第9話 過去
過去。
俺は葵さんと、第3教室棟4階の視聴覚室に来ていた。
天井からプロジェクターが吊り下げられ、対応したスクリーンも設置されている。そこそこのスピーカーに防音の壁が四方を囲む。
まるで映画鑑賞部の為に用意された教室のようだが、実際それで差し支えない。
映画鑑賞部は唯一部費が出ない。借りてくる映画は自腹で、備品の追加も無い。その代わりに、当時の部長が直談判して、このような装備になったらしい。
現在は、音楽の授業や他の部活で偶に使用されている為、備品のメンテナンスは学校側がやってくれている。
「じゃあ、適当に座っといて。2席しか無いけど……」
後ろに積まれた椅子と、精密機器以外に調度類は無い。
「分かりました!!」
彼女が席に着いたのを確認して、ビデオデッキにDVDをセットする。
部活動の話に興味を持った葵さんと、今日はこの映画を観る。
女性と映画館に行った事は無いし、そもそも神委市にそのような場所が無い。だから、どの様な映画を選択すればいいか分からなかったが、彼女には俺の好きな映画を観て欲しいと思った。
適切かどうかは分からない。直接的なシーンは無いが、残虐な描写のあるダークヒーロー物の映画だ。
「じゃあ、スタートするよ。」
俺はカーテンを閉め、電気を消す。大きなスクリーンにはブルーの光が映し出されている。
「は、はい。お願いします。」
緊張気味の彼女は眉を顰めている。俺は席に着き、リモコンで映画を再生させた。ブルーの映像は一転して黒に変わる。重低音が鳴り、スポンサーのロゴが映し出された。
「……す、凄いです。胸に、頭に、全身に響きます。」
「あっ……そうだ。簡単に概要を……」
本編開始まで時間がある。サラッとあらすじの説明をした方が分かりやすいと思ったが、彼女はスクリーンに釘付けだった。
瞬きをせず、大きく見開いた眼球には、映像が反射している。
彼女は、映画自体初めての経験で、それをこんな大迫力で観ているのだから、見入って当然だ。俺の言葉が入る余地は無い。
本編が始まる。彼女は興奮が抑えられないようで、俺の服を軽く掴んだり、摩ったりしている。因みに、ここ最近の俺は、少しでも彼女と触れ合えるよう、長袖に薄い手袋を付けるようにしている。
映画の舞台は、現代に程近い文明力を誇る架空都市。犯罪を未然に防ぐ為、違法に暗躍するダークヒーローの主人公。犯罪組織は次々に主人公と、結果的に協力した警察、検事によって潰されていく。しかし一方で、凶悪な思想を掲げた1人の犯罪者が、爆発的に組織を拡大させ、都市を壊滅に追い込んでいく。主人公と、警察署長、そして市民の新たなる希望である検事が、その犯罪者を打倒する物語。
結末は、無事に犯罪者を捕らえる事が出来たが、仕組まれた罠により、正義の心を持ったその検事が悪に染まってしまう。犯罪者は幾つかの方法で人間の本質を証明しようとし、その内の最悪な1つが成功してしまった。
そんな、物語である。
いつの間にか、少し離していた2つの椅子はぴったりとくっついていた。
葵さんの肩が触れる。それどころか、シーンに応じて、彼女はスキンシップが増えていく。服の上からでも分かる彼女の弾力が、ただただ俺の思考力を鈍らせ続けていた。
体感、映画はすぐに終わってしまった。スタッフロールが流れ始める。黒を基調とした映像の為、教室は暗い。
彼女は、俺に片寄せ眼を閉じた。俺は彼女の手を握る。その手は震えていた。
まもなくスタッフロールも終わり、互いを見やったが、彼女は口を半開きにしていた。眼は少し赤く、頬には涙の伝った跡がある。
スクリーンが暗転した。俺が停止ボタンを押すと、それはブルーに代わる。
映画が完全に終わり、カーテンを開けようと彼女から離れようとするが、俺の手はがっちりと彼女と繋がれたままだ。
「……ど、どうだった?」
恐る恐る聞いた。
「映画って……いいですね。」
映画の余韻は、葵さんを放心状態にさせ、此方を見ていながら焦点はその先にあるようだった。
「それなら良かった……話はちょっと難しかったと思うけど、分かった?」
「そう……ですね、大体は着いて来れたと思います。あれ程、平和を願った正義の味方が、悪に染まってしまうのは、衝撃的ですね……」
隙を見て手を離し、教室の電気を付けた。ついでにカーテンも開ける。外は未だ明るいが、太陽はもう直ぐ沈みそうで、赤い空が遠くに広がっている。
「わぁ、綺麗……」
椅子に座る彼女が手を合わせて、俺に微笑み掛けるが、あんまり思考が回っている様子では無かった。
「この映画を4年前に見て思ったんだが……心が清い程、いや善に傾いてる程? 正義で有ればある程、簡単に悪に染まり易いんじゃないかなって……」
「どう言う事ですか……?」
「えっと、そうだな……仮にだけど、産まれた時に善の心しか無い人が居て、何十年も生きていると、必ず不幸な事を経験すると思うんだ。そうすると自分の理想との落差がきっと常人よりも大きい筈で、より世界に絶望してしまうんじゃないかって……」
彼女は何度も瞬きをして、首を傾げている。
「で、では……悪い人は、いい人になり易いのですか?」
「んー、確かに言われてみると……でも、人の暖かさに触れて育てば、本質が悪でも善人になるんじゃないかな? ……ごめん、俺も良くは分からないや。」
「きっと、そうですね。私はそうだと嬉しいです。」
彼女は目線を落として、思いにふけている。
「……名残惜しいけど、そろそろ帰らないとな。」
「あっ……もう、そんな時間ですか……また、来週、ですね……」
「日曜日は校門が閉まってるけど、明日なら朝から……葵さんが良ければだけど、会いに来れるよ!?」
「ほ、本当ですか!? わ、私は一向に構いませんが……」
「じゃあ、決まりだな。明日9時から来るから、名一杯話そう。」
「わああ、凄く楽しみです。」
彼女はチャームポイントの並んだ涙ぼくろが湾曲する程、口角を上げている。
そんな彼女を見て、頬を赤くしているであろう俺の顔は、夕焼けの赤によって上塗りされている。だから、今日は彼女の可愛らしいその顔を存分に見ておく事にする。
ガランッ!!!
