第五話 魔法使いの召喚

 書庫を出たあとは中庭や魔法舎の裏手に広がる小さな森を散策し、各国に移動できる扉というか部屋のある塔とか、高級旅館並みに広いお風呂場とか、寝室とは別で賢者にあてがわれる執務室にも案内してもらった。

 回りきる頃には陽が傾きはじめていた。

「やはり案内で一日かかってしもうたの。賢者よ、魔法舎はどうじゃった?」

「そうですね……、まあすごく広いなって思いましたけど、裏の小さな森が気に入りました。お花畑や小川まであるなんて驚きましたけど、すごく空気が綺麗で、あと動物もすごく人懐っこくて可愛かったです。なにより、小さな子たちが楽しげにしていたので、ここは安全な場所なんだって実感出来ました。彼らも精霊でしょうか?」

 私は思ったままを素直に口にした。実家の庭とはまた違った空気感だけれど、それがまたいい。

 リスとかウサギとかの小動物も鹿みたいな大きな動物もみんな仲良くしていた。環境がいい証拠だ。

「小さい子たち?私にはまったくわかりませんでしたが、ルイは何か感じましたか?」

「それはおそらく妖精たちじゃろうな。魔法舎を守護してくれておる妖精が遊んでおったのじゃろう。この場所は街に比べればまだ魔力が濃いからの、妖精がいてもおかしくはない。ただ昨日も言った通り妖精を見るには相当濃い大地の魔力が必要じゃが、ここにはないのでな、我らには見えぬ。何らかの呪具を使えば見れるが、彼らは覗き見されるのを嫌うのじゃ。彼らは楽しそうにしておったのじゃな?」

 ルイの問いかけに頷くと彼は金の瞳を細めて頬を緩めた。

 それはもう、とびきり柔らかく愛しいものを見るように。

「それなら安心じゃ。妖精は魔力汚染に弱いが、楽しく遊んでおるということはこの場所が綺麗ということじゃ。魔力の綺麗さは空気の綺麗さにも似ておる。魔法使いにとって重要な事じゃ」

 魔法は自分の魔力と大地の魔力や妖精たちの力を借りて使う。だからこそ魔力汚染が酷いと魔法を使うことが難しくなるのだという。

 自分の魔力だけでは不安定な魔法になってしまうため、妖精の力を借りなければならない。妖精の力は大地の魔力が元になっているから魔力汚染は妖精が穢れ、力を使えない状況にしてしまうそうだ。

 ではもしも汚染されてしまったら?

 改善することは可能なのだろうか?

「それも賢者の仕事のひとつなんですよ。まあ滅多にありませんが、依頼を受けて賢者が浄化を行います。私もしたことは無いのでルイに聞いただけですが」

「浄化には特別な植物を煎じた薬を使うのじゃ。北の奥地にしか生息しない雪月桔梗せつげつききょうという花と、北と東の国境付近に広がるウドリアの森で採れるスターマインを賢者が祈りを込めて煎じ、魔法使いが汚染された地域に散布する感じじゃな」

 この世界にも桔梗があるのか。森の中にも似たような植物を見つけたが、自然に関してはそこまで違わないのかもしれない。それだけの事で親近感が湧く。

 スターマインもそうだ。もとの世界では花火を連続で打ち上げることをスターマインと呼んでいた。ここでは森で採れる果実か何かのようだが、知っている単語やものがあるだけでも安心感が全然違う。

「そうじゃ、賢者には新しい魔法使いを召喚してもらわねばならぬのじゃった!召喚の儀式をしてから魔法使いが到着するまでにちと時間がかかるのでな、明日にでも儀式を行おうかの」

「儀式、ですか?どんなことをするんでしょう……」

「そんな難しいことはせんから安心せい。詳しいことはまた明日話すとして、今日はもうゆっくり休むとしようかの。さあ、食堂へ向かおう。きっとキースが美味しいご飯を作って待っておるぞ!」

