第28話 ※仮で投稿します



 純恋樹咲は頬を弛ませて歩いている。彼女は身長が低く小柄な為、歩幅が小さい。白鷺の後を付けている時も、何度か小走りになっているのを見た。その様子は小動物みたいで非常に可愛らしいが、過去の重圧を一身に受けても歩き続ける強い身体をしている。


「さ、誘ってくれて、有難う」


 瞬きの度に視線が変わっている。引け目から来る自信の無さは、そうそう直るものでは無い。


「まぁなんだ、今回は放って置けなかっただけで、根本的には助けてはやれないって言うか……」


「ふふっ、素直じゃないね。救われては駄目だから、一生罪は償って行くつもり……」


「そっか……強いね、純恋さんは」


 彼女を弱者だと思っていた。だから、自己満足な善意を振り翳した。でも、今はそんな事は思わない。


「あ、あのぉ……椿ちゃん以外に好きな人が、い、いるの!? 誰!?」


「え? あー、俺も良く分からないんだ」


「そ、そうなんだ」


「好きってさ。何だと思う?」


 純恋は驚いて、そして考え込む。日の光は彼女の顔を染めている。


「あ、相手にどれだけ自分をあげれるか……とか?」


 自分をあげる。全てと答えれば、命を差し出すという事。つまり、命と引き換えにしても、相手を守れるかという事。


「純恋さんは、そういう人居るの?」


 丁度俺の影と重なった彼女は、それでも尚頬を赤らめていた。


「め、めい……めいなら……」


「白鷺さん!? それは友達としてだよね?」


 大きく首を振る。そして、はっきりと言い切った。


「結婚したい!」


「え!?」


 いや、ここで驚くのは失礼に当たるかも知れない。そういう人種が居る事は、何度も学校で習った筈じゃないか。


「あ、ちっ違うよ!? めいは特別ってだけ……」


「な、なるほど。可愛いし、あれで凄い思い遣りがあるしね」


「そ、そうなの!!」


 だが、幽霊の葵さんと椿、俺は一方を選ぶ事は出来ない。そもそも選ぶ必要はあるのだろうか。同一人物なんだから、両方選んでもいい筈だ。


 いや、そもそものそもそも俺が選ばれない可能性もある。一人で盛り上がってだけかも知れない。


 純恋は、白鷺が褒められて凄い嬉しそうにしている。俺はそんな彼女の他所で、深く溜息をついた。


⭐︎


 そろそろ別れ道という所で、純恋が提案する。


「か、鏡さんの家が直ぐ近くにあるんだけど、お線香とか……ど、どうかな?」


「えっ……流石にそれは……急に行っても迷惑だろうから」


「だ、大丈夫。行こ、きっと喜んでくれるから」


 純恋はいつに無く強引で、純粋な眼で懇願する。八年前とはいえ、被害者加害者同士はそう易々と会うものでは無い。そこに鏡連真の事を憶えていない人間が居れば尚更だ。


 だが、彼女は聞く耳を持たず、俺を引っ張って行く。渋々着いて行った先は、藍堂方面に向かう道中、あの九重十女の家の直ぐ近くだった。


 純恋がインターホンを押す。


 心の準備が出来ていないまま、玄関は開けらた。純恋は、相手の了承を待たずして、敷地へ侵入し、まるで子供の様に駆ける。


 そして、玄関から姿を現した女性に抱き付いた。


「ただいま!」


「樹咲、お帰りなさい」


 鏡の母親と思われる女性は、純恋を受け入れている。理解の範疇に無い光景だ。思わず見た家名には、はっきりと「鏡」と記載されている。


「今日、お友達連れて来たの」


「あら、珍しいわね。白鷺さんかしら?」


 純恋が手招きしている。唖然としながらもそれに応じ、のっそりと姿を晒した。


「神栖無人君だよ。この前話した子」


 純恋がここまで堂々としているという事は、親密関係は白鷺以上だ。


「え、本当に無人君!? 背もこんなに大きくなって。立派になったわねぇ。覚えてる? ってそんな訳無いわよね。随分と昔だもんね」


 ハツラツと笑う女性は、年齢的にもやはり母親で間違い無さそうだが、俺は愛想笑いで返すしか無かった。


「あ、無人です……すいません、いきなり」


「いいのいいの! さ、上がって。夜鈴も喜ぶわ」



