第456話

 旅の準備やパーティーメンバーへの説明を終えたフィリップは、王都から馬車で街道沿いに十日以上かかる公爵領へ向けて出発した。


 フィリップたちが乗る馬車の他に、護衛の騎士や従者などが連れ立ち、馬車数台に騎兵十数名、総勢五十人以上の大所帯だ。


 そして数日後。

 視界の開けた街道を進む馬車の中にはフィリップとルキア、オリヴィア公爵夫人、そしてフィリップの肩を抱き寄せて愛玩しているミナがいた。


 「……フィリップは貴女に「ついてくるな」と言ったはずだけれど」


 不機嫌さを隠し切れていない声でルキアが問う。

 問うというか、もう殆ど存在否定じみた冷たい声だ。


 一応、出発から数日の間、ミナは居なかった。

 ところが昨夜、宿のフィリップの部屋にふらりと飛んできたかと思うと、血を吸ってそのまま同じベッドで眠り、今もこうして同行している。


 「そうね。「一人で行く」とは言っていたけれど」

 「「王都に居ても退屈だったのよ」と言われたので」

 「「そう? それじゃあ」って、すぐ納得したわね」


 フィリップがミナの言葉を、ミナがフィリップの言葉を再現して語られたのは、あまりにも単純な会話だった。

 その会話がされた当時にフィリップが感じていた眠気の強さが窺えるが、もし吸血直後の酩酊感が無かったとしても、どうせ似たような会話の展開だっただろう。


 フィリップは最重要事項以外、ミナの行動を縛らない。

 人間は吸血鬼の行動を縛れないし、フィリップ自身が人間であるために、その一般的な常識に沿うよう行動する。


 ルキアもそれを薄々感付いているから、「そう。まあ、フィリップが良いならいいけれど……」と不機嫌ながらも許容した。

 神罰術式という対邪悪特攻、10万の命を持つミナでさえ一撃で塩の柱に変える切り札を持つルキアは、食人の化け物と同じ馬車でも然程のストレスはない。


 しかし、ルキアほど傑出した戦闘能力を持たないオリヴィア公爵夫人は、穏やかな微笑の仮面を一瞬だけ崩した。


 フィリップがそれに気付いたのは偶々だったが、気付かないふりをするよりはマシだろうと、気を紛らわせるような話題を探す。年齢も性別も何もかも違う相手なので、会話にのめり込めるような話題は無いだろうが、黙ってミナを注視し続けるよりは健全だろう。


 「公爵領って、王国東部ですよね。高難易度のダンジョンが幾つもあるとか」


 特に宛先を示したわけでもない言葉だったが、フィリップの顔の向きと気遣うような視線で意図を察したルキアは、黙って隣に座った母親に目を向けた。


 夫人は気遣われたことを察していたが、今度は内心の自嘲や気恥ずかしさを完全に制御し、完璧な微笑と共に頷く。


 「えぇ。王国の首都である王都と、帝国の首都である帝都、聖国の最重要都市である教皇領。これらを繋ぐ二つの主要街道で、それぞれ最も国境に近い関所を有する城塞都市。複数の金山と農産地帯、そして大陸最大のダンジョンである“ペンローズのうろ”を含む複数の大型ダンジョンを領内に持つ、王国東部の統括者。それが、私たちサークリス公爵家よ」

 「ペンローズの虚……カッコいい名前ですね」


 目を輝かせたフィリップの少年的感性には同意しかねたのか、ルキアと夫人は「そうね」と愛想笑いで応じた。


 「現在領地を持つ貴族のうち約2割が、国王から与えられた土地ではなく公爵領の一部を行政委任という形で分け与えられた、臣下……でしたよね、確か。あれ、2割でしたっけ? 学院で習ったはずなんですけど……」

 「学院では3割と教えられたわね。実際は概ね3割強かしら」


 ふわふわしたことを言うフィリップに、ルキアも微妙にはっきりしない答えを返す。


 そもそも国土の表面積が厳密に算出されていないし、所領がどこからどこまでなのかもそれほど厳格に定義されていない。「この街道に沿って」とか「この山や川が境界で」と決めているところもあるが、大抵は「こっちの街はA領で最寄りの街はB領。間はまあ、なんとなくね」くらいの緩さだ。