 そう言ってルイは私の手を取り食堂へ駆け出した。誰かに手を引かれるなんていつぶりだろうか。人の輪の中にいる感じがして、うまく言えないが、心が少し温かくなった気がする。





 翌日、朝食を済ませて食堂でまったりしているところにルイとグレイが話しかけて来た。

「賢者よ、本日正午に魔法使い召喚の儀式を行おうと思うのじゃが、始める前に説明をしてもよいか?」

「大丈夫です。私もどんなことをするのか気になっていましたし」

 ルイは「そうか」と微笑みつつ、儀式の内容をゆっくり話し始めた。

 召喚の儀式は魔法舎の玄関ロビーで行う。ステンドグラスと螺旋階段が印象的な場所だが、結構広めのスペースがあり、床に大きな魔法陣を描く。その上に立って祈りをささげるんだとか。

 銀のゴブレットに注がれた黒い飲み物を飲み干して宙に掲げながら魔法使いが集まるよう祈りを込めるんだそうだ。

「黒い飲み物とは、何なんですか?」

 私の質問にルイもグレイも何とも言えない顔をした。

 得体のしれない飲み物にさらに不安が増す。いったい何を飲まされるのか。

「あれに決まった名称はなくての、賢者の魔法使いを召喚するためだけに作られたものなのじゃ。味でいうと………、まあ、率直に言ってまずいじゃろうな」

「月斗も、泣いてたな……。苦くて甘くて酸っぱくて、最後にピリッと来る、らしい………」

 苦くて甘くて酸っぱくてピリッとする飲み物。味がカオスすぎやしないだろうか。というか、そんなものを飲んだら体を壊しそうなのだが。

「………私、ちょっと月斗さんのところに行ってきますね」

 話を聞いていたら逃げ出したくなってしまった。まあ帰ることは出来ないし、賢者の魔法使いも今は足りていないから召喚するしかないし、逃げられるわけがないのだけれど。

 もう少し儀式のことを詳しく聞いておけば不安も減るかもしれない。

 そんな思いから、私は足早に月斗さんの部屋に向かった。

 廊下を歩いているとふと違和感を感じた。何かが閉じたような気配がするのだ。何がかは分からないが、そんな気がする。何かが壊れるような感覚が頭の中に広がっていく。

 窓の外に広がる空を何とはなしに見てみると、そこには変わらず青がある。とてもきれいなスカイブルーだ。

 何かの勘違いだと割り切り、私は廊下を再び歩き出した。

 ドアの前に着き、控えめに三回ノックをする。

「月斗さん?瑠奈です。起きてますか?聞きたいことがあるんですが……」

 声をかけても返事はない。まだ寝ているんだろうか。

 だが朝と言ってもすでに十時を過ぎていて起きていてもおかしくない時間だ。

「月斗さん、聞こえますかー?」

 しかし何度声をかけても、ノックをしても一向に返事がない。

 何だか胸がざわざわして落ち着かない。部屋の中で何かあったのでは。もしかしたら倒れてしまっているのでは。

 そんな焦る気持ちを抑えて私はドアノブに手をかけて軽く押してみる。

 ドアは私の力によって簡単に動いた。鍵がかかっていないのだ。

 失礼かとは思うが私はそのまま部屋の中に入った。

「………おじゃましまーす……」

 ゆっくり、静かに部屋に入って中を見回してみても誰もいなかった。

 窓が少し開いていて白いレースのカーテンが風に揺られている。

 部屋の中はあまり物がなく、とても質素な感じだ。ベッドと机と椅子、後はクローゼットと小さな本棚が一つあるだけの、ただの部屋。まるで最初から誰もいなかったような気さえする。

「ん?これは……陰陽術式の陣みたいだけど、なんか違うような……」

 机の上には掠れているが魔法陣のようなものが描かれた紙が一枚。そこには馴染深い陣にそっくりなものが描かれていた。だが術式の陣も魔法陣もきっと似たようなものだろう。ここに元の世界の陣があるわけがないのだから、きっと私の勘違い。

