第二話 私が賢者??

 御神楽みかぐらの屋敷の敷地内にある弓道場からの帰り、空にはとても大きな満月が輝いていた。月光に照らされた池や木々がとても神秘的で、まるで異世界に来たような感覚だ。

 風が葉を揺らし、池に波紋を広げる。そんな小さな音の中にいることがとても好きだ。静かに、厳かに、けれど安らかに生きている自然の声が聞こえてくるような気がするから。



 引き戸になっている屋敷の玄関をくぐり、できるだけ音が出ないように静かに閉める。そこまではよかった。

 だが、閉め切ったと同時に違和感を覚えた。

「玄関、こんなだっけ?」

 見知った靴箱や花瓶などはなく、しかもなんだか広い空間が広がっていた。振り返れば通って来たはずの戸はなく、少し離れた場所に豪華な扉がある。

 まったく知らないこの場所は、いったいどこなのだろう。

「ヒスイ、ヒスイ出てきて」

 私がネックレスに触れながら声に出すと、かすかな光と共にネックレスが人の形へと変わる。

「瑠奈、さっき何か変な気配と懐かしい気配がしたが。……ここは?」

「わからない。玄関をくぐったらいつの間にかここにいたの」

 私たちは二人そろって首をかしげて少しの間あたりを見渡していた。

 するとどこからか声が聞こえてきて、目の前に白銀の髪を持った男性が立っていた。

「やっとお会いできましたね、瑠奈様。いえ、太陽の賢者様」

 突然の出来事だったがヒスイはすぐに反応して相手に攻撃を仕掛けた。しかしそれは当たることなく、ヒスイの拳は白銀の彼の体をすり抜けた。どうやら思念体か何かで実体はないようだ。

「……あなた、誰ですか?なぜ私の名前を」

「私のことは今はよいのです。いずれ直接お会いできるのだから。それにしても、……ふむ。ヒスイさんは少々荒っぽいのですね。矯正しなくては」

 いずれ会うだとか、ヒスイを矯正だとか、意味の分からないことを言う彼に私は戸惑うばかりだ。

 ヒスイも触れることができないことに少しの動揺が見られる。

「まあ、それは追々ですね。そんなことよりも、瑠奈様。私はずっとあなたを待っていました。ようやく我らの悲願を叶えるときなのです。今はまだ力を蓄えている最中ですので叶いませんが、近いうちにお迎えに上がります。どうかそのときは身構えるのではなく、月の使者を迎えてください。そうすれば瑠輝様もお喜びになる」

 彼が瑠輝の名を口に出してにやりと笑う。どうしてその名を知っているのか。私は驚きと困惑で目を見開いた。ヒスイも同様だ。

「ど、どうして……。どうして、あなたが兄の名前を!?瑠輝がどこにいるのか知っているんですか!?」

 つい大きな声を出してしまったが、今はそんなことを気にしていられない。広間に私の声が広がり、溶け込んだ頃、彼はとても不思議そうな顔で答えた。

「おやおや、そこまで驚くことでしたか?簡単なことですよ。それは私が瑠輝様をこの世界にお呼びし、現在進行形で月の賢者として月にいらっしゃるからです。本当は瑠輝様とご一緒に瑠奈様もお連れしたかったのですが、当時の月の魔力では瑠輝様一人が限界でしてね。なので今、瑠奈様をこちらに来るよう仕向けたのです。太陽の賢者として」

 瑠輝を、こちらの世界にお呼びした?月の魔力やら賢者やら意味の分からないことしかないが私の頭の中には彼が瑠輝を連れて行ったという事実が反芻している。

 一年前の誕生日の日、瑠輝が突然消えたのは彼のせいだということだろうか。

 どうして?なんのためにそんなことをする必要が?

