第464話

 「呪い」が人為的なもの、妨害工作であると判明した以上、フィリップたちが巡回する必要性は薄まった。

 魔王や上位の悪魔が絡んでいるならルキアでなければ対処できない可能性もあったし、神話生物絡みならフィリップは率先して対処に繰り出すが、どちらでもないのだからどうでもいい。


 「家に戻りましょう。あとはお母様に任せれば、一番綺麗に終わるはずよ」


 ここから先は人海戦術が効く。

 まだ妨害者の正体が人間だと分かっただけなので、人海戦術を展開しても安全だという確証を得るための調査のようになってしまったが、成果としては十分だ。


 戻って公爵夫人に報告すれば、あとはどうとでもなるだろう。

 どうとでもできるだけの人材も資金も、公爵は持ち合わせている。


 ──と、人を使うという思考が出来るのはルキアだけだ。


 外神の視座の影響やナイ神父の教育の甲斐あって、邪神をことには慣れてきたフィリップだが、人の上に立ち人を使うことには慣れていない。というかむしろ、フィリップはこれまで使われる側だった。冒険者も「使われる側」であることを考えると、今でもそうだ。


 フィリップは「自分の仕事を人に押し付けるようで気が引ける」と明記された顔をしていた。


 とはいえ、フィリップはあくまでルキアの護衛に過ぎない。調査は元々ルキアが買って出た役目で、フィリップは神話生物絡みの事案だった場合のバックアップ。ルキアが主で、フィリップが従だ。


 調査の方針を決めるのも、決めるだけの知識やノウハウがあるのもルキアなのだし、フィリップは従うほかない。


 「……了解です」


 内心の不満を制御しようという気概は認められる。感情制御は35点。


 そんな声で、フィリップは了承した。


 まだ目的は完遂されていないのに途中で切り上げるようで、不満はある。

 魔術行使の痕跡を見つけたのはルキアだし、フィリップがやったことといえば……強盗モドキを三人ばかり殺したくらいか。しかもどうやら、そいつらは生かしておいた方がよかったらしい。


 ギリギリ邪魔にはなっていないはずだが、ルキアの手助けになったかというとそうではない気がする。

 とはいえ、ここで「いや僕がやります」と出しゃばると、またいつぞやのようにプロの邪魔をすることになりそうだ。ここは大人しくしておくべきだろう。


 そもそも魔力を見る役目はルキアにしか出来ないのだし、是非も無い。


 フィリップは多少の未練を見せつつも頷き、二人は一先ず公衆トイレの辺りまで戻ることにした。

 さっきは事故発生の報に思わず移動してしまったが、アリアを死体の身元確認に向かわせたきりだ。確認はとっくに終わって、帰ってきたらルキアが居ないわけだから、相当に焦っているかもしれない。


 そんなことを考えながら歩いていると、道行く人が二人の頭上を指して叫んだ。


 「おい、危ないぞ!!」


 ルキア相手に「おい」なんて言ってしまうほどの焦りようで、明らかにただ事ではないと分かる。

 指の示す先に視線を向けたときには、もう殆ど間に合わないタイミングだった。


 見上げると、道沿いの家のベランダから片手サイズの植木鉢が落下していた。一見して陶器製のそれは、恐らく土や水も含めて総重量2,3キロ。その直下、落下地点にはルキアがいる。


 「っ!?」


 猶予は一秒も無く──しかし、フィリップはルキアを押し退けることに成功した。

 舞踏術や美しい所作を身に付ける中で磨かれたルキアの体幹は、フィリップが片手で押した程度では動かせない程度には強靭だ。しかしミナやエレナのように、体重を数十倍に錯覚させるほどの身体操術はない。体重をかけて身体で押せば、フィリップでも十分に押し退けられる。


 むしろ重要だったのは反射神経の方だが、自由落下物の速度なんか、エレナのパンチやらミナの斬撃を普段から見ているフィリップには遅い。

 自分の頭に向かって落ちてきたのだったら、もしかしたら無感動な一瞥を呉れて、「当たったら痛そうだなあ」なんて思ってから漸く回避していたかもしれないが、ルキアは最優先庇護対象だ。考えるより先に身体が動いた。


 身体で押し退けた以上落下位置にフィリップが入るが、何も問題は無い。回避するだけの余裕はある。


 フィリップのその思考は正しい。

 そもそも体幹や反射速度、動体視力といった回避能力を重点的に鍛えているうえに、訓練ではルキアやステラの魔術だって避けていた。今更、ただ直線で落ちてくるだけの物体が避けられないことはない。


