第5話

 葵椿が神委高校に来て1週間が経過した。彼女の人気は衰えておらず、今だに神委高校の話題を掻っ攫っている。


 授業が終わると、次に始まるのは競争だ。彼女の席を囲い、如何に仲間に引き入れるか、そんな競争だ。参加者の殆どが女子生徒で、男子の入る余地は無い。


 だが、かと言って諦めの悪い彼らは、ハイエナのように葵椿の横を狙っている。


 それは、ここ二年B組に限った話では無く、他クラス、他学年も同様だ。


 都会育ち、転校生、ミステリアス、そして美人で可憐。幾つもの要素を持ち合わせる彼女が、全校生徒の注目の的になるのは必然だった。


 ましてや、ここは同級生が全員幼馴染と言っても過言では無い、「変化の無い」神委高校だ。


 当の本人が、この人気振りに対してどの様に思っているか、それを知る由は無い。彼女はいつだって黒いマスクを身に着け、眉一つ動かさない。声色をとっても、その感情を表す事は無いのだから。


⭐︎


 昼休み。


 俺の気分は最悪だった。


 葵椿が来て以来、幽霊の葵さんを見ていない。


 彼女の姿が頭に浮かんでくる。太陽の様な笑顔、子供の様に純粋な心、白くて美しい肌、細い体躯、近付くとまるで一つに為れそうな不思議な感覚。


 俺の高校生活を明るくしていた最大の要因が忽然と姿を消した。一人だった俺が唯一心を許せた相手は、もう居ない。


 その原因が転校生と関係しているのは、確実といえる。同一人物、それとも別人か。


 俺は彼女と一度、話をする必要があった。


 その機会は、突然訪れた。いつものように青いベンチで弁当を食べ、残り時間で幽霊の葵さんを探そうとふらついていた時だった。



 体育館の傍で、マスク姿の女子生徒が居た。

 

 葵椿だ。



 彼女は体育館を見上げ、手には白いビニール袋をぶら下げている。顎まで下げられた黒いマスクは、普段隠している口元を僅かに曝け出していた。


 だが、俺には何かを口に運んでいる様子から、そのように察せただけで、彼女の素顔までははっきり見れなかった。


 何故いつもマスクを着用しているのか。それも彼女のミステリアスな雰囲気に拍車を掛けている。


 これはデジャブだ。彼女の立ち振る舞いは、幽霊の葵さんその者で、周囲の景色からも孤立する美しい姿に見惚れてしまっている。


 そんな俺を彼女は察知し、顔を向けるのでは無く、後ろを向いた。


 次に振り返った時、彼女は何かをビニール袋に仕舞い、マスクで顔を覆い隠していた。


 そして、じっと此方を伺った。


 向けられた眼が、敵意なのか好意なのか、検討も付かない。だが、俺には確かめたい事がある。その一心で、彼女に近付いた。


「……何の用?」


 彼女から放たれた第一声は、無機質で掴み所が無い。しかし、気の所為だと言えば其れ迄だが、ほんの少し彼女からは「怒り」を感じ取れた。


 前のめりだった俺の心は後退し、罪悪感という名を持って一気に自信を失ってしまった。


「あっ……えっと……」


「だれ?」

 

