【番外編】大宮弟の先輩が見た大宮姉弟
駅前で酔っ払いと二人残された俺は、途方に暮れていた。残された、というのは正しくない。俺が帰したのだから。
本当は、しょうもない悪戯を大宮に仕掛けた山室に、最後まで責任をとって介抱させたかった。水のコップを中身に入れかえて日本酒にするなんてどうかしている。悪戯で済まない可能性だってあったはずだ。
それでも先に山室を帰したのは、山室を残したところで酔っ払いが二人に増えるだけで、つまり面倒が二倍、いやそれ以上になることが容易に想像できたからだ。
大宮が酔っても大人しくしていることにはほっとする。だが、大宮に家族に連絡しろと言っても全然届かないし、タクシーも捕まらない。二十代男子を家に持ち帰ることには問題はないが、ほぼスリープ状態と化した大宮を、タクシーなしに連れ帰るのは至難の技だ。一人だったら歩いて帰るのだが。
そんなときに鳴った電話は、まさに天からの助けだった。家に電話しろと大宮に突き出していたスマホは、「姉」からだった。すかさず俺はメッセージを開いてそのまま電話をかけ、大宮の耳にスマホをあてた。
だが、大宮は言葉を発しない。不安定に上半身をふらふらさせて、言葉にならない小さな声を漏らしただけだった。怪訝そうな女性の声が漏れ聞こえてくる。電話を切られたら困る。姉という生き物は弟の無言電話の相手などしてくれはしない。
「すみません、大宮君の同僚の槙田と申します」
俺は慌てて大宮の電話を取った。むしろ最初から俺がかけるべきだったのかもしれない。弟が迎えに来てと頼んでも、迎えに来てくれるわけがない。我が家なら。しかし弟の同僚の声ならば届くだろう。姉という生き物は外面がいい。我が家なら。
俺が事情を説明すると、幸い大宮の姉はすぐに迎えに来てくれると言った。恐縮したような声は電話越しにも感じが良かった。
彼女の対応が外面によるものであるならば、大宮は後で報復を受けるかもしれない。俺の姉ならば、実現可能な難題をふっかけてくるくらいのことは確実にするだろう。しかしやむを得ない。許せ。
しばらくすると、駅前のロータリーにレモン色の軽自動車がハザードランプをつけて止まった。おりてきた女性がこちらに歩いてきたので、大宮姉であることがわかった。
謝罪合戦ならぬお礼合戦をひとしきりしてから、彼女は大宮に声をかけた。なっちゃん、と呼びかけるのを見て、仲がよさそうだと安堵する。かける声も優しげだ。
さあちゃん、と彼女の呼びかけにようやく反応した大宮の小さな声に、本当に仲がいいんだなと思う一方で、聞いてはいけないものを聞いてしまったような気持ちにもなった。彼女は目を見開いて両手に口をあてていて、すーはー大きく呼吸をしている。なんだこの姉弟。
ようやく立ち上がったものの、おぼつかない足取りの大宮を手伝い車に乗せると、ようやくほっとした。これで帰れる。
そう思ったのも束の間で、大宮姉は俺を送っていくと言い出した。一応の提案ではなく、心からの親切心のようだった。
俺は断ったが、彼女は自分の運転に不安があって断られていると思ったらしい。断りにくいし否定して説明するのもかえって気まずいので、お言葉に甘えることにした。疲れた。
彼女の運転は言うほど危なくなかったし、車中もそれほど気詰まりはなかった。吐いたら掃除をさせると大宮に言った彼女の声は本気だったし、一瞬ビクリと反応した大宮の姿に姉弟の関係を垣間見た気はしたが、やはり仲は良さそうに見えた。
「歳が離れてるからあまりけんかにならないのかも。でなければ、たぶん凪の平和主義のたまものですかね」
軽く笑う大宮姉も、平和主義のかたまりのようにしか見えなかった。タイプは違うが、大宮も彼女も穏やかな雰囲気を持っている。同じ姉弟という関係でも、うちとはまったく違う。
自宅近くのコンビニでおろしてもらい、再びお礼を言いあって別れた。少し話した限り、大宮が後で姉に怒られたり、無理難題を押しつけられたりすることはないだろうと思えた。
ところが、週明け出勤してきた大宮の表情はどこか暗い。休み中に大宮からきたメッセージには気にしなくていいと返していたのに、まだ気にしているのか。それとも善良そうに見えた大宮姉から、やはり姉の傲慢を押しつけられたのか。
気になったもののタイミングが合わず、ようやく声をかけられたのは定時を過ぎてからだった。
思い詰めたような顔をしていた大宮は、意を決したように俺に何かを差し出してきた。深い青色をした小さな紙の袋だ。
どうしたことかと戸惑っていると、お礼だ、という。大宮の姉からの。大宮の手には力が入っていて、せっかくきれいに包んでいるらしいのにぐしゃりと潰れかかっていた。
大宮があまりにこの世の終わりみたいに切羽詰まっているようなので、とりあえず受け取ることにする。お礼を伝えると、明らかにほっとしながらも、どこか複雑な顔をしていた。
大宮と別れて駐車場に向かいながら、受け取ったものを外から触って感触を確かめる。ハンカチか何かかと思っていたが、袋の外側から触った感じがごつごつしていて、お菓子か何かなのかもしれない。
悶々としていたということは、このお礼なるものが、大宮にとって不本意なのだろうか。お礼(推定菓子)が俺に渡したくないもの、とかか? 渡したくないとは、不味い、とかそういうことだろうか。
好奇心に負けて英字の入ったテープをはがして中身を見ると、透明な袋に入った数種類のクッキーが何枚かと、二枚入りの個包装のクッキーが一つ入っていた。それから、二つ折りの紙が入っていた。薄い水色の紙を開く。
『先日は本当にありがとうございました。
甘いものも食べるとお聞きしたので、良かったらどうぞ。
きっと凪は言わないと思うのでお伝えしておきますが、このクッキーは私が作ったものではなく、凪が作ったものですのでご安心ください。味は私が保証します。
なお、手作りのものは苦手、という場合は市販のクッキーを同封しましたのでお召し上がりください。
おすすめはやはり凪のクッキーですが。
今後も、凪のことをどうぞよろしくお願いします』
クッキーの作り手と、市販のクッキーが入っていた意味に、思わず笑ってしまう。
大宮がああして嫌がることもきっと見越していたのだろう。弟に対する姉心みたいなものとともに悪戯心が垣間見える。
大宮が朝から思い悩んだようだったのは、自分のクッキーを渡すのがよほど嫌だったらしい。こっそりバラされていることを大宮は知らないようなので、知っていることはしばらく黙っていようと思う。
大宮姉が味の保証をすると言ったクッキーを、試しに一つつまんでみる。チョコチップが入っている。
「…うまっ」
わりとかためのクッキーは食感がしっかりしていてうまかった。チョコチップがやや多めに感じるのは大宮姉の好みだろうか。大宮が甘いものを食べているのは見たことがない。
後で食べようと青い袋に残りを戻しながら、大宮の顔と手紙の内容を思い出して少し笑ってしまった。きっと大宮姉は弟をかわいいと思いつつ、たまにこうやって遊んでいるのだろう。
もしかしたら、姉もそうなのだろうか、などと柄にもなく考え、冷静に否定する。うちの姉はそんな甘いものではない。
大宮姉弟の仲のよさを、少しだけうらやましく思うのだった。
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