第469話

 「……メグ、いつからそこに?」

 「この場所に、という意味でしたら数秒前に。いつから見ていたのか、という意味でしたら、カーター様がお屋敷を出られる少し前からずっとです」


 驚きの後にフィリップの脳内を埋め尽くした焦燥など、知ったことではない。

 そんな安穏とした返答に、フィリップは深々と嘆息した。


 メグはあまりにも平然としている。


 フィリップが彼女に向けて銃撃していないのは、彼女がルキアの所有物だからだ。

 彼女の価値が、本人以外の要素によって担保されている。その危うさに、全く気が付いていないかのよう。


 「……僕が使ったに関して、ルキア以外には口外しないでくださいね。こんな間抜けなことは言いたくないんですけど、誰かに情報が漏れたら、メグも含めてその範囲は全員殺さなくちゃいけないので」


 ブラフを交えて牽制しつつ、フィリップは自嘲の笑みを零す。

 口外したら殺す、なんて、なんと間抜けな警告なのだろうかと。


 道化の口にする冗談だって、もっと気が利いている。

  

 フィリップに彼女を常時監視する手段は無く、フィリップは彼女の交友関係や行動範囲を全く知らない。

 情報が漏洩したことを知るのは、状況が致命的なものになった後だ。自分か、ルキアかステラ大切な人たちに銃口が向いた後。或いは、誰かが凶弾に斃れた後。


 誰の目にも留まらないところで自分一人が撃たれようと、衆目の中で暗殺が行われようと、フィリップはその時点で、フレデリカの語った最悪の状況に陥ったと判断する。


 蛇人間文明の産物銃器が、人類社会を汚染したと判断する。

 人類が皆、ワンアクションで人を殺せる状態に陥り、人命の価値がデフレーションする最悪の状況に陥ったと。


 それはルキアもステラもフレデリカも、誰もが安心して外を歩けない世界。


 その社会は、フィリップが望むものではない。

 

 そうなれば、フィリップはこれまで避けてきた最悪にして最速の解決策を持ち出すしかない。


 即ち、外神の介入による現実改変。

 あらゆる人間の記憶、あらゆる媒体の記録、この世界が辿ってきた軌跡、ありとあらゆる痕跡を改竄する。


 銃器を知る全ての人間を抹消することも、メグがそれを目撃したという事実だけを消すことも、なんでもできる。


 万能の解決策。

 なんでもありのご都合主義デウス・エクス・マキナ


 そして──その後の世界を、フィリップがこれまで通りに認識できるかは未知数だ。

 この無価値な泡沫の世界に、全ての人々、天地万物に、外神の手が加わって──それを、フィリップは大切に出来るだろうか。その中で生きて居たいという今の思いを、持ち続けられるだろうか。


 NOだ。きっと。


 ルキアとステラの安寧を守るために世界を変えて。そして、ルキアとステラを含めた世界全ての価値が暴落する。


 ゼロからマイナスへ。

 どうでもいいものから、汚らしい忌むべきものへ。


 自分のいるべき場所はここではないと、ちゃちな三次元世界を蹴っ飛ばす。


 だから──ペッパーボックス・ピストルこれを見た者は、その場で速やかに殺さなくてはならない。

 人類社会を守るために。ルキアとステラだけでなく、フィリップ自身の安寧のために。


 「畏まりました。と言っても、信用できないでしょうし……お屋敷に戻ったら、一緒にルキアお嬢様にご報告しましょう。私が信用に値しない場合は、お嬢様が処分されると思いませんか?」