 いくら考えても答えなんて出る訳がない。

「貴様が、瑠輝を連れて行ったのか!どうして!?なぜそんなことをした!?今すぐ瑠輝を返せ!!」

 何も言えずにいた私はそんなヒスイの叫びで我に返った。そうだ、考えているのではなく、今は瑠輝を返してもらわなければ。

 けれど、ヒスイの叫びも虚しく、白銀の彼に一蹴されてしまった。

「返す?何を言いますか、そんなことできる訳がないでしょう。そもそも瑠輝様自身が月で、果てはこの世界で暮らすことを望んでいるのです。それに、あなた方もいずれ月にお連れすると言ったでしょう?待っていれば瑠輝様にお会いできるのですから、そう怒らないでください。……おや、もう時間ですね。では瑠奈様、しばしの間は太陽の賢者としてお勤めください。そちらの扉の先にあなたを待っている人がいますよ」

 そう言って彼の体にノイズがはしり、少しずつ消えていく。

「待って!せめて私の質問に答えて!あなたは誰!?瑠輝は無事なんですか!?」

 その叫びに彼はふっと微笑をこぼし、頭に響く声で告げた。

「ええ、瑠輝様はお元気ですよ。それと、私の名はカエルム。あなたたち双子の従者となる者です」

 そうして彼の姿は見えなくなった。

 カエルム。その名を聞いて昔読んだ御伽噺を思い出した。

 そんな名前の人が自分の主人と力を合わせて月と地上を繋ごうとする物語。その人は自分の名前の意味をとても気に入っていた。月に住む自分に、地上を導き支配するのにふさわしいと。

「意味は、天空……だったかな」

 そんなつぶやきも広間に溶けて消えていった。

 立ち尽くしたまま幾分か経ってから私たちは扉に目を向けた。

 いつまでもここにいたって仕方がないし、カエルムも扉の先に私を待っている人がいると言っていた。

 彼の言葉を信じる訳ではないが、動かないことには何も始まらない。

 だから私はそっとそれを押し開く。




 扉を開けると何やら鎧で武装した兵隊らしき人がたくさんいた。その中心にはスーツを纏った二十代前半くらいの男性が二人。一人は眼鏡をかけて、とてもにこやかで、もう一人はどこかそわそわした様子だ。二人とも顔立ちが整っており、イケメンと呼ばれる部類の人だろう。

「賢者様だ!皆の者、異界の賢者様の召喚に成功したぞ!」

「賢者様!賢者様ばんざい!」

「ばんざーい!ばんざーい!」

 鎧を纏った人が大勢いるこの場所は広間のような場所だった。どこかのホテルのロビーのように見えなくもないが、それにしては受付がないしソファもないし、どこかへと続く扉は私たちがくぐったものよりも小さく質素な扉が一つあるだけ。

 すると、大勢の内の一人が喜びとは違う戸惑いの声を上げた。

「ん?おい、賢者様は一人のはずだよな?どっちが賢者様だ?」

 その一言を皮切りに、広間に響く声が歓声から不安や戸惑いが入り混じったどよめきに変わった。

 そんな彼らを制止するように、にこやかな笑みを張り付けた男性が一歩前に出た。

「静かに!お初にお目にかかります、わたくしは中央の国の王家に仕える魔法統制管理大臣、リグナと申します。失礼ですが、どちらが賢者様でしょうか?」

 恭しくお辞儀をしたリグナと名乗る大臣はとても柔らかな表情で問いかけてきた。

 そういえばカエルムも私を賢者だと言った。私も、もちろんヒスイも、賢者などというものではないのに。

「俺たちは賢者ではないし、特に俺は人ですらない。おそらくお前たちは誰かと間違えている」

 はっきり凛とした声音でヒスイが答えた。私は返答に困って固まってしまったというのにヒスイは受け答えができている。本当に頼もしい。

 私もこんな風にはっきり言えれば、御神楽でも受け入れてもらえただろうか。私を必要として、私と対等でいてくれただろうか。

 そんな考えが頭の隅によぎり、すぐさま打ち消す。

 こんなことを考えても意味がないのだから。

 何かの間違いだ、人違いだ、そんなことはない。こんな問答がしばらく大臣とヒスイの間で行われたが、しびれを切らしたのか、ずっとにこやかだった大臣が急に口調を変えて大きな声を出した。

