第7話

 俺は放課後になると、校舎を徘徊するのが日課となっている。勿論、幽霊の葵さんの捜索が目的だ。


 彼女とよく赴いた場所、特に体育館や旧校舎四階は何度も探した。だが椿が転校して今日までの間、幽霊の葵さんと会う事は叶っていない。


 残された場所は、旧校舎及び新校舎の屋上だ。しかし、二度の自殺で現在は侵入禁止となっている。


 だから仕方なく、ただ闇雲に校舎を徘徊するのだった。




「……神栖せーんぱいっ」


 それは旧校舎と第二教室棟を繋ぐ、三階連絡通路を歩いていた時だった。映画鑑賞部唯一の一年生、桜木永海とばったり出会った。


「……何を思い悩んでるんですか? 一年生がいる棟でその顔は、ちょっと不気味ですよ」


 ショートヘアの割には前髪が長く、隈のある眼は片方隠れてしまっている。根暗な印象を受けてしまうが、性格は意外にも明るい。オカルト好きを除けば、少し気の強いただの女の子だ。


 そんな彼女こそ不気味を体現していそうだと反論したくもなかったが、先輩としてそこは抑える。


「桜木か。すまん、そんな不気味な顔だったか……?」


「はい、誰かを呪い殺しそうな顔でした」


「まじか……気を付けるよ」


「どうしたんです? 人を呪うなら、いい方法がありますよ」


「そんな物騒な事は考えていないよ」


「じゃあ、なんですか? 運命の人と出逢おうにも、神委校の生徒数では母数が足りないと思いますが……」


 桜木は冗談を述べたつもりだろうが、奇跡的に今の状況と合致している、と言っても差し支えない。


「……運命の人、か」


「えぇ……ちょっと勘弁して下さい。一年生に手を出すのは構いませんが、私の友達以外でお願いします」


「驚いた。桜木にもちゃんと友達が居るんだ」


「何年一緒に居ると思ってるんですか。お姫様の友達だって居ますよ」


「お姫様?」


「神委火花ちゃんと神委雨良花ちゃんの事です。今度、東羅様を紹介して貰うようこぎ着けました」


 彼女は胸に手を当てて、それはもう誇り高く言った。


「神委家の……確かにお姫様と呼んでも差し支えないな。そっか、なるほど。土地神様を探るには、神委家それも長男であれば有益な情報を持っている、と」


「それだけじゃありませんよ。神委市では昔から、神隠しや抜殻事件というものが起こっているんです。土地神様が起こしたとされるそれらを、神委家が知らない訳がありませんからね」


 神隠しについては、祖父から聞いて俺も知っていた。百年以上前は、公に人が居なくなったらしいが、今は人知れず誰かが消えている。


 土地神様を信仰する気持ちを大事にしなければならない。でなければ、攫われてしまう。


 幽霊の存在を知った俺は、昔言っていた祖父の言葉を真剣に取り合う気になれた。


 それでも半信半疑な事には変わり無い。


「抜殻……の方は知らないな」


「文字通りです。植物人間みたいになってしまうんです。事件なんて呼ばれてますが、本当に事件として処理されたのは、神委市ではありませんがね」


「ごめん、全くよく分からん」


「人間の体から魂が抜けてしまうんです。まるで抜殻みたいに」


 それに土地神が関与している。つまり、魂を抜き取っていると。何の為に。


「魂が抜けたら、普通死ぬんじゃないのか?」


「魂と命は、全くの別物です。魂とは人の意思や心を指します。命はただの動力に過ぎません。命が何を指しているかは、定義によるでしょうが、まぁ心臓と捉えるのが一番分かりやすいでしょう。つまり、魂が無くても心臓が動いていれば生きているんです。植物人間との違いは脳死か否か。無論、魂が無くなっても脳死はしませんから、正に抜殻状態なんです」