 「……そうですね。ルキアが自分の傍に置いてるってことは、信用できるんでしょうけど……」


 そう思うからこそ、フィリップにはメグをここで殺すという最短最速の解決を図れない。

 ルキアの持ち物を勝手に壊すことを、合理ではなく感情が拒む。


 結局、フィリップはメグの言う通りにすることにして、促されるまま公爵邸への道を戻る。

 気が付けば夜空からは雲が消え、星と月の光はランタン無しでも難なく歩けるくらいに明るくなっていた。


 「……メグ、裏社会には詳しい方ですか?」

 「えぇ、まあ人並みには。ご興味が?」


 明日には殺されているかもしれない女性と、明日には彼女を殺しているかもしれないフィリップ。

 だが二人とも、声も表情も至って普通だ。結局のところ、二人とも自分の命にも他人の命にも然したる価値を見出さない異常者どうるいだった。


 平然と問いかけたフィリップに、メグも平然と微笑みかける。


 「今回の件は、運河拡張による事業縮小を嫌がった運送屋が、マフィアを雇って妨害工作をさせた……っていう構図ですよね」


 はい、とメグは端的に肯定する。


 「僕の知識が正しければ、マフィアっていうのはつまり、高度に組織化された犯罪集団ですよね」

 「そうですね。高利貸しや違法賭博、人身売買なんかに始まって、暴行、恐喝、殺人、拷問、死体の遺棄までやる、万能な犯罪屋です」


 かなり具体的なメグの言葉に僅かな引っ掛かりを感じたが、フィリップはその微小な疑問をどうでもいいことだと流す。

 彼女の素性が──ルキアの護衛になる前のことが気になるなら、本人よりルキアに聞いた方が確実だ。なんというか、メグに聞いても適当にはぐらかされるという確信めいた直感がある。


 「学院でもそう習いました。近づくべきじゃない危険な組織だと。……でも、背信者であるとは習いませんでした。ルキアに危険が及ぶような攻撃を仕掛けてきたってことは、それはつまり聖人に対する、延いては唯一神に対する反逆でしょう? それに僕が何人殺しても、最後の一人になっても逃げ出さなかった。逃げられないと観念しただけかもしれませんけど……ちょっと、なんというか……


 そうですね、とメグはまた静かに頷く。


 「連中の恐ろしいところはそこですね。アズール・ファミリーは請け負った仕事を必ずやり遂げるんです。たとえ一欠片のパンしか買えないような端金でも、請け負う以上は親でも殺す。後から皇帝や神父に何億積まれようと、その契約を反故にすることはありません。彼らの最大の掟、血の宣誓にも通じる契約の重さ……冷酷で残忍、でありながら、約束事にはどこまでも真摯で忠実。単なる犯罪組織との最大の違いはそこです」


 立て板に水の説明に、フィリップは「うわあ」と呻く。


 「金で動くだけのチンピラとは違うってことですか。金を受け取った以上、背信行為でも、自殺行為でもやり遂げる……」


 常識にも、社会規範にも、信仰にも囚われない集団。

 金のためならなんでもやる、というありきたりな異常性には当てはまらない。その枠さえ逸脱した、卓越した異常者たちだ。


 きっと彼らにとって、金はサインに過ぎない。

 契約書に名前を書いて血判を捺す代わりに、金を受け取っているだけだ。そして勿論金を受け取ってサインして契約を結んだ以上、他人のサインでは覆せない。


 その在り方は、フィリップから見ても異常に映る。


 だって──いくら積まれようと、死ねばそこで終わりだ。

 どれほど金が大事でも、どれほどの金を積まれても、フィリップはともかくルキアに挑むのは馬鹿げた行為だ。


 その愚行には先が無い。

 信仰を裏切って聖人に害意を向け、一神教を、一神教徒を──即ち人類の大半を敵に回して、そのことを体感する間もなく殺される。


 聖痕者の目の良さや守りの堅牢さは知らずとも、それは仕方ない。

 挑めば死ぬし、試しても死ぬ。敵意からでも、好奇心からでも、試した後に生きて居たければ乞うしかない。彼ら彼女らの前に首を垂れ、殺さないでくれ、その力の一片だけでも見せてくれと願い、強者が気紛れを起こすことを望むしかない。


