第19話
旧校舎と第二教室棟の3階連絡通路で、桜木永海は中庭を見下ろしていた。
「桜木、どうした。なんだか元気が無さそうだな」
彼女は、隈のある眼を此方に向ける。今日の彼女は見た目通りで、物静かだった。
「ああ、神栖先輩ですか。今日も校舎を徘徊しているんですか?」
「お前を教室から見かけたから来たんだよ」
取り敢えず嘘を付いた。校舎を徘徊する二年生なんて都市伝説を作られたら、たまったもんじゃない。
「あれ、おかしいですね。私、今さっき来たばかりですよ」
「偶然だ。俺も今さっきお前を見たんだ」
「だとしたらお早い到着ですね、ってまぁいいか。神栖先輩は昨日の事故はご存知ですか?」
彼女はまた中庭を見る。俺も隣に立って、中庭を見た。園芸部の美しい花園と、中央にある祭殿が神秘的な空間を演出している。
「知ってるよ。あの場に居たからな」
驚いたように此方を見る。
「ほんとですか?」
「ああ。なんなら、救急車を呼ぼうと保健室に行ったのも俺だぞ」
彼女は俯いて、俺の手を握った。そして、顔を上げる。
「有難う御座います。私の友達を救ってくれて……」
ああ、そうだった。あの女子生徒は一年生の可能性があった。だが、余程大切な友達だったらしい。彼女の眼には潤いがあった。
「ごめん、無神経だった。そういうつもりで言った訳じゃないんだ……」
「分かってますよ、そんな事は……昨日の夜、母親から知らされたんです。かなり危険な状態だったらしく、あと少し遅かったら亡くなってたみたいです」
「そっか……確かに、あの血の量だもんな……でも、良かった。桜木の友達を助けれて。なんて名前の子なんだ?」
「鏡夜鈴って言います」
「うん、覚えた」
そして彼女はまた中庭を見下ろした。元気が無いのは、相変わらずだ。
「土地神様って、いい神様なんですかね……それとも悪い神様ですかね」
「……急にどうしたんだ?」
「そこまで親しくはなかったんですけど、友達がもう一人大変な事になってまして……」
固唾を呑んで聞いている。桜木が言おうとしている内容について、俺はきっと身に覚えがあった。
「今朝、公園で倒れてる所を発見されたそうです」
「亡くなったのか……?」
「いえ、生きてます。ですが、前に抜殻の話をしましたよね?」
「ああ」
「正に抜殻状態で見つかりました。名前は、九重十女です」
俺は手を力強く握り締めた。分かっては居た事だ。今更後悔してももう遅い。
彼女は、自分の子を守る為、魂を差し出した。何が正解かは分からないが、きっと立派な行いだった。
「どうして神栖先輩が、そんな顔をするんですか……?」
桜木は、怪訝そうに俺の顔を覗き、詰め寄ってきた。
俺はなんとか取り繕って誤魔化した。
「……十女ちゃんは父親と二人で暮らしていたみたいです。その父親は、胸に包丁が刺さって亡くなっていたそうですよ」
「は……?」
「でも不思議な事に、一切抵抗した跡は無かったそうです。つまり、父親も抜殻になったんです。その後で何者かに殺された」
殺したのはどっちだ。動気がありそうなのは、間違いなく九重十女だ。
だとすると、九重十女はあの時、父親を殺害している。
それ以前に、何故白い少女は父親の魂を抜き取って行ったんだ。
「桜木は、どうしてそんな事を知ってるんだ?」
「私の兄が警察官なんで……五時頃、緊急で出勤して、私が登校する前に帰って来てたんで、教えて貰いました」
「そうだったのか……」
情報漏洩甚だしいのは、この際置いておいて、白い少女の正体と九重十女の今後が気になるところだ。
「そういえば、もう少ししたら屋上に入れるんで、楽しみにしていて下さいね」
「ああ、そんな話もしていたな。分かった、有難うな」
「そんな、とは何ですかっ!! 今は亡きオカルト研究部の意思は私が引き継ぐんですから」
両手を腰に当てて得意げにしている。いつもの桜木だ。この方が彼女に似合っている。
