第四話 賢者の役割(下)

 明るい日差しと鳥のさえずりで意識が少しずつ浮上する。こんな風に目が覚めるのはいつぶりだろうか。最近はずっと慌ただしい足音で目が覚めてばかりだった気がする。

「……ここは?」

 重たい瞼をあげると見知らぬ部屋だった。体を起こすとそばから聞きなれた声がする。

「おはよう、瑠奈。気分はどうだ?」

「ヒスイ……。あ、そうか。なんか変なところに来ちゃったんだっけ。気分は平気。体も何だか軽くてむしろ絶好調だよ」

 寝台から抜け出して窓を眺めると眩しい青空が広がっている。それでもあの大きな月は空に浮かんでいた。昼間でもこんなにはっきり見えるなんて、私がいた世界ではありえないことだった。

 そこに突然ノックが響いた。

「賢者様、起きてるか?朝食の準備ができているんだが出てこられるか?」

「あ、すぐに着替えて出ますね!」

「おっと、起きたばかりだったのか。レディの支度は待つのが騎士の務め、どうぞ焦らずゆっくりご支度なさってください。こちらでお待ちしております」

 今の声はグレイだろうか。ヒスイがとてつもなく嫌そうな顔をしている。

 私は超特急で昨日と同じ弓道着を身に纏い、手早く寝癖を直してドアを開ける。

「おはようございます、グレイ。わざわざ来てくださってありがとうございます」

「いやいや、魔法舎の案内をまだしていないなら食堂の場所もわからないと思ってな。それにしても、昨日も思ったが賢者様の装いは東の伝統衣装に似ているな」

「そうなんですか?これは弓道着といって弓を引く際の礼服のようなものなんです。私の暮らしていた国の文化のひとつです」

 私の説明を聞いてもピンとこなかったのか、グレイは首をかしげている。

「なんて言ったらいいんでしょう……。私の暮らしていた国には昔、武士という家柄があって、その人たちが身に着けるべきものを武術と言います。いわゆる剣とか馬とかを使った技術ですね。その中に弓も入っていて、私が昨日使った大きな弓を扱ったものを弓道と言うんですよ。馬の上から矢を射ることもありますよ。これは流鏑馬やぶさめって言うんです。今ではスポーツとして扱われることもありますね」

 長々とした説明になってしまったが、これで理解できただろうか。弓道の説明って難しい。武道とは、弓道とは、なんてこと聞かずともわかるのが日本人だ。そもそもわからなくても弓を使うとか武士の道とか言えばなんとなく通じてしまうからこんなちゃんとした説明となると本当にこれが正解なのかわからなくなる。

 グレイは口元に手を置きうんうん唸っていたが、しばらくしてぱっとこちらに顔を向けた。

「なんとなくはわかったぞ。弓道と流鏑馬っていう言い方はないが弓は騎士団も使うからな。それに武士っていうのも響き的に騎士っぽいし、……うん。とりあえず賢者様は格好いいことをやってるんだな!っあ、やっているんですね!」

「無理に敬語は使わなくてもいいですよ。ヒスイ相手にもラフに話してましたよね?同じで大丈夫です」

「そうか?助かるよ。敬語はなんか堅苦しくて苦手なんだ。ヒスイも、もっと仲良く行こうぜ。というわけで、今夜一緒に飲まないか?」

「飲まない」

 ヒスイは笑顔で誘ってきたグレイを見ることなくその誘いを一蹴した。

 ヒスイにはみんなともう少し穏やかに接してほしい。むやみに警戒するのは心も疲れてしまうだろう。

「ヒスイ?警戒するのは仕方ないかもしれないけど、ほんの少しでいいから歩み寄らない?いつ帰れるか分からないからこそ、ここにいる人たちとは仲良くしようよ」

「なぜ仲良くしなければならない。いつになるか分からないからこそ親しくするべきじゃないと、俺は思う。親しくなればなるほど帰る時につらくなるのは瑠奈だぞ。それに、本当に信用できるのかも怪しいしな」