「この術式陣なら、霊をいるべき場所に還すやつだったはず……」

 そこではたと思考が止まる。いるべき場所に還す術式と思われる陣がここにあるということは、月斗さんはこの世界にいない可能性があるということだ。もとの世界に帰れたのならそれでいいが、この術が何なのか正確には分からない以上安心はできない。全く別の場所に飛ばされてしまった可能性だってあるのだ。

「いやいや!気のせいだよね。私の世界では還す術式でもこっちでは全く関係ないかもだし。そもそも私の知ってるのと少し違うし。うん、勘違い勘違い」

 無理やりそう思い込むように大きめの声で口に出し、納得するように首を何度も縦に振る。

「きっと、入れ違いになったんだよね。……食堂に戻ろうかな」

 そう、入れ違いになっただけ。遅めの朝食を食べているに違いない。

 そう信じて、私は来た道を戻った。




「おお、賢者よ。月斗には会えたか?」

「い、いえ。部屋にはいませんでした。でも、この魔法陣みたいなものが机に置かれていました」

 私は部屋で見つけた紙切れをルイに渡す。するとルイは驚いたようにばっと紙をとって凝視した。

 何か変なことでも書いているのだろうか。私にはただの掠れた陣にしか見えなかったのだけれど。

「これは、月守の魔法陣じゃ。使う者によって陣は変化するが、これにはかすかじゃが月の魔力が残っておる。月斗の部屋で月の魔法が使われたのじゃろうな」

 つまり、どういうことだろう。月斗さんの部屋で魔法が使われて、術者も月斗さんもいなかった。月斗さんは攫われた、もしくはこの世界にもういない、このどちらかになる?

 声に出ていたようでルイが頷いた。

「おそらく後者じゃろうな。奴らは戦いのときも賢者であるあやつを狙ってはおったが、力のなくなった賢者を攫っても意味がないはずじゃ。ならば考えられるのはこの世界にいないということじゃろう……」

「そんな……」

 せっかく仲良くなれると思ったのに。この世界で自分と似た境遇の人に話を聞きたいと思っていたのに。そんな悲しみと共に、月斗さんはどこにいったのかという不安も押し寄せて来た。

 瑠輝みたいに急にいなくなって、心配でいっぱいだ。

「月斗さんは、どこに飛ばされちゃったんでしょう………?」

 私の問いかけにグレイもルイも首を横に振るばかりだ。力の強い北の魔法使いでもわからないとなるともう探しようがない。

 そんな悲しみに追い打ちをかけるかのようなルイの声が耳に届いた。

「これからじっくり探すという選択肢もあるにはあるが、無駄じゃろうな。異界から来る賢者のことを魔法使いは長く覚えておくことができんからのう。この世界と交わるはずのない存在は記憶から薄れやすい。じゃから今いるおぬしのことも、いずれ忘れてしまうじゃろう。名前も顔も思い出せんような奴を探すというのは魔法使いでも難しい」

 私のことも、いつか忘れてしまう。

 その言葉が頭にこびりついて胸が凍りついた。

 いくら仲良くなっても、彼らのことを知れたとしても、私がいなくなれば彼らは私のことを忘れてしまう。

 そうだとしたら、私がこれから彼らに歩み寄ろうとすることがとても虚しいことのように思えてきてしまう。忘れられてしまうのに仲良くなんて、意味があるのだろうか。

 私が何も言えずに下を見ていると、右肩に優しい重みがかかった。

 それまでずっとそばに控えていたヒスイが鮮やかな瞳でしっかりと私の目を見ている。

 声には出さないが、彼が何を言いたいのかわかるような気がする。


 ――――たとえ虚しいことだとしても、自分が後悔しない選択をしろ。つらくない道を進め。そして、自分の気持ちをちゃんと掬いあげろ。


 私が後悔しない道、私の気持ち。本当に確かなものはわからないけれど、一つ一つ見つめていかなければならない。

「私は、いつか忘れられてしまうとしても、今皆さんと過ごしている時間を大事にしたいです。……それに、私が覚えています。別れが来て、皆さんが私を忘れても、私は皆さんと過ごした時間を思い出します。あんなことがあった、こんなことをした。みなさんの好きなもの、嫌いなもの、どんな些細なことでも………覚えています」