「そうだな。俺も一緒に行くから、絶対に一人で先に上がるなよ」
「分かってますよ」
桜木の笑顔を見て、俺はこの場を後にした。
幽霊の葵さんの捜索は難航している。だが、彼女は幽霊だ。隠れんぼは専売特許の筈。屋上を探しても見つからなければ、いよいよ桜木や椿に協力を仰いだ方がいいのかも知れない。
⭐︎
「そう。てっきり亡くなってしまうのかと思っていたけど、魂だけを抜き取って行ったのね」
次の日の朝、俺は椿を廊下に連れ出した。九重十女について、彼女は知る権利がある。
「……でも、同じ事だ」
「そうね。永海の言う事が全て正しいのなら、魂は人の意思、意思の無い肉体は動く事は無い。多分、これからも……」
窓から、第三教室棟が見える。その間の中庭も、園芸部が作り上げた花園がある。旧校舎側とは違い、祭殿は無い。また、色とりどりのお花畑では無く、此方は食虫植物が植えられて、ダークな印象を受ける。
「後悔してるの? あの時は、私が判断した。無人は止めようとしていた」
椿はいつも通り、無表情に語る。
確かにそうだ。なんて、言える訳ない。考えられる訳ない。
「椿は、後悔してるか?」
「してない」
はっきりと言った。
「救えた命があるんだから、私はそれでいいと思う。それくらいの力しか私達には無い。無人は、少なくとも三人の命を救ってきた」
階段から落ちた桜木永海、体育館で床材の刺さった鏡夜鈴、そして九重十女の娘の未来。
「誇りに思ってもいい」
椿は真っ直ぐに俺を見る。相変わらず無表情で、感情の籠っていないような無機質な声だ。だが、ほんの僅かに、そこには意思が込められている。
ここ数日で、彼女の事を少し分かったような気がする。
「そうだな。そう思う事にする」
「ええ」
話を終え、俺達は教室へ戻った。
椿は席に着くと、読者を始め、時々女子生徒と話しながら時間を潰した。
俺はいつもの様に机に伏せ、眼を瞑った。
⭐︎
体育館が現在使用禁止という事で、体育の授業は当然外で行う。男子はバスケットボール、女子はバレーボールをしていたが、今日は男女混合だった。
5月は半ばを超え、徐々に気温が上がっている。昼過ぎの今は、太陽がてっぺんまで登りつめ、グラウンドに陽炎を作っていた。
一部の生徒は半袖半ズボンで授業に挑む。それが女子生徒ともなれば、冬の間に冷めた白い肌が男子生徒の注意を引いた。
椿は黒マスクに長袖長ズボンを着用し、肌の露出を避けている。これは彼女に限った訳ではなく、日焼け防止の為、同じ服装の女子生徒は一定数いる。
つまり、今は多種多様の組み合わせの生徒がいる。
「はい、じゃあペアを作って準備体操するよ」
西華先生が手を叩いた。彼女は、病気で休んでいる担当教師の代わりでここにいる。
西華先生の合図で、生徒24名は徐々に二人組を作っていく。
仲の良いグループ同士で組んでいる中、
久遠だけは、
「椿ちゃん、俺とペア組もう」
と、椿に擦り寄って行った。
だが、椿と組みたそうにしている生徒は他にも居た。久遠の登場で、今は白鷺めいの後ろに隠れている。
純恋樹咲だ。
椿は、真っ直ぐ久遠を見て、意外な言葉を吐いた。
「私は、無人と組むわ」
彼女と仲良くなったのは確かだが、基本的に必要時以外は互いに干渉していない。更に言うと、椿からアプローチされる事は滅多に無い。
どんな風の吹き回しだろうか。
「おいまじか、無人。最近、椿ちゃんと仲良すぎないか? 今日も廊下で二人きりだったし」
「……ま、まあ否定はしないけど、今朝のは本当に用があっただけで……」
「お前、意外と隅みに置けないよな」
「ねえ、ちょっと!! あんた、椿ちゃん嫌がってるの分かんないの!?」
久遠の背後からは刺々しく吠えるのは、美妃虎子だった。
「え、嘘。俺嫌われてるの?」