 だが、彼らの強さは歴史が語る。


 かつての聖痕者は、戦争中でありながら地図の編纂を諦めさせるほどの大破壊を為した。

 飽きるほどの大破壊と、呆れるほどの大殺戮とで以て、彼らが強さを大地と歴史書に刻んでいった。


 ルキアとステラも、既に。

 かつて王国の重鎮だった男の反乱を、殆ど二人だけで鎮圧した。ルキアは二発、ステラは一発。たったそれだけの魔術行使で二万の兵を殺し尽くし、『明けの明星』と『恒星』の二つ名を与えられている。


 ルキアに関して言えば、敵対者の悉くを塩の柱に変えてきた『粛清の魔女』との呼び声もある。


 そんな相手が出てきても、尚も契約に従い続ける──尋常な精神力で出来ることではないし、金を積まれて出来ることでもない。

 どれだけ金を持っていても、死んでしまえばそれまでなのだから。


 戦慄するフィリップに、メグは意外そうな一瞥を呉れる。

 その視線に首を傾げられて、彼女は平然と話を続けることで誤魔化した。


 「はい。ですが、本当は組織の名前も、自分が構成員であることも秘密のはずです。たとえ逮捕尋問されようと、組織や仲間のことを口外してはならない。……その血の宣誓があればこそ、アズール・ファミリーは広く知られず秘密組織として活動できているわけですから」

 「え? でも、そこは普通に吐きましたよね? 捕まえた人が死守したのは雇い主の情報だけで」

 「まあ、『拷問』ですので。吐いてはいけない情報かどうかを激痛に襲われながら判断するのは難しいですし、そもそも苦痛は意思に優越しますから」


 恐ろしいことを平然と語るメグに、フィリップも平然と、まあそうかと納得する。

 幸いにして拷問を受けた経験は無いフィリップだが、自分が拷問用──苦痛を与えるために使う魔術の威力は、不本意ながら体感した。


 あれほどの苦しみに断続的に襲われるのが拷問なら、そりゃあ、自分が何を口走ったのかさえ判然としないだろう。雇い主について口を割らなかっただけでも、尊敬してしまうほどの根性だ。


 「なるほど……。あ、そうだ、雇い主っぽい人を逃がしちゃったんですけど、大丈夫ですか? 流石に門兵に捕まると思って見逃したんですけど」

 「はい。そちらは恙なく。今頃はアズール・ファミリーと接触した方法について尋問されている最中かと」

 「そうですか。なら良かった」


 流石の手際だ。

 死兵となって時間を稼ぐマフィア連中が同行していたら、どうなっていたかは分からないが──なんとなく、それでも大丈夫だったろうと思う。


 これで一件落着、万事解決だ。

 と、肩の荷を下ろすように深く息を吐いたフィリップに、メグは微妙な表情を向ける。物言いたげな、少しの同情と憐憫も感じるような。


 「ここからは私たちの仕事ですので、カーター様のお手を煩わせることはないかと。と、言いますか……」


 言い淀んだメグに、フィリップは彼女らしくない態度だと首を傾げる。

 彼女らしさを語れるほど、メグのことを知っているわけではないけれど。


 黙って言葉の先を待つフィリップに、彼女は困り笑いを浮かべて続けた。


 「カーター様がお考えになるべきは、適切な謝罪の言葉と言い訳かと。単独行動はともかく、奥様方の話を盗み聞いていた件に関しては、きっとお叱りがあるかと思いますよ?」

 「え? あ、そうか、そりゃバレますよね……」


 一応、フィリップは一連の妨害の主犯が運送屋であると知らないことになっている。

 別に知られて困ることではないだろうし、ルキアに聞けば普通に教えてくれたとは思うが、そのアリバイは作っていない。


 不味い。

 何もかも不味いが、盗み聞きという美しからぬ行為に関しては、ルキアからの援護が殆ど望めないのが本当に不味い。


 「他所のお母さんに怒られるとか、丁稚の頃以来ですよ……」


 なんかいい感じの言い訳がないだろうか、と、フィリップは欠伸を噛み殺しながらぼんやりと考えた。

 

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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ20 『それは“呪い”か?』 グッドエンド


 技能成長:【拳銃】等、使用技能に妥当な量のボーナスを与える。


 特記事項:なし

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