第459話

 翌日。

 いよいよ“呪い”の調査に取り掛かることにした三人──フィリップとルキアとミナは、ルキアの護衛兼従者であるアリアを伴って町に出た。


 はじめはルキアが自分で持っていた日傘は、フィリップと手を繋いで歩くのに邪魔になり、早々にアリアの手に渡った。


 向かう先は取り敢えず、今も工事が行われている現場だ。

 運河の拡張・流域制御は大事業だ。秒間65立方メートルもの水が流れるための道を掘り、たとえ雨で流量や水勢が増しても崩れることが無いよう護岸しなくてはならない。それも、何百メートルもの長さを。


 上流付近はそれなりに完成して、今は中間部付近の作業中……いや、上流付近の作業中に起こり始めた“呪い”のせいで、とうとう作業が止まったのが中間部付近なのだった。


 ここで魔力残滓でも見つかればほぼ解決、邪神や神話生物絡みの何かやカルトに繋がるものが見つかった場合はやや面倒だが解決はする。何も見つからなければ、その時は本格的に調査開始だ。単純に増員するとか、王都から薬学の専門家や錬金術の専門家を呼ぶという手もある。


 「なんだか嬉しいです。まさか、ルキアが僕を頼ってくれるとは思わなかったので」

 

 現場に向かう道すがら、フィリップはそんなことを言って笑う。

 まあ彼女がフィリップなんかの手を借りなくてはいけないようなこと自体が稀だ。邪神絡みのことを除き、ルキアに出来ないことがフィリップに出来るわけがないのだから、当然と言えば当然だけれど。


 「確かに、フィリップの手を煩わせるのは遺憾ではあるわ。けれど、解決手段に心当たりがある問題を、意地で長引かせるのは美しからぬことだもの。その問題が所領のことであるなら、貴種として尚更に」


 ルキアらしい物言いに、フィリップは昔を懐かしむような、ここではないどこかを見る目をして笑った。


 町の東側に入ると、まさに工事の真っ最中らしき光景が見られた。

 道のド真ん中の石畳が広範囲に亘って剥がされ、深い壕が掘られている。そこがおそらく運河に変わるのだろうが、水のない川、まだ本流と接続されていない支流は、ただの堀、穴でしかない。


 しかし珍しくはあり、なんとなく眺めながら歩いていると、その下に作業員らしきガタイのいい男が数人いるのを見つけた。


 彼らは町人らしき仕立ての良い服を着た数人と何事か言い争っており、近付くにつれて怒声の内容がはっきりと聞こえてきたが、それは単純に距離が近づいているだけではない。彼らがヒートアップしてきて、語気が強まっているのだ。


 「だから! そんな話、聞いたことねぇって言ってるだろうがよ! こっちも毎日お前らの喧嘩を聞くために喧しい工事を我慢してんじゃねぇんだぞ! やるならやる、やめるならやめるでさっさと決めろ!」

 「だから! 俺はただの作業監督だっての! やるもやめるも公爵様次第に決まってんだろ!」


 筋骨隆々の作業員らしき男に、仕立ての良い服を着た町人は怯むことなく食って掛かる。

 それだけ鬱憤が溜まっているのだろうが、作業員の男もそれは同じようで、顔が赤くなるほどの勢いで言い返す。なんとなく、フィリップは彼も本当は工事を辞めたいのではないかと思った。


 しかし彼の言葉通り、それを決めるのは工事業者でもなければ町人でもない。その決定権を持つのは町の所有者であると同時に、彼ら領民の所有者でもある公爵だ。正確には、この件を委任されている公爵夫人だが。