「ああ、もう、しつこい!間違いでも人違いでもないわ!お前たちは異界から来たはずだ!こことはまた違う場所から!それに、そこの扉から出てくるのは異界から来た賢者だけなんだ!」

「り、リグナ様、落ち着いてください!それに、こうも言い合いをしている時間はないのでは……」

 ずっと後ろに控えていた男性が大臣を宥める。

 時間がないとはどういうことだろうか。この後何か始まるんだろうか。それにしても、ここはどこなんだろう。

 そんな風にのんきに考えながらあたりを観察する。

 とても繊細に彫られた柱の彫刻。広間を照らす大きなシャンデリア。私が知っているのはキラキラと装飾された派手なものだが、ここのものはそこまで派手ではなく、少し水晶みたいなものがぶら下がっているだけで、円に燭台をつけたような感じだ。それが二段になってロウソクの代わりに半透明な四角い箱が置いてある。ガス灯みたいだ。なんだか昔のヨーロッパにありそうなデザインをしている。

 シャンデリアの向こう側、天井はドーム型でガラス張りになっている。そこから覗いているのはここに来る前にも見た大きく輝く満月。私が見た時よりもさらに大きい、というか近いそれは、明るい月光を広間に降り注いでいる。

 そういえば、瑠輝は月にいるとか言っていたような。あれのことなんだろうか。

 その時、月に重なる人影が二つ現れた。

「え、人?箒に乗って浮いてるとか魔法使いみたい……」

 上を見たまま呟くと宥められていた大臣が反応を示した。どうにも慌てている様子だ。

「魔法使いだと?!もう来たのか。どちらが賢者でもいいからとりあえずこちらに来てもらいたい」

 そう言うや否や、私とヒスイは大勢の武装集団に囲まれ両腕を掴まれた。まるで連行されるかのように。

「え、あの、どこに連れて行く気ですか?私帰りたいんですけど……って、それには触らないで!大事な弓と矢なんです!」

「瑠奈に気やすく触るな!今すぐその腕を離せ!」

 私は静かにその場で踏ん張り、ヒスイは自力で鎧の腕を振り払っていた。

 そうこうしているうちに空に浮かんでいた人影はガラスの天井をすり抜けて広間に入って来た。

「なあラピス、賢者様っぽい人が二人いるように見えるんだが、どっちだと思う?」

「えぇ、どっちだろう。賢者様なら体のどこかに賢者の印が刻まれてるはずだけど、見えないね。早く賢者様を連れて行かないと、アルが危ないのに……」

 ゆったりとした風を起こして降りてきたおかげで彼らの顔がはっきり見える。二人とも顔立ちがとても整っている。

 背が高く精悍だがどこか気品のある青年と、恰好いいというよりも美しいが正しい青年。どちらも私と同じくらいか一つ二つ年上くらいだろうか。

 高すぎる顔面偏差値は置いておくとして、さっき彼らは大事なことを言っていたような。賢者の印がどうとか。

 私を掴んでいた鎧の腕をヒスイが取っ払ってくれたおかげで弓矢と諸々の道具は無事だし、囲まれてはいるものの拘束されずに済んでいる。腕やら手やらを確認していると左手の甲に魔法陣のようなものが刻まれていた。これが、賢者の印。なのだろうか。

 自分の手の甲をまじまじと見つめたまま考えていると、それに気づいた男性が声を上げた。大臣を宥めていた人だ。

「ああ!その手の甲の魔法陣!それこそ賢者の印ですよ!あなたはやっぱり賢者様だったんですね!」

 彼はぱっと花が開くように笑顔になり、それが少し可愛らしいと思ってしまった。男性にこんなことを思うなんて失礼だろうか。

「えっと、あなたは?」

「はっ!も、申し遅れました!私は中央の国で書記官を務めさせていただいております、セクレタリスと申します!」

 青ざめたりきりっとしたり、表情がよく変わる人というのが彼の第一印象だ。嘘がつけなさそうだとも思う。

 そんな風に思って油断していると、私に賢者の印があったことを聞きつけた大臣、リグナさんはすっと私の前に出てきて手首をつかんでどこかに行こうとした。

「あなたが賢者様だったんですね。魔法使いどもは置いておいて一緒に来ていただきます。あなたにはこの中央の国のため、ひいては世界のために魔法使いどもをおとなしくさせていただかなくてはなりませんから」