 この発言によって、彼女が幽霊の葵さんとは別人であると明言している。


「か、神栖無人って言うんだけど……同じクラスの……隣の席の……」


「そう。御免なさい、色んな人に会ったから名前と顔が分からなくて」


 頭を下げようとする彼女を止める。だが、その顔には一切変化は無い。声に至っても感情は篭っていない。


「そ、そうだよね。人気者だもんね……」


「…………」


「……あ、それは?」


 気不味くなって、話題を変える。彼女の持つビニール袋に指を差した。


「パン。食堂の」


「おいしい……?」


「ええ」


「そ、そっか。それは良かった……学食に売ってるのって近くの工場から直営してるから、安いんだよね……」


「…………用が無いなら、もういいかな」


 先程とは違う、明らかな敵意が彼女にはあった。声からは分からない。だが、その鋭い眼には「怒り」が宿っている。


 良く考えれば、彼女には絶えず生徒が近寄って来る。折角一人の時間をゆっくり過ごしていたんだ。いくら彼女でも苛立ち位覚えても不思議では無い。


「……ご、ごめん」


「別に気にしてない。私は部活動には入らないし、彼氏も欲しく無いの。御免なさい」


「え……? そ、それで話し掛けた訳じゃないんだ。本当に……」


 彼女は一度眼を落として、また此方を見つめた。


「そう。早とちりだった。御免なさ……」


「ああ、謝らなくていいよ。俺が悪いから……後ここの連中も……」


「別にそんな事は……」


 彼女からは既に怒気は感じられない。嘘の様に平然としている。さっきのは気の所為だったと言われても、本当に納得してしまいそうだ。


「神委市って、凄い閉鎖的な場所だから。葵さんみたいな転校生って、滅多に居ないんだよ。生徒は年々減ってるし、神委家の威光があっても衰退してるのは、目に見えて分かる。だから、外から来た人は凄い特別に見えてしまって……」


