賢者と魔法使い
星海ちあき
第一部
第一章 スーパームーンは突然に
第一話 祓い屋の異端者
私はこの家に居場所がない。
私だけが違うから。
我が家は
御神楽の者は式神を使役することに長けており、難易度の高い術も軽々とこなせてしまうほどの霊力を持つ者が多く生まれる。炎能寺と水月はその名の通り、炎を扱う術、水を扱う術に秀でている。しかし、強い霊力を持つ者は稀にしか生まれないため、御神楽のサポートが主だ。
私もいっそのこと分家のどちらかに生まれたかった。霊力がほんの少ししかない私にとって、御神楽の家は肉食動物の巣窟のようなところだ。
式神使いの家に生まれたくせに一人で使役することはおろか、簡単な術も使えない。ただ、穢れを退ける
おかげで私は周りに守られるしかできないお荷物だ。怨霊などから自衛ができない私は一人で外を歩いてはいけないため、外出の際は必ず護衛がつく。こっそり家を抜け出したこともあるが、その結果怨霊に遭遇して殺されかけたことがある。だからなおさら家から出ることが難しくなった。
普通なら襲われることなんて滅多にないことだが、私は目がいいというだけでその率が上がっている。
通常、怨霊なら黒い靄が浮いているような感じ、悪妖なら妖怪の周りに黒い瘴気がまとわりついているように、どちらもぼやけて見えるはず。しかし私には違った風に見える。怨霊も悪妖もはっきりとその姿を見ることができる。男か女か、子供か大人か、どんな服を着て、どんな表情をして、どんな感情を抱えているのか。そんなことまで見えてしまうし、感じ取ってしまう。そのため彼らと目が合いやすく、意思が流れ込んできやすい。だから狙われてしまうのだ。
一人でも祓うことができれば問題ないが、私にその力はない。少しでも自衛に役立つならと破邪の矢を極めるために毎日弓を引いているが、完全に祓えるわけではなく、動きを鈍くする程度の効果しかない。怨霊相手に物理攻撃だって効かない。守るための術すら使えない私は御神楽にとって邪魔だろう。いや、御神楽だけではなく、分家を含めた一族にとっての異端者だ。
そんな私にもただ一人だけ、心から信頼することのできる人がいた。私の双子の兄、
兄はとても強い霊力をもって生まれた。おそらく私の分の霊力も彼にあるのだろう。その代わりなのか、兄には見鬼の才がなかった。見る力を私が、祓う力を兄が、そんな風に周りからは言われてきた。
次期当主ということもあって兄は幼いころから祓い屋の仕事を見学し、時には参加していた。見る力がなくても強大な力をもって怨霊を祓っていた。
そんな兄がとても誇らしかったし、当主となったときは私が彼の目になって支えたいとも思っていた。
それなのに、もういない。
私の心の支えでもあったのに、どこかに消えてしまった。
それが今から一年前、私と瑠輝の十九歳の誕生日のことだ。
○
「っ!」
満月が輝く夜、家の敷地内にある弓道場で私はいつものように弓を引いていた。だが、どうにも集中しきれず的ではなく的をかける安土にばかり矢が刺さる。
「瑠奈、いつも的の中心にあたるのに今日は全部外しているぞ。何かあったのか?」
「ヒスイ。……別に、ちょっと集中できてないだけ。何もないよ」
射位から少し離れたところに座っている左右で色の違う瞳を持った青年が声をかけてきた。彼は私の式神、ヒスイ。小学生のころに瑠輝と一緒に作ったのだ。私は使役することができないけれど、ヒスイは瑠輝の術で作られ私と契約をした、少しイレギュラーな式神。
式神の原動力は術者が込めた霊力であり、彼の場合は瑠輝の霊力が元になっている。だから私でもヒスイを側に置いておけるのだ。
