第476話

 聖痕者たちと三国首脳による会合は、数日後から始まるそうだ。まだ聖国陣営の代表者が到着していないらしい。

 そんな話を聞いたのは、ルキアとステラがフィリップの泊まる宮殿とやらを見に来たときだ。


 フィリップとノアが本当に窓から縄梯子を垂らして出入りできるようにして、げらげら笑っているところにやって来た二人は、まあまあ胡乱な目をしていた。

 二人の知るフィリップは、好待遇で調子に乗ってはっちゃけるタイプではないし、梯子があるからと言って窓から出入りするほど腕白でもない。どちらかと言えば行儀も素行も良いほうだ。


 理由を説明して正規ルートを案内した後は、二人とも微妙な顔で「怪我はしないように気を付けること」とだけ言って、止めはしなかったけれど。


 「……その、なんだ。これでも“世界最大の美術品”と名高い、人類の至宝だ。そこに泊まれるなんて、帝国の貴族でも普通ありえない栄誉だぞ」

 「まあ……そうね」


 フィリップの部屋に集まった三人は、いつもステラの私室でしているようにティーテーブルを囲んで駄弁っていた。


 「縄梯子アレ使っても、庭園を抜けて街に出るまで10分ぐらいかかるんですが……」


 テーブルに突っ伏して虚ろに呟くフィリップに、ルキアとステラは顔を見合わせる。

 ルキアの公爵家本邸じっかの庭も、ステラに至っては王城じっかの私室から王都に出るまで、普通にそのくらいかかる。二人にとって十分に豪勢な建物、十分な饗応といえば、このくらいのものだ。


 「そもそも頻繁に外に出るものじゃないんだよ、ここは。皇帝の執務室や寝室だけではなく、パーティーを開くためのフロアも、祈りを捧げるための礼拝堂も内包した宮殿。一生ここから出ることなく人生を終えられる……捕囚ではなく、正しく貴種としての人生を謳歌できる。だから、下々まちになんか触れる必要が無いんだ」

 「あー……、まあ、ミナがフラフラ帝都を出歩いても困るでしょうし、妥当な判断ではありますよね。それは分かりますよ」


 ステラの説明を受け、フィリップはこの待遇が隔離を兼ねていることを理解する。

 二重の意味で、これはミナに相応しい扱いだ。人の群れから隔離するのに軍隊や鉄格子が使えない、意味がないというのなら、より快適な空間を用意して誘導してやればいい。


 実際、ミナが一緒だったら「町に行こう」と言っても渋い顔をしただろう。ペットのお散歩を禁止するほど無責任ではないので、最終的に付き合ってはくれるだろうけれど。


 部屋の中にいる分には、快適だ。とても。

 退屈になっても、宮殿内を観覧するだけで二、三日は潰せると思う。


 だがそんなことはどうでもいい。重要なのは狩り場へのアクセスだ。

 

 「フィリップがカルト狩りをすること自体、想定もしていないでしょうしね」

 「……ですね。僕がホスト側でもそんな想定はしないです」


 傾けていたティーカップをソーサーに戻し、ルキアが静かに言う。

 まあ確かに、魔王対策の話し合い目的で呼んだ聖痕者に、カルトへの憎悪に満ち満ちたウッキウキの殺人鬼が付いてくるとは思うまい。というか、そんな想定が出来るなら先んじてカルトを狩っておくべきだ。


 仕方ない……なんて言えた立場ではないくらい、素晴らしい待遇ではある。


 「それで、これからどうするんだ? カルト狩りとは言っても、相手の具体的な居所に目星は付いていないんだろう?」

 「はい。そもそも土地勘も無いですし。なので、まずは帝都の裏事情に明るい人を探そうかと」

 「探す? アズール・ファミリーと接触するつもりか」


 フィリップの思考を一瞬でトレースしたステラに、尊敬の念と安心感を同時に抱く。

 帝国を主な活動地域とするマフィア、アズール・ファミリー。彼らとてカルト同様に秘密組織だが、カルトよりかは大っぴらに活動している。その素性を公然とはしていないが、違法行為を働く構成員は確かに存在し、有難いことに所属を示すアクセサリーまで付けてくれている。


 探索と接触自体は、そう難しいことではないはずだ。

 そこからカルトの情報を引き出せるかどうかは、また別の話だけれど。


 「はい。聞くところによると対カルトで有用な戦力は高く買って貰えるそうなので、情報料要らずかなって」


 渋るようなら何人か殺して見せしめにするか、拷問して吐かせる。

 敢えて口にしなかったその展開予想を、理解者様は正確に読み取って苦笑気味だ。


 少し遅れてルキアもカルト狩りマニアが何を考えているか大体察したようだが、二人とも、特に苦言を呈することは無かった。他国の犯罪組織がどうなろうと知ったことではないのだから。