 ヒスイは別れの時のことまで考えていたんだ。

 怪しいというのも本心だろうが、つらくなるからというのもまた本心なんだろう。

 優しいヒスイだからこそ、一番つらくない方法を取っているんだ。

「そっか、やっぱりヒスイは優しいね。でも、しばらく一緒にいるんだから、相手のことを知るのも大事だよ。だから話くらいはしようね」

 ヒスイは渋々といった感じで頷いた。

 いつの間にか繊細な意匠が施された大きな扉の前に着いていた。ここが食堂らしい。

「おお、賢者よ、昨夜はよく眠れたか?」

「はい。朝も鳥のさえずりで目が覚めて、なんだか清々しい気分です」

 食堂には昨日の植物だらけの部屋にいた6人が揃っている。誰もかれも顔がいい。魔法使いはイケメンが多いのだろうか。

 食堂には長テーブルがいくつもあり、みんな適当に座っていたため、私もヒスイとグレイと共に空いている席へついた。

「どうぞ、賢者様。朝食はしっかりと取らなくてはいけませんので、たくさん食べてください」

 そう言って深いワインレッドの瞳の男性は私たちの前にオムレツとバスケットに入ったパン、クリームやジャムなどを置いた。

 確かに一日は朝食からとは言うが、元の世界でも朝からこんなに食べたことはなかった。けれど好意を突き返すわけにはいかないのでとりあえず食べることにする。

「あ、ありがとうございます。いただきます。……っん!え、このオムレツすっごくフワフワ!パンも小麦の香りがすごい!こんな朝ごはん初めて食べました!」

 びっくりするくらいおいしくて手が止まらない。

 不安なことでいっぱいだった心も幸せ気分で満たされてしまった。

 グレイもおいしそうにパンを頬張っているが、ヒスイは一向に手を付けようとしない。

 彼は式神だから食事や睡眠は必要ないのだが食べられないわけではない。今までは私に合わせていつも一緒に食事をしていたし、私が寝るときはヒスイもネックレスの中で休んでいた。

 だが、今日は違う。昨夜も寝ずに見張りをしていたし、今も食べようとしない。やはり警戒心の方が強いのだろうか。

「ヒスイ、このオムレツすごくおいしいよ。一緒に食べよう?」

 私が声をかけてようやくオムレツを口に運ぶ。

 するとヒスイの目が驚いたように大きく見開かれ、続けてパンも口に運んだ。

 無言で食べているところを見る限り相当気に入ったようだ。

 しばらくその様子を眺めていると横から不安そうな声が聞こえた。

「あの、あれは喜んでくれているのでしょうか?何も言われないのはとても不安なのですが……」

「大丈夫ですよ。ヒスイは昔から食事を気に入った時は無言になるんです。今もノンストップで食べているし、すごく気に入ったようです」

 ワインレッドの瞳の彼はそれを聞くと安心したように頬を緩めた。




 私たちが食事を終えたタイミングで魔法舎一の長寿であるルイが声をかけて来た。

「賢者よ、今ここにおる魔法使いたちと前賢者を紹介したい。名前を聞いたものもおるかもしれんがもう一度、ちゃんと自己紹介をせねばな。国別で順番に、まずは我からいこうかの。北の魔法使いルイ・スピネルじゃ。北の国には王家がないが代わりに我が公爵として広大な大地を管理しておる。次にこの一見優しげの腹黒じゃが」

「腹黒だなんてひどいな。僕は北の魔法使いランスロット・セレナ。グレイと同じ魔法騎士団に所属しているけど、あいつみたいに中央にいるんじゃなくて、北との国境を警備しているんだ。並行して前賢者様の護衛も少ししていたよ。はい次、東」

 ルイが北の国を管理している公爵というのには驚いたが、ランスロットもなかなか騎士らしくない恰好をしていて驚きだ。グレイのように剣を持っていないし、なおかつピシッとした白いストライプのスーツを着て、右肩に防具のようなものをつけている。まるでエリート商社マンが冒険に出るような服装だ。しかし、白い学帽のような帽子をかぶっているため、好青年な学生っぽさもある。

