 なんだかこの世界に来てからヒスイの言葉はストレートだ。まあ、それはもともとではあるが、こんな風に褒められたことはほとんどなくてどぎまぎしてしまう。

 せっかく作ってくれたのだしお礼を言わないと。

 ぐぅぅぅ。

 口を開きかけた瞬間、盛大な腹の虫がなった。

「………っぷ」

 たっぷりと溜めて、ランスが噴き出す。

 ヒスイも微笑ましそうな顔をしている。

 そう、腹の虫の主は私。穴があったら入りたいほどの羞恥心に駆られ、私は勢いよく立ち上がった。

「そ、そろそろお昼の時間ですかね?!さぁ!魔法舎に戻ってご飯にしましょう?!」

「あっははは!」

「ふふっ」

 慌てたせいか声が裏返ってしまった。そこでさらに笑われる。とてもいたたまれない気持ちになるものの、ランスがこんなに無邪気な顔で笑っているのを見ると、そんなことは吹き飛んでしまった。

 千年以上も生きているとは思えないほどあどけない少年のような笑顔で、なぜだか胸の奥がキュッとなった。

 それに気づかぬふりをして、私は来た道に向かって踏み出し、すぐ止まった。振り返ると二人はまだ笑っていた。

「……ランス」

 私が声をかけると彼は赤い瞳をこちらに向けて柔らかく笑む。その笑顔が私の目に焼き付くのはとても簡単だった。

 こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのにと、心に思いながら口を開く。

「また、この場所に来てもいいですか?」

 ルビーのように輝く赤い瞳を少し見開いて、優しく細められた。甘く柔らかな視線が、冷たい声を吐き出す人とは思えないぐらい温かな声が、風に運ばれ私に届く。

「好きにしなよ」

 言葉自体は決して優しいものではないのに、その眼と声で溢れんばかりの優しさを送ってくれた。

 私を受け入れてくれたことへの感謝を込めて精一杯の微笑みを返す。作り笑いではなく、心から笑えていると自分でも感じる。

 この魔法舎に来て以来、私はよく笑っていると思う。勘違いではなく、本当に。息苦しいあの家よりも楽に呼吸ができて、自然体でいられていると思う。

「じゃあ、帰りましょうか」

 少し前に感じた少し冷たい風ではなく、春のような暖かさをも持った風に包まれて、私はランスとヒスイを連れて魔法舎へ戻った。



 ヒスイにもらった花冠を部屋に置いた後、お昼ご飯を求めて食堂へ向かうと魔法使いたちとラルクがいた。どうやら採寸の休憩中のようだ。

 そして運が悪くラルクと目が合ってしまった。

「賢者様!今から昼食ですか?よろしければこちらへどうぞ!」

 そう言って彼は自分のすぐ隣の席を勧めてくる。彼に何かされたわけでもないし、下手に断るのも申し訳ないしで私はおとなしく彼の横に座った。

 ランスはそのまた隣に腰を下ろし、なんとも言えない顔でラルクを見ている。

 少し前の様子を思い出してか、椅子を私の方に寄せてできるだけ近くにいてくれようとしている。

「あの、採寸の方はどうですか?」

「今のところ順調です。国ごとに進めていて西と南と東が終わりました。休憩を終えれば北の国から再開する予定です。そちらの方は北の国のランスロットですよね?昼食を終えたら採寸するので談話室に来てください」

「……ああ」

 灰色の瞳をきらきらとさせながら進捗報告をしてくれた。このスピードならすぐに私の採寸も回ってきそうだ。

 そんな風に思っていると急に目の前が陰った。どうやらラルクがこちらに身を寄せてきたようだ。

 急に接近されて思わず身を引くとランスにぶつかってしまった。

「わぁ、すみません。ランス」

「別に、これくらい平気」

「賢者様!あなたのドレスのデザインについて話したいのですが!」

 ほんのりと頬を赤らめて、まるで恋をしているかのような顔つきで私が危惧していた話題を持ち出してきた。

「えっと、………そうだ!魔法使いたちの正装のデザインは決まっているんですか?そっちの方が多くて大変ですよね?私のは後回しでも」

「そちらはいつも決まっておりますので問題ありません。そんなことより、賢者様には体のラインを出したデザインがお似合いだと思うのです!見た感じ、スタイルもいいですし、肌も白くてキメ細かい。これはもう、胸元や背中が開いたデザインのマーメイドドレスなんていかがでしょう!」

 食い気味で質問に答え、饒舌に語りだした彼は見た目のおっとりさとはかけ離れた別人のようだ。しかも、提案されたのはまさしく露出度が高いもの。なおかつ体のラインを出したもの。私が一番避けたいものだった。

 その迫力に圧倒されて私は何も言えずに頬を引きつらせるばかりだ。声すら出せない。

 その間もラルクは思いつくままにデザインを口に出す。

「ああ、でもスリットの入ったドレスもすてがたい。いっそすべて盛り込んでは?!ああ!絶対きれいです!それともハイウエストのミニドレスでしょうか?!そういったものはあまりよく思われない方々が多いですが、賢者様なら別でしょう!白くて細い足を惜しみなく出すのも最高ですね!可憐さも強調される!」