 しかし──靴底にあった硬い石畳の感覚が消え、ずる、と足が横滑りする。


 「っ!?」


 転倒。そして体勢が崩れたところへ、植木鉢が直撃する。

 エレナのパンチよりマシ。ミナの斬撃よりマシ。だが──人間の肋骨くらい、きっと簡単に折れる。


 二回分の痛みを覚悟して身体を強張らせたフィリップだったが、幸い、痛みは一度も来なかった。転倒分の痛みも、衝撃さえも。


 「……大丈夫? 怪我はない?」


 心配そうなルキアの声に、フィリップは痛みに備えて硬く瞑っていた目を開ける。

 90度ほど回転した世界のなか、ゆっくりと地面に向かって落ちていく自分の身体と植木鉢を見て、フィリップは闇属性魔術の中でも特に難易度が高いとされる重力操作のことを思い出した。


 「だ、大丈夫です。足が滑りました……」

 「そのようね」


 先のフィリップを慮るような声からは一転し、他人──いや敵に向けるときの冷たい声になるルキア。

 いやに軽い体で立ち上がり、植木鉢を掴むと、途端に体の感覚が戻る。ルキアが不愉快そうに見つめる先へフィリップも目を向けると、石畳の上、ちょうどフィリップが立っていた場所に、薄く引き伸ばされた泥の跡があった。


 横に伸びているのは、そりゃあ、フィリップが滑ったからだ。

 だがそもそも、石畳の上に、それもここだけにピンポイントで泥が落ちていること自体が不自然だ。


 「土属性中級魔術『マッドスワンプ』ね。本当はもっと広く深い沼を作り出す魔術だから、失敗しているけれど」

 「……失敗でも使い方次第じゃ十分道具にはなりますよね。僕の『水差し』や『火種』のように」

 

 飛びもしない水の槍を水差しにするように、拳大どころか指先サイズの火球を火種にするように、魔術能力不足で失敗したものにも使い道はある。

 フィリップが踏んだ“沼”は、深さは2ミリあるかどうか、広さも直径30センチ程度のもの。沼というか、もう泥濘と呼ぶのも躊躇われる水溜まりだ。しかし、そんなものでもいきなり現れれば、文字通り足元を掬うくらいはできる。


 引っかかった相手は精々滑って転ぶくらいの、悪戯程度の結果しか齎さない魔術だが──今のような急いで移動しなければならない状況や、或いは重い資材を持った作業員が昇っている梯子の足元なんかに出せば、結果としての威力は数倍に跳ね上がる。


 「……術者の位置は分かりますか?」


 植木鉢が落ちてきたベランダは無人だ。もしかしたら風属性魔術で落としたのかもしれないが、ただの偶然の可能性もある。

 しかし、足元に魔術を撃って回避を妨害したのは、明らかな攻撃だ。まあただの悪戯という可能性も完全に棄却できるわけではないが、検討に値しない程度には低い。


 工事を妨害する何者かによる、かなり直接的な攻撃だ。


 いや、フィリップは別に、工事の妨害なんかどうでもいい。

 ここに来たのはルキアに頼まれたから、そして万が一“呪い”が神話生物由来のものであった場合に駆除するため、ルキアを守るためだ。


 工事を妨害していたのが人間だったと判明した時点で、フィリップのモチベーションはかなり萎んでいた。

 まともな人間なら、聖人であるルキアに危害を加えようとはしないだろう、なんて高を括っていたこともある。


 しかし今、その余裕は揺らいだ。


 植木鉢の落下が作為的なものなら、それはルキアに対する攻撃だ。

 フィリップがルキアを庇った直後の完璧なタイミングで魔術を撃った辺り、もしかしたら初めからフィリップを狙ったのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、ルキアが怪我をするかもしれなかったことだ。


 まあ、冷静になって考えれば、重力操作や魔力障壁で簡単に防げただろうけれど、それはそれだ。結果として無傷だったことも、簡単に防げる程度の攻撃だったことも、攻撃したという事実を打ち消す要素ではない。


 「見つけてぶっ殺しましょう」


 完全にスイッチの入った顔で喉笛を掻き切る仕草をするフィリップに、ルキアは下品な手振りだと咎めるように眉根を寄せる。とはいえ、彼女が咎めたのはフィリップのジェスチャーだけで、言葉の内容自体には賛成だった。


 というか、ルキアが助けなければフィリップは大怪我をするところだったのだ。そんな相手を、ルキアが見逃すはずがない。ステラに「強さゆえに他人の命が軽い聖痕者の中で、一二を争うほど手が早い」と言われる彼女が。


 「もう見つけたわ。まだ生きているかどうかは、当人の生命力次第だけど」


 氷のような声で言ったルキアに、フィリップは苦みの強い笑みを浮かべる。

 彼女がいつどのように攻撃したのか、魔術師ならざる身には全く分からなかった。



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