第455話

 フィリップがコショウ挽きのようなペッパーボックスピストルを受け取ってから、実時間では二日後。

 ……投石教会で習熟訓練をしていたフィリップの体感ではもう少し長いのだが、それはともかく、冒険者パーティー“エレナと愉快な仲間たち”は、王都近郊での魔物駆除という特段面白みのない依頼をこなし、王都の公爵家別邸に戻ってきた。


 夕食も風呂も済ませて、しかし寝るには少し早く、談話室のソファで本を読んでいたフィリップは、鼻を擽る石鹸と花のような香油の匂いに引かれて振り返る。


 毛足の長い高級な絨毯の上とはいえ足音も気配も無くソファの後ろまで近づいていたルキアが、突然の動きに驚いたように肩を跳ねさせる。フィリップはその動きに驚き、彼女と全く同じ反応をしてしまった。


 「……こんばんは、フィリップ。少し時間を貰えないかしら」

 「勿論いいですよ」


 何事も無かったかのように美しい笑顔を浮かべたルキアに、フィリップは照れ臭そうに笑いながら座る位置を横にずらす。三人掛けソファの真ん中にいたので、別に移動の必要は無かったのだが。

 隣にルキアが座ると、また石鹸と香油の匂いが鼻先に届いた。どうやら彼女も風呂上りらしく、黒いゴシック調のワンピース姿──つまり普段着ではあるが、抜けるように白い肌が少しだけ紅潮している。


 時間があったので駄弁りにきた……という、いつもの感じではない。雑談するのに「時間を貰えないか」なんて尋ねるほど、ルキアとフィリップの間柄は堅苦しいものではない。


 妙に改まったルキアの雰囲気は、彼女が提起した話題に相応しいものだった。


 「“呪い”について知っていることがあったら、可能な範囲で教えて欲しいのだけれど」


 呪い──穏やかではない言葉だ。

 

 「え? うーん……僕が知ってるのって、精々“拘束の魔眼”と“契約の魔眼”を喰らった時の感覚ぐらいですよ? なんせ“眠り病”にも感染しなかったほどなので」


 強い魔術耐性の持ち主であるルキアと違い、フィリップには魔眼がほぼ無抵抗で通る。そしてその魔術適性の無さ、魔力への感応性の低さ故に、魔力を感染経路とする“眠り病”はフィリップに感染しなかった。


 現代魔術とは別の魔術体系である“呪詛”のことを指しているのだとしたら、フィリップは殆ど役に立たない。というか、どちらかといえばルキアの方が専門だろう。


 「ん? あぁ、ごめんなさい、言葉が曖昧だったわね。魔術の一体系、一つの技術として確立している“呪詛”ではない、物理法則や魔術法則の埒外にある怪奇現象、不確定事象としての“呪い”のことを言いたかったの」


 “呪い”という言葉が持つもう一つの意味。

 魔術系統の一つを指す俗称ではなく、本来の意味での“呪い”。人か人外──主に霊的存在や悪魔などによる、精神的アプローチでの非直接的加害行為。


 遺跡に入った冒険者が「呪い」によって不可解な死を遂げる展開は、冒険譚などでは珍しくないが、現実では全く聞かない。死人に語る口は無いので、当然と言えば当然だが。


 「どちらにせよ、ですけど……。何かあったんですか?」

 「実は……」


 ルキアは公爵領のある街で行われている大規模な工事が、不規則ながら連続的に発生した人身事故によって、大幅にスケジュールが遅れていることを語った。

 それから、大抵の場合に於いて事故の原因が判然とせず、また原因が分かっても不自然なものだったりすることから、作業員たちの間で「呪い」という言説が流れていることを。


 ルキア自身の主観や感情を交えず淡々と情報を並べてはいたが、僅かながら「呪い」に対する恐怖が感じられた。

 彼女が特別怖がりだというわけではない。ルキアの過去の経験や、呪いなのかもよく分からない特異性に塗れたフィリップという実例を知っていることは、「呪い」に対する忌避感とあまり関係は無い。


 なぜなら、「呪い」は実在するからだ。


 「なるほど……? 幸運を操るとか、確率を操作するとか……? それは確かに、物理でも魔術でもない謎の技術ですけど、まさか土木屋さんがドラゴンスレイヤーの集団ってことはないでしょうし」

 「そうよね……」


 魔術的作用では説明のつかない事象を引き起こす“呪い”を受けた人物を、フィリップは既に知っている。

 古龍を殺し、呪いによって寿命の半分を失った衛士団長。そして王龍を殺し、同族を喰らわなければ生きられない醜いモノに変えられたという、吸血鬼の始祖。フィリップが知っているのは、それを殺して喰らい同じ存在となったディアボリカと、その娘であるミナだが。


 そして同じく魔術的作用では説明のつかない「霊的存在や悪魔などによる、精神的アプローチでの非直接的干渉」の例として、「加護」がある。

 「祝福」と呼ばれることもあるそれは、本質的には呪いと同じものであり、益となるか害となるかの違いだと考えられている。そしてルキアは、唯一神の祝福を受けた聖人だ。


 として、むしろ呪いや祝福を普段意識していない一般人より身近にある。鏡を覗けば、目の中に見えるのだから。


 勿論、邪神のことを──人間の知識や能力では説明も理解も出来ない存在のことを知っているだけに、「異常現象」に対して神経質になっているのもあるだろうけれど。


 「家の者を調査に遣ったのだけど、何も分からず仕舞いで。今度、私が自分の目で確かめようと思っていて……フィリップにも付いてきて欲しいのだけど、お願いできるかしら? その、万一の場合に備えて、“異常現象”の専門家として」