 どんどん露出度が上がっていく。もう顔が引きつりすぎて逆に痛い。心まで痛い。

 まだ採寸が終わっていないというのに、すでに私の心は疲弊しきっている。

「ねえ!少しは賢者様の意見聞かないの?」

 少し大きめの声が横から飛んでくる。ランスが耐えられなくなったのだ。

 その声で我に返ったのか、仕立て屋らしい落ち着いた雰囲気をラルクは取り戻した。

「おっと、申し訳ありません。つい熱が入ってしまいました。確かに、僕の作りたいものを作るのでは意味がありませんね。アラン様にも意見を聞くよう言われましたし、そこはちゃんとしないとですね」

 ようやく落ち着いてくれたようだ。

 そのタイミングを見計らってか、キースが私とランスの前にご飯を持ってきてくれた。

「今日はクラリストマトのミートパスタです。どうぞ召し上がれ。あぁ、あと、ヒスイの分はどうしますか?」

 いつもはネックレスから出てくるが、今日はラルクがいるからか出てこない。

 石に触りながら心の中でヒスイに呼び掛けてみると、頭の中に彼の意志が流れ込んでくる。

『今日はいい。けど、夕飯はもらう』

「今日はいらないみたいです。でも、夕食はちゃんと食べるそうなので用意してもらえますか?」

「わかりました」

 キースはにこやかにほほ笑んでキッチンへと戻っていった。

 元の世界でしていたように手を合わせると横から不思議そうな声がした。いただきますと言う習慣がここにはないようだ。

「私がいた場所では食前と食後に手を合わせて感謝を込めた挨拶をするんです。食前は『いただきます』、食後は『ごちそうさまでした』って」

「ふーん。それが賢者様の世界での礼儀ってやつ?」

「そうですね。まあ、一部の地域だけの文化だと思うので、元の世界すべてというわけではないですが」

 ランスは「そうなんだ」と呟いて、私と同じように手を合わせた。

「いただきます?」

「はい!いただきます!」

 顔を見合わせて笑い合い、一緒においしそうなミートパスタを口に運ぶ。

 この世界に来てからは一人で食事をすることはなくいつも誰かと一緒だった。だが、みんなそれぞれに食事を楽しんでいたから私の行動を気にする人はいなかった。

 そんな中、ランスだけは私に合わせてくれた。小さなあいさつで大したことでもないが、それでも私はランスが歩み寄ってくれたように感じて嬉しい。本当に。

 私に合わせてくれてありがとうと言っても、彼は「別に」というだけでそっぽを向いてしまうだろう。ならばこの嬉しい気持ちは私だけの秘密だ。

 私は胸に優しい光が生まれたような感覚で食事を楽しんだ。





「「ごちそうさまでした」」

 ランスと一緒に声をそろえて一言いうと、ずっと静かだった仕立て屋のラルクが声を出した。

「賢者様のドレスについてお話ししたいところですが、そろそろ採寸を再開しないとですのでまた後程。採寸後にお話しましょう」

 それだけ残して彼は談話室へと戻っていった。

 それと入れ替わるように城へ行っていたアランとグレイが食堂に入ってくる。

「二人ともお帰りなさい」

「賢者様!ただ今戻りました!あの、仕立て屋はどんな感じでしょうか?」

 アランはとても心配そうな顔つきで問いかけてきた。

 今のところ直接何かされたわけではないし、デザインに関して危うい部分はあれどランスのおかげで何とか話は聞いてもらえそうだ。

 そのことをかいつまんで伝えると彼は少しほっとしたようにきりっとした眉を下げた。

「よかった、ランスロットもありがとう」

「僕は別に何もしてないよ」

 ランスはそっぽを向いて小さくつぶやいた。

 何もしてないなんてそんなわけないのに。私のことを心配してくれて、側にいてくれて、デザインのことも気にかけてくれて、しまいには声を出せなかった私の代わりにラルクに話を聞けと言ってくれた。

 私はそんな彼に本当に感謝しているのだ。

「何もしてないわけないですよ。ランス、本当にありがとうございます。あなたが側にいてくれてよかった」

 赤い瞳を真っ直ぐ見据えて言葉を紡ぐ。ちゃんと伝わるように思いを込めて。

 ランスは一瞬居心地の悪そうな顔をしたが、すぐに顔の表情筋が緩んで優しい笑みを向けてくれた。

 その様子を見ていたアランとグレイはどこか微笑ましそうに目を細めている。

「ランスがそんな風に笑うところ、初めて見たな」

「賢者様と仲良くなれたようでよかったよ。これなら側付きになってからも安心だ」

 そんな二人の態度がお気に召さなかったのか、ランスはまたむすっとしてしまった。

「うるさいな。採寸があるから僕はもう行くね」

 それだけ残して足早に食堂から出てしまった。

 一緒にいた時間は短いが、ランスのあの態度は嫌がっているのではなく照れくさいだけというのはなんとなくわかる。彼は少し天邪鬼な部分があるようだ。

「そうだ、採寸なんですけど、午前中に西と南と東が終わって今から北をするそうです。それが終われば二人の番なので食事を済ましたら談話室に行ってください。ラルクが待ってます。私は部屋にいますので私の番になったら声をかけてもらえますか?」

「わかりました、ご報告ありがとうございます」

 時間的にはそこまでないかもしれないが、自分の番が来るまで文字の練習でもしようと部屋へ戻るべく食堂を出た。

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