第473話
突如として現れた泥人形と、どういうわけか人間を庇ってくれた吸血鬼との闘争。
何の合図も無しに始まった戦いは、何の合図も無しに終わったようだ。
「それにしても……日光下とはいえ鈍ったなあ、お前。ヒトとつるむなとは言わんが、もう少し強いヤツと触れ合わねえと、弱くなる一方だぞ。お前の性格は知ってるが、もっと刺激を求めろよ。斬って斬って斬りまくって強くなれ。斬り覚えなきゃあ強くなれねえぞ? 教えたろ?」
表情どころかパーツが一つも無い顔の泥人形は、呆れたように肩を竦めてみせた。
「鈍っているのは自覚しているわ。でも、斬り合えるようなのがいないのよ、もう。私より種族的、魔術的に強い存在はいるけれど、技術をぶつけ合えるような使い手には会えないわ」
「あぁ……まあ、そりゃそうか。最近は人類の剣技も発展が止まって、もう何個かのパターンで大別できるようになっちまったしな。此奴らが一番弱いから、一番術理を伸ばせる種族だと思ってたんだが」
ミナは手中から魔剣を消し去り、伸びなどしながら語る。
その声には敵対者に向ける冷たいひりつきが無く、無関心な相手に向ける適当さも無い。
フィリップがヘレナに向ける視線や声に近い。
つまり、生徒が先生に向けるものだ。
泥人形の背後で聞いていた騎士たちは、困惑しつつ陣形を変える。
戦士を前に、魔術師を後ろに。謎の泥人形の白兵戦能力を目の当たりにした彼らは、既に戦意を喪失している。
怯み、戦う気力を失ったわけではない。
戦っても勝てない、そもそも“戦い”にならない、いまミナが見せたような“戦い”を再現できないと確信して、冷静で常識的な判断として、戦うという選択肢を放棄した。
だが自死はしない。それに準じる、ただ茫然と死を待つような真似もしない。
「……」
声も無くハンドサインだけで意思が疎通される。
『車列を逃がせ』
『前衛部隊が魔物と交戦中』
『重騎兵を突撃させ強行突破しろ。とにかく現在位置から離脱するんだ』
『了解』
異常な技、異常な強さを持つ存在を前に、撤退を選択するのは正しい。
護衛騎士の戦力は街道近辺に出没する魔物や治安状況を考慮し、プラス、帝国や聖国への最低限の礼儀としての数を揃えてある。
だが、一太刀で百メートル圏を切り裂く化け物を相手に、人間風情が群れたところで何が出来ようか。
蟻の行列に殺虫剤をバケツでぶっかけたような、どうしようもない「死」が待っているだけだ。
最優先は要人の退避。
次いで、その化け物の情報を持ち帰ること。
先ほどから怯えっぱなしの馬を宥めすかし、同時に泥人形と吸血鬼を包囲する。
ここに居るのは死兵と死兵。
死んでも時間を稼ぐ兵士と、死ぬ気で情報を持ち帰る兵士。
悲壮な決意に満ちた彼らは、しかし──。
「……五月蠅いわよ」
まだ意識の何割かが戦闘用のそれだったミナにとって、会話を妨げる雑音程度のものでしかなかった。
赤い双眸が血よりも鮮やかに輝き、不愉快そうな一瞥でほぼ全ての人間が停止する。心拍、呼吸、寸前まで取っていた行動の運動ベクトル、何もかもが完全に。
馬車の中や後ろにいて、ミナの視界内に入らなかった従者や幸運な騎士たちは、仲間が静かで絶対的な凍結に囚われたことに気が付いてさえいない。
喧騒を沈めたミナに、泥人形は口も無いのに話を続ける。
「ところでお前、湖は斬れるようになったか?」
鼓膜の動きが完全停止していなければ、騎士たちが唖然としていただろう問い。
100メートル先の森を一太刀で伐採してみせた泥人形の言葉でなければ、冗談か比喩だと思うのが普通だ。
「想極の太刀は10ぐらいまで広がったか? 斬撃の間合いは100メートル超えたか? 海峡割りはともかく、川ぐらいは作れるようになったか? まあ技の冴えや為した結果ばかりが強さじゃねえが、技量を確認するのにはいい指標だからな」
「まだよ、全部。どれもこれも、もう少しで手がかりくらいは掴めそうなのだけれど」
言って、ミナは再び黒いロングソードを手中に現し、地面に線を引くように振るう。
動きこそ単純なものだが、様子を見ていたフィリップたちには目視出来ないほどの速さだ。地面に刻まれた斬線は一直線に遠くまで伸びているが、先刻泥人形が斬った木の所までは届いていない。80メートルくらいだろうか。
泥人形はその結果には目も呉れず──そもそも目なんて無いのだが──、腕を組んでしかつめらしく頷いた。
「ほう? 求道を忘れたわけじゃあねえのか。なら、ふむ……そうだな、この泥人形を壊せたら、手掛かりの手掛かりくらいは教えてやる」
妙に他人事で尊大な言葉に、ミナはふっと口元を緩める。
泥なんか切っても元通りになりそうだが、この泥人形には急所が設定されている。