 彼女は人差し指を立てて雄弁に説明しているが、俺には突拍子も無い話だった。脳死と植物人間は微妙に違うが、まあそこは敢えて指摘する必要はあるまい。


「それ、オカルト界隈では有名なのか!?」


「私の中で有名です」


 俺は溜息を吐いた。


 神委家は土地神様に認められ、コントロール出来る唯一の人間だという。仮に土地神様が本当に居て、そんな事を起こしているのなら、神委家に任せておけばいい。


 俺は神委市のそんな七不思議めいた事に興味は無い。幽霊の葵さんともう一度逢えればそれでいい。


 例えもしもの事があったとしても、最後に別れくらいは言いたいから。


「……桜木がオカルトに熱心なのは分かったけど、明後日の映画はもう決めたのか?」


「無論です。取っておきのを用意しました。今年の神委高校にぴったりの代物ですよ」


「そうか……ま、それなら良かった。楽しみにしてるよ。それと明後日は、俺と桜木以外にもう5人来るから。椅子の準備だけしといて」


 桜木は敬礼をして、「了解です!!」と元気良く言った。本当に見た目に反した性格をしている。


 俺は彼女との話が終わったと判断して、立ち去ろうとするが、

「先輩、本当に何をしてるんですか?」


 俺は彼女に幽霊の話をするか迷っている。きっと喜んで力になってくれるだろう。


 ただ、幽霊の葵さんを他人に漏らすのは、危険な気がする。西華先生にも、そう言われた事がある。


 この場を切り抜けるにはどうすればいいか。


 俺は窓に映る旧校舎を見て、

「旧校舎の屋上を覗こうかと思って……人影を見た子が居てさ、ちょっと気になったんだ」


 俺は咄嗟にこう言ったが、すぐに後悔した。桜木の隈を携えた眼が大きく見開き、俺に縋り寄ってきた。別の意味で吸い込まれてしまいそうな双眸だった。


「私もついていきます!!」


⭐︎


 旧校舎4階の階段を登り、屋上の開扉までやってきた。扉には窓が付いている為、劣化して黒くなった屋上を覗く事が出来る。


「先輩、これ見て下さいよ」


 彼女が壁に指を差している。そこには、油性で相合傘が描かれていた。男女の名前は見た事が無い。併せて1999年10月4日と記載があった。今から六年前だ。その生徒どちらか一方が描いたのだろう。


「ふふふ、可愛いですね。でも、こういうカップルは大体破綻するんですよ」


「願い事かも知れないだろ」


「日付けが一緒に描かれているんですから、きっとカップルですよ」


 確かに。俺は彼女の言葉に納得してしまった。


「仮に願いだとしても成就しないでしょうね」


「それもオカルト界隈で有名なのか?」


「いえ、私の自論です」


 なんだよ。


「何ですか、その眼は……そもそもオカルトってのは、共通認識もあるでしょうが、自分で見解を出すものです。だって、人間では認識出来ない事象を指しますから、答えは無いんです」


 正論過ぎてぐうの音も出なかった。


「桜木はそのオカルトをどれだけ信じているんだ?」


「別に盲信的な信者って訳じゃありませんよ。ただの趣味というか、なんかワクワクしませんか?」


「確かに、な……さあ、本題に移ろう」


 俺と桜木は、窓から屋上を覗いた。特に彼女は嬉しそうに眼を泳がせている。二人して覗いているせいか、互いの顔が近い。改めて桜木が女子生徒である事を認識すると、少し恥ずかしくなってきた。


 よく見ると彼女は意外と可愛らしい顔付きをしている。眼の隈と前髪をもう少し短くすれば、そこそこの美少女になりそうだ。


 俺の関心を他所に、彼女はドアノブを回して残念そうにしている。


「やっぱり開きませんね……ちょっとピッキングしてみます」


「は?」


 桜木のスカートのポケットから小針金を取り出した。恐らくゼムクリップを加工したその金属棒を、彼女は座り込んで鍵穴に差し込んでいる。


 日足が差し込み、少々暗かった踊り場を明るく照らした。


 低姿勢で作業する桜木の制服は、若干胸元を浮かした。丁度そこを日光が照らし、着込んでいる下着が眼に入り込んだ。白い薄手のシャツの中、上から覗くと真ん中が大きく湾曲し、綺麗にフィットした下着を着用している。