「えっと、東の魔法使いラピス・ベリルです。たまに、実家の工房の手伝いで彫り物とか機械いじりとかをしています……」

「他にも言うことがあるだろ」

「これ以上何を言うんだよ」

「好きなものとか」

「……本が好きです」

 言い合いをしつつも自己紹介を終えたラピスに昨日ベッドで苦しそうにしていた大きな赤い瞳の男の子がため息をついた。そしてまた言い合い。

 あの二人はとても仲がいいようだ。

「俺は東の魔法使いアルブレヒト・ソーサー。ラピスの実家でもあるベリル家の従者でウッドパレスの森番だ。好きなものは植物。辛いものが苦手だ」

 しっかりとした口調で好きなもの、嫌いなものまで教えてくれた。自己紹介慣れしている転校生のようだ。

「あの、アルブレヒト。もう体調は大丈夫なんですか?」

「ああ。賢者が呪いを取り出してくれたんだってな。呪いをとってもしばらくは動けないだろうと思っていたのに、朝起きたらすっかり体が軽くなっていた。ありがとう」

「いえいえ、そんなたいしたことではないです。元気になってよかった」

 彼は思っていることを真っ直ぐ言葉にしてくれる。お礼を言われ慣れていないせいか少し恥ずかしいが、それよりも役に立てたことがとても嬉しい。

「では次は私が。西の魔法使いキース・ブラッドです。西の国で魔法使い専門の小さなカフェを営んでいました。夜にはバーとしてたまに開いています。賢者様も今度特別に招待して差し上げますね」

「あ、ありがとうございます…」

 ワインレッドの瞳に妖艶な光をもって緩やかに頬笑んだ。なんだか色気のすごい人だ。これが大人というものだろうか。

 何かされたわけではないのにドキドキしてしまう。

「昨日も話したが、俺は中央の魔法使いグレイ・アレクサンドリア。魔法騎士団の団長を任されている。賢者の魔法使いに選ばれてからは賢者様の護衛・側近の役目を担っているから何かあれば俺に言ってくれ」

 グレイの自己紹介を聞いてヒスイが物申したそうな顔をしている。やっぱり護衛というのが気に食わないのだろうか。

 それに、昨日もそうだったがグレイもまた軽装だ。黒が基調のスーツっぽい服にペリース。ランスロットほどではないが、私が思っていた騎士よりも軽装だ。どちらかというと王子っぽいと思う。マント羽織ってるし、鎧じゃないし。騎士要素と言えば腰に提げている鞘や柄の装飾が美しい剣くらいだろう。

「私は前賢者の神田月斗です。少しばかりですが白札を使えますのでなにかお役に立てることもあると思います。帰る方法が見つかるまでは私もここにいますので聞きたいことがあればなんでも仰ってください!」

「私は御神楽瑠奈です。よろしくお願いします。こっちは式神のヒスイ」

「賢者よ、そのしきがみ、というのはなんじゃ?」

 式神が何か。また説明の難しいことを聞かれてしまった。

 式神は悪霊や悪妖などを祓う手助けをする存在。だけど私にとっては家族のような存在。どういえばいいのか考えながら当の本人を見ると彼もまたこちらを見ていた。

「俺は、人に作られた。瑠奈の兄によって。式神は作り手の力とイメージによって作られるが、用途は多岐にわたる。基本はこの世ならざる悪しきものを浄化することを目的とするが、話し相手にしたり、下僕にしたり、いろいろだ。俺は瑠奈の家族として作られた」

 真っ直ぐ、家族と言ってくれた。私のことを家族と呼ぶのは今は亡き母と兄だけだった。父は私には目もくれず、いつも瑠輝ばかり見ていた。ヒスイが生まれた時も、二体同時に式神を作った瑠輝を誉め、ただ血を出して祈っただけの私には何も言わなかった。

 だから私には血のつながりがあっても家族なんて希薄なものとしか映らなかった。

 ヒスイのことだって、家族だと思っているが、心のどこかでは違う風に思っているかもしれない。

 そんな曖昧な感情の私に、ヒスイは断言した。

 それがどれだけ嬉しいことか。体の内から熱い何かがこみあげてくる。

「ほう、賢者には兄がおるのじゃな。突然こちらに連れてこられて寂しかろう。申し訳ないのう……」

「いえ、兄は…………。一年前、突然いなくなったので……」

 小さな声だったが魔法使いたちにはしっかり届いたようで、場が静まり返ってしまった。

 なんとも言えない、気まずい雰囲気を破ったのはヒスイだった。

「ひとつ聞きたいんだが、カエルムという人物を知っているか?月の住人らしいんだが、そいつが瑠奈をここに来るよう仕向けたらしい」

 ヒスイの一言で場は更に凍りついた。ピシッという擬音が聞こえてきそうな程に。

 彼らは一様に複雑な表情をしていた。怒りや悲しみが幾重にも折り重なったような顔をして、俯いたり拳を握りしめたりしている。

「……月の住人は、我らと敵対しておる者じゃ。我ら賢者の魔法使いは月の魔力を操る月守が地上を滅ぼし、支配しようとしておるのを阻止することが一番の仕事じゃ。カエルムというやつのことは知らぬ。じゃが、異界から来る賢者についてなにか細工が出来るということはそやつも月守の可能性が高いのう。それも、力の強い部類のやつじゃ」

