第457話

 王都を出てから約二週間。

 フィリップたちは目的地である公爵領内の街『ミュロー』に到着した。


 町外縁を守る石の外壁があるのは、中規模以上の都市には普通のことだ。しかし、その開口部が他の街と比較して異常なほど大きく、道と並んで大きな川が流れているのは特徴的だった。運河だろうか。水を通し船を阻む格子状の水門、道を遮る木と鉄で出来た門の二つを擁する外壁となると珍しい。

 

 道幅もかなり広く、馬車や人が数多く行き来するのだろうと分かった。


 門を守る衛兵が荷物や乗員の確認をしたときに、ルキアとオリヴィアを見て硬直するという一幕こそあったものの、それ以外は何事も無くスムーズに街に入る。


 石造りの建物が整然と並び、大通りの横には運河の流れる大規模な町だ。

 王都ほどではないが人口も多そうで、通りにも店先にも活気がある。運河には荷物を載せた船が上り下りですれ違い、人員輸送用のゴンドラ船から停留所に飛び移る腕白な子供の姿も見えた。


 町中に大きな川が流れているのは珍しいが、それ以外の部分、道路整備や並んだ建物自体は、それほど特異なものではない。


 「……思ったより普通ですね? いや、都会ではあるんですけど、王都ほど華やかじゃないというか。建物も普通に石とか煉瓦みたいですし」


 建築技術も建材も何もかもがトップクラスの王都と、それ以外の都市を比べること自体がナンセンスではある。

 しかしそれを抜きにしても、町並みはやや古めかしい印象を受けた。建材や建築様式が流行に乗っていない、というか、はっきり言うと古臭いデザインだ。


 フィリップの言葉にミナは「そう?」と首を傾げていたが、ルキアは「そうね」と軽く頷く。


 「えぇ、そうね。というか、国境付近の街は壊しやすく直しやすいようになっているのよ。古い防衛政策の一環でね」


 言われて初めて、フィリップはここが国境の近くなのだと知った。

 長く馬車に揺られてはいたが、現在位置を全く気に掛けなかったのは、多くの旅慣れた護衛を擁する車列の一員である安心感が大きな理由だ。また街道から離れて移動することも無く、迷子になる心配がなかったこともある。


 要は、慣れた人間に丸投げしていたのだ。


 それに、王都から遠く離れているなら、人類社会を汚染するような何かと遭遇したとき、余裕を持って対処できる。流石にルキアの実家が持っている領地なので、前回のように見逃すことは無いけれど。


 フィリップが道中で意識を向けていたことは、専らルキアのことだった。

 別に彼女が今にも“呪い”で倒れるのではと怖がっていたわけではない。単純に一緒に居た時間と会話時間が長く、それ以外でも彼女の安全に気を払っていたというだけだ。


 万一の場合、邪神を召喚しつつ彼女を守る方法はないだろうか、という問題には、どれだけ考えても終ぞ答えは出なかったけれど。


 「直しやすくするのは分かりますけど、壊すのも簡単でいいんですか?」

 「いくら城塞都市とはいえ、私やステラなら魔術砲撃数回で焦土に出来るし、それは他の聖痕者も同じことよ。城塞都市とはいえ基本的には長期防衛に向いていない──聖痕者が戦線投入された瞬間、その戦略は瓦解する。だから街を放棄することを初めから想定して、敵に利用されないよう破壊できるように作ってあるらしいわ。この辺りに火山はないから、地震も稀だしね」

 「……へえー」


 もう町の人間を全員どこかに移動させて、ルキアが一旦街を全部更地にしてしまえばいいのではないだろうか。

 そんな考えがフィリップの脳裏をよぎる。


 今のところ神威は感じないし、邪神の気配を悪臭として知覚するミナも無反応だ。邪神はいないと思っていいだろう。

 であれば、“呪い”の正体がなんであれ、ルキアの最大火力『明けの明星』であれば消し飛ばせるはずだ。過去にはシュブ=ニグラスの落とし仔を瀕死に追い込み、アイホートの雛をダンジョンごと消滅させた実績がある。