 室内は非常に綺麗で、至る所に観葉植物が飾らせている。玄関を越え、広々とした廊下を駆け上がる階段が目前にある。先ずは仏壇のある左手の和室に通された。


 椿の家とは違い、この家は新築だそうだ。その為が和室の匂いが違う。何と表現するべきか、椿の家の和室は非常に高濃度だった。


 仏壇にお線香を上げた。白い角柱の箱がある。遺骨はまだあの中にあるのだろうか。


 傍らにある写真立てには、小さな男の子が笑っていた。あれが鏡連真。


 それを見て、純恋が

「お、思い出した?」


「すまん、やっぱり憶えてないな……」


 だが、この笑顔は知っている。


 ズキズキと頭が痛んだ。思い出せはしないが、脳には残っている。そんな解離が引き起こした痛みだ。


「そっかぁ……」


 純恋は眼を瞑って手を合わせていた。その瞼から、一粒の雫が落ちていった。




 次にリビングへ案内された。ドレスの様なカーテンから透過する眩しい光。爽やかな風が室内に新鮮な空気を届けている。あそこに見える大きな薄型のテレビは話題の最新型だろうか。綺麗な食器が並んだ棚もある。良い暮らしぶりをしているのが見て取れる。


 俺は、母親と純恋に対面する形で座った。何故純恋がホスト側に居るのか、理解するまで俺は結露したコップを眺めていた。氷が音を立てて崩れた。


「御免なさいね、夜鈴はもうちょっとで帰って来るから」


「お、お構いなく……」


「今日ね、お友達が二人も出来たの! 美妃さんと久遠君って言うの!」


「あらっ、ほんと!? 良かったわねぇ」


 まるで家族のようだ。良好な関係を築いている事はもう分かったし安堵すら覚えたが、これは奇妙で異質な光景であった。


「あ、あの……失礼ですが、純恋さんとはその……もっと複雑な関係なのでは?」


 実の息子を殺害した女子が、隣で笑い甘え懐いている。それを他人がどうこう言う訳では無いが、やはり気味が悪い。


「そうねぇ……連真が死んで……」


 すると徐々に純恋の顔に翳りが出来て、終いには眼が赤くなっていった。


 母親はそれに対して、

「あーよしよし。もういいのよ……無人君が疑問に思うのも仕方無いわよね。見ての通り、樹咲はずっと覚えてるの、その瞬間を」


 ナイフで皮膚を突き破り、内臓を抉るその映像、感覚、匂い全てを、純恋樹咲は忘れられないという。多分、彼女は忘れる気すら無いのだ。


「だから、過去の話をするといつも泣いちゃうの」


 人によっては、泣いて済む問題では無い、と思うかも知れない。だが、俺と二人の時の彼女はそんな顔を一度もしなかった。


 怪我をした時、母親が駆け付けて来た途端泣き出す子供がいる。きっと、純恋はそれに近い。この女性に心身を許している。


「折角泣いてるし、話しちゃおっか」


 母親は慣れてるのか、笑っていた。


「樹咲ねぇ、毎日家を訪ねて来てたの……最初は拒絶してたんだよ、それでもずっとね。朝が駄目なら夜って感じで一日二回位……それで、いつだったかなぁ。大雨の日にね、余りにもずぶ濡れだったものだから、初めて家に上げたの。そこから一気に進展したよね……夜鈴も当時は小さかったし、直ぐに懐いちゃって」


 母親は純恋の頭を撫でて、それに応える様に彼女は甘えている。


「今は、自分の娘だと思ってるわ。連真には、そら引け目もあるけどね。でも、きっとあの子なら大丈夫よ」


「そうでしたか」


 その話に一度も純恋の両親は出て来ていない。家庭環境は悪いと自分でも言っていた。彼女の凄まじい過去は、想像を悠に超えてそうだ。


「か、神栖君。だ、誰にも内緒にしててね。恥ずかしいし」


 純恋の顔にもう翳りは無い。


「ああ、言わない言わない」


 ガチャガチャと玄関から物音がした後、鍵が外される。家の中へ侵入して来た人物は、モザイク状のガラスに影を写した。


「お母さん、樹咲お姉ちゃん来てるの?」


 そうやって声がしたと思えば、リビングの扉は開かれた。鏡夜鈴が、松葉杖を付いて帰って来ていた。


 あの時は余り見えなかったが、純恋と似たボブヘアをしている。身長が明らかに夜鈴の方が大きい。姉妹だと言われても納得しそうだ。勿論、純恋が妹だ。脚は痛々しく包帯が巻かれていた。だが、元気そうで安心した。


