第13話
「靴は適当に置いといて。足元にも気を付けて。」
祖父母を思い出させる古い家だ。軋む音が何処かしらか聴こえてくる。椿と合わせて2足の靴が綺麗に並べられていた。
足音がした。2階からだ。そして、扉が開く音。
「椿ちゃん、おかえりー。」
それは明るい声だった。どたどたと階段を降り、声の主が姿を現す。
髪を束ねた40代位の美人な女性だ。眼元は特に椿とよく似ている。鼻や緩んだ口元は、幽霊の葵さんを見ているから分かる。この女性は、葵椿の母親だ。
「お母さん、友達連れてきたよ。」
「夜分遅くにすいません。お邪魔します。」
椿がそう言う前から、俺の存在に気付いていた母親は、両手で口を閉ざしている。舐める様に上から下へ、俺を見た。
「嘘っ!? 男の子じゃない……えっ、彼氏!?」
「違う、友達。」
流石に椿とは違って、感情豊かな母親だ。
「あっ、そうなのね。こんばんは、椿の母です。」
「神栖無人です。宜しくお願いします。」
俺が深々と頭を下げたら、椿の母親は白い歯を見せて笑っていた。快く俺を迎えいれ、6畳程の和室に通した。
小さな仏壇以外に、テレビと足の短い机だけが置かれている。祖父だろうか、笑った男性が白黒で映る写真盾を飾っている。
「ご飯用意するわね。お腹空いたでしょう。」
「あ、あの。俺は……」
「遠慮しなくていいのよ。あの子が友達連れて来るなんて珍しいんだから、おもてなしさせて頂戴。」
そう言って母は退出した。椿は何処へ行ったのか、此処には居ない。
和室の独特な匂いが鼻を突いてくる。余り嗅ぎなれていないが、嫌いではない。黄色電球の色も心地良い。
「お待たせー。突然だったから、こんなのしか無いけど、御免なさいね。」
「いえ、お構いなく。」
お盆に乗せられて、料理が次々と運ばれてくる。魚の煮付けやほうれん草のお浸し、トマトが積まれたサラダに味噌汁。卵焼きと豊富な種類の漬物もあった。
「ご飯はどうする? 大盛りにしちゃう?」
母に訊かれて少し考える。おかずの量が多い。遠慮をして気を遣わせたくもない。
「とても、大盛りでお願いします。」
「ふふっ、はーい。」
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「じゃあ、食べましょうか。」
座布団に脚を崩して、べたっと座る。母親は手を合わせていた。机に並べられた豪華な料理と、2つのご飯。椿の姿は無い。
「あ、あの。椿……さんは?」
「……あの子はね、人前では食事しないの。御免なさいね。」
「お母さんの前でも、ですか?」
「ええ、家でもずっとマスクをしているわ。」
どうにか取り繕ってはいるが、僅かに哀愁を感じさせる。元より彼女の笑顔には、底知れない悲しみが帯びていたようにも思える。
表情を面に出せないという理由だけで、家でもマスクをするのは、どう考えても異常だと思えてくる。
「そうですか……」
「……折角来てくれたのに、御免なさい。」
本当に何で呼ばれたのだろうか。てっきり一緒に食べてくれると思っていた。何度も謝る母親に、こっちが罪悪感を覚える。
「いえ、全然大丈夫です。食べましょうか。俺、こんな豪華な料理初めてですから、お腹空いてきました。」
「そ、そうかしら。じゃあ、いただきましょ。」
俺と母は、改めて手を合わせて「いただきます」と、箸を持つ。こうやって挨拶をするのは久しぶりだ。
煮付けから手を付ける。しっかりと浸かった鯛の胴は、箸で簡単にほぐれた。香ばしい匂いが更に食欲を唆る。みずみずしいサラダは、シャキッと口の中で音を奏で、トマトは絶妙な酸味があった。沈澱した味噌をかき混ぜ、合間に沢庵をつつく。そして、炊き立てのご飯を掻き込む。
最後に、卵焼きを口に入れた。噛む度に甘さが増すが、くどくは無い。俺の母の味にも良く似ている。
そして、幽霊の葵さんが大好きな味だった。
「椿さんもこの卵焼き、好きですよね。」
「ええ、良く知ってるわね。あの子ね、これを出すと喜んでくれるの……」
眼を伏せる母親。胸が急に苦しくなった。視界が歪み、そして溢れた。
「えっ!? ど、どうして泣いてるの!?」
万感の思いが込み上がる。どれについて涙したのか、俺にも分からなかった。
「す、すいません。」
すぐに眼を拭った。俺は誤魔化す様に、ご飯を掻き込んでいった。
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「凄く美味しかったです。片付け、お手伝います。」
机にあった色とりどりの料理は、全て空っぽになっている。