元来、式神というものは人型の紙で作り上げるものだが御神楽の家は違う。扇子、数珠、耳飾りなど、何かしらの『物』から作る。その物に込められた想いや思念と術者の霊力、式神へのイメージ、契約者の血液、これらをもとに作るのだ。
○
小さなころから私は独りだった。誰からも必要とされない、話をしていても私ではなく当主の娘という肩書を見て接してくる。外で遊ぶことは出来ず、家の中でも一人きり。
そんな退屈な毎日を過ごしていた。
縁側に座って夕陽が反射して煌めいている中庭の池を眺めていると、後ろから大好きな声がした。
「瑠奈、ただいま」
「瑠輝!おかえり、今日はどうだった?」
朝から祓い屋の仕事を見学しに出ていた人、私の大好きな人、心から信じている双子の兄。彼はいつものように優しい笑顔で今日の出来事を話してくれた。
「今日は二つ仕事を見て来たんだ。僕には怨霊を見ることは出来ないけど、父さんたちの様子からちょっと手強そうだったかな。それでも、素早く術を組んで、連携を取ってあっという間に祓っていたんだ。僕もあんな風に素早く術を組めるようになりたいって改めて思ったよ!」
「そっか、私も外に出れたら瑠輝の目の代わりになれるのに……。どうして私だけ外に出ちゃダメなんだろう……。私も見学したい」
ずっと心に留めていた疑問や欲望をつい吐露してしまった。そんな言葉を聞いて瑠輝は困ったように眉尻を下げていた。
「な、なーんて!術も使えない私が現場に行ったら邪魔にしかならないし、私はおとなしくここで瑠輝のこと待ってるね!」
「……ねえ瑠奈、瑠奈は今日何してた?」
彼は困ったような顔のままそんなことを聞いてきた。
「いつもと同じだよ。今日も少し弓を引く練習をして、舞のお稽古をして、ご飯食べたり、絵を描いたり、こうやって池を見たり。……いつもと変わらないよ」
「全部、一人?」
なんだか申し訳なさそうな顔をして問いかけてきた。どうしてそんな顔をするのか、そんな顔を見たいわけじゃない。瑠輝の笑顔が見たいのに。
「そうだけど、私は平気だよ?一人の方が気楽だし、自分の好きなことを好きな時にできるもん!」
必死に笑顔を作って大丈夫だということを伝えたかった。何も心配することはないと。
それが伝わったのかは分からないが、瑠輝は一度静かに目を閉じ、再び開けると笑顔を浮かべた。
「そっか。でも、ずっと一人なのも退屈だろう?僕と一緒に式神を作らない?」
「え、でも。確か式神って難しい術を使うんじゃ……」
「大丈夫。父さんにもそろそろ式神が作れるだろうって言われたから。僕はね、最初の式神は瑠奈と一緒に作るって決めてるんだ」
誰も私を見てくれないのに瑠輝だけは違う。私のことを考えてくれる。私のことを想ってくれる。そうして式神を一緒に作ろうと誘ってくれる。
そんな瑠輝が本当に大好きだと思った。
「でも、私は術が使えない……」
「陣はあるし、僕と手をつなぎながらなら瑠奈にも僕の力が流れるはず。あとは式神にする物と血があれば大丈夫だよ」
式神にする物。どんなものがいいんだろう。
「瑠輝は何を式神にするの?」
「僕はこれ」
そうして見せてくれたのは身に着けていたネックレスだった。ティアドロップ型の赤色の石で作られたもので、早くに亡くなった母からもらった大切な物。
瑠輝がそのネックレスにするなら私も同じように母からもらったものにしよう。
「私も決めた!持ってくるから待ってて!」
「僕も部屋から陣を持ってくるよ」
そうして私たちはお互いの部屋へと戻り必要なものを持って集まった。
私が戻ってくるとすでに瑠輝が準備を終えていた。
「瑠奈は何を持ってきたの?」
