第468話

 まだ息のある男の傍にしゃがみ込んだフィリップは、ランタンの明かりで懐中時計を確認し、石畳の地面にべたりと尻を付けた。


 「あぁ……、まあ、遠くないうち死ぬだろうとは思ってたが……まさか、王国で死ぬことになるとはな……」

 「相手が悪かったね。ルキアが常に周りの魔力を把握し続けるなんてことをしてなきゃ、多分バレなかったし……僕が遊びに来なきゃ、もしかしたら門兵から逃げ切って街を出られたかもね」


 弱々しい言葉に答えながら、フィリップはジャケットの裾を翻し、腰に着けていた小さなポーチを漁る。

 取り出したのは紙の筒だ。王都外では高い値の付きそうな、真っ白な紙の。小指ほどの大きさだが、フィリップの掌で転がる様子を見るに、ただ紙を丸めただけの重みではない。


 それも当然。

 紙自体、ただの繊維ではなく特殊な物質を素材として作られた錬金術製の代物だ。それを筒ではなく、包みにしている。中身は鉄より比重が大きい鉛の玉と、こちらも錬金術製の高威力な火薬。

 

 所謂、紙薬莢。

 まあ「所謂」なんて言っても、通じる相手はごく一部だが。


 まず銃身に火薬を入れて棒でポンポン、弾を入れてもう一度ポンポン、最後に漏れ防止の紙を入れて押し固めて……なんて面倒な再装填作業を、コレを入れて棒で押し込むだけでいいまでに簡素化した、画期的発明。


 これを作り出したフレデリカと、そもそも唯一の銃器使用者であるフィリップと、あとは人類以上の技術文明の産物であるカノン。邪神を抜くと、フィリップの知り合いで「薬莢」なんて単語が通じるのはこの三人くらいだ。


 「さて……」


 五発分の再装填を終え、さっき不発だったチャンバーを発射位置に合わせる。


 「なんでこれは不発だったん──うわっ!?」


 銃口を適当に空に向けて引き金を引くと、乾いた炸裂音と共に腕に衝撃が返ってきた。


 なんか撃てた。

 何故かは分からないが、さっきと違ってちゃんと撃てた。


 自分で撃っておいて予期せぬ大音響に肩を跳ねさせたフィリップは、トリガーガードに指を掛けてクルクル回し、銃身を冷却してから再装填する。

 

 「着火不良だったのかな……?」


 撃鉄が落ちないよう指を噛ませて火打石を弄るフィリップに、仰臥したままの男は興味深そうな、しかし小さく弱々しい声をかける。


 「火薬くせェ……。それは……さっきの攻撃か。なんだ……小さい大砲みたいなモンか?」


 ほう、とフィリップの口から感心の息が漏れる。

 既に銃弾の撃ち込まれた後で、真横で発射の瞬間を見たとはいえ、仕組みまで分かるのは凄いと。同じことをしたのが、フリントロックの仕組みを初見で見抜いて銃弾を掴み取ったミナだけということもあるが。


 無論、感心してばかりではいけない。

 銃器の恐ろしさの一端は仕組みの簡易さと再現性にあると、フレデリカから教わっている。見た奴は全員殺せと、そう教わっている。


 「……素晴らしい洞察力だね。まあ気付いても気付かなくても殺すわけなんだけど……トドメは要る?」


 とはいえ、彼は死に体だ。

 ダブルタップの二発目で心臓を狙い、その二発目が不発に終わったせいで、銃弾は一発、腹の真ん中あたりになんとなく当たっただけ。だがどうやら、太い血管を傷つけたらしい。


 腹の傷を押さえてはいるが、銃弾が貫通した背中の傷からも大量に出血している。放っておいても勝手に死ぬだろう。


 慈悲の一撃の要否を問うと、彼は血の気の失せ始めた唇を愉快そうに歪めた。


 「……意外と優しいんだな。マフィアは嫌いかと思ってたぜ」

 「今回は憎悪で動いてないよ。ただ、公爵家が好きなだけ。何処の誰とも知らない他人を、武器のテストのために殺すくらいにはね。……おじさんがカルトだったら、もっと惨く殺してる所だけど」