 「……アリア」

 「はっ」


 溜息交じりに呼ばれ、意図を察したアリアが堀の縁に立つ。そして大きく息を吸い。


 「──全隊傾注!」


 男二人の怒声が霞むような、空気を震わせる鋭い号令が響き渡った。


 ミナが鬱陶しそうに眉根を寄せ、堀の中の男たちと同じようにびくりと肩を跳ね上げたフィリップは「なるほど、軍学校の出だったんですね」と一人納得する。


 何事かとアリアの方を見た男たちは、その声が侍女服の女から発せられたものだとは思えなかったようで、戸惑ったように堀の上を見回す。

 そしてルキアを見つけ──この町を統治する公爵家の一員にして、この世で最も尊い聖人の姿に、一瞬以上の時間放心していた。


 硬直から復帰した一人が慌てて跪き、その動きを切っ掛けとして全員の意識がクリアになり、初めの一人に倣う。全員が首を垂れ、そして黙ったことを確認して、アリアはすっと静かな動きでルキアに場所を譲った。


 「……工事中に複数回の事故があり、作業員の士気が低下していることは知っているわ。けれど、ここは外からも多くの冒険者が訪れる街よ。双方、公爵領の品位を損なわぬよう、振る舞いには注意なさい」

 「はっ! お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございません!」

 「お耳汚し、大変失礼いたしました、聖下!」


 冷たい、虫にでも語り掛けるかのような声で叱責するルキアに、自分が怒られているわけでもないフィリップの首筋に鳥肌が立つ。

 町人の代表者と作業監督がそれぞれ謝罪を述べたが、その声は先の怒声とは違い、無理やり絞り出したようにか細く震えていた。


 「作業監督以外は仕事に戻りなさい。ただし、“呪い”と思われる事象が発生した場合は知らせるように」


 公爵や国王が醸し出す威厳とは違う、しかし有無を言わせぬ雰囲気を纏ったルキアの言葉に、誰もが一斉に従う。蟻の子を散らすように、なんて言葉が似合うほどだ。


 「はぁ……。ごめんなさい、フィリップ。見苦しい所を見せたわね」

 「え? いや、かっこよかったですよ、ルキア」

 「いえ、私じゃなくて……。まあ、いいわ、ありがとう」


 苦笑に喜色を混ぜ、ルキアは相好を崩す。

 しかし呼ばれた作業監督が梯子を使って壕から上ってくると、仮面でも被ったように冷たい表情に戻る。それが仮面ではなく本心の、無関心の表出であることを、フィリップは言われずとも理解していた。


 「先ほどは大変失礼いたしました、サークリス様」

 「謝罪はもう結構よ。それより、“呪い”について知っている限りのことを話しなさい」


 冷たい声に、作業監督の男は僅かに怯んだ。

 しかしまさか問われた身で黙ることもできず、必死に口を動かす。


 「はっ。俺、いや私が存じ上げているのは、呪いのせいっぽい事故の現場と内容ぐらいのもので……」


 そんなのでいいのか、という無言の問いに、ルキアは無言の一瞥で続きを促す。


 「……工事を始めて以来ずっと、妙な事故が多いんです。ベテランの職人が測量中に運河に落っこちたり、雨も降ってないのに梯子の足元だけが泥濘になってて倒れたり、酷いヤツは振り上げたツルハシの柄が折れて、ケツに刺さっちまった。他にも、ヘマしたとかじゃ説明のつかねぇものばかりで」


 尻の何処に刺さったのだろう、なんて益体の無い疑問を抱いたフィリップだったが、流石に空気を読んで黙っている。

 ミナは「呪い……? 魔力残滓すらないけれど……」と、意外にもフィリップより真面目な疑問を呟いていた。まあ、彼女はフィリップの安全を確認して、早く高難易度ダンジョンで遊びたいだけかもしれないけれど。


 「それで、これはきっと呪いだって言い出した奴がいて……それが広まって、この有様です」


 事故が起こった瞬間を想像しながら、ルキアは語られた状況の再現性を検討する。

 結論は一瞬で出た。


 「……聞く限り、物理的・魔術的な細工で再現できそうな事故ばかりだけど。誰かの妨害という可能性は?」

 「そりゃあ無いと思います。確かに今でこそ「やめちまえ」なんて言われちゃいますが、始めたときには「遂にこっちの道にも運河が来てくれる」って、大歓迎だったんですから」


