第475話
宮殿──だった。
中々に
馬車が停まり、先んじて降りたノアにエスコートされて続くと、眼前に聳える建物の存在感が肌を打つようだった。
三階建てで、整然と並んだ窓には薄く精緻な装飾の施されたガラスが嵌り、陽光を反射して輝いている。
金色の窓枠は、まさか黄金だろうか。流石に鍍金か真鍮だとは思うが、「もしかしたら」という疑念は残るくらい、どこもかしこもキラキラしていた。
見るも絢爛で堅牢そうな外壁は、輝くばかりの白亜の建材のみならず、等間隔に設えられた彫像によって飾り立てられている。
そんな細部が真っ先に目に入るくらい、建物が大きい。
並の豪邸──上位貴族が王都に持っているような、100人くらい収容できるやつ──が、更に四つ分くらいある。
案内されるがままに中に入ると、ダンスパーティーでも開けそうな広々としたエントランスホールがあった。
「ここは先々代の皇帝が作ったパスカール宮殿って言うんだけど、権威の誇示だけを考えて設計されたから、「馬鹿かな?」っていう造りなんだよね。あんたに泊まってもらう部屋まで、ちょっと歩くよ」
「あ、は、はい……」
シャンデリアで照らされたそこを、ノアはさっさと通り抜けて二階に上がる。
フィリップはその後ろを慎重に、間違っても何にも触れないように付いていく。
壁面には直接描かれた絵画や彫刻が所狭しと敷き詰められたように並び、普通なら真っ先に目を惹く金細工の施された壁や柱が埋没するほどだ。下手に傷付けたら、レイアール卿に貰ったお小遣いが完膚なきまでに消し飛ぶだろう。
「……」
「……」
フィリップより背の高いガラス張り窓が並ぶ、広々とした廊下を歩き。
「……広いですね」
「ね。馬鹿だよね」
美術館のような、ガラスのショーケースに入った陶磁器の並ぶ広間を抜け。
「……遠いですね」
「ね。馬鹿だよね」
美術館の別エリアに来たのか、額縁に飾られた絵画が並ぶ回廊を通り過ぎ。
「……あの、まだですか?」
「まだだよ。馬鹿だよねー」
今度は図書館だろうか。広間の両壁に本棚が並んだ、フィリップとしては心躍る空間をスルーして。
石像彫刻の並んだエリアと、武器防具の飾られた展示室と、礼拝堂と、金細工とガラス彫刻で飾られたホールと、バルコニーのあるガラス張り窓の回廊を通り抜けて。
そして漸く、豪奢な彫刻のある扉が等間隔に並んだ廊下の前に辿り着いた。
「はい、着いたよ。ここが来賓を泊めるための居住区画」
「ああ、うん、なるほど。……馬鹿ですね」
外観を見たときの感動は吹き飛び、何なら平常時よりテンションの下がった声で、フィリップは呆れを口にした。
……権威の誇示が目的だと言うのなら、それは達成されるだろう。
ここに来るまでに通った場所の一つ一つが、これを作り上げた皇帝への畏怖と崇敬を抱かせる。美術と芸術と技術とが、金と技とが、そこには並んでいる。
この宮殿に泊まる者は、毎朝毎晩、それを否応なく目にし、刻みつけられるのだ。
ただ代償として、居住性……いや、利便性が死んでいる。
公爵邸もそれなりに飾られてはいたものの、ここまでピカピカしてはいなかった。というか、あちらは人間が住むことを想定し前提とした設計だが、こちらは違う。
ここに住む人間の膝を折り、心を折り、皇帝に屈服させることが目的なのだ。
「……あ、駄目だ。着いたばかりなのに帰りたい。これがホームシック……?」
居住区から外に繋がるルートは、今通ってきた一つだけ。
つまり帰るにしても今の道のりをそのまま戻る必要があり、ここを拠点にすると、外出のたびにここを往復することを強いられる。
フィリップは似たような感情を過去にも抱いたことがある。というか、実は頻繁に感じている。
それはステラの部屋に遊びに行ったとき、王城の門から二十分くらいかけて、漸く彼女の私室に辿り着いたときに。なんで門から部屋まで体感一キロも歩かなくてはならないのかと。
いや、ステラの部屋は王都が見渡せる程度の高層だったからまだいい。
だが、ここは二階だ。