 緩い方が、貴族には都合が良い。


 領地は広ければ広いほどいい、というわけではない。

 その最たる理由は、金だ。特に防衛・保安費。領主には所領の防衛義務や魔物の駆除義務があるから、領地が広ければ必然的に防衛費の負担が大きくなる。盗賊や他国の違法商人──特に奴隷商、そしてカルト。領主が駆除しなければならない敵は数多くいる。万が一にも「居たのを知りませんでした」なんて言い訳をしようものなら、それはもうとんでもない罵詈雑言が四方八方から飛んで来るような敵が。


 しかし街中や街道近辺はともかく、人のいない山中や森、荒野の類は、その手のアングラな輩が住み着きやすく、保安の手が行き届きにくい。なんせ通報する人間がいないのだから。


 だからそういう場所は敢えて所有権──保安責任の所在を不明瞭にして、万一の場合に言い訳が立つようにしてあるのだ。


 王国としても、人間の集合である以上犯罪者が湧くのは仕方がないことだと分かっているし、魔物が湧くのは誰かのせいではないと分かっている。どうしようもない自然災害のようなものだ。

 大規模な被害が出るまで放置していたとなれば話は別だが、優秀な貴族をつまらない理由で罰しなくて済むように、「それなら仕方ない」と言える言い訳を黙認している。尤も、言い訳が認められるかどうかは王の裁量──その貴族の存在が国益となるかどうかによるけれど。


 「……覚えました。そういえば、ミナも領主だったんだっけ?」


 何かオリヴィア夫人が親近感を覚える話題でもないかと探るフィリップ。

 夫人はむしろ、その気遣いの方に心を和ませていた。


 ミナは少しの間、フィリップの質問に思考を巡らせる。イエスかノーで答えられる簡単な質問のつもりだったフィリップだが、実際はそこまで単純ではなかった。


 「領地を持っていたかという意味ならイエス、領地の運営をしていたかという意味ならノーよ。“防衛”なら、イエスだけれど」


 答えの意味を測りかねて、フィリップは出会ったばかりの頃のミナを思い出す。

 “最も正統な吸血鬼”。そう呼ばれ、100人の配下を従えて、荒野を行く全ての人間に、古城へ接近するあらゆる外敵に、分け隔てなく死を与えていた時分を。


 あれは、なるほど、確かに「防衛」ではあっても「統治」ではなかった。実際、実務は殆ど配下に丸投げしていたし。

 他の吸血鬼を統括する立場ではあったようだが、その吸血鬼も臣民というより従僕と言った方が正しい関係だろう。


 「ミナは聞く限り、お父様に近いわね。魔王から授かった領地を更に配下に分け与えて、統治させていたのでしょう?」

 「えぇ、そうよ。というか……私より古いの吸血鬼やら、目と頭の悪い悪魔やらを向かってくる端から撫で斬りにしていたら、いつの間にか吸血鬼のトップで魔王の配下ということになっていたのよね」


 昔を懐かしむ目で語るミナに、人間三人は「あぁ……」と納得顔だ。

 今はペットを抱いて頬ずりなんてしているが、彼女は何ら否定する余地のない化け物だ。「そこに居たから」人を殺すし、「面倒だから」血を分けた配下でも見殺しにする。


 その彼女が自分から魔王に傅くところを想像するのは、少し難しかったのだが……「気が付いたらそうなっていた」ところは、簡単に想像できた。配下の吸血鬼が「その方がいいですよ」と彼女を説き伏せるところも、魔王の軍門に下る際にあったであろう雑事を全て引き受けるところも。


 「へぇ……、っと!?」


 ミナの言葉で新たな疑問を抱いたフィリップだったが、それを言葉にする前に、がくんと身体が前傾する。

 急停止した馬車の慣性を喰らったのはフィリップだけで、進行方向に背を向けて座っていたルキアとオリヴィア夫人は多少の嫌悪感を露にする程度、ミナに至ってはフィリップを抱き寄せて転倒を防いでなお余裕の表情で座っていた。


 「……魔物ね。護衛に任せてもいいけれど、少し運動する?」


 ルキアが窓を覗き、相手を確かめてから言う。つまり、フィリップが「少し運動」出来る程度の相手ということだ。

 ちなみに、ただの馬車ならルキアは窓を覗くまでも無く魔力視で外を確認できるが、この馬車では無理だ。外部からの魔術攻撃対策に、魔力視を阻む特殊な素材が使われている。


 「いいですね。実はちょうどお尻が疲れてきたところだったんですよ」


 言って、フィリップは馬車の扉を開けてタラップを飛び降りる。


 どんな魔物なのだろうと護衛の騎士たちの視線を追うと、大きく発達した二つの牙と一本角を持つイノシシ型の魔物、トライスピアだ。

 一般的なイノシシと同サイズの通常個体が数匹と、ひときわ大きいボス個体が一匹。ボスは体高約1.5メートル、体長2メートルといったところだ。体重も相応にあるだろう。厚い毛皮は並の弓矢を弾き、鉄の剣をも跳ね返すことがあるという。


