第483話

 どれほど華々しい大都市でも、人の寄り付かない場所は必ずある。

 多種多様な目新しいものを並べ、明るく栄えた大通り。人々の暮らしに必要なすべてが揃ったそんな場所があれば、一本離れた小道にある商店街はすぐに寂れて消えていく。


 比較的新しい民家が集まった住宅街も、近くに墓地があって気味が悪いとか、近くに奴隷商の躾け小屋があって鬱陶しいとか、そんな理由で人が消える。


 全員ではない。

 だが全盛でもない。


 日向にはなれず、地下というほど暗くもない日陰。


 帝都に散在するそんな場所を、フィリップはアデラインに渡された地図を頼りに巡っていた。


 朝の八時くらいから帝都中を練り歩き、現在時刻は午後四時を回ったところ。

 カルトのアジトらしきものは幾つかあったが、どれも廃棄された後で、火の跡くらいしか見つけられなかった。


 そういうアングラなところを、如何にもお金持ちの観光客ですといった風情で歩いていれば、良くない連中に絡まれもする。一日を通して三回、ちゃちなチンピラに絡まれたが、うち二回は『深淵の息ブレスオブザディープ』一発でビビって降参し、残りの一回は上空を巡回していた騎竜魔導士にあっさり鎮圧されて連行されていった。


 しかし今、候補地点を残り四つにまで絞り込んだフィリップを取り囲んでいる連中は、そういう手合いとは毛色が違った。


 チンピラとは違って身なりを整えているというのも大きな差異だが、何より、その四人組は全員が揃いの指輪を着けている。真鍮の台座に小さなラピスラズリをあしらった、所属を示す装身具を。


 昨日アデラインに聞いた話だが、アクセサリーを着ける場所で組織内の階級を示しているらしい。

 最下層の指輪から、ブレスレット、ネックレス、ピアスと順に、頭部へ近づいていくのだとか。


 ともかく、メッセンジャーだという彼らは、フィリップにアデラインからの手紙を届けに来てくれたそうだ。

 真っ白な高級紙の封筒の中身は、「構成員と揉めたらこの手紙を見せろ」という旨の、行動保証のようなものだった。


 有難く受け取って立ち去ろうとしたフィリップは囲まれて引き留められ、今に至る。


 寂れた住宅街の小道。

 人目も無く、上空を飛ぶ騎竜魔導士もいない。戦闘に発展しても邪魔は入らないだろう場所だ。


 しかし、彼らには戦意が認められない。

 フィリップの感覚は人間の戦意なんかを気に掛けない程度には鈍いが、立ち位置や立ち方が戦闘を想定していないことは分かる。


 「俺たちが集めた情報を利用して金を貰うたあ、ガキはいいな。生きるの楽そうで」

 

 疎ましそうな、嫌悪感を前面に出した声。

 フィリップを見下ろして吐き捨てたのは、中年に差し掛かった男だ。草臥れたような顔とは裏腹に、スーツの下にある身体は度重なる実戦で鍛え上げられた戦士のそれ。装いが違えば冒険者ギルドに居たっておかしくない。


 「……そうでもないよ。おじさんみたいなのに絡まれるしね」


 治安の悪い区画を重点的に廻っていたとはいえ、既に三回も絡まれていて機嫌が最悪だったフィリップも、同じくらいのテンションで言い返す。


 歩き詰めで足が痛いし、服も暑苦しくて鬱陶しい。

 今日中にカルトの拠点を一つは潰せると思っていたのに、このペースでは襲撃は明日に持ち越しかもしれないのも腹が立つ。


 「……大人の仕事の邪魔して楽しいか?」

 「僕は楽しくてカルトを殺してるんだから当たり前じゃん。おじさんこそ、子供の遊びの邪魔して楽しい?」


 ノータイムで言い返すと、彼らは面食らったようにたじろいだ。


 彼らとて、殺人行為を仕事と割り切って実行できる、一般的な感性を麻痺させた側の人間ではある。

 だからこそ、殺人行為に娯楽性を見出した子供がどれほど異常な感性を持っているのかが理解できた。


 しかし──残念なことに、裏社会ではそんな子供も稀に見る。

 10歳そこらで殺し屋をやっているような境遇なら、想像したくも無いような理由で人間性を取りこぼしてしまったとしても、何ら不思議はない。……まあ、フィリップは殺し屋ではないけれど。