しかも三階建ての二階ということは、多分、まだマシな──あまり歩かなくていい部屋のはず。
昔のとはいえ自国の皇帝にバカバカと連呼するノアを、フィリップは多少胡乱な目で見ていたが、気持ちが完全に一つになった。
……というか正直、普通に街の宿を取って欲しかった。
これは物凄く格式のある、そして文化的・歴史的・美術的価値の高い建物なのだろう。それくらいは分かる。そこに入って、しかも泊って良いと言うのは──招待するというのは、帝国側がミナに対して最大限の尊重を見せたということなのだろう。それは分かる。
でも嫌だ。ものすごく面倒臭い。
街に潜んだカルト狩りも、聖痕者と国家首脳が集まっての魔王対策協議も、絶対に一朝一夕では終わらない。早めに見積もっても一週間くらいかかるだろう。
朝起きてカルト狩りに出て、夜に帰ってくる──出入りを最小限にしたとしても、七往復はすることになる。考えただけで面倒臭い。
「気が合うね。っていうか、まあ一部のスペシャルブラッド以外、大体はそういう感想になるだろうけど」
「『
確かに、王国のスペシャルブラッドであるステラなら「こんなものじゃないか?」なんて言いそうだと納得できるけれど、それなら眼前の聖痕者だって、血統階級や爵位を超越した場所に立つ人物のはずだ。
そう思って首を傾げたフィリップに、ノアは顔を顰めて首を振った。
「あたしは平民の生まれだから、この手の虚飾は肌に合わないの。てか、一時の宿ならベッド二つがギリギリ入るかどうかぐらいの部屋で良い。むしろそれがいい。部屋はちょっと狭いぐらいが一番落ち着くよ」
「あー……部屋の隅まで自分の気配で埋められるくらいの?」
「そうそう。意識しなくても壁の場所が分かるくらいの」
分かる分かる、と頷き合う平民生まれの二人。
元から顔見知り程度の関係性はあったが、意外な感性の一致が判明して、フィリップはなんとなく仲良くなれそうな気がした。
「……ちなみに、あんたに泊まってもらう部屋はこんな感じなんだけど、大丈夫そう?」
言って、ノアは目の前の扉を開ける。
通された部屋は学院の教室より広く、ここに来るまでに通ったホールと同じくらい、金細工とガラス彫刻で飾り立てられていた。
壁も天井も美術品じみた装飾華美。
天井には宝石満載のシャンデリア。
五人くらい寝れそうなサイズのベッドから、これまたゴテゴテと飾り付けられた執務机まで、目測で10メートルくらい。
大理石らしきティーテーブルに、同じ素材のダイニングテーブルが別にある。
ミナがいたら戦闘訓練でも出来そうな空間だ。調度品どころか床や壁までが美術的文化財でなければの話だが。
「うわ広い……。仕切り作ったら十人ぐらい泊まれませんか、ここ」
「まあ、十人単位の使用人が常に侍ってるようなお貴族様の泊まる場所だからね、本来は。事前に御付きの使用人は要らないとは聞いてるけど、手配も出来るよ」
ノアに促され、フィリップはとぼとぼと、豪華な部屋を前にしているとは思えない足取りで中に入る。
ここが宮殿のどの位置なのかさえ分からず、とにかく窓から外を見ようと部屋を横切るのに、なんと10秒。
窓の外は庭園になっており、遠くの方に帝都の町並みが見えた。つまり、これは建物入り口側の窓。
「……使用人は要りませんけど、脚立か何か用意してくれませんか? 縄梯子とか」
「え? もしかして窓から出入りしようとしてる? 確かに、それなら庭園から直接部屋に帰って来られるけど……」
呆れたように……ではなく、愉快そうに言うノア。
ルキアが聞いたらまあまあ強めに叱られそうな発想だし、ステラも苦笑しそうではある。
というか、ホスト側としては客人を梯子から出入りさせるなんて有り得ない。それは分かる。フィリップがホスト側だったら滅茶苦茶嫌だ。
とはいえ、ゲストが望んでいないことまでやるのは、それはサービスとは言わない。ゲスト側にも
「やっぱり駄目ですか?」
「……いや、いいアイデアじゃん? 王国の人間にまで昔の皇帝を敬うよう強制するほど、今の皇帝陛下は暇じゃないし、怒られることもないでしょ」
