第14話
夜の静けさに身を委ねていると、つい思い出してしまう。幽霊の葵さんとの日々を。
一度だけ夜の学校に忍び込み、彼女と空を眺めた事がある。グラウンドの真ん中、高跳び用のマットを持ってきて、そこで寝転んで流れ星を探した。
互いに願い事は決まっていた。
神委を出て、色んな景色を見に行こうと。
それが椿が転校してきた、葵さんが居なくなった、三日前の事だった。
⭐︎
「泊まっていく?」
突然だった。椿は無表情で此方に問い掛ける。まるで何事も無かったようだが、そう見えるだけだ。
「さっきはごめんな。本当に……」
「大丈夫。私こそ、無神経だった。お母さんの料理、美味しかったでしょ」
「凄く美味しかった。特に卵焼きがな」
椿は腰を上げ、近くまで来た。窓から見える星を見て、「綺麗ね」と呟いた。
「今日は帰るよ。親も心配するから」
そう言えば、家に連絡を入れてない。俺は携帯電話を持っていない。都会から来た椿は持っているのだろうか。
時間は二十一時を過ぎていた。
「そう。残念ね」
「椿は、どうして転校して来たの? 今更だけど、気になって……」
「別に理由は無い。私が行きたいから、ここに来た」
「そんなお散歩感覚で転校してきたの? ……えっ、じゃあ、もしかしたらまた転校しちゃう?」
「分からない。でも、未だ此処に居たい。だから、しない。それと……」
空を眺めた顔が此方を向く。水晶の様な眼は、どんな星よりも綺麗だった。
「それと、無人なら信じてくれると思うから話すけど、夢で見たの。神委の事を……」
「どんな夢……?」
「古い神社、赤い鳥居、そして子供達」
俺は唾を飲み込む。
「……俺もそれ見たかも知れない」
それを聞いた瞬間、椿はいつもより瞼を開いた。瞳孔は閉じ、瞳がピクピクと動いて俺を見ている。こんな表情をしたのは初めてだ。
「ほんとに? 嘘じゃない?」
「ああ。桜木と一緒に階段から落ちて、気を失っていた時に見た夢だな。その一回きりだけど。」
確かあの時、椿が俺の手を握っていてくれた。それが何かに作用したのかも知れない。
「凄い、私と同じ夢だなんて……白い女の子も居た?」
「白い女の子……?」
先日の事だが、薄っすらとしか覚えて居ない。でも、白い女の子は居なかった。代わりに居たのは。
「化け物が居た。強い悪意を持った化け物。」
彼女は、声無き声を漏らして首を振った。
「それ、私は知らない。そんなの出てきた事無い。」
「ただの夢だよ。そうだよな?」
「うん……」
納得の行かない様子だった。ただの夢で片付けられたらいいけど、なんだか不穏な予感がした。
「じゃあ、今日はこれで帰るよ」
「うん」
障子戸を閉め荷物を纏める。片付けをする程の事は無いが、手持ち無沙汰だったので、とりあえず2枚の座布団を重ねておいた。
和室を出ようとした時、仏壇の笑顔の男性が目に入る。
「あの男の人って、祖父?」
それは咄嗟に出た言葉だった。直ぐに後悔した。彼女から告げられたのは、考えうる最悪の答えだった。
「お父さん。十年以上前に火事が原因で死んだ。写真はあれしか残って無かったの」
「そ、そっか……」
何て声を掛けても、この一家に対しては侮辱に成り得そうな気がする。俺はただ眼を落として黙り込むしかなかった。
母親を呼んできてもらい、最後にお礼を交わした。
「いつでも遊びに来て頂戴ね」
「はい、必ず行きます。椿もまた、学校でな」
「うん」
俺は外へ出た。
夜はすっかり更けて、月明かりは街灯の少ない藍堂を明るく照らしている。ここから御ノ社町の自宅まで二十分程度掛かる。
最近、心配事が沢山ある。幽霊の葵さんの行方、不幸が起き易い学校、椿とその母親。仮にもし、どれか一つを取るなら、俺は何を選ぶだろうか。
幽霊の葵さんと、椿。どっちを選ぶだろうか。
⭐︎
街灯が増え始め、等間隔にそれは並べられている。最近になって現れ始めた羽虫達が、群がって飛んでいる。
俺は歩道を歩いていた。
「……して……かえ……よ!!」
声が聴こえる、ような気がした。耳を澄ませば、やはり何処からか声がしている。人の声だ。それも、只事では無い、擦り切れるような女性の叫び声が続いている。
良く聴こえない。何処かの家から聴こえるのは確かだが。
俺は走って、そして見つけた。少し前方にある家だ。
「かえせぇぇぇぇえええェェッ!!」
怒号が鳴り響いた後、事切れたように声は止み、代わりに女性の泣き声が聴こえてきた。
嫌な予感がする。だが、そんなのを考える余裕は無くなった。
門扉が開く音もせず、そこから現れた薄く輝く存在。
白い髪、白い肌、白いワンピース。闇夜の黒にも侵されない絶対的な白さを持つ少女。粉雪が積もった様なその姿から浮かぶ赤い双眸は、じっと此方を睨み付けた。
