第6話

 五月上旬の神委高校は、満開の桜を見る事が出来る。美しい桜吹雪が校舎を包み、此れを見てやっと春を実感する。


 こんな綺麗な景色を、幽霊の葵さんは何処かで見ているのだろうか。


 彼女は綺麗な物が好きだった。


 蝶の翅脈や中庭の花畑、夕焼けに静かに輝く月光。それらを一緒に見て、喋って、ただ黙って。一ヶ月が過ぎ去り、失った時間は遠い過去の様にも思えてくる。


 彼女は何処へ行ってしまったのだろうか。


 以前、

「ずっと心の中で感じる事が出来るなら、永遠にここで生きてもいい。」


 そう言っていた。


 俺は彼女の様に強くない。彼女が居ない学校は、酷く昏い。窒息しそうな程、息苦しい。


 今すぐ死んで仕舞えば、彼女に逢えるのだろうか。


⭐︎

 

 朝、ホームルームの前。


 今日の椿は、三人の女子生徒と話をしていた。白鷺と特に仲の良い彼女達は、椿の都会での生活に興味がある様だった。


 この無表情の転校生が、都会の学校でどう立ち回っていたのか、非常に気になる所ではある。


 盗み聞くつもりは毛頭無かったが、彼女の無機質な声は、教室の騒音と異質であった。その所為か、声量が小さくとも、俺の耳にまで彼女の言葉は届いて来る。


 だがそれは、俺が彼女の声、即ち幽霊の葵さんと同じ喉を持つその音を、欲してるだけかも知れない。




 いつの間にか寝てしまっていたらしい。俺は、肩を叩かれた事で眼を覚ました。


 重たい首を上げる。


 叩かれた方角からして椿の席である事は、分かっていた。そして、やはり俺を呼んだのは、椿だった。


 彼女の背後では、先程話していた女子生徒三人が居る。しかし、彼女達の頭の上には疑問符が掲げられていた。


 大方何も言わずに此方にやって来たのだろう。


 黒髪とマスクの間から覗かせる彼女の双眸が、俺を見下ろしている。角度のせいか、一瞬怒っているのかと思ったが、そうでは無いのは直ぐに分かった。


 無表情というのは、得てして怒っているように見えてしまうものだ。


「これ」


 一枚のプリント用紙が差し出された。身に覚えの無いそれは、何らかの申請書のようだった。


 「部活動入部届」と大きな太字がプリントされている。彼女とその保護者の、女性だろうか、名前が達筆に記入されている。


 自己紹介でも言っていた通り、住所の欄には藍堂の文字が見えた。


 そして驚いたのは、部活動の名称だ。そこには「映画鑑賞部」と書かれていた。


 つまり、彼女は知っている。俺がその部員である事を。そして、部長である事を。


「あれから考えたけど、やっぱり部活動はしたくない」


 あれからというと、先週彼女と初めて話した時の事だ。


「そっか、なるほど……だから、ここって訳ね」


「ええ」


 映画鑑賞部は、第3教室棟4階の視聴覚室で映画を見て、後日新聞部に映画の批評を掲載して貰うまでが活動内容となっている。


 学校側の決めた最低活動時間ギリギリで活動しているここは、帰宅部を志望する生徒にはもってこいの部活と言う訳だ。


 但し、現在の部員は彼女を入れても五人しかいない。


 彼女が入部を希望するのなら、俺は歓迎する。幽霊の葵さんと同じ姿である事は、やはり何かしらの意味を持っている筈だ。それは彼女が居なくなった原因にも繋がるかも知れない。


「うん、分かった。じゃあ、顧問に渡しておくよ」


「ありがとう」


 彼女は軽く会釈すると、自分の席に早々に戻っていった。周りに居た女子生徒が、何をしていたのか問いただしている。それを相変わらず無表情のまま、たった一言で返答しているのが聴こえる。


