第482話
フィリップがアズール・ファミリーとアンバー・ファミリアに遭遇した、その翌日。
ノアも含めた聖痕者たちは帝城の一室に集合していた。
四人がいるのは、絢爛ながらも落ち着いた雰囲気の談話室だ。
シャンデリアの蝋燭は全て取り払われ、壁の燭台と窓から差し込む日光を乱反射させて輝いている。夏場と言うこともあって暖炉に火は無く、部屋は少しだけ薄暗い。
ルキアとステラは四人掛けソファの両端に座り、肘掛けと背凭れに体重を預けている。
ヘレナとノアはチェス盤の置かれたゲームテーブルに対面して座っている。盤面はかなり動かされており、殆どの駒が盤外へ出ていた。
「──と、まあそんな感じです。先輩方が仲良さそうにしてる時点で何かあるだろうとは思ってましたけど、いやあ、面白い子ですね」
昨夜カジノで起こったことのあらましを語り終えたノアは、けらけらと笑いながら一手動かす。
直後、動かした駒を元の位置に戻そうとしたが、ヘレナにぺちりと手を払われ、大袈裟に両腕を挙げてのけぞった。
盤面上、まだ勝負は付いていない。
だが、その一手のミスが原因で十数手先で詰むと、二人には分かっていた。
「もう一戦やりましょう。……で、カルトに親でも殺されたんですか、あの子?」
駒を並べ直しながら、ノアは斜め後ろ辺りにいるルキアとステラを振り返る。
「……そんな感じだ」
「それで、用件は? 教皇庁からの説明役が来るまでもう少しかかると聞いているけれど」
本人不在で語ることを避けたのか、語ること自体を厭ったのか、ステラは端的に応じ、ルキアが話題を変える。
ノアもそれを聞くために三人を集めたわけではなく、すんなりと誘導に乗った。
「取り敢えず、先輩方が例の吸血鬼から得た情報を再確認して、魔王戦役について話し合えたらと思いまして」
「構わないぞ。重大な情報だからな、確認が過ぎるということはない」
ステラは一瞬だけ黙考し、これまでの大前提を覆した、新しい大前提から話すことにする。
即ち、“魔王とは何ぞや”という部分から。
「これまで人類が魔王だと思っていた存在は、その実、魔王の分身のようなものだった。その真の姿は七つの頭を持つ王龍であり、分身を何度封印したところで意味は無い」
魔王城の最奥、玉座にて挑戦者を待ち受ける悪魔の大首魁──これまで人類が魔王だと思い、懸命に討伐を試みてなお殺し切れなかった化け物。それが従来の魔王だ。
その本体は龍。
七つの頭と十の角、七つの王冠を持つ山の如き巨躯の王龍だという。
「魔王の本体は魔術的に隔離された別空間に居て、接触するには魔王陣営の幹部が持つ、“鍵”と呼ばれるオーパーツが必要だ。ただ、従来の魔王と接触するだけであれば、幹部連中はすべて無視して魔王城に乗り込めばいい」
「正直、想像もしていなかったわ。前回もそうだけど、これまでの魔王遠征は幹部なんか全員無視して、魔王城を真っ直ぐ目指していたのよ。魔王陣営の幹部と言っても、それぞれの領地の城に籠っていることが殆どだし、魔王さえ倒せばいいと思っていたから」
悔しそうに言うヘレナに、ステラは淡々と頷く。
「そう。人類はずっとそうしてきた。だからこそ、魔王は不滅だったわけだ」
淡々と、と言うには、ステラの声には笑いの成分が多かった。
ヘレナやその代の遠征パーティが浅はかだと笑ったわけではない。
ミナに教えられるまで魔王が化身であるなどと思いもしなかった、自分も含めた全ての人類を嗤ったのだ。
強力な配下が支配する領地の最南端、多くの悪魔に守られた魔王城の最奥に待ち構える、巨人の如き大悪魔。
なんともそれらしいし、それが魔王だと言われても、何の疑いも無く信じられる。何より、過去、勇者と聖痕者の連合パーティが挑んで殺し切れなかった事実が信憑性を高めている。
疑う余地は無かった。とはいえ、千年単位で人類すべてが欺かれてきたと考えると、悔しさより先に笑いが浮かんだ。
「例の吸血鬼は、その“鍵”を?」