私は笑顔で持ってきたものを見せた。母からもらった赤い石で作られたブレスレットだ。
瑠輝のネックレスと同じ石、母が私と瑠輝にお揃いの物をプレゼントしてくれたのだ。
私にとって一番大事なもの。
「ねえ瑠輝、お願いがあるんだけど…」
「なに?」
恐る恐る問いかける私に柔らかい声音で聞いてくれた。
「これ、交換しない?その方が瑠輝とずっと一緒にいられる気がするの」
瑠輝は驚いた顔をした後に声を上げて笑った。
「あははっ!まさか瑠奈からそのお願いをされるなんて。実はね、僕も同じことを言おうと思ってたんだ」
「そうなの?」
今度は私が驚く番だった。まさか同じように考えていたなんて。
なんだかくすぐったいけれど、すごく嬉しい。
「…僕はずっと瑠奈のことが気にかかってたんだ。僕らは双子なのに僕ばかり外に出て、瑠奈は家で一人きり。父さんは瑠奈に見向きもしないし、瑠奈に対して陰口を言う人だっている。それがわかっているのに今の僕にはどうすることもできないから、悔しかったんだ。でも、式神を作れれば瑠奈は一人じゃなくなる。その式神を僕が持っているもので作れば、間接的でも瑠奈のそばにいられると思ったんだ」
少し伏し目がちに答えた瑠輝は悔しさをにじませた表情をしていた。
祓い屋の仕事や修行で大変なはずなのに、私のことにまで心を砕いてくれていた。ずっと、考えていてくれていた。そう思うとなんだか泣いてしまいたい気分になったが、瑠輝の前では泣きたくない。瑠輝とは笑顔で笑い合いたい。だから目にぐっと力を入れた。
「ありがとう、いっぱい私のことを考えてくれて。すっごく嬉しい!じゃあ、私もブレスレットにたくさん私の気持ち込める!」
涙の代わりに最高の笑顔を瑠輝に向けた。
机の上に置かれた二つの陣、それぞれの中心にネックレスとブレスレットを置く。陣が描かれた紙に自分の血を付けて姿を強くイメージすれば式神が作れるらしい。
「針持ってきたから指出して。ちょっと痛いかもだけど、我慢してね」
そう言って私の左手人差し指に針を押し当てた。小さな痛みと共にぷくっと血が出てきた。同じように瑠輝も右手人差し指に針を刺し、空いている手をつなぎ、血が出ている指を紙につける。
「物に宿りし我が心、我が意思よ。御神楽の名のもとに顕現せよ」
瑠輝がそう言い終わると陣が光始めた。同時に私はぎゅっと目を瞑って頭に式神をイメージする。
瑠輝みたいに優しく、人を守る。そんな式神にしたい。
イメージの中に何かが入ってくる、そんな不思議な感覚がした。そしてはじけた。
「瑠奈、目を開けてごらん」
優しい声が耳に届き、言われた通りゆっくり目を開けると目の前に私たちに似た男の子と女の子がいた。
「成功だよ。ほら、名前を付けてあげて。そうすれば君に応えてくれるよ」
名前、そういえば何も考えていなかった。
目の前にいる男の子、というか青年はどこか瑠輝に面影が似ている。が、とても印象的な瞳をしている。右目が翡翠色、左目が紅色。どちらも鮮やかな色をしていて目を奪われる。
「……ヒスイ。あなたの名前は、ヒスイ。私と、お友達になってくれる?」
私が名前を呼ぶと二色の瞳に光が宿った感じがした。ゆったりと瞬きをして私を真っ直ぐに見つめて笑ってくれた。
「……瑠奈、もちろんだ。これからは俺が側にいるから、安心してくれ」
彼には私と瑠輝の気持ちがこもっている。だからなのか全てを見透かされているような気がしてしまう。だが彼に側にいると言われると、とても心強く、何があっても大丈夫な気にもなる。
「君は綺麗な瑠璃色の瞳を持っているからルリだ」
ルリと呼ばれた瑠輝の式神はなんとなく雰囲気が私に似ている。瑠璃色の瞳とは対照的な薄紅がかった赤茶色の髪が朝陽みたいで綺麗だと思った。