「そうなんだ」


 相変わらず無表情で、本当にロボットと話しているような錯覚さえ覚えてくる。


「そ、そうだ。何度も関係の無い話をして申し訳無いんだけど……部活動は絶対入部が本校の校則だけど……それって、知ってる?」


 俺は胸に入れてあった生徒手帳の、校則が記載されたページを開いて、手渡した。


「これは……知らなかった」


「ありがとう」と、謝辞を述べた後に生徒手帳が返却される。その時、不意に彼女の冷たい人差し指が触れた。


 幽霊の葵さんが望んで止まなかった、素肌の触れ合いは、ある意味達成された。


「勧誘されたので、いいのあった?」


「無い」


 いつもより即答だった。


「ま、まあ……転校生にそこまで求めるか分からないから。もし、入るならじっくり悩むといいよ」


「ええ」


 少し会話に慣れてきた俺は、やっと本題に入った。彼女もきっとうんざりしているだろうから、早めに切り上げた方がいい。


「話し掛けたのには、ちゃんと理由があって……実は……葵さんとは一度会ったことがあるような気がして……葵さんは如何かなって……」


「やっぱり私、口説かれてる?」


「待って、本当にそういうのじゃなく真面目な話…………ち、ちなみに、何人から……」


 口説かれた? そう言い終える前に彼女は言う。


「5人。もっと大まかに言うと、18人」


 呆気に取られて、その後思わず頭を押さえた。人の事を言えた義理じゃ無いが、正直ここの生徒に嫌気が差した。


「そりゃ、うんざりするよな……」


「そんな風に見えた?」


「少しだけ」


「そう」


「えっと……それで、どうなんだ? 少しも身に覚えは無いか?」


 彼女は上から下まで俺をじっくり観察する。俺もその間彼女を改めて見るが、やはり幽霊である葵さんと全く同じ姿をしている。


 そのマスクの下にもきっと同じ顔がある筈だ。


「マスクって……体調が悪いからしてるのか?」


「いいえ」


 「どうして?」と、そう訊こうか悩みもしたが、訳有りのような気がする。この件は、もう少し良好な関係になってからでいいだろう。


「御免なさい。やっぱり無人の事は知らない」


「そ、そっか……」


 少しだけ期待してしまっていた自分が居た。明らかに別人だが、幽霊の葵さんの記憶が紛れ込んでるかも知れない、なんて夢物語のような事を考えていた。


 心底残念そうにしているのを察したのか彼女は、互いの空いている手を握った。


 彼女との距離が近い。冷たくて柔らかい、綺麗な手は、心臓の鼓動を急速に引き上げ、感覚が徐々に麻痺していくような錯覚さえ覚えた。


「無人にとって………………」


 彼女が途中で言葉を止める。初めて大きく眉が動いた。


 怪訝に思ったのも束の間、直ぐに再開された。


「無人にとって、それは大切な思い出? 大切な人?」


 彼女は、下からじっと俺の眼を覗き込む。深い闇を感じさせる黒い眼は、やはり幽霊の葵さんと同じだ。


「……うん……もし、葵さんがその子本人だったら、どれ程良かったか」


「椿でいい」


「え?」


「だから、名前。椿でいい。私は無人と呼んでいる」


「それじゃあ、椿……で」


 彼女は頷く。無表情には変わりない。


「私はその子の代わりになれない。だから、私にその子を被せられても困るけど……私で良ければ話くらいなら聞いてあげられる」


「ありがとう」


 彼女は手を離し、先程と同等の距離を取った。


 彼女のこの気遣いによって、ここ1週間の憂鬱が払拭された様な気がした。


「椿は……どうして、この体育館を見てたの?」


「理由なんて無い」


 彼女は転入当日も、ふらっと旧校舎まで行って藤崎先生を困らせていた。それにも理由は無いのだろうか。


 俺はふと、隣に見える旧校舎の噂を思い出した。もう一人の葵さんは、紛れも無く幽霊だ。椿は信じるだろうか。


「幽霊とかオカルト話って、信じる方?」


「信じる……けど、信じれない」


「というと?」


「不思議な体験はした事がある。けど、実際は思い込みや、見間違いだと思ってる」


「なるほど……」


 俺は幽霊の彼女にも話した飛び降り自殺の話を、一度椿にも伝えてみた。だが、やっぱり彼女は「初めて聴いた」とそう言った。


「他にも泣いている声が聞こえてくるとか、喋る木箱とか、神委高校の最寄り駅を通り過ぎても乗り続ける女子生徒とか、そんな噂話がある」


 彼女は無表情で相槌を挟みながら、話を聞いている。


「最後のは具体的ね」


「ああ、実在する人物だから。会えるオカルトってとこだな」


「驚きね。その行為に何か理由はあるの?」


「神委駅を超えた少し先に、産道駅があって、その近くに墓地があるんだ。神委高校の制服を着ている真意は分からないけど、お墓参りをしているって言うのが、噂としてあるな」


「そうなんだ」


「……あっ、ごめんな。ただ興味本位で聴いただけなのに、ずっと喋ってしまって……」


 俺はまたペラペラと話してしまった。


 彼女だから話をしたいのか、また一人になるのが嫌だったのか、多分今の自分なら両方当て嵌まっている。


「別に平気。非日常は好きよ」


「そっか」


「堕ろしの儀……って分かる?」


 椿が言うその単語に聞き覚えがある。しかし、内容までは知らない。一体そんな言葉を何処で入手したのかは定かでは無いが、彼女は淡々と説明してくれた。


「妊娠数ヶ月後の赤ちゃんを意図的に堕胎させるの。そして、堕胎した赤ちゃんの魂は、土地神様の供物としていたそうよ」


「女性は、その赤ちゃんに心酔している程、捧げる魂の質は良くなり、そうするとその女性は土地神様に認められるって」


「なんだか、嫌な話だな」


「そうね……その土地神様に認められたのが神委家。校長先生は彼女達の子孫って事ね」


「彼女達?」


「複数人居たらしいわ」


 俺は頷くしか無かった。神委高校の噂話より、よっぽど不気味な内容だ。


 彼女は続ける。


「神様に認められた一族、神様にこの土地を委ねられた一族、それが神委。そういう事らしいわ」


「……よくそんな事知ってるな」


「図書室の書庫に行けば、神委の歴史は簡単に知れる」


 神委高校の図書室は二つに分断されている。その一つである書庫には、古い書物が沢山保管されている。殆どの生徒は態々近付かない所だ。


「興味あるんだ、神委に」


「ええ」


 図書室は、幽霊の葵さんも通っていた場所だ。この体育館も彼女と良く来ていた。


 もしかしたら椿は、彼女に縁のある場所を好むのかも知れない。いや、図書室なんて誰でも行くし、体育館だって同じ、考え過ぎか。


「もし何か不思議な話があったら、教えて」


「え? あ、ああ、分かった」


 予鈴のチャイムにより、椿との初邂逅はこれで終了となった。


 椿は生きた人間で、幽霊では無かった。そして、恐らく彼女達は別々の人間だ。


 椿に感情が殆ど無い点は、幽霊の葵さんと正反対だ。幽霊の彼女は起伏が激しく、良く泣き、良く笑っていた。だが、一度たりとも「怒り」を露わにした事は無い。


 同じ姿、生と死、対称的な性格。


 此れが意味する所は、今の俺には到底分かる筈も無い。


 

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