第466話

 部屋を出されてからずっと聞き耳を立てていたフィリップは、音を立てないよう気を配りながら、扉からそっと離れた。


 どうやら、本当にこれで終わったらしい。

 少なくともフィリップの役目は、完全に。


 フィリップがここに来たのは、ルキアを守るためだ。

 「呪い」が神話生物やカルト絡みのものなら、彼女の目に触れる前に、彼女が触れてしまう前に処理するために。


 その懸念は晴れ、あとは公爵家が片付けるだけとなった。

 ルキアが動くまでも無く、夫人が執務室から幾つか命令を下すだけの、簡単な幕引きが待っている。


 そしてルキアが動かないならフィリップが護衛をする必要は無く──まあ、元より彼女に護衛など必要ないのだけれど──、運び屋とマフィアを本職の兵士が捕らえるだけの作業に、フィリップが首を突っ込む必要も無い。いや、むしろプロの邪魔をしないよう、大人しくしているべきだろう。


 「……でもなあ」


 ──そんなことは分かっている。

 だが、このままではここに来た意味がないという思いもあった。


 フィリップがミュローの町を訪れてからしたことと言えば、ダンジョンを覗いて、工事現場を見学して、あとは便所虫を三匹ばかり潰したくらいだ。呪い調査に関しては殆ど何もしていない。


 それに、フレデリカに頼まれていた新型フリントロック、もとい、ペッパーボックス・ピストルの実戦運用データも取れていない。


 いやまあ、期限は設定されていないし急ぐようにも言われていない、そもそも正規の依頼でさえない頼まれごとだ。躍起になる必要は無いが、タイミングを逃すとかなり冗長になる。


 王都に帰るまでの道で使おうにも、また出しゃばって護衛の邪魔をするのは嫌だし、公爵家の人間でも見せない方が良いだろう。かといってダンジョンで使おうにも、他の冒険者との不意の遭遇が怖い。


 ここを逃すと、王都に帰ってから適当な依頼を受けてから漸くになる。

 それでも別に構わないが……のなら、ここで済ませてもいいだろう。それで普段お世話になっている公爵家の手間が省けるなら、一石二鳥だ。


 しかし、フィリップに捕縛術の心得は無い。

 全員殺せばいいだけなら、まあ、どうにかなる。しかし、公爵家としては『呪い』への恐れを払拭するため、一連の事故が人為的な妨害であることを知らしめた上で処断したいところだ。


 つまり手駒に過ぎないマフィアの方はともかく、首謀者の運送業者の方は生かして捕らえる必要がある。……跡継ぎの男は既に殺してしまったが。

 

 では実行犯のマフィア、手駒の方はというと、総数不明、戦力規模不明だ。

 勿論、公爵家の抱える手勢は精強だ。国境沿いの、それも冒険者という武装した人間が数多く流入する街を無防備な状態で置いておくわけもないし、その気になれば相当な数の領主軍を即座に動員できることは想像がつく。


 公爵家がマフィア風情に後れを取るわけがない。


 となると、迂闊に「マフィアの掃除は僕に任せてください!」なんて言おうものなら、公爵家の邪魔にしかならないだろう。フィリップの顔を立てて任せてくれるかもしれないが、数の揃った本職の兵士が事に当たるより、絶対に拙い結果しか持ち帰れない。


 そこまで考えて、フィリップの脳内に閃きが走った。


 「……いや、でも拙速ではあるよね」


 フィリップは勿論、本職の兵士より捕縛能力に劣る。

 しかし部隊ではなく個人である分、素早く動くことができる。その気になれば今すぐにでも。


 そして殺傷能力だけなら、本職の兵士にも引けを取らない自信がある。特に、奇襲なら。


 ここは黙って、かつ公爵家の手勢が動き出す前にこっそりと、素早く取り掛からなければならない。それなら万が一失敗しても、公爵家が予定していた通りに事が終わるだけだ。


 とにかく行くだけ行ってみよう。先行偵察というか、第一次部隊というか、そんな感じの「失敗しても全然構わない、後からガチガチの本隊がやってくる捨て駒」くらいのスタンスで。