 「口の減らねえガキだな……。まあいい、姐御の命令に逆らう気はねえよ。おい、あれを」

 「ほらよ。生意気だが腕の立つ殺し屋だと聞いてるぜ。遊びとか言ってないで、仕事はキッチリこなしてくれよ」


 フィリップに絡んでいたのとは別な男が、放り投げるような乱雑さで小さな麻袋を寄越す。

 片手で持てるサイズで、中身は服か何かだろう。かなり軽く、柔らかい。店で買ったにしては梱包ラッピングが無骨だが。


 「これは?」

 「アンバー・ファミリアに扮するためのローブだ。顔を見られたり合言葉が言えなきゃアウトだが、まあ近づくためのカムフラージュくらいには使えるだろ」


 中を覗くと、確かにあの薄汚れたマントが入っている。

 なるほどと頷きかけたフィリップは、しかし、それを使っているところを想像して顔を顰めた。


 フードを被って顔を隠し、体格と長剣を隠すようにローブを巻き付けてアジトへと接近する。

 見張りをしているカルトは仲間だと思って接近を許し、声の届く距離まで近づくと「合言葉は?」なんて確認をするかもしれない。その瞬間、ローブを脱ぎ捨てて全速力で接近し、斬り伏せる。


 そして見張りを信頼して弛緩し切った空気の漂うアジトへ踏み入り、「なんで」「見張りは何を」と喚くカルト共を、一人一人丁寧に嬲り殺す──。


 ……まあ、作戦としては悪くない。

 少なくとも、ルキアプレゼンツのジャケットスタイルで堂々と接近するよりは、襲撃を悟られにくいはずだ。


 しかし、一つだけ重大な問題がある。


 「……いい発想だと思うし、提案してくれたことは有難いけど、遠慮しておくよ。カルトの格好なんかしたらゲロが止まらなくなって死ぬ。想像しただけで吐きそうだし」


 袋を投げ返し、フィリップはなけなしの魔力で手を洗う。

 フィリップの魔術性能の低さを知らないマフィアたちは、初級とはいえ攻撃魔術の詠唱に身構えたが、攻撃の意思が無いと分かると怪訝そうな顔をしつつも警戒を解いた。


 「はあ? 言ってる場合か? 見つかったら足止めされて、大部分に逃げられるって聞いてんだろ?」

 「生理的な話だよ。無理なものは無理だ」


 ハンカチで手を拭きながら、フィリップはすっとマフィアの包囲を抜け、目指していた方向へ歩き出す。


 彼らも引き留めることはせず、背後から「勝手にしろ」という言葉と舌打ちだけが聞こえた。



 ◇



 それから一時間ほど経った後。


 候補地の一つである潰れた酒場には、激しい剣戟音が鳴り響いていた。


 フィリップが踏み入った瞬間、物陰から飛び出して踊るように斬りかかってきたのは、黄土色のローブ姿の二人組だ。

 得物は碌な手入れもされていないロングソードだが、技量が卓越している。


 フィリップの得物は龍骸の蛇腹剣、鉄さえ切り裂く人造の魔剣だ。

 それと打ち合い、剣戟音を鳴らすことが出来るとなると、素人では有り得ない。


 単なる宗教家ではない。

 冒険者か、兵士か。或いは本物の殺し屋か。


 フィリップは散乱したままに打ち捨てられた椅子やテーブルの残骸に移動を制限され、『拍奪』の歩法抜きで戦わされている。


 一手押され、一手凌ぐ。

 その繰り返しだ。


 戦闘開始から十数秒で、フィリップは完全に押されていた。


 「っ!」


 連携攻撃を回避し、翻ったジャケットの裾が切り裂かれる。

 手入れのされていないナマクラの刃は、最上級の生地を噛み千切るような乱雑さでどうにか通した。


 フィリップの反撃は片割れに弾かれ、首を切り落とす軌道から逸れる。


 「面倒な──!」


 思わず、フィリップは苦々しく呟く。


 戦況はほぼ拮抗している。

 