 とても厄介そうな人に目をつけられているというのはよく分かった。

 今起きている戦いというのも他国間との戦争のようなものだろう。種族や文化、価値観が違えば争いが起きるのは世の理。たとえ異界であろうとそこは変わらないようだ。

「そのカエルムという男性とは昨日、この世界に来た直後に会ったんですが、その時兄が月にいると言っていました。月の賢者だと。あと、私と兄の従者になるのだとも。いずれ迎えに行くと言い残して消えました」

「迎えにってことは、賢者様は月守に狙われているってことだよな?奴らが来るのが一年後だとしても、念のためにも魔法舎の結界を強化した方が良くないか?」

 グレイの提案に他の魔法使いたちもそろって頷いた。

 彼らは私を必要としてくれるが、やはり守る対象のようだ。ここでも、私は守られてばかりになるのだろうか。何か、私にもできることがないだろうか。

 考えてもこの世界のことを知らないだけでなく、彼らのことだってよく知らない。

 知らないことだらけでは何もできないだろう。それなら私がすることは一つ。

「あの、私にこの世界のことや皆さんのことを教えてくれませんか?ただ守られるだけなのは、もう、嫌なんです。少しでも力になれるよう頑張らせてもらえないでしょうか?」

 私は椅子から立ち上がり頭を下げた。

 少しの間静寂が食堂を包み込み、優しい声音が聞こえて来た。

「賢者よ、そのように考えてくれて我らは嬉しく思うぞ。もっと自分本位になってもよい状況じゃというのに、おぬしは我らのことを気遣ってくれた。人間では珍しい」

 人間では、という言い方がなんだか引っかかる。まるで魔法使いが差別的に見られているようだ。魔法使いも同じ人間ではないのだろうか。

 そんな疑問を口にする前にガタっという音とともにルイが立ち上がった。

「よし!話さなければならないことはまだまだあるが、ひとまずはお開きとしようかの。賢者にはこれから魔法舎の中を案内しよう。その時にこの世界や月のことも少し話そうかの。みなもそれでよいな?」

 皆がぞろぞろと席を立って食堂から出ていく。最後に残ったのはルイと私とヒスイ、それからグレイと月斗さんだった。

「案内はルイ様に任せるし、この魔法舎の中なら安全だと思うが、何かあれば俺を呼んでくれ」

「私はルイと一緒に瑠奈さんを案内します!」

「まずは書庫から行こうかの」

 食堂の前でグレイと別れてから私たちは書庫へと向かった。





 到着した魔法舎内の書庫は図書館と同じくらいあるのではないかと思うほど広く、たくさんの本棚にはハードカバーの本が収められており、サイズや種類によって棚を分けているようだ。

 これだけ多くの本を一度に見たことがなく、圧巻の景色だ。

「す、すごいですね。ここにはどんな本があるんですか?」

「小説やら絵本やら図鑑やら、いろんなものがあるが、主に『賢者の書』を置いておる。歴代の賢者たちが書き記した日記のようなものじゃな。おぬしにも一冊本を渡そう。日々の記録でも、我ら魔法使いのことでも、何でも思ったことをそれに書くとよい」

 空中から突然分厚い本が出て来た。ページをめくってみても真っ白で何も書かれていない。本当に自分で書いていくようだ。

「これだけ賢者の書があるということは、それだけ大勢の賢者がいたってことですか?」

「そうですよ。私も初めてここを見た時驚きました。私が来るまではしばらく賢者はいなかったみたいですけど、昔は何度も入れ替わっていたそうです。長い歴史の中で賢者たちがどんなことを思ったのか気になったので読んでみようと思ったのですが、日本語でも繋ぎ字だったり、崩された字だったり、英語っぽいものもありましたし、全然知らない文字もあって、結局どれも読めなかったんですよね」