 そう決めて、フィリップはその日の夜、皆が寝静まった頃合いを見て屋敷を抜け出した。



 ◇



 ……残念ながら、或いは当然ながら、「誰にも気付かれずに」とは行かなかった。


 ベッドを抜け出して外出の準備を整え、意気揚々と部屋を出た瞬間に、扉のすぐ傍に立っていたメイドに「何かありましたか?」と声を掛けられて一敗。使用人も大半が眠っているものの、部屋付きと見回りの数人が起きていて、玄関に着くまでに六敗。玄関を出たところと庭を抜け門を通ったところで、それぞれ衛兵に見つかって二敗。門に至っては彼らが開けてくれた始末。


 庭やバルコニーにいる衛兵に見つかったことに、フィリップは気付いてさえいない。 


 日付も変わった深夜、これから朝へ向かおうかという時分に外出しようとするフィリップだが、誰にも引き留められない。その不自然さに気付かず、幸運とさえ思わず、フィリップは門番の「お気をつけて」という見送りに居た堪れない気分になりながら公爵邸を出発した。


 その後ろをついていく人影に、フィリップは気付かない。

 誰にも止められずに公爵家を出られたのは、メイド服を着た彼女が付いていたからなのだが。


 あらかじめ町の地図で確認しておいた道を辿り、件の陸運屋の事務所へ向かう。家々から漏れる明かりもすっかり失せ、月と、屋敷から持ち出したランタンの明かりを頼りに歩くには、フィリップはミュローの町のことをよく知らない。地図が無ければ迷子になっていた。


 家の壁や店の看板を逐一確認しながら進むこと約三十分。

 そろそろ目的地に着こうかというとき、少し遠くで鈍い音がした。具体的に何の音とまでは判然としないが、重いものを何かにぶつけたような、或いは落としたような。


 何事かと足を速めるフィリップ。そして目的地が見えたとき、複数のランタンに照らし出された音の主も同時に見えた。


 馬車だ。

 それも大きなキャラバン型の、商隊とか軍隊が使うやつ。数人の男が黙々と、大きな荷物や家具なんかを積み込んでいる。


 やっていること自体は、運び屋としておかしくない。日常的な荷物の運送だけでなく、引っ越しのような大規模輸送も請け負っているのだろう。だが自分たちの事務所から家財道具まで運び出すのは、普通の仕事ではないはず。それもこんな夜中にとなれば、不自然だ。


 そもそも夜中に馬車で移動するのはリスクが大きい。

 馬は夜目が利く生き物だが、それは狼や熊のような旅の脅威となる動物もそうだし、夜行性の魔物は数多い。まあ町の中を移動するだけなら問題ないが、そのくらいの距離ならあんな大荷物を一度に運ばず、小分けに何往復かする方が一般的だ。


 あれはそう易々と往復できない距離を移動するつもりに違いない。少なくとも別の町くらいには。


 引っ越し……ではあるのだろう。正確にはだが。


 マフィアの一人が捕らえられ、雇い主である運送屋が公爵家に捕捉されたことを察知したのだろう。


 素晴らしい判断速度だ。

 明日には公爵家の捕縛部隊が派遣されることを考えると、今夜中に逃げ出すしかないのだから。


 まあ普通に街の入り口で止められるだろうが、門番も壁上の武装も町へ向かってくる魔物や軍隊を迎撃することを想定している。逃げ出していく犯罪者を追撃することは求められていない。