 妨害と聞いて真っ先に近隣住民が犯人である可能性を考える程度には、町人との衝突があるらしい。


 しかしルキアが想定している犯人像は、もっと広範囲だ。

 公爵領の治水工事という大きな実績を作ることになる同業他社を妬んだ末の犯行とか、愉快犯による悪戯とか、或いは業者ではなく公爵家に恨みを持つ者による妨害という可能性だってある。


 「それより、ここ何年か、ちと物騒な噂を聞きますからね。やっぱり呪いの可能性の方が高いんじゃないかと──」

 「──可能性の評価は私たちがするわ。主観を交えず、情報を正確に教えなさい。……噂というのは、具体的に何のこと?」


 脳内に浮かぶ容疑者リストを可能性順に検討するルキアに、現場監督はさらに言葉を重ねる。

 しかし、それは彼の分を超えた行為だったし、語った内容も然して重要ではなさそうだった。


 「加護」が存在するのと同じで、「呪い」もまた存在する。それはミナや衛士団長という生きた証拠が──アンデッドは生きていないが──ある以上、証明が済んでいることだ。


 だが、流石に「工事を遅らせる呪い」なんて下らないものは聞いたことが無い。しかも、「幸運を奪う」「寿命を奪う」といった魔術の域を逸脱した超常現象ではなく、地面を一か所だけ泥濘に変えるとか、ツルハシの柄を折るとか、使い方を工夫すれば初級魔術でだって再現できそうなもの。


 工事の邪魔をしたい人物、或いは勢力が存在するのなら、簡単に実行できそうな妨害工作だ。


 そういう手合いに繋がる「噂」を期待しての問いだが、しかし、現場監督が聞いたのは“呪い”に関する噂だった。


 「は、はい。サークリス様がダンジョンごと吹っ飛ばさなきゃいけないような魔物の出現に、“眠り病”に、最近じゃ北方で王龍の動きが活発化したとか。そういうのは全部、魔王が復活したからなんじゃねぇかって、そういう噂です。魔王の呪いなんじゃないかって」


 監督の言葉に、アリア以外の全員が呆れ混じりの苦笑を浮かべる。

 フィリップと顔を見合わせたミナの表情は、「こいつは何を言っているの?」と雄弁に語っていた。


 「魔王の復活? 教皇庁は何も発表していないはずだけれど?」

 「あ、はい。そりゃそうなんですが、そういう噂で──」

 

 魔王が復活した場合、魔王の預言者である先代闇属性聖痕者を捕らえている教皇庁が、いち早くそれを知り、警告を発するはずだ。それは予想ではなく、教皇庁が魔王の復活に備えて用意したシステムであり、国際的な取り決めであり、人類を守るための決定だ。


 しかし現状、聖痕者であるルキアにも、王国の中枢である公爵家にも、そんな知らせは来ていない。王国に、そんな情報は届いていない。


 それに、魔王は聖痕者や勇者を擁する精鋭パーティーを壊滅させ、殺すのではなく封印することしか出来なかった、超の付く強者だ。当時の聖痕者の魔術も効きが悪かったと、その当時の聖痕者である学院長から教わった。それほどの相手が使う呪いが、「工事が遅れる」とか「怪我をする」程度で済むはずがない。


 そんなことを考えているフィリップとルキアだが、その魔王についてもっと詳しい人物の意見は、威力がどうこうではなかった。


 「……? 魔王が復活したのって、私がフィルに会うより前のことよ?」

 「……えっ?」


 フィリップの頭を撫でながら、なんでもないことのようにミナは言う。

 今更何を言っているのか、なんて顔に書いてあるが、何を言われたのか分からないのはフィリップもルキアもアリアも現場監督も、全員がそうだ。


 「……え? 魔王ってもう復活してるの?」

 「えぇ、そうよ?」


 ギリギリ言葉を絞り出せたのは、フィリップ一人。

 いや、フィリップでさえ声を出すのに苦労するほどの衝撃的事実だった、という表現の方が正確か。


 「ホントに?」


 なんて、ほとんど意味のない確認を重ねるフィリップに、ミナは不思議そうに眉尻を下げた。



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