 過去の賢者たちが何を書いていたのか参考に出来ればと思ったが、どうやら難しいようだ。

 日記のようなものと言っていたが、私は元の世界でも書いたことがないし、どういう風に書けばいいのか検討がつかない。

「月斗さんは、どんな風に書いたんですか?」

「私は魔法使いたちのことをまとめたり、たまに来る依頼や任務などについて書いたりしていました」

「依頼?」

 首を傾げた私にルイが丁寧に教えてくれた。

 賢者の魔法使いは月守と戦い世界を救うことだけが仕事ではないらしい。この戦いは年に一回だけで、それ以外の時は魔法使い絡みの事件や変な現象の調査と解決を国から依頼され、任務として出かけるのだという。

 最近は特に、こういった事件や現象が多発しているようで、各国にある騎士団や警備隊だけでは手が回らない分を魔法使いが補っているようだ。

「魔法舎に届く依頼は国からだったり個人からだったり様々じゃが、すべて賢者を通して我らに伝えられるのじゃ。仕事内容に合わせて誰を向かわせるのかを決めることも賢者の役目のひとつなのじゃよ」

 つまり魔法舎は届いた依頼をこなす会社や組織のようなもので、私はそのまとめ役か上司と言ったところだろうか。

「ちなみに、賢者は世界の要人でもあるので国レベルの会議やパーティーに出席することがありますよ。緊張で心臓がつぶれそうになってしまうでしょうけど頑張ってください」

 国レベル……。パーティーなんて出たこともないというのにいきなり国レベルなんていわれても想像ができない。王様や大臣、もしくは他国間での国際交流になるだろうことは想像に難くない。

 どういったものかはわからないが、自分が国のトップの人たちが集まる場にいるということを考えただけでも目が回りそうだ。おそらく今私の顔はこれでもかというほど青くなっているだろう。場違い感が強すぎて吐き気さえしてくる。

「そうだ、賢者の印と力のことも話しておかないとですよね、ルイ」

「いかんいかん、忘れるところじゃった。賢者よ、印を出してみよ。月斗もじゃ」

 私は言われた通り左手の甲を出した。そこには魔法陣のような印が刻まれている。

 円の中にある五芒星を中心にまた別の円やら四角やらが重ねられ、全体を見て右上と左下には花のような模様がある。円に沿って何語かわからない文字もある。

 上下左右には文字らしきものが書かれた丸があり、上の丸は昨日の精霊によって薄紫色になっており、それ以外は黒色で書かれている。

 だが月斗さんは違った。

 印は同じだが黒い部分はすべて白色だし、私のような他の色もない。

 彼の印は右腕にあるのだが、印からその周りの腕までも陶器のように白く変色しているのだ。

「月斗さん、その腕……」

「これは賢者の力がなくなってしまった影響なんだそうです。今のところ特に害はないので大丈夫ですよ」

「まず賢者の力じゃが、それは賢者が賢者の魔法使いを導くためにに力と加護を与えるというものなのじゃ。魔法使いは簡単に死ぬことはないが、それでも可能性がないわけではない。呪いをかけられるとか、強い魔法使いに石にされるとか。それをできる限り防ぐためのものじゃな。まあ、賢者と魔法使いたちが離れすぎていれば効かぬがな」

「魔法使いは、死ぬと石になるんですか?」

 私の質問にルイは何でもないかのように答える。

「そうじゃ。魔法使いは魔力の塊のようなものじゃからな。人間も魔力はあるが本当にわずかじゃ。じゃから自分で魔法は使えぬし普通に死ぬが、魔力が多い魔法使いは結晶化するのじゃよ。その石を魔石ませきと言う」

 この魔石はとても高価なものらしく高値で売買されることもあると教えてくれた。魔石を原動力とした道具も開発されているのだという。

 魔石は基本、大地の魔力が時間の流れに合わせてゆっくりと結晶化してできるらしい。これには数千年以上かかるようで、太古から存在する洞窟や森で発掘されるという。

 魔法生物を討伐して魔石を得ることも可能で、そういった依頼が届くこともあるようだ。

「話がそれてしもうたな。賢者の力じゃが、これは決して無限にあるわけではない。使い続けると少しずつじゃが印が白くなるのじゃ。それと共に印のある部分の肌も白く変色してゆくのじゃ。月斗のようにな」

