第467話

 フィリップを取り囲む男は全部で六人。

 真正面にリーダー格の細身の男がおり、あとは二時、四時、六時、八時、十時方向。


 斜め前方の二人が懐や背中からそれぞれ大きさの違う刃物を取り出したとき、後方の三人は一斉に距離を詰めていた。

 後ろの三人が走り出すと同時に刃物を抜くのと、抜刀したフィリップが龍貶しを鞭形態へ伸長しながら振りかぶるのはほぼ同時。


 そして。


 「っ! 下がれッ!」


 刃渡り四メートルにまで伸びた龍骸の蛇腹剣は円を描くように振り抜かれ、取り囲む男たちの頸を刈る。

 横一線ではなく鞭のしなる動きが描く複雑な軌道は、先端部が音速を超えていなくとも回避が難しい。そして都合14の節に分かれた刃は、その全てが斬鉄の鋭さ。


 回避困難。防御不可。


 人間六人の頚椎を一息に斬り飛ばす一閃は、しかし、その直前に放たれた警告によって空振りに終わった。


 六人がばらばらに、しかし致命的に遅れた者は一人もおらず、端的で唐突な指示に忠実に回避した。

 一糸乱れぬ動きとまではいかず、「まるで脳と手足のような」という比喩は過言になる。だが、フィリップの攻撃から仲間を守るには十分な指揮体系が築かれていることは間違いない。


 


 ぱん、と乾いた炸裂音が夜の静寂を打ち破る。

 フリントロック・ピストルの銃声よりも明らかに小さく、響かないが、酷く似通った薄ら寒い音だ。


 ちょうど一回転して止まったフィリップの真後ろ、六時位置にいた男が、蛇腹剣による一閃を回避して体勢を整えた直後に倒れる。

 眉間から血を噴きながらのけぞり、立ち方を忘れた人形のように仰臥して、それきりピクリとも動かなくなった。


 剣を振り抜いた右手。

 その開いた脇、前を開けたジャケットの懐に入った左手は、ホルスターに収まったままのペッパーボックス・ピストルを掴んでいた。


 ホルスターから銃を抜かず、自分の背後へ空間把握力だけを頼りに射撃するドロウレス。

 

 攻撃位置もタイミングも道具も、何もかもがジャケットに隠された突然の死。

 前触れの無い大音響と仲間の死に、攻撃とは分かってもその方法が分からない男たちの動きが鈍る。


 しかし先の攻撃といい、回避指示への従順さといい、彼らも戦闘慣れしていることは間違いない。


 視界内の二人が大仰に刃物を取り出して気を引きつつ、後方三人が最速で接近し攻撃。驚くべき連携ではないが、後方からの奇襲ということに慢心せず一人ではなく三人同時に襲い掛かり、それも何の合図も無く連携できる辺り、フィリップも舐めていると痛い目に遭いそうだ。


 それに、青白い燐光を放つ直剣がいきなりだらりと垂れ下がったのを見て、即座に回避指示を出したリーダー格の男。

 彼には相応の警戒を払う必要がある。過去に蛇腹剣を見たことがあるのか、或いは優れた戦闘センスの持ち主だ。


 勿論、他も全員が初見で的確に蛇腹剣の射程圏外へ逃げている辺り、軽視はできない。単純に大仰に避けただけかもしれないが、それが出来る警戒心は賞賛に値する。


 「……ふむ」


 フィリップは振り返り、狙い過たず脳幹部を撃ち抜いた男を見下ろす。

 フレデリカの言っていた通り、貫通力自体はフリントロックと同等程度にはある。蛇腹剣の攻撃範囲外、五メートル程度離れた位置から人間の頭蓋骨を破壊できている。


 その虫を観察するような目を見てしまった一人が怯むが、彼が何かする前に、馬車の方から叫び声が上がった。


 「な、何の音だ!?」


 御者席にいた男が地面に転がり落ち、慌てふためきながら後方、つまりフィリップたちのいる方を見る。

 彼はフィリップを囲む男たちとは違い、ガタイは良かったが戦闘に慣れている風ではない。勿論、外見と戦闘能力にそれほど相関関係が無いことを、フィリップはよく知っているけれど。


