大宮姉、弁当をつくる

「おおみやー、昼どっか行く? それともコンビニ?」


 昼休みになって、一期上の山室さんに声をかけられた。山室さんは気まぐれに、週に何度か声をかけてくる。


「今日は持ってきてるので」


 今日は声をかけられたくなかったなと思いながら、なるべくさらりと返した。どうか、これ以上突っこんで来ませんように。


「珍しいなあ。てか何だよそれ! 弁当じゃん、どうしたんだよ、お前まさか彼女か!?」


 僕の願いもむなしく、目ざとく横にあった弁当のバッグに気づいて迫ってくる。山室さんの声は無駄に大きい。事務所内でちらほら視線が向けられている。だから嫌だったのに。


「…違います。姉が、自分の作るついでに作ってくれて」

「姉ちゃん! いいよなあ羨ましい。おれも兄貴じゃなくて姉ちゃんがほしかった!」


 山室さんは心の底から羨ましそうに言う。なんとなく姉に「優しい」という形容詞がつけられている気がして居心地が悪い。


「槙田さんは?」

「俺も朝買ってきたからいいや」

「なんだーおれも買ってきとけばよかった。じゃあ出かけます」


 言うが早いか、山室さんは嵐のように行ってしまった。外に出かける人に声をかけているので、外で誰かと食べたい気分なのかもしれない。


「あいつ姉ちゃんが二次元みたいにむやみに優しい生き物だとでも思ってんのか」


 横から槙田さんのげんなりした声がした。槙田さんはぼくの課の五期上の先輩だ。クールな印象が強いが、面倒見はよく、僕は日々お世話になりっぱなしだ。


「あいつらは男兄弟なんぞ使い勝手のいい下僕ぐらいにしか思ってないんだ。あんな優しさに満ちた幻想の生き物は存在しない」


 いつも悟ったように平然としているのに、やけに感情的だ。正直、こんな槙田さんを見るのは初めてだ。


「槙田さんもお姉さんがいるんですか?」

「姉と妹、な。あいつら急に徒党を組んだりするの、まじなんなんだよ」


 苦虫を噛み潰したよう、というのはこういう顔なんだな、と思う。姉に振りまわされるのは、僕だけではないらしい。いつも淡々と物事をこなす槙田さんの、意外な一面を見た気がした。


「でも大宮んとこは弁当作ってくれるくらいだから、うちとは違うか」

「そんなことないですよ。弁当これも、たぶん何かの影響受けて作り始めたと思うんですけど、作り置きとかって余るし、普通に作るにしても二人分のほうが量作りやすかったりするじゃないですか。それで、余らせたくないから僕の分も作ったんだと思うんですよね」


 そしてたぶん、そろそろ飽きてきているのだと思う。僕の予想では、来週にはもうやめていることと思う。


「なんとなくそうだろうとは思ってたけど、大宮は女兄弟いるよな。山室は男兄弟ってかんじする」

「わかるんですか?」

「わかるだろ。大宮は微妙なとこあるけど、山室はいかにも。あいつ良くも悪くも女のこと信じてるし期待してるかんじするじゃん。女のテンプレは女らしいものだ、みたいな」


 槙田さんは隣で買ってきた弁当を広げ、割り箸を割りながら、わかるようなわからないようなことを言う。はあ、と曖昧な相槌をしながら、僕も包みを広げて弁当箱のふたを取った。


「な!?」


 僕は驚愕の声とともに素早くふたをしめた。


 やられた。これは姉の嫌がらせだったのだ。違う、姉からしたら、たぶんほんのいたずらなのだろう。


 槙田さんは頭を抱える僕の様子に、好奇心を抑えられなくなったのだろう。横から手を伸ばして、ふたを開けた。中を見た槙田さんは小さく吹き出した。


「おまえの姉ちゃん、おもしろいな」

 槙田さんは他人事のように言う。実際、他人事なので完全に面白がっている。


 ご飯の上に敷き詰められた真っ黒なのりの中央に、大きなハート型のスライスチーズがのっていて、上にケチャップでLOVEと書かれていた。姉が朝、さも親切そうに「揺らさないようにね」と言っていた意味に気づいた。この状態で、ふたを開けさせるための布石だったのだ。


 僕はケチャップの文字を潰しつつ、スライスチーズを折りたたむようにはがした。ところが、はがしたところには一回り小さな白抜きのハートが登場した。敷き詰められていると思っていたのりは、実は中央のハート部分を残してのせられていたのだ。


 あ、に濁点のついた、声にならない声がもれる。普段は大雑把なくせに、こういうところだけ妙にこだわりを見せる。


 そのくせ、おかず部分には卵焼きと鶏肉の照り焼き、ピーマンの塩昆布あえ、それとミニトマトが入っているが、いかにも崩れないように押し込みました、といった状態で、お世辞にもきれいとはいえない。ご飯部分で力尽きたに違いない。


 僕が白飯のハートを見つめたまま固まっている横で、槙田さんは肩を震わせている。もちろん泣いているのではなく、笑っているのだ。


 今度はのりを引っ剥がしてはみたものの、かつお節と醤油の色が淡く残り、うっすらとハート型が残った。手が込んでいる。この場合、もちろん嬉しくない。


 ご飯を混ぜるように箸で崩すと、ようやくハートが見えなくなった。ようやく僕は息を吐いた。


「笑いすぎですよ、槙田さん」


 僕が責めるように言うと、槙田さんは小刻みに震えるのを何とか堪えるようにして深く呼吸をしようと試みている。


「悪い、ちょっと何ていうか予想の斜め上すぎて。いや、他人事だから笑えんのはわかってんだけど、センスありすぎだろ」


 姉という存在に振りまわされている仲間としては、一応気の毒に思う心があるらしい。しかし、気の毒を上回る姉のいたずらのおかしさ。


「もういいです。見たのが山室さんじゃなくてよかったです」

「たしかに」


 ふてくされて言う僕に、槙田さんが同意する。ようやく笑いがおさまったらしい彼は、もしも山室さんがここにいたらと想像して本気でほっとしてくれている。


「あいついたら騒ぎそうだもんな」

「あさっての誤解をされそうで怖いです」


 僕はため息をついて、端に押し込んであったミニトマトを口に放った。皮が弾けて、口の中に酸味が広がる。


 ピロン、とスマホが鳴った。姉からのメッセージだった。アプリを開くと『ちゃんと食べられるお弁当でしょ?」という言葉とともに、姉の弁当の写真が添えられていた。


 ちゃんと食べられない弁当ってどんなだ、と思いながら写真を見て、やられたと思う。


 姉の弁当にはチーズどころかのりすらなく、ご飯の中央には梅干しが乗っていた。僕はたしかに梅干しが好きじゃないけれど。こっちのほうが断然手間がかかっているのもわかるけれど。僕の不満に対する返事まで用意されているようで悔しい。


 実際、梅干しの嫌いな僕のために、のり弁にしたのだと言われたら文句も言えない。その上、僕の弁当以上に姉のおかずは詰め方が雑だった。


 僕は遊ばれているのを悔しく思いながら、鶏肉の照り焼きをほおばった。甘辛い味が、僕の好きな味だった。


『びっくりしたけどおいしいよ』と打ってから、前の部分を消して『おいしいよ』だけにして送信する。続けて『ありがとう』と送っておく。いたずらへの反応はしないに限る。


 山室さんが戻って来る前に、完食しなければ。もぐもぐと口と箸を動かす。もしも姉がまた弁当を作ってくれるようなことがあったら、絶対に誰もいないところで食べようと固く心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る