「瑠奈………。そんな風に言ってくれて、ありがとう」

「ああ、忘れられるとか言われてそう答えてくれるとは。おぬしが賢者でよかったと思う」

「ま、まあ、本当は忘れられたくないんですけどね。写真とかあれば簡単に思い出が残しておけるのにとか思いますし」

「しゃしん?」と二人そろって首を傾げ、話題が変わっていった。




 正午にあわせて玄関ロビーに行くと魔法舎の魔法使いたちが全員集合していた。

 魔法陣のそばにはゴブレットを持ったルイがいる。他の魔法使いはみんな魔法陣から離れていて、ドアのそばだったり螺旋階段に座っていたり二階から眺めていたり、魔法陣を囲んでいるみたいだ。

「お待たせしてしまいましたか?」

「いや、時間通りじゃ。真面目でいい子じゃのう。我はそういう子は好きじゃ。さあ、儀式を始めよう。賢者よ、これを持って魔法陣の中心へ両膝をついて座るのじゃ」

 受け取ったゴブレットにはあの黒い飲み物がなみなみと注がれていた。匂いは、そこまできつくはない。

 ごくんと唾を飲み込み、ルイに頷き返して私は魔法陣の中央に膝をついた。目の前にはあの立派なステンドグラスが見える。

 ちょうど太陽の光が当たるのか、ステンドグラスはキラキラと輝き私に鮮やかな色彩の光を降り注ぐ。

 なんとも幻想的な空間だ。

「よし、我が言うことを復唱してゴブレットを飲み干すのじゃ。『太陽に選ばれし魔法使い、賢者のもとに集え』」

「『太陽に選ばれし魔法使い、賢者のもとに集え』…………っ?!」

 ゴブレットの中身は強烈な味だった。聞いていた通り、甘くて苦くて酸っぱくて辛い。しかも苦みもあるし渋みもある、カオスだ。

 飲み干せって言われたし全部飲まなければと思うがなかなか喉を通らない。涙目になりながらゆっくりではあるが、何とか全部飲みほした。………まずすぎる。

「ゴブレットを掲げて魔法使いを呼ぶように願いを込めるのじゃ。決して手を離してはならんぞ!」

 言われた通りゴブレットを掲げて目を閉じる。

 まだ見ぬ魔法使いたちを呼び寄せるよう、祈りを込める。

 その時、不思議な感覚がした。重力がなくなったような、かと思えばおなかの底に重苦しいものがあるような。変な感覚に陥っていると突風がゴブレットを中心に吹き荒れた。

「賢者様!」

 誰かの呼ぶ声がしたが答える余裕はなく、私は必死にゴブレットに掴まった。

 風の気配が止み、恐る恐る目を開けると見知らぬ世界が広がっていた。小さな光が点々として、あとはひたすら紺色の世界。まるで宇宙のようだ。

 すると目の前の四つの光がひときわ眩しく煌めき、どこかに飛んで行った。

 光を見送るとまたあのフワフワしたような重たいような奇妙な感覚に襲われ目をぎゅっと固く閉じた。

「賢者様!大丈夫か?どこか痛いところとか、気分が悪いとかないか?」

 声に導かれるように瞼を押し上げると心配そうに私の顔を覗き込むグレイがいる。というか、なんかやたら近いような。

 あまりの近さに少し後ろに下がりながら微笑みを向ける。

「だ、大丈夫です。飲んだ直後は気持ち悪かったですけど、今はなんともありません。……ルイ、儀式は成功ですか?」

「ああ、ゴブレットから光が四つ飛んで行った。これでしばらくしたら新たな魔法使いが魔法舎にやってくるじゃろう」

 飛んで行った光とはあの宇宙のような中で見た光のことだろうか。ちゃんと魔法使いに届けばいいなと思い、ステンドグラスの先にある空を見上げた。