 意外にも、数分前まで殺意をぶつけ合っていた二人の声には、険悪な色が一切無かった。

 二人とも悪意も害意も無い殺意を理由に事に及ぶ、他人の命を片手間に蹴飛ばせる、手慣れた殺人者であるが故だろうか。或いは二人ともがそれを感じ取り、シンパシーでも抱いたか。


 まあ、フィリップがその程度の共感で態度を軟化させるはずもなく、ただ単に普段通りなだけだ。


 普段通りに、どうでもいい命を自身の必要論で侵害して、それを自覚した上で平然としている。


 その性格を知ってか知らずか、倒れた男は興味深そうに頷いて、また笑った。


 「はっ……、カルトは嫌いか。なら、帝都に行け。そこの裏社会に、クソッタレのカルトが潜んでやがる」


 土気色の顔で呟かれた言葉は、フィリップの軽口に応じるばかりではない。

 フィリップの興味を強烈に引き、試験の解答も見直しも終えた後のような倦怠感を完全に拭い去る。


 ペンを回すか紙の片隅に落書きでもしそうな空気は跡形もなく消え失せ、床を這い回るゴキブリを見つけたときの目をしたフィリップは、ややあって静かに笑顔を作った。


 「……ふぅん? カルトの名前とか性質とか、分かる?」


 虫を見るような視線は一転、期待に満ちたものに変わる。

 実のところ、それはあまり良いことではない。つまりはフィリップに、失望する余地を与えてしまったということなのだから。


 「いや……俺たちと同じ……秘密組織だ。だが名前は──」


 男が齎した情報は、か細い声で囁かれた名前が一つ。それだけだ。


 帝都。

 大陸西部の支配者であるアヴェロワーニュ王国と並ぶ、大陸東部の征服者ウルタール帝国の首都。


 帝国に足を踏み入れたことも無いフィリップは、勿論、行ったことのない場所だ。

 学院の修学旅行で訪れた教皇領と同じくらい、王都から離れた土地。街道が繋がっているとはいえ、行って帰ってくるだけで結構な額になる。

 

