第15話
「詳しく教えて」
相変わらず無表情な椿だが、その声はいつもより力強い。俺は金曜日の、彼女の家を出た後の出来事を伝えた。
忘れる筈もない。白い少女と出会う前から、その後まで余す事無く伝えた。
「……ちょっと想像してたのと違う」
「どんな風だと思ってたんだ?」
「夢の中ではいつも、助けを求めてた……」
「そう、なのか……」
だが、そんな感じはしなかった。この世の悪を体現したかの様な存在だった。もう2度と会いたくない。
そういえばだが、葵さん以外に幽霊を見たのはこれが初めてだ。勿論、あの少女が幽霊だったらの話だが、あれは間違い無く普通の人間では無かった。幽霊という他ない。
「抱えてたのは何?」
ブヨブヨで鳥なのか魚なのか曖昧な生物。俺はそれに対して、しっかりとした答えを持っている。
「多分、人間の……赤ちゃん。でも、赤ちゃんとは到底言えない位、未成熟だった……」
それを聞いた椿の反応は、特に無かった。
「返せ」と叫んだ女性の声。そして、未熟な赤ちゃん。想像されるは、最悪の結末。
「あの女性は、あれからどうなってしまったのかな」
「気になるなら、行けば? 私も付いて行くよ」
「行って、それでどうするんだろう……赤ちゃんでも取り返すのか?」
そんなのは無理だ。だって、多分死んでるし。じゃあ、死んだよって言えばいいのかな。
「知らない」
椿は相変わらずだ。
自分の所為だ、なんて思っていない。あの場に居たなら取り返す事が出来た、なんてのも思っていない。でも、ちょっと位の罪悪感はあるんだ。
「どうしたらいい」
「行こ、一緒に。無人は悪い事してないんだから、気になるなら行って、それで終わりにしたらいい」
⭐︎
俺は体育館の傍に来ていた。無論、幽霊の葵さんを探す為だ。ここは、彼女と初めて会った場所で、俺は何度も捜索に訪れている。
椿とは、あれから別れた。彼女は母親の病院に付き添う為、「九重」宅に行くのは今日の夜になる。
それまでの間、俺は学校を歩き回る事にした。
今日の部活動も半ばを越え、より活気が増している。グラウンドでは野球部が、サッカー部が、ハンドボール部が声を張って活動している。
付近では、テニス部が気持ちのいい音でボールを打っている。体育館の中は、靴が擦れる音と声援が入り交じり、白熱した試合が行われていた。
だが、その一方。遠くの方で、男子生徒4名が、制服のまま外を彷徨いていた。
部活動をしている訳でも無い彼らは、所謂神委高校の不良であり、恥ずかしながら同級生だ。彼らと称したが、内一名は不良でも何でも無い普通の生徒だ。俺と同じで、一人でいる事の多い、ただの無害な生徒だ。
そんな彼は、俺達生徒全員の安全を一手に担っている。彼は、いじめの対象となっているのだ。
俺は、見て見ぬ振りをする卑怯な生徒だ。
「神栖君、やっほー」
美妃虎子は、首にタオルを掛け、水道水を飲もうとしている最中だった。
紺と白の混ざった露出の多いユニホームは汗で濡れ、火照った色黒の身体は、俺の眼のやり場を失わせている。
「あ、えっと……試合勝った?」
「負けたっ!!」
試合でテンションが上がっているのか、元気良く前にピースを飛ばしている。
「……そうなんだ」
「うんっ!! 神栖君、何やってんの? 観に来てくれたの?」
「あー、まぁ凄い声援だったから、チラッとね。でも、観る前に終わったみたいだね」
「あちゃー、私カッコよくゴールしたんだけどね」
彼女の吐息は魔法のようだ。此方の気を惑わせてくる。
「水、飲まないの?」
「あ、そうだった」
同じ轍は踏まない。そう思い、前屈みになる彼女から眼を背けたが、位置的に見える筈も無い為、もう一度彼女を見た。
確かに胸元からは見えなかったが、彼女の浮き上がった服は、脇の隙間からスポーツ用の下着を覗かせた。
俺は開き直って、白鷺と純恋のを見たらコンプリートだな、とそう考える事にした。
「ふぅ〜」と、気持ち良く水道水を飲んだ美妃だったが、蛇口を止めようとした手が震えていた。
彼女の顔は遠くに向いている。その先にいるのは、あの不良達だ。