 俺が言うのも可笑しな話だが、コミュニケーションはちゃんと取れているのだろうか。


 幽霊の葵さんが取りたくても取れなかったそれを、椿は蔑ろにしている。


 椿の事を心配に思うのは、同じ姿をしているからか、それとも徐々に心変わりをしているからなのか。


 俺は直ぐに首を振って、そんな思考は捨てた。


 すると、

「わあっ、びっくりした!?」


 椿とは反対方向、左側に女子生徒が立っていた。驚いた様に口に手を当てた彼女は、学級委員長の白鷺めいだった。


 彼女はキリッとした眼が特徴の、真面目で優等生な女子生徒だ。椿とよく似ているストレートな髪型だが、彼女よりも短いミドルヘアをしている。


 誰に対しても親切で、先生からの信頼も厚い。しかし、彼女の掴み所の無い性格が、俺は苦手だった。


「葵さんから貰ったそれ、何?」


 俺の机を見て、白鷺がそう問い掛ける。椿から預かった筈の入部届は、未だ机に置かれていた。


 急いでそれを鞄にしまうと、


「どうしてしまっちゃうの? 私に見られたら困るの?」


「入部届なんだよ……個人情報いっぱい書いてあるから……」


「あっ、それは大切なやつだね」


 彼女はそう言って流してはいるが、そんな大事な紙を俺に渡している事に疑問を抱いているようだった。


 そもそも何をしに俺の席までやって来たのか、不明だ。彼女とは確かに中学校の時に交流があったが、それっきりな筈だが。


「ふーん、そっかぁ……葵さん、映画鑑賞部に入部する事にしたんだ」


「うん、そうだけど……え、何で」


「何で知ってるかって? そうじゃないと、部長の無人君に、そんな大切な物を渡さないでしょ」


「白鷺さん、知ってたの?」


「知ってたって、何をかなぁ?」


「俺が部長だってこと」


「うん。てか、割と有名だと思うけど?」


 彼女に言わせれば、配布される部活動一覧に、しっかり俺の名前が入っているんだとか。


 俺は入学当初から部活動の所属をはぐらかしていた為、既に知れ渡っているとなるとなんだか恥ずかしく思った。


「そうだ、今度参加してみようかな。ホラー映画、私も好きなんだよね……実は」


 「学校新聞見てるのか」と俺が呟くと、彼女は楽しそうに答えた。


「うん、そうだよ。私、あれ結構楽しみしてるんだ! 無人君のレビューは、かなり的を得ているからね。興味が惹かれるよ。でも、今は無人君しか活動していないんだよね?」


「いや、後輩が新しく一人入る予定だから。その子は参加するって言ってくれている」


 勿論後輩を入れて、部員は五人だ。その後輩とは既に顔合わせ済みで、次の映画は彼女が用意してくれる手筈となっている。


「へぇ、じゃあ今年は大収穫だね」


「でぇ……?」


 彼女が語気を強める。俺の机に手を置き、前屈みになって顔を近付けた。俺はきっと顔を引き攣らせている事だろう。


「私も参加して、いいよねぇ?」


「あ、うん。別にそれはいいけど……今週の金曜日の放課後だから、そのつもりで……」


「よかったぁ」と彼女が笑い、体を引いてくれた。


「じゃあ、樹咲も連れてくから、宜しくね」


 彼女はそう言うと、時計を確認して自分の席に戻っていった。


 それと同時に藤崎先生が入室する。


 チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まった。


⭐︎


 昼休み、俺は保健室へ向かった。目的は当然、椿の入部届を顧問に提出する為だ。


 第3教室棟1階の職員室の隣にある保健室。扉を開くと、異様な光景があった。


 基本的に保健室は、駐在する西華先生が居るだけだが、今は五人の生徒が椅子やベッドを使用していた。


 その内2人は知っている顔だった。


「お姉ちゃん有難う。教室に戻るねー!!」


 一人の元気な女子生徒が俺とすれ違う形で教室を後にした。髪の一房を赤に染めた初めて見る女の子だった。多分一年生だ。


 彼女の去り際に、慌てた様子の西華先生は言う。


「学校では先生でしょ。もう怪我しないでよね」


 そして俺に気付いて、

「無人君!? え……もしかして貴方も怪我?」


「いえ、入部届を預かったので……提出に」


「はあ、そうなのね。怪我してないなら良かったわ……見ての通り人が多いから、あんまり相手してあげれないわ」