久遠は冗談めかしく半笑いで言うが、美妃はそれに対して、また噛み付いている。
「別に嫌いじゃない。触られたくないだけ」
椿がボソッと呟いたこの言葉は、二人には届かなかった。
「えー、俺じゃあ誰と組もっかな」
久遠が辺りを見渡しているが、恐らくもう全員組み終わっている様子だった。
「私空いてるから、もう私でいいじゃん」
照れ隠しに外方向いている。彼女の好意がなかなか久遠に伝わらないのが、本当に不憫だ。
「虎子ちゃんとはいつも遊んでるから、こういう時は他の子に……」
「何? 私じゃ、不満なの?」
「いや、別に。虎子ちゃん可愛いし」
程々に失礼な発言をしているが、外方向く美妃は、ちょっと嬉しそうだった。
一悶着の後、無事全員がペアを作った所で、呆れた西華先生がストレッチの指示を出す。
だが、それをする前に、椿に問いたい事があった。
「俺には触られても平気なのか……?」
「嫌だけど、彼よりはマシ」
嫌なのか。
「……女子と組むか?」
「そういう問題じゃない。誰にも触れられたくない」
脳を通じて触覚へ、彼女の手の感触が甦る。何度か触れたし、触れられたが、あれは何だったのだろうか。マスクをした彼女の本心は不明だ。
「ねえねえ、無人君。ペア交換しない?」
白鷺めいがやってきた。背後には、勿論純恋樹咲がいる。
他の生徒は既にストレッチを始めて居る。諸々を考慮し、俺と白鷺、椿と純恋のペアに変更した。
早々にストレッチを始めなければならない。西華先生が、此方を睨んでいるような気がした。
「純恋さんはいいのか?」
白鷺の小さな背中を押す。半袖半ズボンから伸びる彼女の手脚は、文化部らしく筋量は少ない。
下着の凹凸が、背中に触れるたびに分かる。出来るだけ悟られないよう努めるのは、大変だった。
「樹咲はいいの。友達が少ないもの。貴方と同じでね」
純恋樹咲は、白鷺率いる五名のグループに在籍している。確かにそれ以外は本当に見た事が無い。
「……俺を引き合いに出さないでくれ」
「ふふっ、変わったよね無人君。今も昔も」
「……何処か変わったか?」
白鷺とストレッチを交代する。
「背中……おっきくなったね」
「見た目の話か?」
白鷺は「硬いね」って笑いながら、背中を強く押す。
「見た目もそうだけど、入学してから滅多に人と連まなくなったよね」
「え、去年白鷺さんとは違うクラスだった筈だけど…….」
彼女は耳元に顔を近付ける。背中に柔らかな感触がした。
「あれ? いつか私言ったよね?」
「……何か、言ったっけ?」
「あ……? 忘れてんじゃねーよ」
背中の圧が無くなった。後ろを振り返ると、彼女は静かに微笑んでいた。
俺が彼女を苦手としているのは、本心が垣間見える所だ。彼女は昔からそうだった。椿とは真逆で、はっきりと裏表がある。
「あ、でもある日を境に、ちょっと明るくなったような……気のせい?」
「あ、ああ、多分気のせいだよ」
「ふーん、まあでも、葵さんが来てからは、本当に変わったよね。人と話す様になった」
「いい傾向ね」
ストレッチが終わると、水分補給の時間だ。小まめに給水しないと、熱中症になってしまう。保健室の先生らしく、今日はその時間が多い。
授業内容は、高跳びだった。最初から道具の準備がしてあったので、分かってはいたが、俺は運動があまり得意ではない。
久遠と美妃は、バスケ部なだけあって素の運動神経が高い。綺麗な背面飛びに歓声が沸いている。
白鷺と椿はそつなくこなしている。だが、背の低い純恋にとって、この競技は非常に難易度が高かったらしい。
個人の記録を計測し、今日の体育が終わろうとしていた。俺の順位は美妃の直ぐ下だった。つまり、男子のみだと下から数えた方が早い。
そしてそれは、片付けの最中だった。
椿が地面に倒れ込んだ。
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