第25話
四階建ての校舎は、眺めの良い景色を展望出来る。どの方角にも山が連なり、それぞれに名前が付いている筈だが、忘れてしまった。
麓には、豆腐の様な建物に、頭の良さそうに配置された配管が幾つも絡まった工場地帯が見える。また別の方には、一際目立つショッピングモールがある。しかし、一階の生活必需品売り場以外の営業はしていない。
もっと手前に焦点を合わせれば、神委高校のグラウンドと、中学校を同時に一望出来る。互いに大きな敷地を有しているが、生徒数の少ない今は、使用されていない箇所が目立っていた。
「ここから見るとフェンスが重なって、まるで一つの壁みたいですね」
桜木はフェンスに顔を寄せている。「桜木どうでもいい事を言いました」と、隈のある眼を細くした。
俺は同意して、パッと下を見ると其処には椿が居た。体育館を横切って、少し離れた駐輪場付近を不審者の如く遊歩している。
「ここから飛び降りたら……」
「せ、せんぱ……神栖先輩っ!!」
背後を歩く桜木の焦った声がした。
服を何度も引っ張る彼女の眼は怯え切っていて、俺のその先にあるフェンスを見ていた。
怪訝に思い、距離を取ってそこを見る。
屋上の扉が破壊されていた事を忘れていた。あれは悪戯等では無く、たった今必要だった行為だ。
その犯人は其処に居た。
フェンスの外側の、僅かな幅に立っている。その見覚えのある男子生徒は、とっくに此方の存在に気が付いていた。
そして、タイミングを見計らったように体を前に倒した。
「あっ」
呆気ない声が出た。
鈍い音と、気持ちの良い何かが割れる音がほぼ同時にする。
急いで真下を覗き込む。赤い血とはまた異質な何かが広がっていた。傍らには誰かが、その死体を見下す様に佇んでいる。
俺は顔を引っ込めた。その誰かが、椿が上を見上げたからだ。
彼女なら隠れる必要も無さそうだが、咄嗟の行動だった。
桜木は尻餅を付き、そのまま項垂れている。
死は一瞬だった。落下の際、俺達へ向けた裂けそうな程に口が湾曲した笑みは、一生物のトラウマを植え付けていった。
⭐︎
救急車と警察車両が到着した頃、俺と桜木は保健室に居た。
「はい、ココアよ。先生呼ばれたから行って来るけど、落ち着くまで居ていいからね」
西華先生はそう言うと、保健室を後にした。大人な彼女の声は妙に温かく、反対に二人きりになったこの場所は妙に冷たかった。
「死んじゃいましたかね」
桜木は恐る恐る訊いた。落ちた先を見ていないならではの疑問だが、俺の眼に焼き付いた赤色はそれを肯定している。
「うん」
「あの高さからですもんね……知り合い、ですか……?」
桜木は熱いココアに手を添えても、手を震わせている。隈のある眼は、俺を見据えていても、その先の何処か遠くに焦点があった。
「友達……だな。関わりは小学校以来無かったけど」
「……そうですか。辛いですね」
辛い。意外とそうでも無かった。どちらかと云うと、合点がいった。彼、早乙女幸太は、虐めを一身に受けていた。自殺に走っても、なんら不思議では無い環境に居た。
今感じるのは罪の意識だが、それも僅かでしかなかった。何故なら、「死」が余りにも唐突過ぎたから。死んでも幽霊の彼女みたいに生きているから。
実際に「死」を目の当たりにして分かった。俺はそれを軽く考え過ぎていた気がする。
「正直偶然なんじゃ無いかって、心の何処かで思ってましたが……やっぱり呪いなんですね」
「此れも、呪いが関係していると思う?」
俺は桜木に、虐めについて話した。仮に「呪い」が無くても、彼が自殺に至る可能性だってある。
「最近は他者を傷付けようとする人まで現れました。恐らくそれは自分も該当します。その内些細な原因やいざこざが死に直結していきますよ」
「で、でもさ。屋上で言っていた事なんだけど……」
「過去の二名の自殺との関係性は見直さないといけませんね」
「それって如何いう……?」
桜木は眼に涙を浮かべていた。椅子を俺に近付けて、そして彼女の頭が肩に押し当てられた。
「それより、先輩……うぅ、あの人の笑った顔がどうしても頭から出て行きません」
苦痛から逃れる事に安堵する笑み、お前達の所為だと嘲笑う笑み、頭のおかしくなった笑み、その他全てが合わさった至高の絶望がそこにはあった。
桜木は至って普通な女の子だ。時間が経過して漸く現実感が増した事実に、感情が溢れ出した。
俺は体を寄せ合い、一刻を保健室で過ごした。
⭐︎
朝のホームルームはいつもより早く始まった。
警察や見慣れない大人の存在が、事の重大さを表している。噂に敏感な子供達は、静かにその時を待った。
コツッと何かのスイッチが入った後、教頭の声が校内に響いた。
二年A組の男子生徒、早乙女幸太の自殺が発表され、如何に彼が優秀であったかを説いていた。だが、虐めについては、言及されなかった。また、一時的に部活動の自粛が言い渡された。
人が死んだ。
だが、元々見捨てていた人だ。虐められて、誰とも関わりの無かった人だ。死亡報道をTVで観るのと何ら変わりない。
なのに、教室はやけに暗い。
それは、雨雲が空を覆っている所為なのか、同じ世界に住む住人が死んだ所為なのか。
少なくともあの場に居なかった生徒は、ほんの少しの要因に過ぎない。
皆んな気付いているんだ。偶然だと言い聴かせていた「ただの不幸」は、彼等の中で「本物の呪い」へと昇華された。
誰もが思う。
次は自分の番かも知れない。
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