密偵
三人はランタンを片手に、昼でも暗いダンパの森に立ち入る。
ダンパの森は深い針葉樹林だ。王都からも村落からも離れているので、昔から人が近づくことはなかった。狩人が獲物を探しに入ることもなかったので、ほとんど未開の地と言って良い。
森に入ってすぐの浅い場所では、やる気のなさそうなハンターたちが何組かたむろしている。参加賞の銀貨が目当てなのだろう。銀貨さえもらえれば良いので、危険を冒す必要はないと考えているのだ。
しかし、マーシャルもイヴォーナも知っている。ケチな役人どもが、何の成果も上げられなかった者たちにまで、気前よく銀貨を配るわけがないと。
エーリックが地図を描き、マーシャルとイヴォーナは獣の痕跡を探す。
魔獣も元は動物だ。どんなに狂暴になっていても、変わらない性質がある。例えばオオカミなら集団で行動するし、クマなら木にマーキングをする。魔獣は野生の動物よりも力が強く、好戦的なために、周辺の野生動物を駆逐してしまう。だから原種と誤認する心配はしなくてもいい。
マーシャルは辺りを見回しながら言った。
「獣道が多いな。それに毛があちこちに落ちている。結構な数のオオカミ型が潜伏しているぞ」
それにイヴォーナが相槌を打つ。
「昼間で良かったよ。夜だったらと思うと、ぞっとする」
悪魔や魔獣は太陽を嫌い、夜間に行動する。その性質がなければ、ノルダン王国はとっくに悪魔の軍勢に攻め落とされていた。
二人の話を聞きながら、エーリックは地図に挿し絵を描きこんだ。学のない彼が字を書きこもうとすると、耳で聞いた音をそのまま書くことになるから、誤字だらけになってしまう。絵なら字が読めなくても関係ない。
三人は森の奥へと進む。途中でマーシャルはエーリックが描いている地図を見た。
「なかなか描けてるじゃないか」
「まあ、このぐらいは」
素直に褒められて悪い気はしないエーリックは、照れ臭くなって下を向く。
「よく方角がわかるな」
「こういうのは坑道の地図で慣れてるから」
「絶対に地図を手放すなよ。金貨はお前にかかってるんだ」
「ああ」
エーリックの肩をポンと叩いて視線を上げたマーシャルは、前方に数人の人影を発見した。すぐにイヴォーナとエーリックも人影に気づいて警戒する。
この場にはハンターしかいないはずだが、仮に相手が同業者だとしても仲間とは限らない。協調することもあるのだが、獲物や縄張りを巡って敵対することも多い。
まずマーシャルが先を歩いて、人影の正体を見極めにかかった。
「なんだ、ツェザールじゃないか」
「なんだとはごあいさつだな、マーシャル」
二人は親しい様子だが、どちらの連れ合いも困惑している。
そこでツェザールとマーシャルは同時に、お互いの連れ合いに相手を紹介した。
「あいつはノルダンの南の国、ボーレス公国の密偵だ」
「密偵!?」
エーリックもイヴォーナも驚いて声を上げる。マーシャルは両手で宙を押さえつけるようなジェスチャーをして、二人に静かにするように伝えた。
「そんなに驚くことでもないだろう。ノルダンは悪魔の進軍を止めるという名目で、周辺国から支援を受けている。それなのに反攻に転じるでもなく、何年も時間を浪費しているんだ。怠惰を疑われてもしょうがない」
「怠惰?」
「支援をタダ食いしてるんじゃないかってことさ」
「ああ」
エーリックはすんなり納得した。国の動きが鈍いのは、全然本気じゃないからだと理解したのだ。ハンターを安い金で戦わせて、外国からの莫大な支援金や物資を懐に貯めこんでいる。
心の中で憤慨するエーリックに、マーシャルは忠告した。
「怖い顔をしてどうした? まだそうと決まったわけじゃない」
「でも……!」
「こんなところで怒っても、どうにもならない。目の前の現実だけを見ろ。ここは魔獣どものねぐらだぞ」
正論にやりこめられて、エーリックは口を閉ざす。ダンパの森は言わば敵陣、死地なのだ。余計な考えは心に隙を生むだけの敵。マーシャルはいつも正しい。
お互いに相手の紹介をすませると、ツェザールとマーシャルは再び話をはじめる。
「他国の密偵なんて、もっと嫌われると思っていたが」
「世の中には尊敬できる王と、尊敬できない王がいる。それだけのことさ」
「だが、悪魔の脅威は本物だと言うんだろう?」
「そうだ。油断するなよ」
「そこまで言うなら、ともに行動しないか?」
ツェザールの誘いが意外だったので、マーシャルは少し考えこんだ。戦力は多い方がいい。それは事実だが、相手は密偵だ。信用しすぎるのもどうかと思う。あるいは試されているのか……。
「まあ、それならお言葉に甘えようか」
思案の末にマーシャルはツェザールの申し出を受け入れた。
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