「そうじゃ、賢者よ。前の賢者の部屋を少し片づけておいてくれるか?いつまでも放置しておくのはあれじゃし……。ついでに賢者の書を書庫に持って行ってくれ」

 部屋の片づけ。それを聞いてまた少し寂しい気持ちになった。

 月斗さんはもうここにはいないと改めて突き付けられたような気がする。

「わかりました。………あの、賢者の書は私が持っていてもいいですか?少し読んでみたくて…」

「構わんぞ。そういえば言いそびれていたが書庫にある賢者の書もすべておぬしのものじゃよ。我らに許可を取らずとも自由に読んで構わん。賢者の書に限らず書庫のものは自由に使ってよいぞ」

 私はお礼を残して螺旋階段を上った。

 月斗さんの部屋は朝来た時と変わらず質素な空間だった。

 彼が戻ってきているかもという淡い期待もあったが、やはりそんなうまいこといかないようだ。

 片付けてと言われても物が少なく片付けるほど散らかっていない。服も本もきちんと整理されているし、ベッドもそこまで乱れていない。本当に誰も使っていないみたいに温度を感じない。

 しゃがみこんで本棚にしまわれている本を手に取り中を見てみてもこの世界の文字なのか、私には読めなかった。だが挿絵が多くどういう内容なのかは理解できた。

「これは、王子様のお話かな?こっちは植物図鑑。これも図鑑だ、見たことない動物ばっかり。あ、これも王子様のお話、月斗さんはこういうのが好きだったのかな………」

 彼がこの世界でどんなものを読んでいたのか、どんなものに興味があったのか、ほんの少しだけ知れた気がした。

 小説や図鑑に紛れるように少し薄いノートのようなタイトルのない本があった。

 気になって中を見ているといびつな模様と一緒に日本語が手書きで書かれていた。



『これは私の名前。まだまだうまく書けない。もっと練習しないと』

『魔法使いたちの好きなもの。肉料理、スイーツ、お酒、植物、本、ステンドグラス。他にもいろいろあって面白い』

『練習も兼ねてこっちの文字でも日記をつけてみようと思う。今日は王城に行った。相変わらず大臣たちが怖い。けど中央の王子のアランは弟みたいで可愛い。私は兄がいて下はいなかったからなんか新鮮な気がする』



「これって、文字の練習?月斗さん、頑張ってたんだ」

 努力の証のようなその文字たちを指でそっとなぞる。

「瑠奈も練習するのか?なら俺も付き合う」

「ありがとうヒスイ。一緒に頑張ってみようか」

 私は本棚を綺麗にして文字練習ノートだけを手に持ち立ち上がる。机には少し豪華な装丁の本がある。月斗さんの書いた賢者の書だ。ぱらぱらめくってみると中はすべて日本語だった。日々の記録や魔法使いたちについて、この世界について。いろんなことが書かれている。

 私は開けっぱなしの窓を閉め、二つの本をもって部屋を出た。





 それから数日、私は特にすることもないのでずっと月斗さんが残した賢者の書と文字練習ノートを読んでいた。自室で、魔法舎の森で、中庭の噴水の近くにあるベンチで、魔法舎の探索も兼ねていろんな場所で読んでいた。

 内容は様々で、魔法使いのことだったり、日々の生活のことだったり、任務のことだったり。本当にいろいろなことが書かれていて、そのたびに元の世界との違いと共通点を見つけた。別の世界だけれど、どこか似ている部分もあるようだ。