適切な位置を的確な深さで切り裂くと、泥の身体が自壊する仕組みだ。
まず首と心臓、頭部。それから両手足の動作を司るあらゆる部分。脊椎は言うまでも無く、鎖骨や脛骨も含まれる。
ほぼ全身急所みたいなものだ。
身体が魔力で構成された吸血鬼や魔物ではなく、生体組織の集合である人間やエルフの身体構造を模している。
ミナが知っているモノより少し強い──いや、泥人形の言葉通り、ミナの技量が全盛期より落ちているからそう思うだけだ。戦闘技量はやはり、強者との戦いで研ぎ澄まさなければ。
泥人形のスペックを詳細に思い出し、計算する。
不老の吸血鬼に筋力や反射神経の低下といった肉体的な劣化は無い。再研磨が必要なのは勘と技だけ。
ならば概算は。
「……二週間くらいかしら。少し待って。フィルがさっきから困惑顔だし、説明してくるわ」
「フィル? あぁ、さっき言ってたペットか」
「その通りよ」
適当に手を振ったミナは泥人形に完全に背を向け、フィリップの馬車の方へ戻ってくる。
先程までミナを切り刻む勢いで攻撃していた泥人形は、その背中に攻撃することもなく、街道外の何もない草地に向けて手を伸ばした。
魔術行使のための照準補助か、というフィリップの予想は正しく、指向した先に巨大な魔法陣が展開される。
領域外魔術のものではない。
魔法陣に刻まれた各種記号は学院の授業で習ったものばかりだし、邪悪言語の文字や記号は一つも無い。流石に一見しただけでどんな魔術なのかを解読できるほど簡易なものではないが、学院長たちなら──。
そう考えて目を向けると、聖痕者たちは揃って瞠目していた。
ルキアとステラは口元に手を当てて驚いていて、ヘレナは顎に手を遣って何事か考え込んでいる。その表情は真剣を通り越して険悪なほど、眉も目尻も鋭く吊り上がっていた。
「ルキア……?」
見えてはいけないモノでも見えたのではと心配そうな声を出すフィリップに振り返り、ルキアは安心させるように微笑む。
しかしすぐに馬車の外に視線を戻し、笑顔が消える。その表情は真剣でもあり、同時にどこか愉快そうでもあった。
フィリップも良く知っている表情だ。
ルキアがステラと魔術について語り合っている──議論しているときや、もっと直接的に撃ち合っているときの。
「……あの魔法陣、稼働させるにはステラが10人要るわね」
「えぇ?」
ルキアの言葉が意味する異常性を実感できず、駄弁っているときの軽口のように半笑いで受け止めてしまう。
表情のせいもあり大袈裟な揶揄かと思って視線を移すと、ステラも苦味の濃い微笑を返すが、窓の外を見つめる青い双眸は真剣そのものだ。
「……事実だ。要求される魔力量も、計算しなくてはいけない事項も膨大な……人の身には余る代物だよ」
「まあ、アレは人間ではないでしょうし、ね。カーター君、問題、人間には実現不可能だとされる魔術のうち、特に「三大難問」とされる魔術は?」
「えっ!?」
突然の出題に、フィリップはぼーっと教室の窓の外を眺めていたら唐突に指名された時のことを思い出した。
教科書に目を落とせばすぐに分かるような問題以外は、大抵ルキアかステラが教えてくれたものだが、今は二人からの援護は無い。
幸いにして、問題の内容は魔術学院の一年生でも前期を終えれば諳んじられる程度のものだった。
「『時間干渉』『自由飛行』『空間転移』……ですよね?」
「えぇ、正解よ。あれはそのうちの一つ、空間転移の魔法陣」
答えられることを疑っていなかったヘレナが頷きを返し、ほっと一息つく。
「不可能な理由は?」と続いたら詰まっていたし、「現時点に於いて最も信憑性が高いとされる仮説の名前を明記し、内容を踏まえて2000字以内で述べよ」とか言われたら笑うしかなかったが。
「ほう、転移魔術……」
適当に相槌を打つと、ヘレナが振り返り、怪訝そうに首を傾げる。
「ほう、って。まあ、座学の知識で難易度を実感するのは難しいかもしれないけれど……」
「ははは……」
勝手に納得してくれたヘレナに、フィリップは安堵の息を誤魔化し笑いに混ぜる。
確かに実感はない。
フィリップにしてみれば中級以上の魔術は全て不可能魔術ということもあるが、自由飛行はミナとディアボリカで見ているし、空間転移も過去のシルヴァには可能だったそうだ。不可能だと言われても、「ああ、人間には出来ないんだ」と、一歩離れた位置から俯瞰してしまう。
そんな話をしていると、馬車まで戻ってきたミナが扉を開け、しかし乗り込まずに止まった。
「フィル。これから二週間くらい、稽古を付けて貰ってくるわ。集中……というか、熱中するし、きみを勢い余って斬ってしまうかもしれないから、“召喚”は余程の大事以外は避けること」
