第26話

 早乙女幸太の自殺、雨後終夜の入院、エトセトラ。


 生徒達の話題はいつにも増して暗い。そして行き着く先は「呪い」の話だった。誰かが噂を流した訳でも無く、皆の心に自然と沸き出した結論。


 旧校舎屋上の呪い。土地神様の呪い。どうやら、この二つが主流となっている。言わずと知れた噂話や言い伝えが元だ。


 更に、大多数の生徒にとっては今だ謎に包まれている葵椿の存在。彼女がその呪いの発端ではないかと云う噂が、ひっそりと勢力を伸ばしていた。


 だが、大きな変化と言えば、もう一人の葵椿の存在が挙げられる。彼女は今から7ヶ月以上前に神委高校に姿を現し、俺だけがそれをはっきりと目視出来る。葵椿の転校と同時に姿を消したが、彼女もしくは彼女達が、この呪いと呼ばれる現象に、意図的かどうかはさて置き、関わっているのかも知れない。


 これ以上死傷者を出さない様に、今の俺に出来る事は、幽霊の葵さんの捜索にあった。


⭐︎


 放課後にもなると、今朝の自殺報道のショックは僅かに緩和された。教室の雰囲気も幾分かマシになった様にも思える。だが、潜在的な恐怖は孤独を嫌い、部活動が全面的に禁止な所為もあって、教室から生徒が捌けるのに時間を有していた。


 俺は、窓際に集まっている白鷺達の元へ向かった。勘の良い彼女は、一度此方に眼を向ける。そして、手を伸ばして肩を叩かずとも、彼女は振り返った。


「無人君、珍しいね。私に何かようかな?」


 彼女は腰に手を当てて、前に屈んだ。純恋は相変わらず、密着している。そして今回は、更に三人の女子生徒が対峙している。いつもの仲の良い五人グループだが、この構図には少し違和感を覚える。


