第17話

「神栖君、水汲んできて」


「は、はい。分かりました」


「葵ちゃん、ダム決壊しそうよ」


「そうですね。補強します」


 二畳程の砂場を名一杯使って、俺達は本気で遊ぶ。川を右往左往に曲げて、深いダムに水を溜める。よく分からない建物を作り、街を形成させていく。城のような建物もある。世界観はよく分からない。


「水汲んできました」


「じゃあ、そこに流して頂戴。ゆっくりね」


 俺は力仕事がメインだ。湖のような場所に水を溜め、ゆったりと川下へ流していく。


「この山貫通させて、川を繋げますか?」


「葵ちゃん、それいいね! 二人でやって頂戴」


「分かりました」


 俺はバケツを置き、やたら巨大な山の傍に移動した。脚元に注意しないと、折角作った川やら建物やらを破壊してしまいそうだ。


 椿は対角線上に座ると、ズボンの汚れを気にせずベタっと膝を付け、山に手を突っ込んだ。


 俺も同様に、山に穴を空けていった。


「それ富士山をイメージしたんだけど、どう?」


 九重さんが言う。


「よく分からないですけど、取り敢えず山頂はとんがってないですね。火山なんで、こう窪みがあるんじゃないですか?」


「あ、そっか。じゃあ後でやっといて」


「了解です」


 俺は穴を掘り進めながら、返事をする。


 やがて、土が押し返される感触がした。椿の掘った穴と繋がりそうだ。


 更に掘り進め、繋がった。


 土の付いた椿の指先が触れる。それでも尚、柔らかくて冷たかった。


 川にする為、土を掻き出すがその際に、何度も彼女と触れた。


 なんだか、おかしな気分になってきた。


 俺は手を休めて、椿の手を握ってみる。指と指が交差し、彼女は少し遅れて握り返した。


 ざらざらとした土と、柔らかな肌がミスマッチしていて、不思議な感触だった。


「ねぇ、ちょっと。何かイチャついてない? 私はただ穴を空けろって言っただけなんだけど……」


 九重さんは、ジトっとした目で、俺達を睨め付ける。


 握った手をさっと引いて、やましい気持ちは無いと、両手を上げた。


「ふふっ、何びびってんの? そう言えば、貴方達って付き合ってんの?」


 俺は、無表情な椿を一瞬だけ確認したが、彼女に変化は無かった。


「いえ、そういう関係では無いです……」


「えー、そうなんだ……ねえ、じゃあ、葵ちゃんは誰が好きなの?」


「それは……」


 俺は、ここ最近で椿と親しくなった。沢山救ってもらった。特別な感情があるのも確かだ。


 だけど、もし彼女が葵さんと同じ姿じゃなかったら、俺の心はどうしていただろうか。


「神栖君、手が止まってるよ」


「あ、すいません。富士山、すぐ完成させます」






「ふぅー、結構作ったね。ちょっと、休憩しようか。腕疲れちゃった」


 三人の服は泥だらけになって、その場で座り込んだ。もう汚れている為、気にせずお尻を地面に付ける。特に椿は膝を付けていた分、一番汚れていた。


 赤ちゃんの幽霊は、九重さんの隣で不気味に蠢いている。


「楽しんでくれてますかね?」


「ええ勿論。私には分かるわ」


 小さく微笑んだ彼女は、赤ちゃんの幽霊を撫でる素振りをした。


「あ、あの。触れるんですか?」


「ううん、すり抜けちゃう。不思議よね、ここに居るのに触れないなんて」


 幽霊の葵さんも、直に触れる事は出来なかった。幽霊は人体を透過するのは、間違いなさそうだ。しかし、あの白い少女は何故か俺に触れる事が出来た。


「服を介してなら、触れると思いますよ」


「ほんと!?」


 彼女は、パッと顔を明るくさせた。


 早速実践する。制服の袖を伸ばして、赤ちゃんの幽霊に触れる。弾力のありそうなブヨブヨの体は、彼女の手を服越しに弾いた。


「凄い!! 触れる!!」


 夢中で撫で続ける。優しく優しく触れて、赤ちゃんの幽霊に顔を向けている。出会って初めてした本物の笑顔だった。




「……うっ」


 だが突然、その笑みは崩れた。


 俺達が居るから我慢していたのか、それとも、別れが来るのを知っているから強がっていたのか、彼女の眼から滝のように涙が溢れていた。

 