「いいえ。魔王領域の城に保管してあるそうよ。……あぁ、一応言っておくけど、ミナは人類陣営の味方でもなければ、私たちに従属しているわけでもないから。「取って来い」なんて言ったら、貴女の首が取られるわよ」
笑いを堪えているステラに怪訝そうな一瞥を呉れ、ノアの問いにはルキアが応じる。
言葉の内容が揶揄やブラフではないと分かったのか、水属性聖痕者である軍人は「ほえー」と間抜けな声を漏らした。
「先輩にそこまで言わせますか。そんなに強いんですか?」
「貴女がワイバーンに騎乗して空を飛んだ状態からスタートしても、一手損じれば次の瞬間には死んでいるくらいには」
年上の相手に「先輩」と呼ばれることに、ルキアは未だに僅かな引っ掛かりを覚える。
敬意を向けられることには慣れているから、気になるのは呼び方だけだ。それも初対面の時に理由を聞いて、「好きにしなさい」とは言っているが、ルキアを「先輩」なんて呼ぶのは彼女だけ。学生時代でさえ、下級生からは「サークリス様」とか「サークリス聖下」と呼ばれていた。
しかし「相性で?」と恐る恐る尋ねる様子は、なんとなく庇護欲や教導欲のようなものを抱かせる。
ルキアは薄く笑みを浮かべて、「いいえ。地力で」と返した。
「わあ強い。……で、そんなのがあと何人居るんでしたっけ?」
「残り三人、全部で四人だ。いや、恐らく四人、だったか。現状は判然としていない」
言って、ステラは指を立てて数え上げる。
「城が人類領域から近い順に、吸血鬼、マーメイド、ダークエルフ、そして闇属性聖痕者。“鍵”の所有者はこの四人だと言われている。で──」
言葉を切ったステラの視線を受け、当の闇属性聖痕者は小さく肩を竦めてみせた。
先代の闇属性聖痕者は魔王の言葉を預かる預言者として、人類を裏切って戦った。
しかし今代にあたるルキアにその兆候はなく、魔王側に付くほど──人間社会の存続を望むフィリップと敵対するほど愚かでもない。
「……先輩、スパイしろって言われても突っぱねそうですね。「ソンナノウツクシクナイワ!」とか言って」
調子の外れた裏声にルキアが眉根を寄せ、ステラが苦笑気味に口元を歪める。
言っている内容自体は同意するところだが、声真似の精度が絶望的だった。
「そういう貴女も、スパイが務まるような演技力は無いわね」
「あっ、闇属性聖痕者だから言っただけで、本気でスパイを疑ってたわけじゃないですよ?」
「えぇ、私もよ。小馬鹿にしたような物真似が不快だっただけ」
にっこりと笑ったルキアに、ノアは薄ら寒さを感じて肩を震わせる。
「し、失礼しました! 流石に五歳から聖痕持ってる大先輩には吹っ掛けませんって!」
聖痕者になるには──人類最強の座に君臨するには、誰にも負けない才能に、誰にも負けない努力と成長性が必要だ。
魔術に限らずだが、戦闘技術は一朝一夕、十年そこらの研鑽で極められるものではない。
達人と呼ばれる域の武人に老年の者が多いのは、人生の殆どを修練に捧げた結果だ。五十年を、半世紀を費やして漸く、その域に手を掛けられる。
百年生きたミナは白刃戦に於いて究極の域に足を踏み入れているが、ルキアはたった五歳──およそ三年程度の研鑽で、全人類の魔術能力を超越したわけだ。勿論、光属性に限定した話ではあるが。
ノアがその域に至ったのは、ほんの五年前。
帝国軍に入り、今は亡き師匠の下で教えを受け、内紛の鎮圧という実戦を何度も繰り返した果てのこと。
ヘレナに言わせれば、その程度の経験で最強の座を手にするのは、やはり卓越した才能ありきなのだが──ルキアと比べると、やはり一歩劣る。
「話を続けても?」
「お願いします!」
そのルキアに匹敵するもう一人の化け物であり、染みついた平民根性が「従っておけ」と囁く王族に尋ねられて、ノアは慌てて頭を下げた。
「吸血鬼陣営の首領と目されているディアボリカだが、現在は正気を失っている可能性が高い。残念なことに狂死していなかった場合、かなり厄介な相手だ」