彼女はふんわり笑ってよろしくと会釈をした。
「僕は父さんに式神のことを報告してくるけど、瑠奈はどうする?一緒に来る?」
あまり父と話したことがない私を気遣って選択肢をくれたのだろう。
私にあまり関心のない父と対峙するのは少し怖いが、今はそれよりもヒスイのことを紹介したい。私の初めての友達を自慢したい。
「行く!」
浮足立つ心のまま、私は瑠輝と一緒に父のもとへ向かった。
○
「………っ、……な、おい、瑠奈!」
「わっ」
いつの間にかすぐそばまでヒスイが近づいていた。しばらく過去の思い出に浸ってしまっていたらしい。
「集中できないのなら今日はもう部屋に戻って休もう。俺は的と矢を外してくるから、瑠奈は弓の手入れと片付けをしておいて」
「うん、ありがと」
ヒスイは作った当時のままだが、人間は成長する。瑠輝も私も、ヒスイとはそう歳が変わらないくらいになった。雰囲気や顔立ちが近いため、兄弟だと言われても疑われないほど、本当に似ているから彼の顔を見ているとついつい瑠輝のことを思い出してしまう。
いったいどこに行ってしまったのか、本当に突然いなくなってしまった。
一年前の十九歳の誕生日、子供のころのように縁側で話していて、瑠輝が飲み物を取りに行ったきり戻ってこなかったのだ。
御神楽の屋敷中を探したし、お手伝いの人にも父の下で働いている祓い屋の人にも分家の人たちにも、思いつく限りの人たちに聞いてもみんな口をそろえて知らないと言う。
跡取りがいなくなったのだから当然大騒ぎだ。警察にも届け出たが何の手掛かりもなく一年が過ぎて今に至る。瑠輝がいなければ跡取りの話は私に回ってくる。だが私には祓う力がないため周りからの風当たりが強い。それに、私が生まれてすぐあとに珍しく分家の炎能寺に瑠輝ほどではないが霊力の高い子が生まれた。彼を本家の養子にという話も出ていたが、父が反対したために養子の話は白紙になった。養子に迎えるくらいなら私が当主となり炎能寺に生まれたその子を婿入りさせるほうがましだ、と言ったらしい。おかげで私には許嫁ができてしまった。自由恋愛がほとんどの現代で許嫁なんて、時代錯誤にもほどがある。
私が当主でいいのか。私の代で御神楽の家が、一族が衰退してしまうのではないか。そんな風にささやかれている。
私だって好きで跡取りになっているのではない。本当は瑠輝が当主になって、私はただ瑠輝を支えたかった。それだけだったのに。
それに加えて最近はヒスイの存在も否定され始めている。おそらく瑠輝と容姿が似ているからだろう。なぜ瑠輝が消えてヒスイがいるのか。逆ならよかったのに。そんなことを言う人が出てきたのだ。
だからヒスイは普段ネックレスの中にいる。私と二人きりの時だけ出てくるようになったのだ。
「瑠輝、どこに行ったの……」
そっと言葉をこぼすと後ろから声がした。
「瑠奈、片付け終わったか?」
「うん、あと仕舞うだけ」
手早く道具をしまってヒスイと共に道場を出る。
外に出ると夜だというのにいやに明るかった。光につられて上を見るととても大きな満月が輝いている。
「あんな大きな月、初めて見た」
「スーパームーンというやつだろう。俺はネックレスに戻る」
それだけ言ってヒスイは赤いネックレスとなって私の首元を鮮やかに彩った。
スーパームーンにしてはなんだか大きすぎるような気がする。これほど大きいと今にも月が落ちてきてしまいそうだ。
「ありえないか」
私は前を見据えて屋敷へと戻った。
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