「いやいや、待ってください!何のことか、意味が分からないんですが。魔法使いをおとなしくって何ですか?国とか世界とか、そんな大きなことに巻き込まれても困ります」

「詳しいことを説明している暇はありません。賢者様は我々の指示に従って、ご自身の役割をこなせばいいのです」

 おとなしく言うことを聞けということだろうか。こんなどこかもわからない場所で、知らない人の言うことを。そんなの不安しかない。しかも御神楽の家よりも扱いがひどい。御神楽は私を必要としないし関心を持っていなかったけれど外出すること以外は私の好きなようにやらせてくれた。自分で決めることができた。

 しかし彼らはどうだろう。私が必要と言いつつも彼らは抑えつけているだけ。一方的に従えなんて言われても素直に頷くなんてできない。そんな考えから私は戸惑い、腕を引かれてもほんの少し抵抗をした。

 ヒスイも同じなのか、敵意をむき出しにしている。

「お、あの腕を引かれているのが賢者様じゃないか?」

「そうかも。どこかに連れて行こうとしてるね。やっぱりルイ様が言った通り、中央の国が賢者様を秘匿しようとしているのかな」

「どうせ俺たちを制御するためとか言い出すんだろ。そんなことしなくても月守とはちゃんと戦ってるってのに」

 会話の内容はよくわからない。けれど彼らはどこか呆れたような、悲しんでいるような、そんな表情をしていた。

 じっと彼らを見ていると、美しい青年と目が合った。

「っ!賢者様!俺たちと一緒に来てもらえませんか!俺たちにはあなたが必要なんです!大切な仲間が死にそうなんです!どうか、どうか助けてください!」

 今にも泣きだしそうな顔で懇願にも似た叫びが広間に響く。

「賢者様、頼む。俺たちの仲間は月守との戦いでたくさん傷ついた。半分近くの仲間を失ってしまった。これ以上仲間を失いたくはない。どうか、俺たちと一緒に来てくれないか?」

 精悍な彼は真っ直ぐ私の目を見て話をしてくれた。おそらく性格も真っ直ぐなんだろう。真摯に向き合ってくれているとちゃんとわかる。

 そんな小さなことだけで嬉しくなってしまう。

「グレイ、魔法騎士団の団長だからといって大臣である私に逆らうことは出来ないだろう。賢者様は我々の管理のもと丁重に扱う。お前はおとなしく城の警備でもしていろ」

「丁重だろうが何だろうが管理って言ってる時点で信用できない。そもそも賢者様は魔法舎に来ていただくことになっているだろう。どうして魔法統制管理省が出てくるんだ?」

「うるさい!お前には関係のない話だ。賢者様、やつらは放っておいて行きましょう」

「おい!いい加減瑠奈から手を離せ!」

 何やらごちゃごちゃとしてきた。ヒスイが強引にリグナさんの手を払い、私を背にかばってくれた。だが相変わらず周りには大勢の武装した人、それに加えて魔法使いらしき人までいる。この状況をどうすれば切り抜けられるのか、私は答えを見つけられないで戸惑うことしかできない。誰の手も取れずに胸の前で硬く手を握りしめた。

 すると後ろから控えめな声が聞こえて来た。

「あの、賢者様。急に連れてこられて不安だと思います。俺たちのことも、信用できないと思います。でも、これだけは信じてください。俺たちは賢者様に危害を加えるつもりはありません。むしろ俺たちは賢者様を守りたいんです。それに、賢者様の力が必要なのも事実です。なので今だけは、俺たちに力を貸してもらえませんか?」