 「襲撃だよ馬鹿が! 寝惚けてんじゃねぇ! さっさと行け!」


 包囲陣の中で特に体格のいい男が吼えると、彼は悲鳴に近い了解を返し、慌てて馬車に乗って鞭を入れた。

 漸く悪臭から離れられるとばかり、二頭の馬は荷物を満載したキャラバン型馬車もなんのその、弾むような足取りで駆けていく。


 「彼が呪い騒ぎの首謀者? おじさんたちの仲間っぽくはないけど」


 特に追撃する様子を見せないフィリップへ不審そうな視線を注ぐ男たちに、フィリップは先んじて問いかける。


 質問に好奇心以上の意味は無い。

 彼はペッパーボックスを見ていないから、要殺害対象ではない。彼が首謀者の運送屋なら、どうせ町を出る門で捕まる。マフィアでも、あの様子なら公爵家の捕縛部隊の前に敵として立ち塞がることはないだろう。


 それに。

 

 「俺たちがペラペラ喋ると思うか?」

 「そりゃあそうだ」


 軽い答えに、フィリップも肩を竦めて軽く返す。予想通りの答えだと。

 彼らアズール・ファミリーの口の固さは大したものだ。拷問されても依頼者については終ぞ口を割らなかったのだから。


 「それより、今のは魔術か? そんな素振りはなかったように見えたが」


 仲間を一人殺された後にしては淡々とした、冷たくも感じる問い。

 それは仲間への情に欠ける冷酷さではなく、戦闘に際した冷静さによるものだ。


 対して、人間一人を殺したフィリップは無関心故の冷酷さで、しかし口元を愉快そうに歪めて応じる。


 「……手の内をペラペラ喋ると思う?」

 「はっ……そりゃあそうだ」


 意趣返しを察し、細身の男は肩を竦めて笑い返す。

 そしてポケットから折り畳みナイフを取り出すと、弾くように刃を露出させて構えた。


 フィリップの持つ直剣どころか、他の男が持つナイフと比べても小ぶりで威圧感に欠ける得物。であるのに、フィリップも含めた誰よりも濃密な存在感を放っている。


 間合いに近づかれたら終わりだ。

 フィリップは、それを経験則的に感じ取った。エレナとの戦闘訓練の記憶、幾度となく彼女に投げ飛ばされ、殴り飛ばされ、蹴り飛ばされて地面に転がってきた経験から。


 「ふっ──!」


 鋭い呼気で力みを散らし、再び伸長した蛇腹剣を振って間合いを誇示する。


 夜闇の中で淡く光る人造の魔剣が、男たちに死線を視覚的に意識させる。

 青白い残光は、剣の動きに置き去りにされた音よりもずっと華やかだ。


 軌道上へ踏み込むことはできない。


 指揮棒タクトのように剣を、いや鞭を振るうフィリップの周囲は、既に処刑場。それも断頭台の上、首を斬られる罪人だけが存在する特等席だ。


 踏み入れば間違いなく死ぬ。

 直感でも予感でもなく、木を離れたリンゴが地面に落ちるように、常識としてそれが分かる。


 立ち止まった男たちの判断を、怯懦と呼ぶことは出来ない。正常な人間であれば、いや知性の無い動物でさえ、音速突破による破裂音が断続する空間へ踏み入りはしないだろう。


 故に、フィリップの次なる攻撃は半ば必中だった。


 誰にも邪魔されず、しかし一切の遊び無く最速でホルスターから抜き放たれたペッパーボックス・ピストルは、流れるような動きで三人の男を順に指向する。

 四時方向と二時方向へ流れのままに、そして銃を保持した左手を右脇へ滑るように差し入れ、八時方向にいた男も。銃口がぴたりと合ったその一瞬を逃すことなく、乾いた炸裂音が連続する。


 三人の男は心臓か頭を撃ち抜かれ、殴られたような挙動で倒れた。


 銃に触れてから三発目が発射されるまで、一秒以下。

 照準を手癖や空間把握力に任せきった射撃だが、ナイ神父仕込みの技術は完璧なパフォーマンスを発揮した。


 しかし、やった当人は感嘆したように口笛を吹いた。


 「……レスポンスいいなあ。今のに反応してくれるんだ」


 ペッパーボックス・ピストルは複数の銃身を束ねたシリンダーが射撃毎に回転するという機構で、六発の連続射撃を可能にしている。

 そしてフリントロック・ピストルとの大きな違いは、火打石が作る火種が導火薬を介さず、シリンダー内の炸薬へ直接落ちることにある。それによって、導火薬が火種を薬室内へ導くコンマ数秒のラグが無くなり、射撃一発に係る時間そのものが短縮されているのだ。