突然、大きなな音が鳴った。俺と葵さんは、ビクッと背筋が伸びた。
「凪人君、偶には顧問の先生らしくって、他の先生に言われて来たんだけど……」
後ろのドアから、西華先生が顔を出している。其れを葵さんと同時に振り返って確認した。だが、西華先生は、ただ事では無い様子を俺に対して示していた。
「ねぇ、ちょっと……そのもう1つの席って何? 他の部員は来ない筈よね?」
葵さんが肩を震わしたのを感じた。西華先生は冗談や誤魔化しが通じる様子は無く、じっと彼女の方を睨み付けている。
「……あ、あの先生。」
「凪人君……そこに居るの何?」
「えっ!?」
「言いなさい。」
西華先生は明らかに怒っている。葵さんはびっくりして俺にしがみついている。頭が混乱して、判断力が低下している。何て答えるのが正解なのか分からない。
「もういいわ……そこに居るのは分かってるわよ。早く凪人君から離れなさい。」
葵さんは瞬時に俺にしがみつくのを辞めた。泣きそうな顔をしていた。
それでも、西華先生は「離れなさい」と、語気を強めて繰り返す。
「な、何なのですか!? 私離れてます。ど、どうすればいいのですか!?」
彼女がパニックを起こし、息を荒げる。西華先生はそれを察知したのか、座ってる俺を引っ張りあげ、彼女との距離を離した。椅子が大きな音を立てて倒れる。
「西華先生!?」
「凪人君、何隠してるの? お願いだから、言って頂戴。」
西華先生はずっとそれの一点張りだ。だが、葵さんが見えている訳では無さそうで、感じる程度に留まっている様子だ。
霊感の差、そんな所だろうか。
「分からない。私分からないです。凪人君、助けて……」
「不味いわね。」
葵さんの気持ちが高まるほど、西華先生の顔に焦りが増えていく。舌打ちをし出した所で、俺はやっと動いた。
西華先生の手を振り解き、彼女の元へ向かう。そして、抱きしめる。
「西華先生、全て話すので、そうやって威圧するのは止めて下さい。」
「ちょっと、凪人君危ないわ。そんなに近付いたら。」
葵さんが震えている。早くこの場を収めないと。
「危なくありません。どうやら、西華先生には見えていないようですね。一体何を感じているのか知りませんが、そうやって頭ごなしな発言をするのなら、今すぐこの場から出て行って下さい。」
「凪人君……ご、御免なさい。わ、分かったわ。後で保健室に来て、そこで説明してくれるかな?」
「はい、分かりました。」
西華先生は、まるで拳銃でも向けられているかのように、後ろ歩きでゆっくりと退室した。
俺は彼女につられて、床に座り込んだ。泣き出す彼女をあやして、今日のところはお開きになった。
「また、明日話そう。」
「はい、今日は有難う御座いました。」
その後、保健室で西華先生に今までの事を打ち明けた。西華先生は、高校生のある時期から霊感を持ち始め、常人よりは遥かに敏感に感じる事が出来るらしい。だが、はっきりと幽霊を視認出来る俺に驚きを示し、絶対に他言しないよう念押しされた。
葵さんとの関係は、俺を信用して一任してくれた。だが、これも絶対に他人に漏らしてはいけない。また彼女を極力人前に出さないように、注意された。
「その子を守りたいなら、徹底して。いいね。」
最後に西華先生はその様に言った。
※映画についてですが、実在する映画を参考にしています。というか、まんまです。私の大好きな映画でもありますが、この物語にもしっかり関連しています。
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