首に掛けていたタオルが落ちた。それを拾おうとした手も震えている。様子がおかしい。
「美妃さん、大丈夫?」
「えっ!? あ、うん。全然大丈夫だよ。」
確かにあの不良達は怖い。関わりたくない。だからといって、彼女がここまで恐怖を覚えるのは、少し引っ掛かる。
久遠が体育館から姿を見せた。
「無人じゃん、この前は有難うな。あの映画結構気に入っててさ、妹にも見せたわ」
「そうなんだ。桜木も喜ぶよ」
「おう……って、虎子ちゃんどうしたん? ボーッとして…….」
彼女は何でもない風に装ってから、体育館の中へ消えて行ってしまった。
バスケ部は男女共に休憩時間らしく、足音は消えて静かになっていた。
「美妃さん、あいつら見てちょっと怖がってたっていうか……」
俺が指差した不良達を見て、久遠は難しい表情をした。
「虎子ちゃんは……ちょっとストーカー紛いな事されてんだよ」
「そんなの、止めないと」
「分かってるけどよ、あんまり刺激すると返って逆効果だし。先生に相談したんだけど、イマイチ動いてくれないんだよ」
久遠は声を落として言った。確かに何をしでかすか予想の出来ない連中だ。過去に、注意した生徒の家の窓硝子を叩き割ったという逸話がある。下手に手出しは出来ない。
「まぁでも任せてくれよ。筋肉は世界を救うって言ったろ?」
力瘤を作るユニホーム姿の久遠だが、露出した腕から放たれるその筋肉は、本当にちょっとした世界なら救えそうだ。
「暴力はやめてくれよ」
「当たり前だろ。筋肉は暴力の為にあるんじゃない。ま、でもいざとなれば……」
不穏な言葉を言い残し、ニヤッと笑って体育館へ戻ろうとした。
その時、体育館の中から悲鳴がした。
「きゃああああああああああ」
その悲鳴に交じり、焦燥と狼狽の声が聞こえてくる。
顔を見合わせた俺達は、急いだ。
体育館の扉の前に立ち、そのすぐ目の前で、女子生徒が苦しそうに倒れていた。
脚には床から剥がれたであろう木の板が突き刺さっており、それは太腿を斜めに入り、尻の手前で貫通していた。
彼女は、自身の脚を見てパニックとなっている。
流れた血は、水溜まりのようになり、それがずんずんと面積を広げるにつれ、彼女の命は擦り減っていく。
痛い、痛い、と悲痛な叫びは徐々に小さくなっていった。
神に懇願するように助けを求める者、何をしていいか分からず怒号を唱える者、力なく床に崩れ落ちる者。
皆も一様にパニックとなっていた。その間にも、女子生徒の生存確率は減少していく。
「救急車呼んでくる」
俺は、唖然とする久遠の肩を叩き、直ぐに保健室へ向かった。
俺は一瞬呆気に取られたものの、冷静だった。部員では無い事が功を奏したのかも知れない。見ず知らずの女子生徒だったからこそ、ショックが他者よりも少なかった。
たが冷静が故に、美妃虎子では無かった事に安堵した自分を、心底嫌いになりそうだった。
保健室の扉を勢いよく開ける。西華先生に報告し、直ぐに救急車を呼んでもらった。
その後、西華先生と俺は体育館へ向かった。
西華先生の手に負えないレベルの怪我である事は、ここに居る全員が直感で理解している。しかし、大人が関与したという事実によって、この場は一旦落ち着きを取り戻した。
女子生徒の意識はとうの昔に無く、死んでいると予想する生徒が居る中、気絶である事が西華先生によって告げられた。
生徒は全員、体育館の外へ出された。
「無人、有難う」
久遠が近くに来て言う。
「うん、でも……」
助かるかどうか、素人の俺達には分からない。
「そ、そうだ、今度クラスの連中でカラオケに行くんだ。お前も来るよな? 椿ちゃんも誘っておいてよ、なあ」
「え……? わ、分かった……聞いてみるけど……」
今話す話題ではない。久遠は遠い眼をして、気が動転している様だった。
「約束な……じゃあ、ちょっと虎子ちゃんとこ行ってくるわ、泣いてるし……」
「うん、そうしてあげて」
まもなく、救急車が来て女子生徒は搬送された。
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