第16話
体育館の外は騒然としている。泣いている生徒の他、興味本位で群がる生徒でごった返しになっていた。
体育館は閉鎖され、大量の血が染み込んだタオルが持ち出された時、事故の悲惨さをその場に居た全員が知る事となった。
先生達は、体育館の扉付近で集まり、話し合いをしている。西華先生は、少し離れた位置に座って、顔を伏せていた。白衣の一部に血が付着し、どうにも参っている様子だった。
「西華先生、有難う御座いました。あの……大丈夫ですか?」
西華先生は、顔を上げ、無理な作り笑顔をしてみせた。
「ええ、大丈夫よ。」
「あの子は大丈夫ですかね……」
「それが……救急隊員の話だと、あまりにも出血が多過ぎてるって言ってたわ」
西華先生は眼を伏せた。それ以上は聞かなくても分かる。詳しい訳じゃないが、あの血の量は明らかに普通じゃなかった。
「何であんな事に……」
西華先生は嘆いた。それからは話す気にもなれず、時間だけが過ぎていった。
いずれ議論していた先生達は解散し、その際バスケ部員にも帰宅命令がなされた。
俺も同様に帰宅を命じられた。
⭐︎
夜。
俺は適当に理由をでっち上げて、家を飛び出した。
藍堂にある椿の家の場所は、うろ覚えだったが、周辺が空き家だらけな為、明かりを目印にして、容易に辿り着く事が出来た。
インターホンを押し、椿が出て来る。長袖と、スリムなジーパン。今日の服装もシンプルだった。
母親は後ろから黙って手を振っていた。俺は軽く会釈をして、椿と共に「九重」宅に向かった。
「来る途中、何か見た? 白い女の子は?」
道中、俺と椿は出来るだけ注意深く周りを警戒して歩く。白い少女は、その身なりから闇に紛れる事はない。もし近くに居るのなら直ぐに分かる筈だ。
「見ていないな。それどころか人ひとりとして、出会ってないや」
「そう。この辺りって、物価は安いけど、本当に住んでる人は少ないのね」
神委市は高齢化が進んでいる。外から人が補充される事も無ければ、若い人は老人の反対を押し切って都会へ移り住んでいく。
それでも尚神委市が命を繋いでいるのは、神委家のお陰に他ならない。詳しくは知らないが、都会のお偉いさんが、お祓いや、土地神様を参拝して、莫大なお金が入ってきているのだとか。
「もう少し行けば、民家が増えて行くよ。」
「怖い? 九重家の惨状を知るの……白い女の子に会うの」
「怖くは、無いよ。責任もちょっとは感じてるし……でももし、白い女の子に次会えたのなら、今度こそ殺されちゃうかもね。それくらいの悪意がその子にはあったし……」
冗談めかして言うと、椿はいつもの様に「そう」とだけ呟いた。
彼女に、どれくらい恐怖の感情があるのか、生きる事に対しての執着があるのか、甚だ疑問である。
「そろそろ見えてくるよ」
椿の家から十数分歩き、漸く見えてきた。
等間隔の街灯と、それ沿う様に建ち並ぶ数多の民家。各々違った趣きがあるが、煉瓦調に蔦の伸びた九重家は些か異質であった。
あの時は、門から白い少女が音も無く現れた。胸の鼓動が早くなるのを感じる。俺は、身構えた。
だが、それは杞憂に終わった。
俺達は何事も無く、門の前に立った。しっかりと「九重」の名が刻まれている。
「誰も居なさそうね……」
というのも、家には明かりが付いて居ない。更に気になる点として、門は開いていた。まるで誰かが急いで飛び出したみたいに。
「……そう、みたいだね。うーん、どうしようか」
「入る?」
「いや、それは流石に不味いんじゃないか?」
何処まですればいいのか、俺には分からない。ただ、せめて家の明かりは付いていて欲しかった。そうであれば、良からぬ事を想像をせずに済んだからだ。
赤ちゃんを取られた女性は、誰かに向かって叫んだ。誰かとは、白い少女だ。そして、女性はその後何をするのか。きっと、白い少女を探しに行く。
もしくは、自暴自棄になって自ら命を絶ってしまうかも知れない。
「探しに行こう。嫌な予感がするんだ」
「当てはあるの?」
「それは……無いな……」
「じゃあ、手分けする?」
「いや椿に何かあったら大変だから、一緒に行こう」
「そう」と返した椿の顔に、表情は無かった。
俺と椿は、格子状の住宅街を歩いていた。当てが無いとは言え、行動しなければ何も始まらない。
住宅街を離れた場所に不知火山があるが、夜中に高校生二人で入るのは流石に危険と判断した。
ただ闇雲に歩いて、止まって、考えて、また歩き出して。徒労に終わるのを分かっていても、行動せずにはいられない。
だが、変化は起きた。
椿は俺の服を掴んで静止させた。
「待って」