 「この町にあるのも公爵家の別邸の一つだけど、直轄地の中では五指に入るくらい重要な町ね」


 フィリップの物騒な思考を読み切ったのか、ルキアは苦笑交じりにそう語る。

 案を口に出す前にやんわりと否定された形のフィリップは窓の外に目を泳がせ、街の外に見える丘に小さな塔が建っており、街から石畳の道が伸びていることに気が付いた。


 「……そう、あれが重要な理由。あれは監視塔兼防衛砦よ。あの中に囲われた“ペンローズの虚”から出てくる、強力な魔物を駆除するためのね」


 ほう、とフィリップは関心を吐息に乗せ、道を行く人々の装いを観察する。


 予想通り、町人や商人に武装した冒険者が混じっていた。


 「なるほど、つまりここは大陸最大のダンジョンに挑むような、腕に覚えのある冒険者が拠点にする町ってことですか。……“ペンローズの虚”って、地下ダンジョンなんですか?」


 「入口が塔の中に囲われている」「偶に魔物が出てくる」という情報からの推測は、論理的におかしなところはない。

 しかし、ルキアは首を横に振り、明確に否定を示した。


 「いいえ。……屋敷に荷物を置いたら、見に行ってみましょうか。勿論、疲れていなければだけど」

 「いいんですか? じゃあ是非。ミナはどうする?」

 「いいわね。面白そうだわ」


 否定するだけで正解を教えてくれなかったルキアに、フィリップはより一層の興味を引き立てられた。

 「自分の目で見て」という意図なのだろうが、説明が難しいわけではなく、見た方が面白いからだろう。彼女はそんな、悪戯っぽい蠱惑的な笑顔を浮かべていた。


 “ペンローズの虚”。フィリップのような駆け出し冒険者にはその存在も名前も聞こえなかったほどの、恐らく超高難易度のダンジョン。

 勿論、ダンジョンはその形状や系統のみならず、サイズを見ても難易度がはっきりと分かるわけではない。総面積が家一棟分でも猛毒が充満していれば難易度は高くなるし、森一つが丸ごとダンジョンになっていても、出てくる魔物は雑魚ばかりということもある。


 最大は最難を意味しないが、しかし、街を歩いている冒険者を見れば、その難易度にも察しが付く。


 どのパーティーも当たり前のように魔術師を擁し、オーパーツらしき特殊な武器や、魔剣と思しき燐光を放つ剣なんかで武装している。誰も彼もB級以上、A級冒険者だって居るだろう。志次第では衛士にだってなれるかもしれない強者たちが、そのダンジョンを目的に集まっているのだ。


 どう考えても広いだけのダンジョンではない。


 ……しかし、だ。


 「……ルキアとミナが居れば、何なら今日中に攻略出来るんじゃないですか?」


 人類最強の後衛に、人類以上の前衛がいる。

 まあフィリップというオマケハンデもいるけれど、そもそもハンデを意識しなくてはいけないような状況に、この二人が陥るかと言う話だ。敵は視界に入った瞬間、エネルギー変換された光か血の槍に貫かれて死ぬ。


 そんな舐めた思考をしていたフィリップだったが、ルキアは一瞬も悩まず頭を振った。


 「流石に不可能だと思うわ。“ペンローズの虚”は広大なフロアが100層以上連なる、縦にも横にも広いダンジョンだし……100層あるという情報だって、何百年か前の聖痕者三人と、三百人の聖騎士からなる聖国の遠征部隊が数年がかりで得たものよ? しかも、帰ってきたのは聖痕者一人と騎士数名だけ。……まあ、古い文献の情報だし、間違っている可能性も無くは無いけれど」

 「な、なるほど……?」


 聖騎士の実例は知らないが、聖国が擁する対魔物・魔王勢力を主任務とする武装組織であることは知っている。王国で言う衛士団に似た組織だと考えると、その強さにはおおよその見当がつく。

 そして、その頂点に君臨するのは、黄金の騎士王レイアール・バルドル卿──邪神マイノグーラだ。健全な精神美味なる魂は健全な肉体に宿る、という言説を信じるのなら、きっと彼女好みの美味な魂、屈強な戦士が揃っていることだろう。