 

 その代わり、ルキアはフィリップの期待通りに事が進んだ場合のことを考え、首を傾げた。


 「でも、その場合はマフィアの指揮下に入ることにならない?」

 「あー……、確かに?」


 カルト狩りの戦力として計上されるということは、指揮下──命令系統に組み込まれるということかもしれない。

 冒険者への依頼が、目的だけ提示して手段等は一任する、という形式が多いから、マフィアの戦力調達アウトソーシングもそうだと勝手に思い込んでいた。だが、行動を逐一制限されたり、目的外のことまでやらされるようなら面倒だ。


 というか、フィリップはマフィアと協力するつもりは特にない。

 情報を貰い、彼らの敵を殺す。それだけだ。虐殺の動機にフィリップの憎悪以外の何も、介在する余地は無い。


 マフィアに雇われるのは、まあ、別に構わない。それが情報開示の条件で、情報を貰うのに一番手っ取り早くて楽な展開だというのなら、そうしよう。


 だが命令に従うつもりなんか無い。

 たとえ「カルトを殺せ」という命令でも気分次第で突っぱねる。


 殺したいように殺す。

 虐めたいように虐める。


 なるべく苦しめて。

 なるべく惨たらしく。


 だから。


 「……非合法的なことには触れないようにね。帝国ここじゃステラの声も通りが悪いでしょうし」


 そんな心配は、杞憂でしかない。

 フィリップはルールを守るほうだ。「宿の部屋でオレンジを剥いてはいけない」と法律で制限されたら、誰も見ていなくても愚直に守る。


 ……とはいえ遵法意識が高いとか、道徳心に溢れているというわけでもない。

 基本的な人倫や道徳心を持っていないわけではないが、感情でそれを踏み躙るのだから、先天的に社会性が欠如しているよりも質が悪い。


 罪も殺人も、感情で犯す。


 だからこそ、他人の言いなりに罪を犯すことなどない。

 仮にマフィアが情報開示に際して「覚悟を示せ」なんて言って犯罪行為を強いたのなら、フィリップはそれを厭い、マフィアを拷問した後に殺すだろう。


 「非合法って……あ、いや、カルト狩りは合法なんでしたっけ」


 カルトが何人いるかは不明だが、何人いても関係ない。百人いれば百人、千人いれば千人、逃すことなく殺すだろう。

 これから大虐殺を引き起こそうという人間に何を言っているのかと苦笑したフィリップは、今まで気にも留めていなかった法律のことを思い出す。


 王国だけでなく帝国も、一神教を信仰する全ての国家に於いて、カルトを殺すことは認められている。

 どの国でも殺人は重罪だが、正当防衛同様の例外規定として、相手がカルトだった場合は罪が免じられる。


 「……まあ、拷問は多少咎められそうだけれど」

 

 確かに、とフィリップは半笑いで同意する。


 カルト狩りや拷問をやめろとフィリップに言って、従わせられる人間は限られる。

 そのうちの二人は、いま同じテーブルを囲んで笑っている。フィリップを止める様子は無い。そして現在帝国にいる“限られた人間”は、彼女ら二人だけだった。


 つまり。


 もはやフィリップを止める者は、止められる者は、帝国の何処にも居なかった。



 ◇



 その日の夜。

 ルキアたちは帝城に戻り、フィリップも大広間で食事を終え部屋に戻った後のこと。


 「ヘイ! 運だけのカス! ボコボコにしてやるからカジノいこー!」

 「わあ魅力的な誘い文句。実際運だけだし、気の利いた返しができないのが辛いですね」


 食後の穏やかな空気も吹き飛ぶハイテンションな声。

 宮殿の書庫にあった本を持ってきたはいいものの、つまらなそうに緩慢に繰っていたフィリップは、漸くかと口角を吊り上げる。


 美術品に囲まれた空間でトレーニングも出来ず、さりとてぼーっと時間を潰せるほど落ち着ける空間でもなく、ノアを待っている間は本を読むくらいしかやることが無かった。


 読書は好きだ。

 だが先々代皇帝は読み物フィクションに興味の無い人物だったらしく、書庫のラインナップは大層つまらないものだった。

 