 そして引き金を引くと連動して撃鉄も起こされるダブルアクション。コッキングの手間が無い、トリガー操作のみで連続射撃の可能なデザイン。

 何より、内部で火薬を爆発させる強靭さが求めれる機械でありながら、一秒以下の連続射撃に堪えるシビアな設計。


 “救国の賢者”フレデリカ・フォン・レオンハルトの頭脳が、叡智が、結晶したような武器だ。


 「完璧だ。弾丸が小さくなったとはいえ、今まで通り急所に当てれば一撃で殺せる。連射できるだけでここまで──、おっと」


 フィリップは感心のあまり、そして六人中四人を倒したことで思考に集中してしまった。


 その隙を逃さず、残る二人が即座に距離を詰める。

 逃げないのは賢い。四人を殺した攻撃の正体が分からずとも、魔術じみた遠距離攻撃であることは間違いない以上、逃げ出したところで背中を撃たれるのは明らかなのだから。


 だからナイフの間合いに近づくしか、近付いてフィリップを殺すしか、彼らに活路は無い。


 「シッ──!」

 「おっと!?」


 彼らがフィリップの腰と首を狙って振った刃は空を切る。

 フィリップが伏せるような動きで身体を落として回避したからだ。二人は至って冷静にそれを追撃する。


 フィリップは身体を落とし過ぎている。転倒寸前、手を伸ばすまでも無く地面に触れそうなほど。

 だが無理も無い。両サイドから挟み込むように首と腰を狙われては、かなり大仰に、殆ど伏せるような位置まで姿勢を下げなくてはならない。持っているのが直剣なら防御や迎撃も可能だろうが、蛇腹剣は14の節を解放してだらりと垂れ下がっている。

 

 そんな状態で追撃を躱したり、大きく移動して間合いを取り直すことは不可能だ。


 それを狙っての初撃。

 それを見越しての追撃。


 しかし──地面すれすれにまで頭を下げた蛇のような姿勢は、フィリップの最適な戦闘体勢だ。


 二つの追撃を透けるように躱し、ペッパーボックスを向ける。

 一瞬だけ考え、フィリップは細身の男に向けて引き金を立て続けに二度引いた。


 ぱん、と乾いた炸裂音。

 腕に返る発射の衝撃。

 夜闇に映える発射炎マズルフラッシュ


 ──それが、


 二度目のトリガープルに返ってきたのは、撃鉄が落ちる小さな金属音だけだった。


 「……!?」


 不発。

 

 思い通りの攻撃が為されず、予期した反動も音もなく、フィリップの思考に一瞬の空白が生まれる。


 そして衝撃から立ち直ったとき、フィリップの脳内に浮かんだ文字列は「何故」だった。戦闘中であることを忘れ──まあ、そもそも戦闘ではなく「実戦試験」という認識ではあったけれど──、敵ではなく、手中の武器に意識を向ける。


 どうして不発だったのか。

 総弾数六発中、五発は正常に発射できた。三発の連続発射も出来たのだから、今更二発で動作不良を起こすとは考えにくい。


 では機械ではなく火薬の方か。それとも火打石が摩耗していたか。


 そんなことを考えていれば、当然、動きは大きく精彩を欠く。

 

 その隙を見逃さず、最後の一人が詰め寄るが──いくら何でも、一対一では無理がある。

 包囲されていたころならいざ知らず、今はもう縦横無尽に走り回り、相対位置認識欺瞞を全開に出来るのだから、攻撃を当てることさえ出来はしない。


 結局、フィリップは残った一人を拍奪プラス蛇腹剣による真っ当な戦闘で斬り伏せた。


 「……ふぅ」


 それほど荒れてもいなかった呼吸を整え、剣を納めたフィリップは、被弾した腹を押さえて倒れている細身の男へ歩み寄る。そして、傍に転がっていたナイフを適当に蹴っ飛ばして遠ざけた。


 男が押さえた腹の傷からは、早鐘を打つ心臓の鼓動に合わせてドクドクと血が流れ続けている。

 その様子に虫を観察するような一瞥を呉れて、フィリップは置きっぱなしだったランタンを取って戻ると、男の傍にしゃがみ込んだ。


 実戦試験の確認項目は、あと一つだ。


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