「まあ、すぐに底が尽きる訳じゃないので安心してください。私もここに来てから五年経ちましたけど力が尽きたのはこの間の戦いのときでしたし。その時はいつもより月守が強くて力を一度に使い過ぎたせいで底尽きた感じですし、魔法使いたちが本当に危ない時だけ使っていれば長く力は残ります。それこそおじいちゃんになるくらいまで」

 だが、裏を返せばさっさと力を使い切ることではやく賢者ではなくなるということだ。しかし賢者でなくなったからと言って帰れるわけではない。

「力がなくなったらどうなるんですか?帰れないとしたら、この魔法舎で働くとか?」

 ルイは渋めの顔で「それなのじゃが……」と少し考えるしぐさを取っている。

「今までの賢者はみな、力を使い切ったら数日のうちに死んでしもうたんじゃが……。どうしてか月斗はピンピンしておってな、この先どうするかまだ検討中なのじゃよ」

 死んでしまうということは、賢者は命を削って力を使っていたということ。しかし月斗さんはそうではない。

 ならば月斗さんに何か今までの人たちとは違う点があるはず。月斗さんに聞いてみても見当がつかないようで首をかしげるばかりだったが、ルイには思い当たる点があるようだ。

「もしかしたら、月斗が使うあの白札とかいう力のせいかもしれんの。そういった魔法にも似た力をもっておった者は今までおらんかった。月斗が初めてじゃ」

「あれは私の中にある神通力で行う術の一種なんですよね。そういった力のある家に生まれたので私は使えますが、普通は使えません。瑠奈さんの家も私と同じように力のある家ですよね」

「…………そうですね。うちは祓い屋なので、神通力ではなく霊力と呼ばれるもので術や結界を張ったり、物質を操ったりします。少し魔法に似ている部分があるかもしれません。ですが、私には、ほとんど霊力はありません。家のものなら誰もができることを、私は出来ないんです。私は、ただ目がいいだけの、異端者ですから………」

 少し長めの間を開けて私は答えた。家のことも自分のことも、あまり話したいとは思えない。認めてもらえない異端者である私には何もできないというのを、言葉にすると重く私にのしかかってくるから。

 だが、暗く沈みかけていた私の心はルイの言葉で浮上した。

 心底不思議そうにルイは言葉を紡ぐ。

「ふむ。昨日のあれは霊力とやらではないのか?黒く染まった精霊を元に戻し、アルブレヒトの傷を癒すことは我の魔法でも無理じゃった。賢者の力を借りていたのにじゃ。しかしおぬしはおぬし自身の力のみで精霊も傷も癒した。それはすごいことではないのかのう?」

「破邪の矢は自然の中にある神聖な空気とか力を矢に注ぎ込んでいるので、自分の中にある霊力とは違うんです。それに昨日のは、きっとたまたまなんです。破邪の力に傷を癒す効果はないし、そもそも浄化の力がありません。あれは悪いものや力を封じて抑えるだけのものなんです。昨日の精霊がどうして浄化されたのか、アルブレヒトの傷がどうして治ったのか、私にはわかりません」

「そうなのか。それなら賢者にとってこの世界に来たことは何か特別な意味があるのかもしれんの。たとえ仕組まれたことであっても、元の世界とは違うことが起きておる、おそらくそれもいい方に。ならばそんな暗い顔をせんと前を向いておれ。ここはおぬしを歓迎するのじゃから。異端者であったのは元の世界での話、ここでは関係のないことじゃ。すぐには難しいかもしれんがあまり気にするでない」

 ルイはなんでもないことのように言った。私を歓迎する、異端者だとしても関係ない、と。

 確かにルイの言う通りかもしれない。ここは私がいた場所とは違う世界。私を縛っていた家もしがらみもここにはない。それに、私のことをちゃんと見て、歓迎してくれる人たちがいる。

 それならば私はいつまでもうじうじとしていないで前を向いた方がいいのではないだろうか。自分が思うままに動いてもいいのではないだろうか。

 そう思えば、私は自然と口角が上がっていた。

「ありがとうございます、ルイ。嬉しいです。これから、よろしくお願いしますね」

 ルイは優しく微笑んだ。その柔らかい雰囲気のまま魔法舎案内を続けるべく、私たちは書庫をでた。

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