 学院の冒険者過程で習ったデータによれば、魔術攻撃能力のない純近距離型。勿論、身体の全てが魔力で構成された魔物だけあって耐性は高く、フィリップの魔力では耐性貫通力に長けた『深淵の息』でさえ、密着した状態からでもレジストされるだろう。だが魔術攻撃は飛んで来ない。

 

 そして見て分かる通り、目は二つ。鼻は利くだろうが、こちらの具体的な位置を正確に割り出せるとは思えない。


 蛇腹剣一本で、十分に殺せる相手だ。


 「カーター様、我々で十分に対処可能な魔物です。お下がり──っ、いえ、失礼いたしました」


 慌てたように駆け寄ってきた騎士が、オリヴィア夫人の身振りのみによる指示を受けて下がる。


 フィリップが剣を抜くのと、車列の最前と最後にいた馬車から数名の魔術師が降り、魔術砲撃を準備するのは全くの同時だった。


 「えっ」と小さく声を漏らしたのはフィリップだけではない。

 フィリップは迂闊に突っ込んだら巻き添えを喰らって吹き飛ばされると確信して止まり、魔術師たちはキルレンジに突っ込みそうな要人を見て止まる。


 魔力を読む力を持たないフィリップではあるが、生成された砲弾──火球や岩塊のサイズを見れば魔術の等級や概ねの威力は分かる。伊達にAクラスで戦闘魔術師の卵に囲まれて育っていない。


 「魔術攻撃中止! 各自、照準状態で待機せよ!」


 態々車列を止めたのは「念のため」程度の安全策でしかなく、本当なら走りながら魔術砲撃で魔物を駆除できただろうと察せられる。

 それを妨げる命令を出させたのが自分だと分かって、フィリップは大いに慌てた。プロの邪魔をするのは本意ではないのに、と。


 「え、あ、そこまでしていただかなくても……。なんかすみません、すぐ終わらせますので……」


 フィリップは車列の前後にぺこりと頭を下げ、足早に魔物の群れの方へ向かう。

 魔術砲撃の予兆に怯んで動かない今なら、言葉通りすぐに片づけられるだろう。

 

 その確信と共に突撃したフィリップは、想定通りに通常個体のトライスピアを半分、撫で斬りに倒す。正しい角度と正しい力、そして正しい脱力の下に振るわれた龍骸の蛇腹剣は、鉄鎧にも等しい高度の毛皮を難なく断ち切った。


 それだけ殺されて漸く再起動した群れの残り半分は、咆哮を上げるボス個体の後ろに隠れる。

 しかしその時にはもう、フィリップはボスのすぐ傍で蛇腹剣を伸長させて振りかぶっていた。


 「ふ──ッ!!」


 鋭い呼気で力みを散らし、抜力した鞭の動きで蛇腹剣が振るわれる。

 刃渡り四メートルにまで伸びた刃は、突撃のため短く太く強靭なイノシシの頸を殆ど無抵抗に通り抜け、落とした。


 フィリップは噴き出す血飛沫を避けて大きく下がり、曲芸じみた動きで蛇腹剣を直剣形態へ戻す。再突撃の前にちらりと後方へ視線を向けると、残った魔物はその隙を突くように攻勢に出る。


 相手が獣なら、群れの半数とボスが殺されたら、生存本能に従って一斉に逃げるだろう。

 しかし相手は殺戮本能のみで動く魔物。逃げるという選択肢は端から無く、思考は「殺す」一辺倒だ。


 トライスピアはそれほど上位の魔物ではない、というか、駆除依頼がC級冒険者に割り振られる程度の相手。止まっていなくても、動きの読みやすい突撃状態なら十分に仕留められる。


 フィリップは魔術砲撃による支援を目礼で断り、残った魔物も全て斬り伏せた。


 「お見事です」

 「あ、いえ、あれぐらい魔術攻撃なら3秒で終わっていたと思いますし……。なんかホントすみません……」


 オープンフェイスのヘルムを被った騎士はにこやかに賞賛してくれたが、フィリップは居た堪れない表情でまた頭を下げた。






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