第465話

 フィリップとルキアはアリアと合流した後──探させてしまったようで、流石にちょっと怒られたが、とにかくルキアの守りを盤石にしてから、彼女が見つけた攻撃者のところに向かった。

 まあ守りを固めたと言っても、ルキア本人が重装の要塞みたいなものだ。立哨が二人増えたところで誤差ではあるけれど。

 

 ルキアが見つけたという、そして既に攻撃を完了したという三十メートルほど離れた路地裏へ入ると、年若い男が一人、地面の上でうつ伏せになって呻いていた。


 「お、ちゃんと生きてますね。流石です」


 男はフィリップたちの気配に反応して顔を向けようとするが、動きが極めて鈍い。

 フィリップも訓練の中で喰らったことのある、重力増加魔術『ハイグラビティ』による拘束下にあるときの様相に似ている。


 だが明らかにフィリップが喰らったものより威力が高い。

 フィリップのときは全身鎧を重ね着したくらいの負荷が掛けられ、動くのに必要な力が数倍から十数倍になったが、身体へのダメージは無かった。だが彼は、なんというか、


 「そんなに潰れて大丈夫なの?」と疑問になるくらい、胴体も頭部も四肢も平らになるほど押し付けられている。血が出ているようには見えないが、流れ出るべき血液を体内に押し留めるほどの重力が加わっているだけではないだろうか。


 だが、生きている。

 人間を殺すことに何ら抵抗が無く、敵を殺すときには死体を遺すことさえ稀なルキアにしては珍しい。


 流石と言ってはいるが、正直なところフィリップは意外だった。


 「フィリップに教わったようなものよ」


 賛辞を受け、ルキアは穏やかに笑う。


 勿論、殺さないよう威力を調節するだけの技量はある。彼女はフィリップとは違う、小を兼ねるタイプの大だ。

 しかし、どのくらいの威力で人間が死ぬのかという知識が薄い。幼少期からずっと、敵は過剰なくらいの威力で殺し尽くしていたのだから。


 その彼女が手加減を本気で覚えたのは、魔術学院に入学してからだ。それ以前も家族や戦闘職の宮廷魔術師、そしてステラと模擬戦闘をする中で多少の加減はしていたが、それは半ば義務的なものだった。


 魔術学院に入学してから少し経って、野外行動訓練があり──そこで出会ったフィリップが編入してきて、漸くだ。

 うっかり殺すと面倒な相手だからではなく、万が一にも傷つけたくない相手の為に、相手を慮って手加減することを覚えたのは。


 そしてフィリップの戦闘訓練を続けるうちに、彼女は人体の強度を概ね理解した。

 どの程度までは威力過小で、どの程度であれば怪我無く制圧できて、どの程度から怪我をするのか。どこまでが死なない範囲か。


 その知識を使って加減する相手は、普段はかなり限られているが──知らないわけでも、出来ないわけでもない。


 フィリップとルキアのどちらを狙ったのかは不明だが、とにかく攻撃者を捕らえたルキアは彼を無感動に見下ろし、それから自分の従者を一瞥する。


 「さて……アリア、貴女、尋問の訓練を受けていたわよね」

 「はい。耐性を付ける訓練が専らで、は不得意ですが……」


 剣術用と思しき革手袋を外し、ぽきぽきと手指の関節を鳴らしながら、アリアは倒れた男の傍へ近寄る。

 初めて見る彼女の手は、掌にも拳にも胼胝はない。しかし拳の部分の骨は硬いものを殴って壊れては治癒してを繰り返した結果、握り込んでも浮き上がらないくらい滑らかに潰されている。掌は胼胝を潰して均すほどの訓練の結果、皮が厚く張って白くなっている。


 人形じみて整った容姿からは想像できない、戦士の手だ。

 フィリップだって掌に肉刺や胼胝くらいあるが、アリアの手と比べれば赤子のそれに等しい。


 というか、あの手は凶器だ。


 驚愕と感嘆の目で見つめるフィリップの隣で、ルキアはアリアに背を向け、フィリップの背に手を添えて同じようにさせる。

 そして、繰り返し殴打するという極めて原始的かつ単純な拷問が始まった。


 「では──手始めに──自己紹介を──して──いただけ──ます──か?」


 言葉を区切り、その度に鈍い欧打音と湿った音が挟まる。

 名前を聞くまでにもう六回も殴っていては、名前、所属、目的と聞くころには死んでいたっておかしくない。


 「ちょ、ちょっとやり過ぎでは……?」


 プロの邪魔をすべきではないという思いも忘れ、フィリップは思わず振り返って制止する。

 仰向けになった男に馬乗りになり顔面を執拗に殴っていたアリアは、フィリップの方に振り返る。ルキアを攻撃されて怒っているのかと思ったが、彼女は至って冷静で、人形のような表情を崩してもいなければ、頬を紅潮させたりもしていない。