「先輩?」


 桜木が見上げた。元々開ききっていない眼が一瞬見開き、そして俺を睨め付けた。


「……感想は?」


「えっ!?」


「……見たんなら感想を下さい」


 直感的に思い浮かんだ。父の雑誌に載っていた富士の山。あれを見て父が言っていた事。


「ぜ、絶景だった……?」


「ぶふっ!! なんですかそれ。私此れでも発育、良い方なんです。Dです、どうよ」


 桜木は自分の胸を押さえて、大きさの分かりにくい制服がその胸の形を成した。確かに、常な夏服姿の幽霊の葵さんと比べて明らかに大きい。


「誇らしげに言われても……そんなことより、鍵は開いたのか?」


「覗き見しといて、そんな事で済まさないで下さい」


「いや……そうだな、確かに……本当にごめん」


「……先輩なら別に構いませんよ。拾ってくれた恩がありますし、割と信用してます」


 桜木はオカルト研究部を神委高校に復活させたかった。十五年前、オカルト研究部の部長は、三十年前に旧校舎で自殺した生徒の後を追う様に自殺を果たした。噂止まりだが、有名な話だ。


 神委高校には幾つかの噂があり、神委市についても土地神様なる驚異的な研究テーマがある。その為、オカルト研究部が発足するのは必至であった。しかし、度が過ぎた行い、自殺があった為、オカルト研究部やそれに類似する部活動は禁止となった。


 桜木は他の部活動へ入部するのを拒否し、職員室へ呼び出されていた所を、偶然見ていた俺が呼び掛けたという訳だ。


 ちなみに映画鑑賞部は、一度でも粗相があれば廃部となる為、誰でも入れる訳じゃない。全て俺と西華先生の独断と偏見で入部者を決める。


「んーやっぱり駄目ですね。ピッキングって言っても、成功したの四階の理科準備室だけですからね」


 屋上を覗いても幽霊の葵さんは見えなかった。視認できる範囲は限られている為、やっぱり一度屋上へ侵入したい。


「仕方ないな」


「これは合鍵を作るしかありませんね……」


「そんな事出来るのか?」


「ええ、まあ。型を取って、直ぐ返却すればバレませんよ」


 バレたら廃部が決まるどころか、停学処分になる。しかし、今日の俺はどうにかしていたみたいで。


「分かった。じゃあ、任せても平気か?」


「はい!! では、その時は一緒に屋上へ上がりましょう」


 桜木に犯罪の片棒を担がせてしまった。もしバレてしまった際は、俺が全責任を取ろう。失うものは俺の方が少ない。


 俺達は階段を降りた。桜木が「わくわくしますね」と、楽しそうに話している。


 保健室へ行き、聞くまでも無いが椿の入部届が受理された事を確認しにいこう。


「ちょっと聴いてますか?」


「あーごめ……」


 桜木は此方を振り返ると、後ろ歩きになって階段を降りていた。


 その時、


「えっ……!?」


 それはまるでスローモーションのようだった。


 彼女は足を踏み外して、階段下へ引っ張られるように体を反らせる。右手は、手摺を掴もうと必死に伸ばしているが、それは果たせてはいない。


 この高さから落ちれば、ただでは済まない。


 恐怖を感じる事は無かった。思考が加速する。


 俺は階段の上段を蹴っていた。


 桜木の見開いた眼と交差する。俺は手を伸ばして抱き寄せると、彼女の頭を守った。


 最悪死んでしまうかもしれない。でも、自分なら大丈夫だ。なんとかなる。だから、彼女を優先的に守れれば、それだけでいい。


 細くて柔らかい感触。幽霊の葵さんよりもやっぱり大きい。


 階段の下、誰かが立っていた。


 次の瞬間、全身に強い衝撃が走り、意識は消えた。

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