 儀式を終えて一週間が経った朝、いつもより早く目が覚めた。

 窓の外を見てみるとまだ少し暗く、日の出寸前くらいの時間だ。

 もう一度寝る気にはなれず、しばらく体を動かしていなかったこともあり、私は久しぶりに弓道着を身に纏った。

 クローゼットにはたくさんの服があるが、どれもこれも着るのが難しそうな服ばかりで、簡単に着れるのは寝間着にしている一着だけだった。そのためこの世界に来てすぐは道着をずっと着ていたが、ルイが動きやすくて脱ぎ着がしやすい服を用意してくれた。以降はそちらを着て道着はしまい込んでしまっていたのだ。

「やっぱり道着は落ち着く……」

 しばらく服の感触に意識を向け、ヒスイを呼んだ。ここしばらくはヒスイもネックレスに戻っていた。

 私の声に反応して赤い石が光り、たちまち人の姿へと変わった。

「……久しぶりにやるのか」

「うん。手伝ってくれる?」

 もちろんだと頷き、弓に弦を張るのを手伝ってくれた。

 それに加えて、ヒスイは少しではあるが術を使うこともできる。紙に素材の名前を書き、頭の中で形をイメージしながら霊力を紙に流し込む。そうすれば思い描いたものを目の前に出せるのだ。あまり大きなものは出来ないが的くらいならだせるのでお願いする。

 そうしてできた的と弓矢、諸々の道具を持って魔法舎の裏手にある森の入口へ向かった。

 森の中でやろうと思っていたが、いざ入口付近に行くと魔法舎の周りを囲むように植えられている木でも的を付けて距離を取ることが出来そうだ。

 正確な距離は測れないが大体ならヒスイにもわかるようで、「ここに立ってくれ」と地面に線を引き、ちょうどいい距離にある木に的を付けてくれた。

 全ての準備が整い、私は静かに弓の基本である射法八節のとおりに行射ぎょうしゃを始めた。

 次第に明るくなり、朝特有の清々しい空気と植物の香りに包まれて集中力も高まっていく。

 カーンという弦音つるねがあたりに響く。

 言葉にはしがたいこの感覚、とても懐かしい気がする。程よく重たい弓、矢を放つときの少しの振動、矢を射るたびに心がすっきりとクリアになっていく。

 これからどうすればいいのか、瑠輝には会えるのか、この世界に来てからずっと考えてしまういくつもの不安を一時的にでもなくすことができる。

 心を落ち着けてくれる弓がどこまでも好きだなと、改めて実感する。

 どれだけの時間がたったのかは分からないが、弓を引き始めて二十本ほどの矢を射るころにはあたりはすっかり明るくなっていた。

 的に刺さり重力でずり落ちた矢をヒスイと共に拾っていると後ろから声を掛けられた。振り向くと赤茶色の髪に琥珀色の目をした男性が立っていた。

 この世界で初めて会った魔法使いのグレイだ。

「おはよう賢者様。すごく集中していたみたいでなかなか声を掛けられなかったが、恰好よかった!それが弓道ってやつか?」

「そうですよ。最近やってなかったので久しぶりにと思って。もしかして、弦音とかうるさかったですか?」

「ツルネ?ああ、あのカーンて音のことか?全然だ。むしろもっと聞いていたくなるような清々しさがあって俺は好きだな」

 満面の笑みで答えてくれて本当にそう思っていることが伝わってくる。

 私の弦音が好きだといわれるのは初めてで、なんだかくすぐったいが嬉しいのが本音だ。

 グレイは弓道に興味があるのか弓やら私が右手にはめているゆがけやらを興味津々な様子で見ている。

「弓道、興味ありますか?」

 そう尋ねると彼は驚いたような顔をした。ばれているとは思わなかったというような顔だ。

「ばれていたのか。騎士団でも弓は使うが、それは一般騎士の一部の隊だけで、俺は魔法騎士団だから使ったことがないんだよ。それに賢者様が使っている大きなものは見たことがなくてな、珍しくてついまじまじと見ちまった。すまん」