 涼しい顔のアリアは汗の一滴もかいていないが、男の顔面は既にボコボコで、歯が数本地面に転がっていた。


 「いえ。人間、喉と脳さえ潰さなければ、心臓が止まっても口は利けますので」

 「そんな考え方だから不得意なのでは……? あ、いえ、なんでもないです……」


 心停止した人間が何秒間意識を保てるのかは知らないが、ただ意識があるだけでなく、質問に答えられるだけの思考と恐怖心を保てるかどうかは甚だ疑問だ。

 ……と、素手で人間をぶん殴って歯を折っておきながら拳が赤くなってさえいない人物に、正面から言える人はそういないだろう。いや、フィリップもルキアも間違いなく「言える」のだが、フィリップは他人の仕事を邪魔することを避け、ルキアは自分の従者の能力を信じて黙っている。


 そして結局、アリアは与えられた任務を存分に果たした。



 ◇



 当初の予定通り──と言うには多少のトラブルがあったものの、ともかく、三人は公爵夫人に調査結果を報告すべく公爵邸に帰ってきた。


 夫人の執務室へ通されると、紅茶とお菓子で労われる。

 フィリップは多少恐縮しつつ嬉しそうにしているが、ルキアは母親に苦笑を向けていた。


 ルキアが自分の仕事をこなしただけの時にはお菓子なんか出さないし、出されたってルキアも困るし困惑するので、夫人がフィリップのために用意させたものであるのは間違いない。


 ルキアとしては、フィリップを子ども扱いしているようで少し不満だ。お菓子を摘まんでいる本人が幸せそうなので何も言わないが。


 「なるほど。「呪い」の件は殆ど解決したと、そういうことね」


 フィリップとルキアが得た情報を伝えると、夫人は安心したような穏やかな笑みと共に頷いた。


 「そのはずです。シューヴェルトさんがボコボコにした人が、一連の妨害工作の実行犯だって吐きましたからね。あとはまだ喋ってない、彼の雇い主を吐かせるか、他の方法で見つけるかして、そっちを何とかすれば万事解決です」


 結局、アリアによる原始的で単純な尋問は、男の所属や名前から今回の仕事に支払われる報酬額までを引き出し、しかし、彼の最後のプライドを──雇い主の名前だけは死んでも吐かないという根性を、遂に突破できなかった。


 それは単調な拷問シーンにフィリップとルキアが飽き始めたからでもあるし、アリアは雇い主の正体に大方の察しがついていたのも理由の一つだ。


 「奥様、その件についてご報告が」


 言いつつ、アリアは一瞬だけフィリップに目を向ける。

 視線を受けたはずのフィリップ本人が気付かず、ルキアとオリヴィアだけが辛うじて気付く程度の一瞬だ。


 従者の意を汲み、夫人はフィリップに明るく笑いかけた。


 「分かったわ。フィリップ君、今回は手伝ってくれてありがとう。あとは家で対処するわ」

 「え? あ、はい……。また何か力になれることがあったら、いつでも呼んでください」


 アリアの視線には気付かなかったフィリップだが、夫人が言外に席を外せと言っていることに気付けないほど鈍感ではない。紅茶を飲み干し、夫人と同じくにこやかに笑って席を立つ。


 ここまで来て最後の最後に仲間外れとは、と寂しく思う気持ちもないではないが、納得はしている。フィリップは公爵家の内々の話に混ざれる立場ではないし、何か難しい話をするのなら、十中八九付いていけないだろうフィリップに気を遣わせて、話が冗長になってしまう。


 「ありがとう」

 「また後でね」


 夫人とルキアが声を掛けて、アリアが一礼して、部屋を出るフィリップを見送った。

 そして──フィリップは部屋を出ると、周りに使用人がいないことを確認して立ち止まり、たったいま出てきたドアに耳を付けた。


 明らかな盗み聞きの姿勢になったのは、何も好奇心ばかりが理由ではない。

 まだ自分に出来ることが何かあるのではないかと思ってのことだ。


 「聞きましょうか。拘束した男は雇い主について頑なに口を割っていないそうだけど、証言以外の確たる証拠でも見つかった?」


 扉は厚いが、耳を付ければ中の声が聞こえる。

 淡々と、フィリップに向けていた声より1オクターブ低い身内向けの声で問いかけたのは公爵夫人だ。


 「はい。カーター様を襲った三名の身元が判明致しました。街の東部を主な営業圏とする運送屋の跡継ぎと、その身辺警護を担当していた従業員のようです」


 ほう、とフィリップは初耳の情報にいっそう耳を傾ける。

 分かっていてフィリップに教えなかったということは、フィリップが知る必要はない──公爵家が対応するということだろう。


 フィリップは潰した虫の名前や性質を気にするタイプではないし、知りたいとも思わなかったので別に構わない。知っていたとしても「じゃあ全員ブチ殺して解決ですね!」なんて言わなかったので、短絡的解決になることを危惧してのことなら遺憾だけれども。