一瞬心臓が跳ねた。椿は、僅かな何かを感じ取ろうとするように、眼を伏せていた。
「何か聴こえる。笑い声……?」
耳を澄ます。
闇夜の街灯に群がる羽虫は、光源に衝突してコツコツと音を鳴らす。何処かの家から美味しそうな匂いに乗って、子供の声も聴こえてきた。
笑い声を探すが、なかなか見つからない。
そして、
「……ふふっ……」
聴こえた。女性の声だ。
「ほんとだ…… 何処からだ?」
「分からない。でも、多分あっち」
椿は俺の手を握り、その場所へ案内する。
力強く引っ張られていく。
徐々に笑い声は大きさを増し、言葉に意味を為してくる。
「……ふふっ……これ、見て……でしょ」
「……お城って……だよ」
「……また……産まれ……たら、遊び……う」
「……約束ね」
それは公園だった。四方をフェンスで囲まれ、錆びれた遊具にはビニールテープが張り巡らされている。中央に建つ毛色の変わった街灯が照らす砂場で、声の正体は座っていた。
砂で出来た山、簡素な城、川と滝。バケツにスコップ。彼女は、たった一人で遊んでいる。だが、それは見た目上の話で、まるで誰かが傍にいるように、振る舞っていた。
「見て、彼女の横。何かいる……」
椿が小声で呟いた。
俺は眼を良く凝らす。確かに、何かいる。
何かが蠢いている。
「行くよ」
「えっ? 椿、ちょっと……」
椿に強引に引っ張られる。今日の椿はやけに積極的だ。
俺達は声の主に姿を見せた。すると、声の主は立ち上がり、俺達を威嚇する様に睨み付ける。
俺は驚いた。
まず、制服を身に纏っている。神委高校の生徒の一人だ。ショートヘアに、陸上部のような脂肪の少ない細い脚が露出している。同級生ではない。単純に大人な身なりをしているから、三年生だと思った。
しっかり「九重」の名札もある事から、昨日の叫び声の主であると推測出来た。
そしてもう一つ、彼女の横には白い少女が抱えていた発達途上のブヨブヨな生物、堕胎された赤ちゃんの幽霊が居た。
「見えるか?」
椿に耳打ちをすると、コクリと頷いた。
「誰?」
女子生徒、九重さんは強い語気で言い放つ。
俺は身振り手振りで警戒を解こうと努めた。
「俺達は貴方と同じ神委高校の生徒です。昨日、貴方の家の前で叫び声を聞いたんですが、怖くて逃げ出してしまいました……それでさっきもう一度貴方の家に行ったんですが、誰も居なさそうで……門が開いていたので、もしかしたらと思って……」
彼女は終始怪訝そうに聞いていた。
「名前は……?」
「神栖無人です。こっちは……」
「葵椿です」
椿の名前を聞いた彼女は、眼を丸くした。
「噂の転校生……ずっとマスクをしているのも、噂通りって訳ね」
俺は特に口を出さなかったが、椿も無表情で彼女を見ていた。
「私とこの子の邪魔をしないでくれるかな。心配して来てくれたのは分かったけど、もう充分でしょ」
「私達も混ぜて下さい」
相変わらず無機質な声だが、椿は彼女の物言いに動じず、言い放った。
「はっ? 何で?」
椿に腕を引っ張られる。援護しろとの合図だ。
「お、俺からもお願いします」
「答えになってない。何でって聴いてるの」
脚元の赤ちゃんの幽霊は、彼女の怒りに呼応して、もぞもぞと動きを活発にしている。
これ以上踏み込むのは辞めた方がいいのかもしれない。確かに九重さんの言う通り、安全を確認出来ただけでもう充分だ。
椿が口を開いた。
「赤ちゃんの幽霊は成仏し易い。図書室に置いてある神委家の本に書いてあります」
俺も含めて九重さんは、首を傾げている。気にせず椿は話しを進めていく。
神委家の本が何を指すのかは分からない。しかし、小学校と中学校を通じて、そういった本が図書室に置いてあるのは知っていた。
「貴方は、最期にその子と遊んでいる。でも、子供は皆んなと遊ぶ方が楽しいです」
「ふーん、だったら私とこの子、二人だけの時間が欲しいね」
「もう充分でしょ。貴方の未練はその子に悪影響を及ぼし兼ねない」
彼女は眉を顰めて、椿の話を聴いていた。砂場を見ると、長時間経っている事は分かる。九重さんの言う通り、二人きりにしてあげた方がいい気もする。
俺はどうすればいいか分からない。たけど、子供についての話をする椿の声は、何処となく熱意があった。
九重さんは黙って椿を睨み付けていたが、最終的には観念したように肩の力を抜いた。
「……分かったわ。仕方ないから混ぜてあげる」
「有難う御座います」
俺達は深く頭を下げてから、四人で砂場を囲んだ。
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