 仕方なく見繕ってきたのは、精神医学の専門書と用語辞書だ。

 正直、全く面白くはない。内容の半分も理解できていないだろうという確信もある。魔術学院に入る前からこの手の本をチマチマ読んできたおかげで、理解率ゼロではないだけマシだが。


 「行きましょう。どのくらい持って行けばいいですか?」


 さっさと本を閉じて立ち上がったフィリップは、一応の護身用として蛇腹剣を佩き、トランクを漁って巾着袋を取り出した。

 

 「あー……、別に持ってかなくてもいいよ? あたしもお金に困ってるわけじゃないし、ただリベンジしたいだけだから。奢ってあげる」


 根に持っていたのは賭けではなくゲームに負けたことだったらしく、淡々と語るノアに挑発の気配はない。


 「それじゃ楽しめないっていうなら、あとで返してくれればいい。というか今から行くとこ、王国貨使えたかどうか怪しいんだよね」

 「へぇ、行きつけなんですか」

 「まあね。ほら見てコレ、VIPの証」


 そう言って取り出されたのは、金色に輝くチップだ。

 金貨と一瞬でも見間違える煌めきは、真鍮や黄鉄ではなく本物の金のそれ。薄い鍍金だとは思うが、そうではないとしたらとんでもない価値になる。なんせ金貨より大きい。


 「おぉ。僕も似たようなの持ってますよ、ほら」

 「いや出禁チップじゃん。後生大事に持ってるの初めて見た……」


 フィリップは弄んでいた黒いチップを巾着袋の中に入れ、トランクに仕舞う。

 帝都では王国貨が換金無しで使えるという話だったのだが、どの店でも例外なく、とはいかないらしい。それなら後で負け分だけ払った方が楽だ。


 「折角だし、なんか罰ゲーム決めようよ。あんた酒嫌いだって言ってたし、1ゲーム負ける毎にショット一杯とかどう?」


 するすると縄梯子を下りながら言うノアに、フィリップは彼女が地面に付くのを部屋で待ちながら、呆れたような苦笑を返した。


 「お酒好きの貴女があまりにも有利では? ……貴女が負けたら僕の十倍の量を呑むとかならいいですよ」

 「それはあたしが不利すぎるでしょ!? じゃあ倍量、二杯でどう?」


 ノアが両足を地面に付け、部屋を見上げて手を振るのを確認し、フィリップも窓から身を乗り出して縄梯子を下りる。

 昼間に一度試していただけあって、頼りない足場に怯むことも無くスムーズに地上へ着いた。


 二人はそのまま庭園と帝都を繋ぐゲートへ向かって歩を進める。


 時刻は午後八時を過ぎたくらい。

 賭場までどのくらいかかるかは不明だが、近くと言っていたし、三時間くらいは遊べそうだ。


 「貴女がどのくらいの酒豪かはともかく、お酒自体の強さも分からない状態で乗って良い賭けじゃないとは思いますけど……まあ、いいですよ。僕のゲロの後始末をしてくれるなら」


 フィリップがそう言うと、少し前を歩いて先導していたノアが振り返り、何故か愉快そうに目を細めて笑った。


 ……嫌な反応だ。


 「……ん? もしかして大ザルだったりしますか?」


 ワインだろうとウイスキーだろうと、食事中に水の如くパカパカ飲み干す酒豪を、フィリップは二人知っている。

 フィリップが内臓全部を吐き出しそうなほど苦しんでいるとき、ほろ酔い程度だったルキアと、ちょっといい酒を買ってきて飲み直していたステラを。


 フィリップは数ゲーム負けるだけでヤバそうなのに、あのレベルだったら十回負かしてもピンピンしているだろう。


 不味い勝負に乗ったかと眉根を寄せると、ノアは両手を挙げてへらりと笑った。


 「いやー、ゲロは簡単だけど、内臓が出ちゃったらどうしようもないなーって」

 「……その前に止めてくれることを祈っておきますけど、宛先は貴女じゃない方が良さそうですね」

 「いやいや、流石に来賓をゲロ死させたりしないって!」


 ゲロ死なる死因に聞き覚えは無いが、聞くだけで悲惨な死に様が想像できる名前だ。

 なんとしてもこの勝負、勝たなければ。いやゲロ死はともかく、明日からカルト狩りを本格始動するのだから、二日酔いになるのも嫌だ。


 「ゲロ死って見たことないですね。是非実演してみせてください」

 「あっはっは! 上等~。あんたで実演したげるねー」


 そして二人はけらけらと笑いながら、夜の帝都へと繰り出していった。





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