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好みで読む順をお決め頂けます▽最後に何を持って来るかで後読感が変わります。
退廃的で草も生えぬコメディ
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時計の針は動き出した。簡単で、単調な、質問への回答が終わった。
誘惑の蛇は変わらぬ調子で尻尾をぶらぶらとさせている。その眼には、人間への好奇心が燃えているのが、ありありと映っていた。
「いやあ、何万年と昔の事だろう。いかんせん人間は繁栄しすぎたし、それは知恵を授けた私の功績でもある。それはそう。私は知恵の木の実を、その高等で器用な二本の手に押し付けてやったんだから。
思えば、頭にクソがつくほど、この永い永い時の中で、私はどんなに人間に失望させられたか知れない。君らは戦争と言う局面に、ここぞとばかりに生き生きと文明を興隆させすぎだ。平生はちっとも協調性がないくせに、壊す際には一致団結して繁栄の高みに挑みすぎる。思い切りよくやり過ぎだって話だよ。
ただ単に、知を巡る競い合いのみならず、暴力的に攻撃し、同じ種族同士でありながら、よくもまあ、ひどく
…それで、機関銃や戦闘機なんて作るかよ。
まあ、蛇も、毒を以って毒を制するところはあるのだから、決して無関連とはいえないな。君たちは蛇に似たんじゃないか。いやぁ醜い。要所要所で失望せざるをえないのは、拭いざる同族嫌悪の感もあるのかもしれません。どうしようもないことです。
でもねえ、面白くもあるんですよ。君たちが知恵をどんな風に使うのか、私はそれを離れた高見席で、じっと見物しているのが面白いのさ。与えられた知恵を善いことに使おうとするか、悪いことに使おうとするか。じゃあ善い思いを企てながらでも、結果では害を生んではいまいか。その逆はどうか。過程で別の悲しみを生み出してはいないか。そのドラマが、その悲喜こもごもが、私には面白く感じられるんだよねぇ。それだけが救いです。」
蛇は口の隙間の小さな小さな穴ぼこから、ちらちらと舌を動かしてみせた。それは官能的所産と呼ぶよりも、風に揺れる花のような、かえって可愛らしいものであった。
もうおろおろしていた小動物はいない。爛々と燃える目が、挑発的に人間を炙っている。一仕事を終えた親父が、銭湯へ向かうように喋っている。
一連の話を、インタビュアーは複雑そうな顔をして聞いていた。が、軽やかに椅子から立ち上がり、「ご貴重な話をありがとうございました!」と叫んでいた。助手もはっとして急いで立ち上がり、ならって一礼をした。腕時計を見ると、もういい時間になっていた。時間物語は、終幕の兆しを見せた。
「退屈なんか、したことないさ。人の心の奥に、希望は常に座っているんだから。きっと、神様だってそう思っているはずだぜ?
…ま、何万年と、昔の話に過ぎませんがね。」
いやあ、いやあ。蛇も帰るために椅子からするりと抜けた。ギャラはうずら三羽。現代人にはタダも同然な、殊勝な見返りのはずだったが、スーパーには売っていないので牧場に発注し、クール便で受領する手間がかかった。
フロント係に鍵を返すと、背後にいたはずの蛇は忽然と姿を消していた。足音なんて残すはずもない。外へ出て辺りを見回したが、どうやら本当にどこにもいないらしかった。アスファルトの上を鉄の馬が走り、淡いトレンチコートを着たOLが踵の硬い靴を鳴らしている。
この街も都会になった。記者たちの若い頃、ユダヤ人を冷やかすために訪れたかつては、かろうじて桑畑があったものだが、自然の木なんてものはとうに期待できない。街路樹は風に揺れているが、エンジン音が飛び交う道路の、取り残された孤島に、人の手で植えられているくらいである。
風は夕方を前にしたソレだ。ほんのりと涼しい風が街を吹き抜けて、雑居ビルとビルの間に、僅かに空いた空に逃げて行ってしまった。日焼けしたオーニングテントがはためき、大賑わいの昼飯時を終えてせいせいした顔をして、カフェの屋根であることを誇っている。
「随分と長い愚痴に付き合わされたものですね。」
「ああ、そりゃあ覚悟しておくべきだったさ。老人のくっちゃべりは長いんだよ。助手君も、田舎のじいさんやばあさんの長いおしゃべりに付き合わされたことあるだろ。あれより長く生きているんだぜ。言葉通り化石だよ。」
「…はっはあ、そうかもしれません。」
助手はレコーダーをいじりながら答えた。別ハードにも転送保存されていることを確認し終え、手際よく鞄に手を伸ばす。
スケジュール帳をペラペラめくると、付箋のけばけばしい色使いに埋め尽くされたページがうだる。よくもまあ、無意味に主張してくるものだ。
「どんなに熱々のパイだろうと、食べる頃には、はたまた化石の出来上がりだぜ。ジーザスへの上奏文でも十回は読めるよ。知らないかそんな
「フィラデルフィアです。」
「……おお、そいつはとんだ田舎だ。気の毒に。」
赤ネクタイは困ったように方眉を上げてみせたが、話を振っておきながら、興味はさしてないらしい。自動ドアをくぐる前から、既に取り出していたラッキーストライクを咥えた。白い箱を引っ込めると、入れ替わりに安い黄色のライターが出てくる。
「今日の昼はアップルパイでも食べたほうがいいんじゃないかい?」
「まあ、それはそれとして。」
パタン、とスケジュール帳は伏せられる。
「…こんなことを伝えるために、あの“誘惑の蛇”が我々の取材を受けたのでしょうか。酔狂なものですね。」
「それはもちろん、おかしな話だ。暇にもほどがある。…だが、良かったよ。」
風から小さな火を守り、煙草の香りを嗜む。乾燥させ、干からびさせた草の一息。一発目の煙を、町の片隅に捨てながら、アダムとイブの子孫は素っ頓狂に言った。
「因縁知らず。喧嘩にもならず、問題なく、ただ終わったんだからね。」
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