大宮弟、お菓子作りがお好き

 お昼休憩が遅くなってしまった。誰もいない休憩室のすみっこで、ようやく昼休みをとる。


 休憩室といっても資料やダンボールが場所をしめ、テーブルと椅子があるから社内の打ち合わせやお昼休憩に使われている部屋だ。途中で社内の打ち合わせが入って追い出されたら嫌だなと思いながらお昼を広げる。


 今日のお昼はマフィンとサラダとヨーグルトだ。マフィンは二つ、ほうれん草とクリームチーズのマフィンとチョコチップ入りのマフィンだ。


 ここはやっぱりおかずマフィンから、と一口かぶりつく。生地がほんのり甘いのだけど、クリームチーズとほうれん草がおやつではなく食事だと主張してくれる。おいしい。


 幸せだ。午前中の疲れもやわらいでいく気がする。夢中でもぐもぐしていると、背後の扉が開いた、音がした。

「お疲れさまでーす。あ、今昼休み? ごめん邪魔するね」

 入ってきたのは、須賀さんだった。課は違うけど歳が近いこともあり、仲良くしてもらっている。わたしが中途採用で入ったときにはすでにいたので先輩にあたる。


「お疲れさまですー。全然大丈夫です」

「何それマフィン? 中に何入ってるの?」

 何か取りに来たらしい須賀さんは、わたしのお昼に目を止めて、足も止めた。


「こっちはほうれん草とクリームチーズチーズで、もう一個はチョコチップです」

「めっちゃおいしそう! どこのお店の?」

「これ買ったやつじゃなくて」

「何何、手作りなの? 大宮さん自分で作ったの?」

 須賀さんのまなざしが怖い。誤解されそうだ。


「いえ、わたしじゃなくて。弟が作ったんですよ」

 なっちゃんごめん。隠しているのは知っているけれど、わたしはお菓子作りが趣味だなどと嘘はつけない。即バレる。女子力アピール女子になってしまう。


「弟さん? すご!」

「作るくせに自分じゃ甘いものあまり食べないんですよ」

 わたしが何か作るとしたら食べたいという欲求を満たすためである。何をモチベーションにして夜な夜な作っているのか、甚だ理解しがたい。おかげで誘惑に勝てない日々だ。


「もしかして残業のときにたまに食べてるお菓子とかも?」

「あ、そうです。何せなくならないので。母が職場に持ってったりもしてるみたいなんですけど、弟が隠したがって。母も子どもが作って、とか言って濁してるもんだから、たぶん母の職場ではわたしが作ってると勘違いされてますよ」

「あはは。お菓子作れる男子なんて、超いいけどね」

「わたしもそう思います。好感度あがると思うんですけどねー」


 ここぞとばかりにアピールすればいい、と常々思っているのだけど。なぎが職場に持っていったりしているのは見たことがない。


「いいね、甘いのに困らないでしょう?」

「別の意味では困ってますけどねー。ダイエットとは、てかんじで。弟に言ったんですよ、どうせ作るならお菓子じゃなくてパンにしてよ、て。でも、全然違うって言われちゃって。パンなら主食になるじゃないですか」

「甘いの食事にできる人もいるけどね。でもそのマフィンは惣菜パンぽい」

「わたしのリクエストというかわがままというか。甘くないやつって言ったら、十回に一回くらいはこういう系も作ってくれるようになったんですよ」

 たぶん姉がしつこくて面倒だったんだろう。おかげでわたしはおかずマフィンを食すことができる。


「仲いいね。弟さん、いくつ?」

「二十四です。歳離れてるせいか、昔からけんかはほとんどないですね」

「面倒みてきたかんじ?」

「いやいや、むしろ向こうがわたしの面倒みてると思ってるんじゃないですかね」


 あはは、と須賀さんが笑う。冗談だと思ったらしい。そんなつもりはないのだけど。凪はときどきわたしに、珍獣を見るような目を向けてくる。珍獣のお世話だとでも思っているのではないか。


「すっかり邪魔しちゃったね、じゃあちゃんと休んで」

「ありがとうございます」

 須賀さんはぎちぎちに中身の詰まったファイルを二冊抱えて出ていこうとする。


「あ、須賀さん」

 ふと思いついて声をかけると、須賀さんが振り返った。


「今度お菓子持ってきたらもらってくれます?」

 おいしいけれど、いつも溢れんばかりの量で、かと言って捨てるのももったいない。もらってくれる人がいたら嬉しい。「おいしい」を共有できる人がいたらもっと嬉しい。


「大歓迎!」

 須賀さんがおちゃめに両手を上に伸ばして、やったーという喜びを全身で表現してくれる。

「ありがとうございます。今度持ってきますね!」

「むしろこっちがありがとうだよ」


 手を振りながら出ていく須賀さんに、わたしも手を振り返した。須賀さんの消えた扉に向かって両手を合わせて拝んだ。


「須賀さん本当にありがとう」


 凪のお菓子の納品先が新たに見つかってよかった。わたしの体重増加リスクが少しは減ることだろう、たぶん。


 マフィンをもう一口食べながら、うま、と思わず呟いた。おいしさを噛みしめながら、やっぱりリスクは減らないかもしれない、と思うのだった。


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