 捕縛部隊か、門番か。

 数で考えても、意表を突くという意味でも、能力を見ても、突破しやすいのは後者だ。


 「……どうしよう」


 無造作に歩を進めて近づきながら、フィリップはさっと思考を回す。

 引っ越し作業をしている男が三人、馬の傍にも一人いて、フィリップの匂いを嗅ぎ取って怯える馬を宥めている。加えて、事務所の中から微かに話し声が聞こえるから、プラス何人か。


 最低でも五人。


 屈強な運び屋だろうと五人くらいなら撫で斬りにできるが、フィリップがここに来たのはマフィアを的にしてペッパーボックス・ピストルの実戦データを取るためだ。運び屋の従業員を殺す必要はない。


 どいつがマフィアか──。


 マフィアと運び屋を見分けるのは簡単だ。

 話によれば、アズール・ファミリーの構成員は青い宝石のついた指輪をしているという。フィリップも実物を見たが、石はともかく台座は真鍮製で、安っぽい光沢があった。月明かりの下でも十分に見つけられるだろう。


 そんなことを考えながら道の真ん中をふらふら歩いていれば、当然、揺れるランタンが相手に見つかる。


 作業音が止まり、道には夜の静寂が満ちる。

 男たちが使っていたランタンが次々に消え、フィリップも気付かれたことに気付いたが、歩調は緩まない。


 月は雲の中に消え、暗い道の上にフィリップの持つランタンの明かりだけが浮かび上がる。


 手にしたランタンの明かりが作業をしていた男たちの顔をフィリップに、フィリップの顔を男たちに見せる距離まで近づくと、フィリップに一番近い位置にいた男がぽつりと呟く。


 「……子供? こんな時間に?」


 町中とはいえ、真夜中に一人で歩いている子供は不自然だ。

 それも暗闇や悪人に怯えることなく、薄ら笑いを浮かべて。公爵領外で浮浪児を見たことのある男たちだが、整った身なりと手にしたランタンの精緻な装飾を見れば、その類ではないと分かる。


 怪訝そうな声だが、警戒心はなさそうだった。

 馬車に大小様々な荷物を積み込んでいた男たちは、全部で六人。殆どが強面で、鍛えすぎて肥大した筋肉の持ち主だ。不審な子供一人くらい、直剣を持っていても大した脅威にはなり得ないと思ったのだろう。


 ただ一人だけ、正しく鍛えられた──関節の可動域を制限しないよう、必要以上に肥大させない戦闘用の筋肉を備えた細身の男がいる。馬車の傍で、積み込み作業の指示をしていた者だ。

 その一人だけは、フィリップの一挙手一投足を見逃すまいとするかのように注視している。


 フィリップはそのどれにも目を留めることなく、愉快そうな笑い声を上げた。


 「あはは。怪談話の犠牲者みたいな台詞だ。子供の姿を真似た怪物に襲われる寸前の、ね」

 「……はっ。確かにな」


 男たちが困惑する中、細身の男だけが静かに笑う。

 彼は馬車から離れると、薄氷の上を歩くが如く慎重な足取りでフィリップに近づく。手中が空であることをアピールするように、わざとらしく両手を挙げて呆れたようなポーズを取りながら。