「白鷺さんじゃなくて、純恋さんに用事があって」

「え? あっ、うん。そうなんだ……」

「ちょっと借りてもいい?」


 白鷺は顔を逸らし、口を曲げた。

「どうして私に訊くの? 樹咲に訊きなよ」


 正論だった。常に一緒にいるから、まるで彼女の所有物かと錯覚してしまっていた。


「そ、そうだね。ごめん……えっと、純恋さん?」

「は、はい!?」

「ちょっと向こうで話したい事があるんだけど……」

「ええ!? ううんと……」


 突然の指名に困った純恋は、パッと白鷺を見る。しかし、彼女はそれを突き離す様に無視した。


 更に困った純恋は、他の三人にも眼を向けたが、当然の様に返答は貰えなかった。彼女らは、僅かに俺を睨んでいる様な気がした。


「うぅ、何の話をするの……?」

「それは、ちょっとここでは……」

「……わ、分かった……じゃあ、行ってくる」


 白鷺は不機嫌そうに頷いたが、離れる際に「また明日ね」と純恋に微笑み掛けた。





 純恋樹咲を呼び出したのは、他でも無く幽霊の葵さんを探して貰う為だ。


 廊下に出て、更に階段を上がった先、第二教室棟の四階にやって来た。


 窓は曇り、外界の光を殆ど遮断している。元より日光が出ていない為、蛍光灯の外された廊下は陰鬱としていた。


 施錠された教室には、机や椅子が今だに放置され、どれも埃によって白く成り果ていた。過去の青春は、今や見る影も無い。


 この様な場所は、各棟にそれぞれ存在するが、旧校舎に比べればマシな部類だ。


 不気味と不安に当てられて、純恋はキョロキョロと怪しい動きをしていた。


「あ、あのさ」

「な、な、何っ!?」


 話し掛けると、ビクッと肩を震わす。


「そんなに怖がらないでも……別に何もしやしないよ」

「あ、うん…………そうだよね、ごめん。で、でも、男の人に呼び出されるの、初めてだから」


 もじもじと脚を捻らせ、手持ち無沙汰な左手が内側に反った髪へ伸びている。身長の低さも相まって、庇護欲を掻き立てる幼さがあった。


「純恋さんって、隠れたファンが多そうだよね。白鷺さんの影に隠れてるから、分かり難いけど」

「そ、そんな事無いよ…………そんなの、絶対に無い」


 彼女の動きが止まった。力無く地面に手を垂らして、俯いてしまった。


 この話題は失敗だったのかも知れない。


「ええと……白鷺さんちょっと怒ってたね。何でだろう」

「大丈夫……私からまた言っておくから……」

「そ、そっか。有難う」


「ねぇ、どうして無人君は普通なの……?」


 毛量の多い髪の隙間から、大きな眼が俺を見つめる。眉を顰めた哀愁漂うその表情は、何処か痛々しい。


「普通って、どういう?」

「……な、何でも無い」


 背を向けてしまった。


 同級生が自殺したのは、つい昨日の事だ。混乱するのも無理は無い。彼女の眼には、俺が全く動じていない様に映ったのかも知れない。


 不快に思うのも当然だろう。


 実際の所、俺の心情にあまり変化は無い。早乙女幸太の不気味な笑みから落下の瞬間まで、脳裏にしっかりと焼き付いているが、とりたてて恐怖は無かった。


「……純恋さん?」


 恐る恐る言った。彼女は、背を向けたまま顔に手を当てている。


「だ、大丈夫? 気に障ったのなら、謝るよ」

「……大丈夫。大丈夫だから、ちょっと待って」


 少しして此方へ向き直した。顔には手の跡が薄っすら残っているが、そんな事よりも、先程とは打って変わって、愛嬌のある笑みを浮かべた。


「な、無人君の事、信じるから……私もう知らないから」

「お、おう……別に構わないけど」


 よく分からないが、機嫌が直ったみたいだ。


「それで、話って何!?」

「ああ、そうだった。旧校舎の……」


 そう言った途端の彼女は、少々強張っているのが分かった。失念していたが、彼女はこの手の話があまり得意では無い。


「きゅ、旧校舎がどうかしたの……?」

「随分と前に人影が見えたって……」

「う、うん。信じられないかも知れないけど…………も、もし早乙女君の話なら、あんまりしたくない」


 彼女の眼を追って視線を下げると、元は真っ白であっただろう床が、ひび割れ、黒く滲んでいる。


「あ、そうじゃなくて。えっと……霊感とか、もしかしたら有るのかなって」


 彼女を選んだ理由は、此れが一番大きい。と云うより、此れが無い人には頼る事が出来ない。


「ゆ、幽霊とかが、見えるかって事?」

「うん」

「……はっきりとは、見えないよ……でもね、たまに分かるの。じっと眼を凝らすと、そこに居るの」


「あの時も、屋上にちゃんと誰か居たんだよ! し、信じてくれる?」

「ああ、勿論。実は俺もそっち側の人だから……」

「ほ、ほんとにほんと!? 見えるの?」


 頷くと、祈る様に手を合わせて喜ぶ彼女が居た。


「す、凄い。私何処か変だって思ってたけど、無人君も変なんだね!」

「なんか、その言い方はちょっと……」

「今まで、どんな幽霊を見たの?」

「どんなかぁ……白い女の子とか? でも、屋上の幽霊は見た事無いや」

「白い女の子?」


 考える素振りを見せた。


「思い当たる節が?」

「小学校の時に、一度だけ……」

「随分と昔だな」

「そう言えばあの後だ。私がやったの……」


 余程嫌な思い出だったのか、徐々に顔が曇って行くのが分かった。


「大丈夫?」

「え? あ、うん…………は、話って、それだけ?」


 俺は改まって「椿の事なんだけど」と話を切り出すと、彼女が答えた。


「別の葵さんが居る……そうだよね?」

「知ってたの!?」


 思わず語気を強めて詰め寄ると、彼女は一歩身を引いた。


「あんまり近付かれると、怖いよ。無人君、身長高いから」

「ご、ごめん。まさか、知っているとは思わなくて……え? いつから気付いてた?」

「き、去年の冬かな。その時は、いつもよりはっきり見えたの。凄く美人だったから、見惚れてたら、擦り抜けて行っちゃってね……それで幽霊だと分かったの。転校して来て驚いたけど、雰囲気が全然違ったから、もしかしてって……」

「そうか。だから純恋さんは、椿の事をあんなに気にしてたの?」


 語弊を生む言い方だったからか、彼女は大きく首を振って否定した。


「ううん、それは違うの。あ、勿論、ちょっとは有るけど……単純に、お友達が欲しくて」


 白鷺は、純恋に対して友達の少なさを心配していた。他人に対して壁を作るが、孤独はやはり辛い。ここは少し俺と似ている気がする。


 彼女をそうさせている原因は、一体何だろうか。


「そっか、そうだよな。変な事言って悪かった」

「う、うん!」

「俺達は、もう友達だよな?」

「え!? い、いいの?」


 俺としても勇気のいる発言だったが、彼女は大いに喜んでくれた。頬を赤くしている姿は、不覚にも可愛らしいと思った。


 眼が合っては逸れ、を繰り返す。陰鬱な白黒の廊下に、淡いピンク色が灯ったような錯覚に陥った。


 いつの間にか、三階の音はしなくなってい

る。


 やり場に困った眼は、一旦窓に置いて下を覗く。対岸の第三教室棟の一階に椿が居るのが見えた。その進行方向とは逆に、人集りが出来ていた。


「ドッペルゲンガーみたいだよね。二人居るって……」


 俺の意識は純恋に戻される。


「ドッペルゲンガー?」

「う、うん! 見た人を不幸にするの」


 俺はもう一度、窓の外を見た。一階の人集りの中から、ぐったりとした生徒が連れ出されている。


 見た人を不幸にする。確かにそうかも知れない。ここ一番で納得の出来る仮説だ。


 だが、引っかかる点もあった。


 どっちが本物で、どっちを見たらダメなのか。


「で、でも……違うかも知れない。だって私は何も起きて無いし……あ、葵さんは何も悪くないから、変な勘違いしないで。ちょっと口走っただけだからね」

「大丈夫、分かってるよ。純恋さんを選んだのは、椿を悪物にしないと思ったからだ。俺もそのつもりは無い」


 純恋は胸を撫で下ろすと、今度は驚いたように俺の背後に眼を向けた。


 振り返ると、白鷺めいが階段の踊り場から、覗き込んでいた。さながら我が子を心配した母親のようだ。


「随分仲良くなったものね」


 純恋の横まで来た白鷺は、肩に手を回して引き寄せた。


「樹咲は無人君にはあげないよ」

「友達になってくれたよ、めい」

「……樹咲? 私よりも先に無人君の友達になるなんて、良い度胸してるじゃん」


 頭を撫でた白鷺の眼は笑っていない。だが、純恋の方は嬉しそうに密着した。


「白鷺さんとも友達だろ? む、昔から……」

「あら、そう思ってたのは私だけかと……まぁ、いいわ。そろそろ帰るよ、樹咲」

「他の三人は?」


 俺がそう訊くと、もう既に帰ったと云う。思えば、純恋は白鷺に対して、全幅の信頼を置いているが、他の三人とはどうなんだろうか。


 今後の情報交換を純恋と約束し、この日は彼女達と別れた。

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