「ふむ。ヘレナ先輩に聞いた名前ですね。確か、始祖の継承者だか簒奪者だか……、“王龍殺し殺し”でしたか」
吸血鬼の始祖は王龍を殺し、その呪いを受けて同族食いの化け物になった。
そしてディアボリカは始祖の吸血鬼を殺して喰らい、吸血鬼へと変成した。
ルキアもステラも初めて聞いたときには「登場人物全員化け物だな」程度の感想だったが、魔王の正体が王龍だと知った後で考えると、また違う印象も抱く。
話に出てきた二度の「殺し」が純然たる殺し合いだった場合、格付けは強い順に、ディアボリカ、始祖、王龍。
王龍が最下位。どういうジョークなのかと。
いや王龍と言っても、1000年程度しか生きていない個体も居れば、数万年レベルの存在歴を持つ個体もいる。
過去、王龍によって齎された被害も、「町一個が消し飛んだ」「山が一つ無くなった」「海峡が出来た」と強さも存在格もピンキリだ。
だから単純に、ディアボリカが魔王より強いとは断定できない。
それはルキアもステラもヘレナも、皆分かっていることだが──それは別に、ディアボリカの強さを否定する要素ではない。
「えぇ。前回の魔王討伐遠征で、私たち遠征部隊が魔王城を真っ直ぐに目指した──魔王陣営の幹部に手を出さないことを決めた理由よ。手を出せば、魔王の下に辿り着くまでに欠けが出ると確信してね」
「……聖痕者五人に勇者までいて、それでなおですか?」
自分を含めた聖痕者の化け物ぶりを知るノアは、そんな疑問を口にする。
一般的な吸血鬼なら何度か倒した経験のある、片手間に倒してきた彼女としては、その最上位個体だろうと屠れる自信があった。ヘレナだってそのはずだ。
問われて、先の魔王討伐遠征に参加した転生者は、答えかねたように首を傾げた。
「当時にしてみれば、吸血鬼が日光の下を歩いているだけで大変な異常事態だったのよ? 今でこそ、彼らは能力の半減を嫌っているだけだと分かっているけれど、昔は日の光に触れると灰になると思われていたんだから」
魔物の研究も魔術の進化も日進月歩、百年前の常識は、今では半分近く覆っている。……なんて話を実感できるのは、この場にはヘレナだけだ。
しかし彼女の言わんとするところは、ルキアとステラにも分かった。
「奴らに何ができるのか。私たちは何をしたら危険で、どうすれば勝てるのか。その程度の情報もないのに無理に攻撃を仕掛けて、魔王戦の前に誰かが欠けることを危惧したのよ」
「あぁ……底が見えない相手って怖いですよね」
未知を詳らかにする行為には、いつだって危険が伴う。
それが人間を殺そうとしているモノの戦力に関することで、殺し合いの中で明らかにするしかないとなれば尚更に。
そこが終着点ならいざ知らず、魔王討伐という重大目標を前に、無闇に踏んでいいリスクではない。
「でも、神罰術式があっても戦いたくないほどの相手ですか?」
一撃必殺なのに、とノア。
聖痕者だけが使える神罰請願・代理執行権の行使である神域級魔術は、罪あるもの、邪悪なものの全てを浄化する。塩の柱に、塵の山に、潮溜まりに変えて。
属性によって多少の
未知を未知のまま踏み潰せるほど強力な魔術が、聖痕者にはあるはずなのに。
対するヘレナの答えは至って単純なものだった。
「えぇ。奴には効かなかった。魔王に加護を与えられていたのよ」
「……そして魔王が復活した今、奴には再び加護が与えられている可能性が高い」
戦って殺せないことは、まあ、ないだろう。
神罰術式は唯一無二の特殊な性能を持った魔術だが、それが効かないなら、普通に物理的な火力で押し潰せばいい。聖痕者たちにはそれが出来る。
だが、「戦い」にはなってしまう。
神罰術式を用いた一方的な粛清や駆除ではなく、お互いの命を奪い合う、正真正銘の殺し合いになる。
「うわぁ……」
嫌そうな、或いは面倒臭そうなノアの感嘆符が、この場の全員の心情を代弁していた。
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