「ありがとうー。でも、大丈夫よ。座って待ってて。」
お盆に皿を乗せ、和室から出て行ってしまった。罪悪感がありながらも、食べ過ぎてしまった為、動く気力が無いのも事実。俺はお言葉に甘えて、待つ事にした。
手際良く皿が片付いていく。机が真っさらになるのに、時間は要しなかった。
改めて母が俺の前に座る。温かいお茶を用意してくれた。
「有難う御座いました。」
「ほんと、いいのよ全然。リアクションしてくれる子は家に居ないから……気持ちのいい食べっぷりだったわ。」
母親は笑うが、なんとも反応に困る自虐であった。
沈黙が続く。椿はいつ来るのだろうか。そして、父親はどうしているのだろうか。仏壇の白黒写真を見る。笑った男性は、椿の面影を残している。まさか父親じゃないよな。
「あの、椿さんの……昔を聞いてみてもいいですか?」
母親は、曖昧な質問に首を傾げる。だが、彼女なりに解釈して答えてくれた。
「そうねぇ。小さな頃は、あんなに静かじゃなかったわ。」
「そう、なんですね。想像も出来ません。」
「そうでしょ。あれでも低学年の頃は、沢山笑ったり……」
妙な間があった。顔に翳りを帯びて、虚な眼をしている。
「どうしました?」
「……いえ、あはは。笑った事は一度も無かったわ。ちょっと顔を緩めたりはしていたけど……あ、そうだわ。飼っていた犬が死んじゃった時もね、一切悲しむ様子が無かったの……泣いてる所も見た事無いわね。あの子もしかして……」
「お母さん!! それでも、愛しているんですよね?」
「えっ!? ええ、勿論。私にはあの子しか居ないもの……あの子が居ないと私……」
過去の話はやめよう。椿が何やら訳有りなのは、分かっていた事だ。踏み込むにしても、タイミングが重要だ。
「御免なさい。精神的に不安定な所があって、通院もしていて……御免なさい、御免なさい。」
「そんな、謝らないで下さい。お母さんは何も悪くありません。此方こそすいません、大変な時に。」
「いいのいいの。人と話すのが重要だって言われてるから、嬉しいわ。」
彼女の無理な笑顔が、悲痛な叫びに見える。人は見掛けに寄らない。第一印象とは随分かけ離れている。椿は、一体何をしてるんだ。
すると、和室の戸が開かれた。椿が姿を見せた。
スリムなジーパンを履き、ボディラインのはっきり見える長袖のシャツを着用している。決してお洒落では無いが、雑誌に載っていても通用しそうなのは、彼女のプロポーションが成せる技だ。相変わらずマスクは着用していた。
彼女と入れ替わるように、母親が席を立った。
「無人君、ゆっくりしていってね。泊まってくれてもいいから。」
俺が礼を伝えると、母親は暗い廊下へ消えて行った。
椿は母親の居た座布団に座る。脚を前で交差させ、両手でそれを押さえ付けるようにしていた。無表情は崩さない。
「ご飯、美味しかった?」
どうして母親は行ってしまったのだろう。「後は若者同士で」ってのは分かるけど、ちゃんとコミュニケーションを取れているのだろうか。
「無人、どうしたの?」
「うー、分からない。でも、ちょっと怒ってるかも……」
「なんで? 美味しくなかった?」
「そんな訳ないだろっ!! 怒ってるのは、お前にだよ。何で分からないんだ。」
息が荒げる。ついカッとなってしまった。自分でも一線を越えてしまっているのは分かる。でも、どうしても彼女に問いたい。
「人の気持ちを考えた事はあるのか?」
彼女は表情を崩さない。だけど、此方を見て一切視線を外す様子は無い。当たり前だ。彼女はちゃんと気持ちを汲む事が出来る。何度かあった筈だ。
「あっごめん、言い過ぎた……というか、ただ……」
ただ、攻撃したいだけだった。母親の状況に、今迄の状況に。
「ごめん……椿と最初に話した時、手を握ってくれて嬉しかった。励ましてくれて嬉しかった。階段を降りる時も、手を繋いでくれて嬉しかった。椿が居なかったら、俺は今頃……」
きっと学校が嫌で嫌で仕方なかった。
「わ、私は……」
彼女はそれっきり黙って俯いてしまった。何を言おうとしていたのか、多分彼女にも分からないのだ。
俺も頭を冷やさないと。
障子戸を開けた。ヒンヤリと気持ちがいい。外は真っ暗で、遠くに見える山道にトラックが走っているのが見えた。閉鎖的な街から脱出出来る場所。それが山道と線路だ。
いつかこの街を出て行く。幽霊の葵さんと、椿も一緒に。勿論、椿の母親もだ。
皆んな連れて出て行ってやるんだ。
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