「ラピスの言う通りだ。突然連れて来られて一緒に来てほしいというのは俺たちのわがままだから、無理強いはできない。あんたが自分でどうしたいか決めてくれ。だが、一緒に来てくれるのなら、俺は騎士としてあんたを守ると誓う。俺が示せるだけの勇気と誠意を見せ、この身で返せるだけの感謝と礼を示そう。目に見える形ではないが、この気持ちと言葉に偽りはない。どうか、頼む。俺たちを信じて、力を貸してくれないか?」

 魔法使いの二人は真摯に私と向き合ってくれた。真っ直ぐな言葉で、従えではなく、わがままだと、力を貸してほしいと。

 私の心を動かすのはそんな真っ直ぐな態度と言葉で十分だった。

「……わかりました。私、皆さんと一緒に行きます」

「なっ!賢者様、魔法使いの言葉に耳を貸してはいけません!彼らは平気で嘘をつくし、傲慢で自分勝手だ。そんな奴らの言うことを聞いてはなりません!」

 嘘をつくのも、傲慢で自分勝手なのも、魔法使いに限ったことではないはずだ。人間だって、嘘をつく。人間だって、自分勝手な生き物だ。それを私はよく知っている。

 大臣の言葉に少しの怒りを覚え、言い返そうとすると、横からあの美しい青年が明らかな嫌悪を込めて言葉を吐いた。

「俺たちは嘘をつかない。傲慢で自分勝手なのもそっちだろう。賢者様を手玉に取ろうとしたり、俺たちが嘘つきだと決めつけたり、それを自分勝手と言わなければなんだというんだ。賢者様の気持ちを無視して下に見て、管理しようだなんて傲慢だと思わないのか?それが自分勝手なことだと気づかないのか?」

 私が言いたかったことを全部言ってくれたおかげですっきりできた。ヒスイも同じだったようで、少し怒りが治まったような表情だ。

「我々の行いは世界を守るためのもの!自分勝手とは全く違う!民を守るために賢者様には我々のもとに来ていただかなくてはならないんだ!」

「その世界を守るために戦っているのは俺たち魔法使いだ。リグナ、あんたたちは何か自分たちで戦ったのか?」

 それを聞いて大臣は口をつぐんだ。痛いところを突かれたようだ。

「さあ、賢者様、早く魔法舎へ行きましょう。俺の箒の後ろに乗ってくれ」

「さ、させるか!者ども!奴らを捉えろ!」

 大臣の号令をきっかけに、周りにいた武装集団が一斉に向かってくる。

 さすがにこれはまずいと思った時、なんとも信じられない光景が目に飛び込んできた。

「ラクス・リヴェラータム」

 美しい青年がいつの間にか杖を持っており、それを少しかざして不思議な言葉を発した。そうすると飛びかかって来た鎧たちも、大臣たちも、みんな固まってしまった。これが魔法だろうか。