 カルト狩りのためなら退屈な旅路だろうと、たとえ徒歩でも足を止めない所存だが、いつものように「ちょっと遊びに行ってくる」とはいかない距離だ。


 名前と居所を聞いたって、フィリップにはあまりメリットがないはず。なのに、フィリップは満面の笑みを浮かべている。


 つまり、男の齎したたった一つの簡単な情報は、フィリップを失望させるものではなかった。


 その代わり、新しく小さな疑問が芽生える。


 「へぇ? ……情報は有難く頂いておくよ。でも、なんでそんなこと教えてくれるの?」

 「──俺たちはずっと、そいつらを潰そうとしてるんだ。お前みたいな腕利きなら……きっと、役に立つ。お前の腕を、兄貴や姐御はきっと高く買う」


 不思議そうな問いに、男は細く長く息を吐き、それから弱々しい声で語った。


 「うん……?」


 フィリップは面食らったように瞠目する。

 そして彼の言葉に、何か別の意味があるのではないかと数秒ほど考え、何も思いつかず、困ったように、そして呆れたように笑った。


 「ははは……僕は殺し屋じゃあないんだけどな……」


 フィリップは別に、殺人技術を売っているわけではない。

 高値を付けられるのは冒険者としては有難いことだが、どんな仕事を受けるかは自分で決める。気に入らない相手やよく知らない相手に、買い叩かれるがままにはならない。


 まあ、公爵家に雇われた殺し屋だと考えると、タイミングや所業に辻褄が合うといえばそうなのだけれど。


 「下手な冗談だ……。……あぁ、クソ、寒くなってきた。介錯を……頼めるか……?」


 大量のねつを吐き出した身体をぶるりと震わせ、男は呟くように乞うた。


 フィリップは再び懐中時計を取り出してハンターケースを開け、すぐに仕舞って頷いた。


 「うん。さっきトドメは要るかなんて聞いたけど、実は被弾から何分で死ぬか見てようと思ってたんだ。だけど……いいよ。素敵な情報のお礼。言い残すことは?」

 「はっ……恐ろしい奴だな。……殺し屋に言うことじゃねぇが、お前、マフィアに向いてるぜ。腰を落ち着けたくなったら試してみな」


 今際の際。

 自らをそこへ追いやった張本人に向けるには、随分と穏当な言葉だ。


 ここはもっとこう、「ふざけるな。殺してやる」とか、せめて「先に地獄で待っている」くらいの憎悪を見せる場面だろう。


 意外──でも、ないか。

 フィリップが僅かながら感じていた共感の通り、自分の命にも拘りがないらしい。


 「もう。だから、僕は殺し屋じゃないってば」


 笑いながら立ち上がり、銃口を向ける。

 男が静かに目を瞑ると、フィリップはその脳幹部へ正確に銃弾を撃ち込み、速やかに苦しみから解き放った。


 「……」


 人間を殺すことに感傷なんて催さないが──奇妙な後味、余韻が残る。

 ガンスピンをして銃身を冷ましながら、フィリップはそんなことを考えた。それもほんの十秒ほどで、銃をホルスターに仕舞う頃には次のことに置き換わっていた。


 次──死体の処理、ではない。


 どちらかと言えば、死体の増産だ。


 「帝都かあ……。うーん……」


 腕を組んで独り言ち、眉根を寄せて唸る。


 ミュローの町は国境付近だというが、それでも帝都までは三週間くらいかかる位置だ。

 関所越えも国外移動も一人では初めてだし、流石のフィリップも心細い。


 が、都合よく旅慣れしていて、付いてきてくれて、しかしカルト狩りに口を挟まない理想的な同行者に心当たりはない。


 その条件だけならミナが該当するが、そもそも吸血鬼同伴で街に入るのが難しい。


 関所や城壁を飛び越えたとしても、衛士団が入り口で説明してくれる王都でさえ、彼女を攻撃する馬鹿が不定期に湧く。そして帝国は王国と違い、フィリップやミナに恩義を感じていない。


 「馬鹿が馬鹿故に死んだのは馬鹿のせいだ」──なんて言い訳をする余地も無く、帝国最強の魔術師部隊、聖痕者が率いる騎竜魔導士隊が出てきて終わりだ。

 多数の魔術師による絨毯爆撃はともかく、聖痕者の神罰術式はミナをも一撃で仕留める。だろう、なんて予測の余地なく、確実に。


 ルキアとステラは「旅慣れしていて」「フィリップのカルト狩りに口を挟まない」という二つの条件を満たすが、二人を巻き込むくらいなら一人で行く。

 というかルキアはともかく、ステラに「帝都に行きたいから付いてきてくれませんか?」なんて言うのは、以前フィリップに「ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスのところまで案内してください」と言ったカノンと同レベルのことだ。いや、ルキア相手でも全然ダメなのだが。


 「ふぁ……。運動したら眠くなってきた……」


 大きな欠伸をして、浮かんだ涙を拭う。

 どうしようかと悩みつつ、フィリップは取り敢えず公爵邸に戻ることにした。

 

 もう夜も遅い。

 相手は一か所に根を下ろし、勢力を拡大しているカルトだ。つまり、慌てずとも逃げられる心配がないということ。


 今日明日で必ず殺さなくてはならないわけでもなし、今日は帰って眠ろう。


 そうして振り返ったフィリップは、不発弾が暴発したときのようにびくりと肩を跳ね上げた。


 「……っ!」


 道の真ん中に人影があった。

 月明かりの下、金糸の如き髪を肩の上で揺らし、夜闇より黒く浮き上がる侍女服を風に靡かせる女。 


 音も無く、気配も無く、影のように存在感が希薄だ。目を向けた今でさえ、そこに居るという実感が薄いほど。


 「びっ……くりした……! 驚かさないでください、メグ……!」


 咄嗟に剣の柄に掛けていた手を放し、咎めるような目を向けるフィリップ。

 その抗議に、深窓の令嬢のように儚げな美貌を持つメイドは困ったような微笑を浮かべた。

 



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