「分かりました。では、入部届置いたら直ぐ退散するとします」


 俺は西華先生の机に入部届を置こうとした時、椅子に座って順番を待つ遠鐘久遠が笑った。


 久遠は右脚のズボンを捲っている。筋肉質の膝には大きな傷があった。更にもう一人の顔見知り、久遠の付き添いと思われる同じクラスの女子生徒、美妃虎子が居た。


「よお、無人」


 そうやって馴々しく話掛けて来る久遠に対し、引け目を感じながら答える。


「……それ、どうかしたの?」


 久遠が若干解答を渋っていると、代わりに美妃が答えた。


「外で一緒にお昼食べてたら、私のビニール袋が風で飛んだのよ。それをわざわざ走って取りに行って、躓いたの。全くバカなんだから……」


 彼女との関わりは昔から少ない。だがら元気ハツラツな女の子で間違いない。


 季節的に日焼けでは無さそうだが、健康的な色黒をしていて、目立つピンクのピン留めで、片耳を出している。


 そんな彼女は心配そうな面持ちで久遠を見ている。


「そぉなんだよぉ」と、久遠が声を大にして笑うと、

「保健室なんだから、静かにしなさいよ」


「そうよぉ。寝てる子も居るからね」


 美妃に怒られ、西華先生に諭された久遠は、苦虫を噛み潰したような顔をとった。


「西華先生、今日はやけに人が多いですね」


「はぁ……そうなの……そうなのよ!!」


 西華先生は久遠と大差無い声量で言った。美妃は頭を抱え、手当て中の恐らく一年生であろう男子生徒は萎縮している。


「今日だけじゃないの。最近やたらと皆んな怪我してくるのよ。一回救急車も呼んだんだから」


 そう言いつつも、男子生徒の腕を、大袈裟に包帯で巻いて、作業を進めている。


「ごめんて、先生……」


 久遠が言う。


「確かに最近部活の出席率が悪いって聴くよな。虎子ちゃんの方はどんな感じ?」


「んー女子バスはそんなにかなぁ。元々男子より人数少ないし……あ! でも一人旅行先で事故ったって言ってたかも」


 学年が変わる時期、部活動も本格始動、怪我が多くなるのは必然かもしれない。ただ、西華先生がここまで嘆いたのは、初めてかも知れない。


「皆んな気が抜けてるかもしれないわね……困ったわ」


 手当てが終わると、一年生の男子生徒は直ぐにこの場を去っていった。


 久遠の順となり、西華先生は消毒液と大きめの絆創膏を探している。


 俺は思いの外長居してしまっている事に気が付いて、保健室を出ようとした時、久遠に呼び止められた。


「そう言えば無人、誰が入部したんだ? もしかして……」


「つ……葵さんだよ」


「ええっ!?」


 驚きを見せたの美妃の方だった。


「うそっ!? えー、一緒にバスケやろうと思ったのに……神栖君って女子に興味あったんだ」


「当たり前だろ、男なんだから。それに無人は、結構モテるんだぜ。なあ、無人」


「なあ、って言われても……」


 一体久遠は俺の何を知っているんだ。彼とは小学校までの付き合いだった。それに告白されたのだって、小学校6年生の時に一度きりだし。


「ふーん、あっそ。てか、神栖君って何部?」


 美妃は配られるプリントに眼を通しそうな感じではないから、知らないのも頷ける。


 久遠が代弁した。


「確か映画鑑賞部だよな? 別名帰宅部って言われてるけど……」


 そんな不名誉な2つ名が付いているのは、少々心外だ。これでも卒業していった三年に託されたんだから。


「へぇ〜、皆んなで映画観るのってちょっと楽しそうじゃん!! 椿ちゃんも来るんでしょ!? 私達も行こうかな」


 勝手に混ぜられた久遠が、不服そうな顔をしたが、椿が来る事を教えると、乗り気になった。


 椿は部活動をする気が無さそうだが、久遠が居てくれた方が、白鷺と純恋樹咲の三人よりは安心出来そうだ。


「じゃあ、決まりね……今週の金曜日の放課後に活動だっけ? 了解っ!!」


 俺は今度こそ去ろうと、保健室の扉を開いた。


「西華先生、入部届宜しくお願いします」


「はーい、受理されたらまた教えるね。じゃあ、怪我には気を付けてね」


 俺は久遠と美妃を残して、保健室を後にした。

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