「えっ!? ど、どなた?」


「おかえり、夜鈴。命の恩人だよ」


 夜鈴は、大きな眼をして覗き込む。そして、松葉杖を捨てて、俺が座っている椅子の背もたれに手を置いて体を支えた。


「か、神栖先輩ですか!?」


「あ、うん……」


「はぁ〜やっと逢えた! お姉ちゃん連れて来てくれたんだ!」


 純恋は嬉しそうに頷いている。


「お礼がしたかったんです。助けて頂いたので……あっ! そ、そう言えば永海の事も助けてくれたんですよね!?」


 忙しない子だ。


 椿からはその事について、誇っていいと言われているが、どうにも自信が持てない。


「そんな大層な事はしてないよ。元気そうで良かった」


「謙遜なさらないで下さいよぉ。私達のヒーローなんですから! あ、先輩って彼女いるんですか?」


「こらこら、失礼でしょ。取り敢えず、荷物置いて来て。樹咲、手伝ってあげて」


「はーい、行こ。夜鈴」


 会話を邪魔されて不服そうにした夜鈴は、純恋に連れ出され、リビングから退室した。


「御免なさいねぇ」


 母親は苦笑いで言う。


「いえ、全然……自分はただ保健室へ言っただけなので」


「動脈スレスレだったみたいなのよ。運がいいのか、悪いのか……本当に有難うね」


「そう、なんですか……助かって良かったです。あ、あの、今の神委高校の状況についてご存知ですか?」


「ええ……亡くなった方もいるのよね」


 母親の目線が右にズレるのが分かった。その先にあるのは、仏壇だ。鏡連真の遺骨だ。


「はい、夜鈴さんと出来れば純恋さんも、暫く学校はお休みした方がいいかと……」


「どうしてかしら……?」


「信じ難いと思いますが、今の学校は何処か変なんです。不幸が起き易いというか……まるで呪いだと、学校では噂されています」


「呪い……そんな風に言われてるんだ」 


 母親は、意味深に呟くと、少し前のめりになった。二階では笑い声が聞こえて来る。


「私と樹咲は、神委神社の巫女をやってるから、たまに神委家の方達の話が聴こえて来るんだけど……磁場が如何とか言ってたわ」


「磁場……ですか?」


「ええ、私も良く分からなかったけど……」


 磁場って、電流とか磁界とかの話だろうか。地球自体にも、そう言った物が流れているらしいが、神委高校だけ磁場が狂ってしまったのか。


「原因は何ですか?」


「分かっていなさそうだったわ。こういう自体は初めてらしくて……」


 神委家でも分からないとなると、いよいよ俺が幽霊の葵さんを見付けて、少しでも進展させないと。


「もう一層の事、その磁場とやらが良くなるまで、休校にするとか……」


「残念ながら、もう遅いみたい……学校に所属してるってだけで、それからは逃れられないって。例えばだけど、神委高校に転校しようと決意した途端、その磁場に冒されてしまうそうよ」


 「聴こえただけだから、本気にしないでね」と、母親は付け足した。


「そうですか……」


 階段の降りる音がして、二人はリビングに入って来た。微妙に深刻な雰囲気を感じ取った純恋が言う。


「何の話してたの?」


「んー? 二人の恥ずかしい話だよ。中学生時代のね」


 夜鈴の方はそれを本気にして、顔を真っ赤にした。


「ちょ、ちょっとぉ。先輩に勘違いされるじゃん! 神栖先輩、何を聴いたんですか? 違いますからね。母が勝手に……」

 

 その時、軽快なメロディが鳴った。全員がその方向に注目する。


 白い電話機から流れるそれは、昔の子供向け番組の有名な曲だ。聴く人の心を癒す効果があると、科学的に照明されている。


 母親が受話器を取る。知り合いのようで、楽しげに声を発している。


 だが、その機械から聴こえてくるのは、音割れした泣き声だった。







 

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