 「だが、明かりを持っててもお化けは寄ってくるぞ。お前も襲われないうちに家に帰りな。というか、こんな時間に出てきたら親が心配するぞ?」

 「ご心配どうも。おじさんはいい人そうだね」


 言いながら、フィリップはランタンを右手に持ち替え、左手でジャケットの前を開ける。

 短剣でも取り出しそうな動きに男たちは全員身構えるが、フィリップが何もしないのを見て力を抜いた。


 細身の男は立ち止まり、フィリップの全身を俯瞰するような目を向ける。エレナが格闘戦の時にする、敵の動きを見逃さないための目付きだ。


 足を止めた位置は、剣を抜いて一歩踏み込んだとしてもギリギリ届かない場所だった。……直剣形態なら、という但し書きは要るが。


 「そうか? 実は悪い人かもしれないぞ? ほら、さっさと帰れ」


 あっち行け、と手を振る男。

 その指に真鍮の輝きと青い宝石の煌めきを見て取ったフィリップは、探し物を見当を付けた通りの場所で見つけたときの、歓喜と納得感の混ざった笑みを浮かべる。


 夜闇の中でランタンの炎に照らされたその笑みは、男たちには裂けたようにも見え、何人かが震えを誤魔化すようにわざとらしく肩や首を回した。


 「あぁ……そうみたいだね。おじさん、アズール・ファミリーって組織のメンバーなんでしょ? その指輪、さっき見たよ」

 「ほう? ……組織の名前もメンバーの証も、相当調べないと出ないはずの情報なんだがな。……お前、何だ?」


 そうなのか、とフィリップは新たな情報に眉を上げる。

 アズール・ファミリーはどうやら公然と活動しているのではなく、秘密組織的な色の強いマフィアらしい。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 フィリップの目的はアズール・ファミリーの壊滅ではなく、後に派遣される公爵軍の露払い……という名目で自己満足感を高めつつ、ペッパーボックス・ピストルの実戦データを取ることだ。


 「何だって聞き方はどうなの? 流石に、子供に化けた怪物じゃあないよ」


 フィリップはまた面白そうに口元を緩める。

 男たちが荷物を置き、じりじりと自分を取り囲むように動くのを見ながら、剣に手を掛けることもなく平然と。


 「どうだかな。お前はどうにも鉄臭い。姐御や始末屋の連中を思い出す」


 男の語る「姐御」がどんな人物かは知らないが、「始末屋」の方は察しが付く。殺し屋の類だろう。

 人を選んで殺す暗殺者と、カルトと見れば皆殺しにする虐殺者。その匂いの違いまでは嗅ぎ分けられないらしいが、まあ本質は同じだ。血の臭い、殺人者の臭い、人間の命に重きを置かない悪人の気配。


 男がフィリップから感じ取ったそれを、フィリップも同様に男から感じ取っていた。


 臭いなんて言ったが、決め手になったのは目だ。

 二人とも、眼前の生命に対する尊重が全く感じられない、羽虫を叩き潰すときの目をしている。片や人間を殺すことに慣れ、片や端から躊躇が無い、虫を殺すことと人を殺すことに差異を感じられなくなった破綻者の目。鏡を覗けばそこにあり、友と目を合わせればそこにある、見慣れた目だ。


 男はその目でフィリップをじっと見つめ、フィリップはランタンを掲げて自分を取り囲む男たちを順番に照らした。

 夜闇に慣れた目を惑わせようとしてのことではない。そんな戦術的な理由ではないことは、重点的に照らされたのが顔ではなくそれぞれの手の辺りだったことから分かる。


 「これで全員? みんなマフィアで間違いない?」


 六人の男。

 誰も彼も威圧的なまでの筋肉を備え、体格に恵まれた強面だ。


 彼らが揃いの指輪をしていることを確認して、フィリップはランタンを地面に置いた。私物ではなく公爵家から持ってきたものなので、傷付けないよう慎重に。


 光源の位置が下がり、フィリップの表情が夜闇に隠れる。

 月が再び姿を見せて投げかけた光に照らされたとき、フィリップの顔から遊ぶときの色は消え、それなりに真剣なものになる。小テスト直前に暗記項目を思い返している時のような、或いは昨夜の献立を思い出しているときのような。


 「……この状況でビビらねぇ時点で、ただのガキじゃないことは分かるな? 後味は悪いだろうが……殺すぞ」


 命令を受け、フィリップを取り囲む男たちがはっきりとした殺意を纏う。

 他人の命令で人を殺せる彼らは、きっとそれなりに場数を踏んで、それなりの戦闘能力──殺人能力を持ち合わせているのだろう。


 素晴らしい。


 「間違いなさそうだね。じゃあ、うん……よろしくね、的役」 


 ──素晴らしいになる。





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