 技量はフィリップが一歩優り、武装では圧倒的に優位だ。

 しかし体格と数でカルトが勝り、優位性がかなり相殺されている。


 足場が悪く、フィリップの理想的な戦闘スタイルを展開できないのも辛い。加えて──。


 「近い──!?」


 予想を大きく外れた間合いの詰め方をしたカルトを、フィリップは足元を狙って牽制し、押し留める。


 「何今の、タックル? 触らないでよ気色悪いなあ……!」


 嫌悪のままに吐き捨てるフィリップ。


 今のはタックルどころか、抱き着いてキスするような勢いだった。

 ロングソード同士の戦闘ではまず有り得ない間合いの詰め方は、拘束でも試みたのだろう。


 二対一だし、成功すれば勝敗は決すると言ってもいい技だが、動きが無防備を通り越して迂闊なほどだった。傷を負うことも死ぬことも、まるで恐れていないような。


 さっきから、奴らの戦形にはこの手のものが多い。


 捨て身。

 それも肉を切らせて骨を切るような生温いものではなく、一人が切られて一人が切るくらいの、戦っている三人のうち二人が残るケースを想定していないような苛烈さだ。


 戦闘開始から数分。

 二対一でも絶対に挟撃されないように立ち回るフィリップを見て、普通に殺すのは不可能だと判断したのだろう。


 だが、それはフィリップも同じだ。

 このまま二人と戦っていたって埒が明かないし、こいつらが守っているのだろう仲間に逃げられても面倒だ。


 今のところ、酒場の中を大勢が移動した気配はないし、フィリップは入口を背にしている。

 しかし裏口なり窓なり、脱出口は正面以外にも沢山あるだろう。悠長に遊んではいられない。

 