「すごいですね。………って、だ、大丈夫ですか?!」

「だい、じょうぶです、急いで魔法舎に帰らないと、アルが…」

 彼は顔色がとても悪く、膝をついてしまっていた。よく見るともうひとりの彼も辛そうだ。

「この魔法も、長くは持ちません。急ぎましょう」

「わかりました。ヒスイ、戻って!」

 そう声に出すとヒスイはネックレスとなり私の首元に戻った。

「え?賢者様、魔法が使えるのか?」

「いや、これは魔法ではなくてですね……」

 そう言おうとしたとき、固まっていた人たちがピクピクし始めた。どうやら魔法が解けるようだ。

 一斉に人が動き出すと同時に私たちは空中に飛び上がった。

 本当に箒が空を飛んでいる。この先味わえない、人生最大の不思議体験だろう。

 彼らは来た時と同じようにガラスをすり抜け外に出る。

 下からはなにやら叫び声が聞こえるが、私が選んだのは魔法使いたちだ。大臣たちには悪いが、もしかしたらまた会うかもしれないし、その時は謝ろう。

 そう思って外の景色を見た瞬間、私は固まってしまった。さらに続けて大声まで出してしまった。

「な、なな、何ですかここは?!え、どこ?!テーマパーク?!日本にこんな場所あったっけ?!」

「うおっ、びっくりしたー。急に大声を出さないでくれ、心臓に悪い。あ、いや、出さないでください」

「す、すみません……。私の知っている場所ではなかったのでつい……」

 そう。箒の下に広がる街並みも、遠くに見える景色も、すべて見たことのないものだった。日本のすべてを知っているわけではないが、ここは明らかに違う。

 今や日本だけでなく世界中にビルやらタワーやらの高層建造物があるというのに、ここにはそういったものが少ない。高い建物はお城と塔がひとつずつ。他の家々はおそらく二階建てないし三階建て程度だろう。

「あの、ここはどこなんですか?」

「ここは賢者様が暮らしていた世界とは違う世界です。今いるこの場所は中央の国の都ステラリアです。この世界は東西南北中央の五か国で成り立っているんですよ」

 違う世界。なぜ玄関からこんなところに繋がっているのかがわからない。いたって普通の玄関だったのに。これが白銀の彼、カエルムの仕業なのだろうか。私がここに来るように仕向けたと言っていた。

「あの、帰る方法はないんですか?」

 魔法使いの二人は申し訳なさそうに表情を崩してしまった。

「俺たちは知らない。前の賢者様を帰すために俺の主君でもある中央の王子がいろいろと調べてくれているんだが、今のところは見つかっていないらしい。力になってやれず、すまない。あ、すみません」

 私を箒に乗せてくれている彼はさっきも言い直していた。敬語が苦手なんだろうか。

 とにかく、何かを掴む手掛かりになるのならその王子様に会ってみたい。それに、前の賢者という人にも。

「その王子様と会うことは出来ますか?」

「俺が取り持てば大丈夫だが、たぶん殿下は今、月守との戦いの件でお忙しいと思います。だから少し落ち着くまで待っていてくれませんか?」

「……わかりました。無理を言ってしまってすみません」

 月守との戦い。それは広間でも口にしていた言葉だった。

 いったいこの世界で何が起こっているのか。私はとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないか。本当に帰ることができるのだろうか。瑠輝とも会えるのだろうか。

 そんないくつもの不安を胸に募らせていった。

 視線を上空に逃がせば今にも落ちてきそうなほど大きな月が私たちを照らしている。

 いろんなことがありすぎて気づかなかったが、月光によってきらめいている小さな花がそこら中に漂っていた。

「このキラキラしているものは何ですか?」

「これは星花ほしはなの欠片ですね。気象状況が合わないと見れないものなのでとても貴重なんです。賢者様、そっと触ってみてください」

 美しい青年に言われた通り、指先でほんの少し触れてみる。すると花が小さくはじけるように光の粒子があたりに散らばった。きらきらと輝きながら私たちの周りを囲むように。

 まるで遊園地のイルミネーションみたいで、不安に沈んでいた私の心が浮上してくる。

「初めて笑ったな、賢者様」

「え?」

「不安なことばかりで気も滅入るかもしれない。だが、賢者様は俺たち魔法使いを導く人だ。少しでもあんたの気持ちが晴れるよう、俺たちにできることは全力でやりたい。だからどうか、誰かを頼りたくなったら俺たちを頼ってくれ」

 真っ直ぐな彼はこちらを振り向いて、穏やかな声と表情で伝えてくれる。本当に真っ直ぐに言葉をかけてくれる。だからこそ、不安なこの場所で、ほんの少し心が軽くなるのだろう。

「賢者様、魔法舎が見えてきました!」

 私を乗せた箒の前を先導する美しい青年が前方に見えて来た大きな館を指さした。

 貴族が住んでいそうな立派なたたずまいの洋館だ。

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