 口を抑えて、眼を瞑って、顔を赤くして、声を上げて、彼女は泣きじゃくった。


 俺は喉につっかえるような違和感に苛まれる。彼女に掛けられる言葉は全て、彼女の感情を落ちつけるには至らない。黙って見ているしかなかった。


 椿に変化は無いが、彼女なりに空気を読んで見つめている。


 九重さんは、上の制服を脱いだ。引き締まった身体とスポーツ用の下着が姿を見せる。


 その脱いだ制服で、赤ちゃんの幽霊を包み込み、大切そうに抱きかかえた。


 その時、俺は見てしまった。彼女の腹や肋骨は紫色に変色している。沢山の暴行の跡があった。その中でも特段新しそうな傷は、腹の少し下に付けられている。多分子宮の位置だ。


 幽霊の身体は涙を弾いて、制服に染み込んでいく。


「私の……私の赤ちゃん……」


 別れを待つ女の子のひたむきな呟きは、俺の心に重くのし掛かる。まだ子供である筈の彼女が、子供を授かった。そして堕胎した。いや、腹の傷を見る限り、させられた。


 彼女の心は、誰にも計り知れない。


「名前は何て言いますか?」


 九重さんは、泣き疲れて落ち付きを取り戻しつつある。椿は、それを見計らった。


「……未来……未来って言うの。女の子よ」


「いい名前ですね」


「……ありがとう」


 誰との子供だろう。そして、誰から暴行を受けたのだろう。


 あの白い少女から、どうやって取り戻したのだろう。


 疑問は尽きないが、本人に聞ける筈もない。


「……成仏すると、生まれ変わる。で、合ってるの?」


 九重さんが言った。それに椿が答える。


「はい。魂は再利用され、生まれ変わります」


「そう、良かった……ちゃんと成仏してくれるといいな。それでまた来世で会うの」


 すると、


 ピピピピッ


 九重さんの方から、電子音が鳴る。


 女子高生に似つかわしくない、黒色の二つ折りの携帯電話を取り出した。ボタンを押すと、電子音は止まった。


「時間ね……」


 ポツリと呟いた九重さんは、立ち上がる。


 俺と椿も合わせて立ち上がるが、何が起ころうとしているのか、見当は付いていない。


 九重さんは、抱きかかえた赤ちゃんの幽霊を、制服ごと椿に手渡した。


「未来を宜しくね」


 そして、俺と椿の首に手を回して、抱き寄せる。俺は一瞬困惑したが、彼女と椿の腰に手を回して、抱き寄せた。


 耳元で九重さんが語りだす。


「ありがとう、二人共。お陰で楽しく最期を迎えらたわ……私は、白い女の子にケジメを付けなければならないの。多分あの子は死神ね。だから魂の埋め合わせが必要なの」


「自分を差し出す気ですか?」


「ええ、そうよ」


「駄目です。考え直して下さい」


「いっぱい考えた結果よ。それにこんな時間をくれた事に感謝してるの。私に、未練があるって言ったわよね? 死神と交渉した時から、未練なんて既に持ち合わせて無いわ」


 だったら何故俺達を受け入れてくれたのか。それは、きっと「子供は沢山で遊んだ方が楽しい」という椿の発言に納得したからだ。


 抱き寄せた手が離れていく。俺達は、九重さんの顔を見つめる。彼女の顔は、逞しかった。


「あれに魂を渡すと、生まれ変わる事は無いんだって。だったら未来を渡す筈、無いわよね」


「それは、九重さんも同じでしょ?」


 九重さんは首を横に振る。


「私よりもこの子に生きていて欲しいの。それにまた逢える可能性はあるって言ってたわ。もう信じるしか無い……」


「……そう、ですか」


「さ、もう時間よ。あれは君達がいると出て来ないの」


 彼女は数歩後ろへ下がって、遠ざかる。


 もう何もする事がないのか。彼女の意思を尊重するのが一番楽な道かもしれないが、こんなのはあんまりだ。


「何か他に方法が……」


「神栖君も見たんでしょ!? 私の家に来たんなら。あんな怖い子の気分を損ねたら、何されるか分かんない……お願い、もう行って……私に未練を残させないでっ」


 強がる彼女は、今にも崩れてしまいそうだった。


「未来は、成仏するまで絶対に離さない……無人、行こ」


 椿はそう言って、彼女に背を向けた。俺もそれに着いて行く。


「二人とも、ありがとう」


 公園を出る直前、背後からそう聴こえてきた。

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