なんと、と顔を輝かせてノアを振り返ったフィリップは、胡乱に目を細めて物言いたげな笑みを浮かべる。
彼女の顔には「私もやろう」と明記されていた。一応彼女は軍属だし、彼女自身の言葉によれば、帝国の人間は昔の皇帝を敬うべきはずなのだが。
しかし一瞬の後、ノアは一転して眉根を寄せて首を傾げた。
「あー、でも、あんたって一応要人なんだよね。警備上不味い、かも……?」
「要人は僕じゃなくてミナでしょう? というかミナに付ける護衛って、貴女以外なら監視にもならないですし、ミナに突っかかって逆に食われる馬鹿を減らすくらいの意味しかないですよ」
そのミナも居ないわけですけど、と重ね、フィリップは様子を窺う。
これからカルト狩りを始めるにあたり、拠点がこうも不便では効率に係わる。流石にモチベーションは保てると思うが、もし邪神を召喚する場面があって「あ、ついでに宮殿の改築もお願い」とか口走ったら困る。冗談じみた想像だが、実現可能性はゼロではない。全然。
「確かにね。うーん、まあ、バレて怒られたら、そいつもここにブチ込もう」
「いいですね。あと入口からここまでシャトルランさせましょう」
「それはもうただのマラソンだよ」
けらけらと愉快そうに、ノアは笑う。
ルキアやステラのような上品さがなく、と言っても下品なわけでもなく。生まれ育ちの
それから雑談をしつつ、食事や洗濯についてと部屋の説明を一通り受ける。
フィリップが王国から持ってきた荷物は後から搬入してくれるそうだ。流石に荷解きまではされないと思うが、どうせ見られて困るもの──主にペッパーボックス・ピストルの弾薬──はリュックに入れて常に持ち歩いているから、そちらは任せきりでいいだろう。
というか、ここから馬車まで取りに戻るのは面倒臭すぎる。
「……じゃ、あたしは向かいの部屋にいるから。あたしが協議に出てるときはドア前に立哨がいるし、なんでも言いつけていいよ」
「あ、はい、分かりました。どのくらいの付き合いになるか分かりませんけど、お世話になります」
ぺこりと頭を下げると、彼女はにっこり笑って手を振りながら部屋を出て行く。
しかしドアノブに手を掛けると、思い出したように振り返って指を弾いた。
「……っと、そうだった。お互いに知ってるから忘れてたけど、ちゃんと自己紹介してないよね」
すっと居住まいを正し、ぴしっと音の鳴るような折り目正しい敬礼をする。
頭頂部から爪先まで芯の入った軍人らしい佇まいなのに、彼女の表情は一貫して親しみやすいお姉さんといった風情の、楽しそうな笑顔だった。
「あたしはノア・アルシェ。ウルタール帝国騎竜魔導士隊隊長で、水属性の聖痕者。聖痕者の中では一番の新参だけど、攻撃範囲ではトップのはず。好きなものはお酒とギャンブル、嫌いなものは馬鹿と説教。よろしく!」
「あ、どうもご丁寧に。フィリップ・カーターです。えっと、ミナのペットで……ルキアと殿下とは魔術学院にいたときからの友人です。好きなものは冒険譚とか英雄譚、お酒は……教皇領のワイン祭りで内臓が全部出るぐらい吐いたので、嫌いです。でも、ギャンブルはちょっと自信ありますよ」
ほう、と感心の息を吐きそうになり、誤魔化して自己紹介を返す。
ルキアの『明けの明星』の本領は直線貫通力とはいえ、破壊範囲も相当なものだ。アレを超える広域攻撃能力を持っているのなら、それは素直に凄いと思う。
でもそれはそれとして、こうして
「おおっと、運だけのカスが吼えるじゃん? 近くに
その上、夜間外出の指嗾ときた。
どうやらフィリップの知る他の聖痕者たちとは、お行儀の良さも違うらしい。
だが好都合だ。
ノアの話を聞く前から、カジノには行くつもりでいた。初めての町なのだし、案内があるに越したことはない。
「……いいですね。行きましょう」
フィリップは笑って頷き、ノアは今度こそ手を振って出て行った。
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