悪意の塊。少女から放たれるは、そう形容する他ない。生物としての本能が、危険だとそう知らせている。
俺の脚は動かなかった。生存本能が逆に俺を立ち止まらせた。
ゆっくりと近寄ってくる。脚音はしない。大きな赤は、ひたすら俺を睨み付ける。
近くになって初めて気付いた。少女は何かを抱えていた。ブヨブヨのそれは、発達途上の生物のようだった。
何処かで見た事がある。でも、それを考える暇は無い。
白い少女は間近まで来ていた。
息を呑む。だが、呆気なく少女は通り過ぎて行った。その時、何かを抱えていた少女の右手が、俺の右手を触れていった。
凍るように冷たかった。
少女が通り過ぎてから幾分か経って、漸く俺は動けるようになった。
あれは、人じゃない。
白い少女。椿が言っていた夢の中の女の子も白いという。関係がある気がする。
俺は即刻その場から走り去った。恐怖は不思議と無いが、命が危ないと思った。その際、少女が出て来た門に飾らせた家名は「九重」と書かれていた。
⭐︎
ある意味強烈な体験をした金曜日が過ぎ、週が明けた。そして、月曜日の放課後。椿に数学を教える約束を交わしている為、互いの机をくっ付けていた。
土日を使い、独学で該当の範囲をマスターした。それは当然、基礎から応用までを網羅している。
この範囲は、式が指す内容が難しく、一度で理解するのは困難だ。逆にそれさえ分かれば、後はなし崩し的に分かる筈だ。
「椿、どう? 分かった?」
「ごめん、全然分からない」
理解するのと、教えるのは全くの別問題であり、今回の事で俺は痛感した。
「……やっぱり全然分からない」
椿は、俺の話を聞きながら、教科書と神委高校の推薦している問題集を睨めっこしている。
何度も教えるが、彼女が理解するには至らなかった。
「いや、俺もごめん。教えるのってこんなに難しいんだね」
人に教えるには三倍理解しないといけない。俺の理解は未だ浅いのかもしれない。
「放課後に勉強なんて偉いね。」
二人して悩んでいる所に声を掛けたのは、白鷺めいだった。純恋樹咲もいる。
「分からない所があって、ここなんだけど……」
彼女達が来たのは丁度良かった。白鷺の学力は学年でトップクラス、数学に関しては全国レベルだ。俺は助けを求めるべく、教科書に指を差した。
「ここかー、私も分からないんだよねー。樹咲なら分かるんじゃない? ね、樹咲」
「えっ!? そ、そんないきなり言われても……」
純恋は、慌ただしく手を振っている。
「ほらっ、二人困ってるよ。教えてあげないの?」
白鷺が意地悪な笑みを浮かべて、純恋はそれに観念し、俺達の方へ寄ってきた。
「こ、ここはね……えっとね……」
純恋はおどおどとしていたが、教え方に関しては完璧だった。椿も俺の時より、相槌が増えているような気がする。
「凄い……」
思わず出た声に反応を示さず、その責務を真っ当している。
俺は固唾を呑んで見守った。
「ど、どう……?」
「凄く分かりやすかった。有難う」
「よ、良かった。どう、致しまして……」
まるで舞台に立たされた子供が母親の元へ戻るように、純恋は白鷺の後ろへ隠れた。白鷺も白鷺で、母親のように褒めちぎっていた。
「有難う二人共、お陰で助かったよ」
「いいよ、私達ももう帰る所だったから」
「残って何やってたの?」
「生徒会長に立候補するから、その演説を考えてたの。樹咲はお手伝い」
「そっか、何を言うか決まった?」
「私は部活動の強制撤廃と、旧校舎の備品の購入、後は目安箱の設置を話そうと思うの」
「一年生をメインターゲットとしているのか」
「そうだね。でも、相応の理由が必要だと思うから、それは未だ考え中。後、葵さんの事を少し話そうと思うけど、いいかな?」
椿は首を縦に振って反応した。
「有難う。内容はまた話すね」
そう言って白鷺は手を振った。教室を出て行く際、純恋が此方を振り返って遠慮がちに手を振った。
「今日は有難う」
「ううん、結局俺何もしてないや」
全ては純恋樹咲のお陰だ。彼女は、俺が何度もやって出来なかった事、一瞬の内にやってのけた。
「無人が教えてくれたから、樹咲ので分かったのよ」
「そっか、そうなら良かった」
「うん、私も帰るね。無人はどうする?」
また一緒に帰るのもいいかも知れない。だけどそれは、幽霊の葵さんに対して罪悪感があった。最近捜索もあまり出来ていないし。
「いや、ちょっと残って行くよ」
「そう、分かった」
椿が教室から退出する直前、金曜日の夜の事を思い出して、彼女を呼び止めた。
「白い女の子に会った」
彼女は振り返って、今までに無く強い口調で言った。
「詳しく教えて」
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