 フィリップは静かに構えを変える。

 顔の横で剣を地面と平行に寝かし、切っ先で相手の首元を狙う。


 突きに特化した攻撃的な構え。

 足を開いて強く踏ん張るような姿勢は、即座に走り出せない代わりに一撃の威力を求めるもの。


 フィリップの持ち味である攪乱戦闘も技量に依った攻撃能力も、何もかもを捨てたようなスタンスだ。


 得意を捨てたのは、拮抗した状況を打開するための破れかぶれか。慣れない構えは、そこかしこに隙を生じている。


 ……一見すると、そう見える。 

 しかしフィリップは状況に反して、意外なほど焦っていない。


 隙を作ったのも、勿論わざとだ。


 「──、ッ!」


 三人が同時に動く。


 突きの動きに反応して、狙われた方のカルトが照準先である喉元を剣で隠す。片割れは合図も無く、フィリップを迂回するように大きく弧を描いて移動する。


 そして──殺せるという確信の下に放たれた一刺しはボロボロの長剣に受け流され、、黄土色のローブに包まれた胸元を貫いた。

 人造の魔剣は胸筋も肋骨も気に留めることなく水の如くに。人体を破壊した手応えが殆ど無い、武器の鋭利さを十全に活かせた一撃だ。


 がらん、と音を立てて、ナマクラのロングソードが床に転がる。

 ごぼりと聞き汚い音と共に、カルトの口から大量の血が溢れる。


 肺と、恐らく心臓も傷ついている。

 こいつの死は確定した。


 フィリップが確信した直後、がくんと剣に振動が加わる。


 胸元を刺し貫かれたカルトが、口から大量の血を吐きながらも歪な笑みを浮かべ、両手が震えるほどの力で龍貶しの刀身を握っていた。


 器用なことに、刃部に触れないよう腹の部分を指先で掴むように。

 そして恐ろしいことに、剣を引いてもビクともしないほどの力で。


 瀕死でありながら。いや、臨死だからこそか。脳のリミッターが外れている。


 フィリップは視界以外の感覚で、残りの一人が自分の背後に回っていることと、既に剣を振り上げた攻撃態勢であることを察知した。


 剣が拘束されている以上、防御は出来ない。

 しかし回避しようにも得物から手を放すほかなく、続く攻撃を防ぐ手立てを失う。貫かれた男を動かして盾にしようにも、踏ん張る力も剣を掴む力も常軌を逸している。とても動かせそうにない。


 カルトの捨て身が生んだ絶体絶命の状況──なんてことは、別にない。


 「っ!」


 フィリップは刺したカルトの背後に、盾にするかのように回り込む。

 片割れはそんな拙い防御を嘲笑い、最小限の動きで仲間を迂回すると、フィリップの頭を目掛けて渾身の一撃を振り下ろした。


 碌に手入れのされていないロングソードは、頭蓋骨を綺麗に両断できるほどの鋭利さを持たない。

 叩き割るように、挽き潰すように、圧し割いて殺す。


 そして──管楽器のような澄んだ音を立てて、ナマクラの半身が宙を舞った。


 フィリップは姿勢を下げつつ、右腕だけは天を衝くように突き上げている。

 その手中にはドラゴンハイドの巻かれた柄があり、そこから瀕死のカルトの胸元まで、複数の節に分かれた刀身と、それらを繋ぐ細かなチェーンが伸びていた。


 刀身を掴まれ、移動するには剣を捨てるしかない──なんて、それは彼らの勘違いだ。

 龍貶しは最大伸長時四メートルの長さを持ちながら、身体操作の運動量を先端部までロスなく伝える柔軟性を持っている。


 鉄剣を切り落とすだけの鋭利さも、同時に。


 しかし剣の半分が失われたからといって、殺人能力の全てが無くなったわけではない。

 

 驚愕による硬直は一瞬。

 カルトは再び剣を振り上げ──乾いた炸裂音が二度、潰れた酒場に響き渡った。


 胸と頭部に小さな、しかし致命的な穴を開けたカルトが崩れ落ちる。

 振り上げた剣を振り下ろすだけの余裕も無い完膚なきまでの即死は、脳幹部損傷によるものだ。


 それを見届けて、胸を刺し貫かれたカルトも限界を迎えて頽れた。


 力の抜けた骸を踏みつけて刃を抜き、血を払って鞘へ納める。そしてフィリップは左手にあるペッパーボックス・ピストルへ目を落とし、一言。


 「……欠陥品か、もしかして」


 銃声は二発。放たれた弾丸も二発。しかしフィリップはその直前、トリガーを三度引いていた。


 胸に二発、頭に一発撃ったのに、発射されたのは二発だけ。

 頭部を狙った弾丸が発射されたから良かったものの、胸に二発当たったくらいなら攻撃を続行出来ただろうと、まだ足の下にある死骸を見れば想像は付く。


 不発弾が二発目だったのは幸運だが、そもそも不発しないでほしい。

 投石教会で落ち着いて撃っていた時には無かった現象なので、摩耗か、激しい動きが原因の動作不良か。王都に帰ったらフレデリカに改良を頼まなければ。


 「まあ、そんなことはどうでもよくて」


 いま重要なのは、いま殺した二人が守っていたのだろう、仲間のカルトを殺すことだ。


 フィリップは酒場の中を探索し、すぐに地下階へ続く階段を発見する。

 飾り文字で「カジノフロア、地下」と書かれた看板が、掛かっていたのだろう壁から落ちて、床で埃を被っていた。

  

 しかし階段それ自体に埃は積もっておらず、まだ頻繁に使われているのではないかと思わせる。


 「……ふむ」


 露骨に怪しいと認めたフィリップは再び剣を抜き、階段をゆっくりと降りて行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る