「いえいえ、この大きさのものは私が暮らしていた国独自のものですから。気になるんでしたら引いてみますか?」

 グレイは琥珀の瞳を輝かせて「いいのか!」と笑顔になった。

「あ、でも私の矢束やづかだと長さが足りないかもですね。これだとやりにくいですけど、どうします?」

「魔法で大きさを変えればいいんじゃないか?もちろんちゃんと元に戻すぞ」

 そういうことならと、彼に合った長さに大きくして、体験ということもあり姿勢はあまり意識せずとりあえず射ってみることになった。

 矢を持つ方の手は怪我を防ぐための鹿革で作られた弽、それを汗から守るための手袋、したがけを付けるが、グレイは基本的にいつも革製の手袋をつけているので今回はなしだ。

 グレイはもとから姿勢が良く、弓構ゆがまえも様になっていた。

「まずは矢を弦の真ん中くらいにある中仕掛けという部分にかけて大きく引っ張ってください」

「こうか?なかなか力がいるな。普段使わない筋肉を使っている気がする……」

「その引いている姿勢を会と言います。この状態でじっくり的を狙って、定めたら放ちます」

 数秒静かな時間が流れ、グレイが矢を放った。

 カーンという音は鳴らなかったが、矢は的の中心近くにあたった。

 グレイは瞳をキラキラさせて的を見つめている。

「……あたった。賢者様、見てたか?!真ん中の近くだ!」

 少年のようなあどけない笑みを浮かべている。本当に嬉しそうで、私にまでそれが伝わって、私まで口元が緩んでしまう。

「グレイはもとの姿勢も綺麗ですから、弓を引いている時もかっこよかったです。初めてで的にあたるのもすごいです」

 素直な気持ちを口にすると目の前の琥珀の瞳が揺れた。驚いて、はにかむような表情で、真っ直ぐ私の目を見ていた視線が横にそらされる。

「そう言われると、なんだか照れるな。……賢者様のその表情も、珍しくてつい、動揺してしまった」

 いたって普通の顔だと思うのだけれど、いったいどんな表情をしていたのだろうか。

 不思議に思い自分の顔を触りながら首をかしげていると、彼はまたこちらを向いて優しい顔つきになり言葉を紡ぐ。

「賢者様の真剣な顔つきも恰好よかったぞ。あの表情も好きだが、さっきの柔らかい笑顔も可愛くて好きだ」

 可愛いとか好きとか、唐突にそんなことを言われても頭が追い付かない。私の頭の中にはグレイの言葉が反芻するばかり。

 少しの間をおいてじわじわと恥ずかしくなってきた。きっと今の私はりんごみたいになっているだろう。

「あ、ありがとう、ございます……」

 うつむきがちに、聞き取れるかもわからないぐらいの小さな声でお礼を告げた。

 ちらっと目線を上にあげると優しいまなざしがこちらを捉えていた。その視線にさらに顔が熱くなる。

「あ、そうだ。グレイは何か用があってここに来たんですか?」

「そうだった、もうじき朝食ができるから賢者様を探していたんだ。部屋に行ってもいなかったから少し焦った」

 それはなんだか申し訳ないことをした。書置きか何かできればよかったのだが、生憎と私はこちらの世界の文字を読めないし書けない。だが、なぜか会話は普通にできる。つまり魔法使いたちとのコミュニケーションは直接の会話でしか取れないのだ。

 最近は月斗さんのように私も文字の勉強をしようかなと思うようになっていた。

「心配させてすみません。朝食ができるなら弓とかも仕舞わないとですし、部屋に戻って着替えたら食堂に行きますね。グレイは先に戻っていてください」

「わかった。じゃあまたあとでな」

 グレイは腕をあげて魔法舎の中に入っていった。

 私もヒスイと共に手早く片付けて部屋に戻った。

 魔法舎の食事はだいたい料理屋をしていたキースが作ってくれている。彼のご飯はどれもおいしい。朝食が冷めてしまうのは悲しいので私は超特急で着替えて、足早に食堂への廊下を歩いた。

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