 聖痕者の強さは、既に目の当たりにしている。

 過去の聖痕者がルキアやステラと比べて強いか弱いかは不明だが、戦時下でさえ地図を描き直すのが馬鹿らしくなるほどの大規模破壊を齎す、圧倒的な存在であったことは間違いない。


 過去の攻略部隊をなんとなく、ルキアとステラとヘレナが衛士団を伴っていたくらいの戦力だと考えて……何をどうやったら壊滅させられるのか分からない。古龍の群れでも出てきたのだろうか。


 そんな話をしているうちに、車列は街の中心部にあるひときわ大きな屋敷に到着した。

 他の建物の例に漏れず石造りで古めかしい外観だが、三階建てで、よく見ると精緻な飾り彫刻があったり、雨樋がガーゴイルになっていたりと、所々に細やかな装飾が見て取れた。


 町並みの中で悪目立ちすることなく、しかしその威容と細部の精緻な装飾を好む美的感覚で、住人の格を知らしめている。そんな邸宅だ。


 馬車を降り、使用人の開けた扉を潜る。

 玄関は広いホールになっており、華やかな装飾の施された壁や、輝くガラス細工のシャンデリアなどが空間そのものを煌かせる。


 二階へ続く階段には、数多くの使用人が整然と並んでフィリップたちを出迎えていた。


 「お帰りなさいませ、奥様、ルキアお嬢様。我々ミュロー別邸一同、お嬢様が魔術学院にご入学されて以来、再びお迎え出来る日を心待ちにしておりました。……そちらの方が?」

 「えぇ、そうよ」


 総白髪が威厳を感じさせる老婦人が使用人の列から進み出ると、ルキアとオリヴィア夫人の前で折り目正しく一礼する。

 普段ならフィリップの目を奪うほどに洗練された所作ではあったが、フィリップの関心は彼女の背後、並んだ使用人たちにあった。


 整列した使用人の出迎えは、物語の中ではありがちだ。

 しかし現実には、相当な高級宿でも最上位の客相手にしかやらないような、かなり手間のかかるパフォーマンスだった。元宿屋の丁稚としては「待ってる時間にアレとコレは終わらせられそうだよね……」と夢の無いことを考えてしまう。


 そんなことを考えていて、フィリップはルキアと使用人たちの視線が自分に集まっていることに、なかなか気付くことが出来なかった。


 「……あ、初めまして。フィリップ・カーターです」

 「旦那様方からよくお聞きしております。ようこそ、サークリス公爵家ミュロー別邸へ。私はこの屋敷の使用人統括、サマンサ・フォン・アルマンと申します。ご滞在が快適なものとなるよう、誠心誠意お仕えさせていただきます」

 「よろしくお願いします」


 ついうっかり握手を求めて彼女を困らせたりしつつ、一行はそれぞれ私室と客室に向かう。


 途中、使用人の中に見覚えのある顔を見た気がしたフィリップだったが、振り返った時に彼女は居なかった。


 どうしたの? とルキアが訪ねたときには気のせいと結論を出していたフィリップは、別の疑問を口にする。


 「……あの出迎えって、ルキアが言いつけたことだったりしますか?」

 「言いたいことは分かるわ。私も子供の頃に「時間の無駄じゃない?」って聞いたけど、必要なことだと言われたのよ」


 本当にフィリップの言わんとしていることを理解して、ルキアは苦笑交じりに答える。


 まあ、ここは彼女の家で、あれは彼女の使用人だ。

 どう使おうと彼女の勝手ではあるので、どちらにせよ「やめなよ」なんて言うつもりは無かったのだが、ルキアが過去に同じ疑問を持っていたと聞いて、フィリップは少しだけ親近感を抱いた。


 「必要……? まあ、屋敷の使用人と宿屋の従業員じゃあ色々違うんですかね?」

 「さあ、どうかしら。でもどちらにせよ、そのことで不利益を被らないのなら、偶には使用人の我儘を聞いてあげるのも良い主人と言うものよ」

 「……覚えておきます」


 貴族になった後で役立つ話をされて、フィリップは何とも言えない気分になった。



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