 室内での会話は続く。


 「運送屋……陸運よね? 運河延長による事業縮小を嫌がったのかしら?」

 「理由までは不明です。それと、捕らえた男は自らを「アズール・ファミリー」のメンバーであると供述していました」

 「アズール・ファミリー。帝国のマフィアね。その構成員はラピスラズリの付いたアクセサリーを仲間の証にしていると聞くけれど、これがそうなの?」


 今度はフィリップも知っている情報が語られる。

 アリアが尋問の中で聞き出した情報だから傍で聞いていた。フィリップは帝国のマフィアには詳しくなかったが、同じく傍に居たルキアが教えてくれた。


 「指輪の真贋は分かりませんが、石自体は本物かと」


 今は夫人の机に乗っているらしい指輪だが、それが本当に『アズール・ファミリー』構成員の証かどうかは分からない。夫人も「そうね」と肯定しているから、真鍮細工の指輪を飾る青い石は、本物のラピスラズリに間違いないのだろう。しかし、それがただの“ラピスラズリの指輪”でしかない可能性もある。


 ミュローは国境沿いの、それも国の内外から数多くの冒険者が集まる街だ。

 帝国を主な縄張りにするマフィアが紛れ込んでいても気付かない程度には、人の出入りが激しい。住民が朝起きて窓を開け、初めに見つける人間は大抵が初めて見る顔なくらいに。


 本当にマフィアである可能性もあるし、ただのハッタリである可能性もある。顔の形が変わるほどの暴力を押し付けられて、虚勢を張る根性があるかは別として。


 しかし、まあ、どちらでもいいというのが正直なところだ。

 ルキアも夫人もアリアも、公爵家を知る者なら誰もがそう言う。フィリップも含めて。「どちらにせよ罰する」と。


 「この状況で嘘を吐く意味なんてないでしょう? 公爵家私たちが国外マフィアに怯えて手出しを控えると、そこまで甘く見られているのなら……少しばかり苛烈に見せつける必要はあるけれど」


 やや不機嫌そうなルキアの声を聴きながら、フィリップは廊下で一人状況を整理する。


 『呪い』が生まれた構図は見えた。

 今まで運河が無かった地域で発展してきた陸運業社が、運河延伸とそれによる水運業者の拡大、事業規模の縮小や競争激化を厭った。国外マフィアを使い工事を秘密裏に妨害する過程で、作業員たちが姿の見えない妨害者を恐れるあまり「呪いだ」と言い出した。そんなところだろう。


 あとは全員殺してお終い……なのだろうか。

 領民が領主の企図した工事を妨害したと考えれば、叛逆的行為──悪辣なものなら死罪だ。そして他の領民を「魔王の呪い」なんて口走るほど怯えさせ、多くの領民に利を齎す運河の拡張を妨げた行為は、十分に悪辣と評せる。


 ただ、『呪い』という言説が流れてしまった以上、それを拭い去るには大きなインパクトが必要だ。

 ただ単に殺すだけ、「犯人を処刑した」と発表するだけでは足りないかもしれない。例えば妨害者を捕らえて、市中引き回しの後に磔刑に処すとか。


 ルキアが「苛烈に見せつける」と言ったのは、そういう意味だろう。


 「……一応言っておくけど、貴女の仕事もここでお終いよ? 運び屋とマフィア、どちらも潰すことに変わりはないけれど、貴女が出張り過ぎるのは良くないわ」

 「分かっているわ、お母様」


 まあそうか、とフィリップも扉の外で一人頷く。

 マフィアが全部で何人いて、どの程度の戦力なのかは分からないが、ルキアが動く必要は無いだろう。そして彼女の仕事がここまでなら、フィリップが護衛をする必要も、「面倒だから全員生きたまま僕の前に並べて」とハスターに頼む必要も無い。

 

 しかし──。


 「でも、ルキアが動いてくれたお陰で、作業員はかなり安心したはずよ。お疲れ様」

 「当然のことをしただけよ」


 希薄ながらも達成感を滲ませたルキアの声。


 扉を隔ててそれを聞いているフィリップの表情は、どこか退屈そうで不満げなものだった。

 




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