 「勿論いいですよ。……まあ、専門家としてというか、万一の場合にルキアを守るためにですけど」


 二つ返事で頷くフィリップだが、求められている通りの役割を果たせるかは疑問だ。


 残念ながら、或いは当然ながら、フィリップは領域外魔術や邪神絡みのあらゆることを知っているわけではない。

 呪いと聞いて思い当たる邪神はゼロではないが、邪神が出現したなら工事が遅れる程度の被害では済まないだろう。となると邪法やカルト、或いは智慧にない神話生物の関与が疑われるが、どちらにしてもフィリップはその対策方法を知らない。


 「術者や原因を見つけてブチ殺す」以外の解決策を知らない、と言うべきか。

 まあ反対魔術とか抵抗魔術とか、そんなものがあったとしても、フィリップには使えないか、使っても魔力が貧弱過ぎて対抗できないかのどちらかだ。


 ともかく、その正体が何であれ、「呪い」と聞いては、あまりルキアを近づけたくはない。

 邪神やカルト絡みでなくても、彼女は一度、悪魔の残した呪詛である“眠り病”によって死にかけているのだから。


 もしかしたら今回も悪魔の仕業で、案外、ルキアの神域級魔術一発でカタが付く程度のことかもしれないけれど、それならそれでいい。公爵領までちょっとした旅行に行くだけだ。


 「……ありがとう、心強いわ」

 「役に立てるかは分かりませんけどね。ルキアは、その“呪い”がのものだと睨んでるんですか?」


 嬉しそうに、そして安堵したように穏やかな笑みを浮かべたルキアに、フィリップは少しだけ照れ笑いを浮かべる。

 その笑顔を数秒程で引っ込めて真面目な顔で尋ねると、ルキアも同じ表情を浮かべて頭を振った。


 「いいえ、そこまでは、まだ。でも、家の抱える魔術師でもそこそこ目の良い者を送ったのに、魔力残滓の一つも見つけられなかった。それも一人ではなく、三人も。……この程度で何か特異なことが起こっているかもしれないと警戒するのは、フィリップにしてみれば杞憂かもしれないけれど──」

 「いや、いい警戒です。勿論、何から何まで疑うべきだとは言いませんし、過剰に怖がるぐらいなら無知である方がマシかもしれませんけど」


 フィリップは今度は上機嫌な、よくやったと褒めるような笑みを浮かべる。


 過剰な恐怖は狂気の元だが、恐怖の不足は死に繋がる。

 ルキアが抱いている恐怖の量は、そのちょうど中間くらい──警戒として正しい分量だ。まあ相手によっては恐怖の強さなんて関係なく、出会った瞬間に発狂するか死ぬかの二択を押し付けてくるので、正しく恐れていれば安全というわけではないのだが。


 しかし、だ。


 「けど、ルキアと殿下には僕がいますからね」

 

 恐怖を拭い去る方法が、ここに在る。

 絶対に発狂せず、出会ったら死ぬか発狂するレベルの神格の知識を持ち、対抗可能な存在の召喚やその特異な存在故に相手の方が退くという、二つの対抗策をも持ち合わせるフィリップが。


 ステラが国内のカルト掃除に使うくらい優秀な猟犬だ。こんな人材、そうはいない。


 「今回だけじゃなくこれからも、怖いと思ったら……いえ、怪しいとか不自然だと思ったら、すぐに僕に教えてください」


 ヤバいと思ったら突っ込ませれば、全部殺して帰ってくる。

 怪しいところに突っ込ませて、邪神絡みだったら解決して帰ってくるし、敵が普通の魔物でも逃げ帰るくらいの強さはある。敵が普通の魔物なら──見ても問題のない相手なら、ドラゴンのようなとびきりの化け物以外、一撃で消し飛ばせるルキアやステラが対応すればいい。


 ステラはそれがフィリップの最適な運用方法だと分かっているし、フィリップもそうあることを望んでいる。お互いに、頼れる部分では頼ればいいのだ。


 そして普段から二人に頼ることの多いフィリップとしては、この数少ない恩返しの機会に全力で当たるつもりだった。


 全力……となると。


 「万が一に備えて、エレナたちは置いて行ってもいいですか? 毒物が絡んでいた場合のことを考えると、彼女は滅茶苦茶頼れるカードですけど……邪神を仮想敵に据えると枷でしかないので」


 漁村ではエレナの知識と感覚に助けられたが、そもそも漁村の事件はフィリップが「まあいいか」なんて甘い判断を下したところから始まった。「神話生物だが、ルキアやステラの目に触れない場所でひっそり生きているくらい、まあいいか」と。


 だが今回は違う。公爵領内の街ということは、ルキアが触れてしまう可能性が十分にある場所だ。初めから駆除を前提に、場合によっては最も隠密性に長けた邪神であるナイアーラトテップを投入することも視野に入れて動く。

 まあ、本当に頼ったら死ぬほど煽られることになるだろうから、結構な最終手段にはなるけれど。


 パーティーメンバーの残りの二人、特にリリウムは論外だ。

 ミナは戦力としても回復役としても非常に心強く、居てくれるとありがたいが、発狂した時に一番怖い相手でもある。ノフ=ケーのいた森でパラノイアを患ったのがエレナではなく彼女だったら、間違いなく全員死んでいた。


 カノンも一応パーティーメンバーに入るが、ルキアには接触というか接近すらさせたくないので、リリウムとは違った理由で論外。投石教会に置いて行く。


 フィリップの本気度が声色や表情から伝わったのか、ルキアは少しだけ嬉しそうにしながらも真剣に頷いた。


 「貴方に任せるわ。何か用意するものとか必要な人間がいたら手配するから、何でも言って」


 主従の逆転したような──フィリップの調査をルキアが手伝うかのようなことを言われて、フィリップは可笑しそうに頷きを返した。




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