一方的に言って、「いいわね?」と小首を傾げて念を押すミナ。
それはまあ、いい。
しかし、「いいよ」と端的に頷くには、流石に今見たものの情報量が多すぎる。
「待って待って……何が何だか分からないんだけど、まずアレはミナの知り合いなんだよね?」
取り敢えず、ある程度予想の出来ていることから確認していく。
これは流石に予想の通りで、彼女は「えぇ」と軽く頷くが、続く言葉は「まあそうだよね」と軽く流せるものではなかった。
「師の操る訓練用泥人形よ。つまり、剣師龍ヘラクレスのパペットね」
「剣師龍って、あの? なんでこんなところに?」
剣師龍ヘラクレスといえば、ミナが『魔王が本体で出てきても勝てる』と言い、彼女が10000戦して2回か3回勝てるかどうかというとびきりの化け物。
王龍がいきなり襲い掛かってくる理由に心当たりは……ないではない。
ミ=ゴが王龍配下の古龍を殺して素材を獲った結果、報復に山一つが消し飛ばされた事件はフィリップも聞いた。そしてフィリップの手中には、まさに古龍素材で作られた剣がある。
それに、そもそもフィリップが纏う
とはいえ、あの泥人形はフィリップを殺しに来たという感じではない。
殺気どころか敵意さえも感じない。ミナと戦っていた時の様子は、フィリップと模擬戦をしているときのミナに近かった。
「趣味よ。強い剣士の気配を感じると、ああして試しているのよ。今回は
それは良かったと胸を撫で下ろすフィリップ。
流石に、蛇腹剣だのペッパーボックス・ピストルだので王龍と戦うのは無謀どころの話ではない。フィリップの切り札を知っていて「目と耳を塞いで伏せろ、何も知ろうとするな」という指示に従うであろうルキアとステラ以外の、この場の全員を狂死させることになる。
「王龍の分身? なるほど……」
「どうりで、あんな出鱈目な魔術が使えるわけだわ」
物騒なことを考えるフィリップを余所に、ルキアとヘレナが同時に頷く。
ステラはむしろフィリップと同じ思考を辿り、同じく安堵の息を吐いていた。
「分身とはまた違うのだけれど……まあいいわ。魔術談義をする気はないし」
適当に話を終わらせて、ミナは踵を返す。
その背中を、フィリップはふと思い出して呼び止めた。
「あ、待って。ミナを連れてきたのは殿下みたいなものだし、もし協議に必要なら行かないで欲しいんだけど」
半ば駄目元で言ってみただけだったのだが、意外にもミナは足を止めて振り返る。
ただ、その表情は死ぬほど面倒臭そうだった。
「……まあ、聞くべきことは概ね聞いた。好きにしろ」
ステラがそう言って肩を竦めたことと、ミナの不機嫌極まる表情とは関係が無い。
ミナはミュローの町を出発した時に「協議に参加するなんて面倒なことはしない」と明言していたし、ステラもそのつもりで、これまでの道中で必要な情報は聞き出している。
狂った予定と言えば、フィリップがカルト狩りであまり遊べなくなったことくらいだ。
それも些事ではある。ミナの血の治癒は「大怪我をしてもなんとかなる」という精神的な余裕に繋がるが、そもそもカルト相手に大怪我をさせられるほどの油断はしないつもりだ。
まあ帝国側は「安全化されているとはいえ、最上位レベルの吸血鬼が来る」と身構えて、あれこれ準備しているわけだが──その吸血鬼が死ぬほど不機嫌な状態で来るか、来ずに肩透かしを食らうかの二択なら、来ない方が遥かにマシだろう。
「二週間かぁ……。それなら、終わったら先に戻って王都で待っててくれた方がいいかも。二週間後に僕がまだ帝都にいるか分かんないし、下手に帝国内を探し回って討伐隊とか組まれても面倒だしね」
「そう? 分かったわ」
ミナがフィリップの血で飢えを凌げないその間、帝国や王国で何人が彼女の食事になるかなど考えもせず──きっと考えたところで何ら頓着しないだろうけれど──、フィリップは「頑張ってね」と笑ってミナを見送った。
空間転移魔術に興味津々だった聖痕者三人は、空中に浮かぶ魔法陣に触れた瞬間に視界から消えたミナと泥人形を見て感嘆の溜息を吐く。
移動再開まで彼女たちが大討論会を開催していた間、フィリップは魔眼の効果から解放された騎士たちが悔しそうにしているのを窓から眺めていた。
何も出来なかったと嘆いているが、その必要は無い。あれは捕食者が
車列が再び動き出したのは、数分して前衛部隊から魔物殲滅の報が届いた後だった。
ちなみに泥人形ではなく普通の魔物だったが、王龍の気配に怯えて狂乱していたせいで殲滅に手間取ったそうだ。
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