第443話

 フィリップとルティが村まで戻ってくると、エレナとリリウムが村人と何事か話していた。

 エレナはなんだか困り顔で、相手は屈強な体躯を持ちよく日焼けした、見るからに腕の立つ水夫か熟練の漁師といった風情だ。魚鱗に覆われた両腕を組み、厳しい顔でエレナを見下ろしている。


 何かのトラブルだろうか。

 一見するとピンチなのは女子二人だが、深きものの交雑種は人間の姿をしているうちは、身体性能は人間と然して変わらない。殴り合いにでもなれば、エレナは彼を一瞬かつ無傷で制圧できる。それに、一歩下がったところでカノンが待機している。何か異常な手段で攻撃されても彼女が対処するだろう。


 特に慌てもせず興味本位で近づいていくと、フィリップに気付いたエレナが困り顔を向けた。


 「フィリップ君、どうしよう。今日は船を出せないんだって」

 「え、なんで?」


 報酬関係のトラブルという空気ではないし、それなら「今日は」という言い方はしないだろう。

 怪訝そうな顔を向けるフィリップに、その村人は深い溜息を吐いた。


 「さっきその子にも説明したんだが……。今からセイレーンが出没する海域まで出ると、帰り路の海流が複雑になる上に暗くなる。別に座礁しようが転覆しようが、俺は泳いで帰れるが……あんたら、海で泳いだことあんのか?」


 フィリップとエレナは顔を見合わせ、「ない」と声を揃える。リリウムも「私も」と続いた。


 「だろうな。言っとくが、生半な泳ぎじゃ死ぬまで泳いだって何百メートルも進まねえぞ。それに、人だってお構いなしの獰猛なサメもいる」

 「サメ?」

 「デカい肉食の魚だ。5メートルぐらいあって、泳ぐのも凄まじく速い。言うなれば、この辺りのヌシだな」


 川魚しか知らないフィリップは「5メートルの魚」と言われて、脳内で巨大なトラウトを思い浮かべる。

 脅威なのかどうか微妙に分かりづらいが、結局、デカいなら強いかと端的に納得した。


 「なるほど……」

 「どうする、フィリップ?」


 他の漁師に頼んでみるかという意図なのか、交渉の強度を上げようという提案なのか、リリウムが不明瞭な問いを投げる。

 フィリップは一瞬だけ黙考し、穏やかに頭を振った。


 「どうするも何も、地元の本職が無理だって言ってるんだから無理でしょ。今日はここに泊まるしかないよ……おじさん、朝なら行けるんだよね?」

 「あぁ。どうせ明日は朝から漁に出るし、その時なら連れてってやるよ。日の出前に起きられるならな」


 「早起き出来るか?」とばかりニヤリと笑った漁師に、フィリップも応じるように口角を吊り上げる。

 

 「それでお願い。いいよね、エレナ」

 「うん、そうしようか。よろしくね、おじさん」


 遅ればせながらパーティーリーダーに確認を取るが、彼女は気を悪くした様子も無く明朗に笑う。

 エレナも端からフィリップと同意見──専門家の意見には従うべきだと思っていたから、むしろ意見が一致したことを喜んでいた。


 パーティー内で頷き合って方針を共有確認していると、話を聞いていたルティがフィリップから離れ、漁師の服の裾を引いた。


 「お父さん、それ私も行きたい!」

 「駄目だ。この人たちは魔物を狩りに行くんだから、漁より危ない」


 即答で否定され、ルティが頬を膨らませて不満を表明する。

 援護射撃を求めてフィリップを振り返るが、パーティー全員が同意見だ。ルティが魔物に殺されようが溺死しようが知ったことではないフィリップでさえも。


 「うん……、お父さん?」

 「あぁ、ルティの父のオスメロイだ。ルティと遊んでくれてありがとう」


 話を逸らす目的もあって目を向けると、彼は友好的に右手を差し出した。

 フィリップは反射的に、身体に染みついた習慣でその手を握る。


 「あ、どうも。フィリップ・カーターです……」


 深きものの交雑種──劣等生物に名乗り、握手を交わしていることに笑いが込み上げてきたが、フィリップ以外の全員はそれを社交辞令的な愛想笑いだと思って気に留めなかった。


 「えーっ……じゃあ、今日うちに泊める! それならいいよね?」

 「は? まあそりゃあ、テントよりはマシかもしれんが……」


 どうする? とオスメロイはフィリップたちを見遣る。


 だが、間違いだ。王都製のテントを知らない以上無理もないことではあるけれど。

 以前にミナは、この村よりずっとしっかりした石造りの建物でも「テントの方がマシ」だと評したし、実際、居住性と快適性は王都外の安普請を上回る。上等な生地の一枚布だけあって、雨漏りや隙間風もない。


 というか、深きものの住居なんかで一夜過ごしたくないのだが……普段のフィリップは、善意を無下にはしない。ここで断ると、リリウムはともかくエレナが不信感を持つ可能性は十分にある。

 答えは一つしかなかった。


 冷たく観察するような目を向けながら中へ入り、フィリップはぐるりと家中を見渡す。

 案内された家は外見通りに簡素なもので、キッチンとダイニングテーブルと、薄い布の敷かれた寝床しかない。トイレは共用、風呂どころかシャワーも無し。明かりは自然光と蝋燭だけで、じき夕暮れとなる今でも既に薄暗い。


 だが、そんな建物は田舎の方なら珍しくはない。いや、暖炉が無いのは珍しいけれど、それ以外は特に何も──エレナやリリウムの目から隠さなければならないようなものは無さそうだ。


 「食事くらいは用意してやれるが、見ての通り何もない家だ。悪いが、夜は寝袋を使ってくれ」

 「あ、ううん、ボクたちは携帯食料があるから。調理場だけ貸して貰おうかな」

 「そうか? まあ、あんたらの好きなようにしてくれ」


 それからフィリップたちは馬車から荷物を運んだり、夕食を摂ったりして、あっという間に日が沈んだ。


 エレナとカノンが馬の世話をすると言って家を出た後、ルティたちが食卓に着いた。

 二人の食事は海藻類と生魚が主で、火を通していないものを食べること自体が珍しいフィリップとリリウムは興味深そうな視線を向ける。


 オスメロイが苦笑交じりに「食べてみるか?」と皿を差し出したが、フィリップとリリウムは揃って激しく頭を振った。

 苦しい死に方をしたくなければ、取り敢えずナマモノとキノコを避けるのは鉄則だ。二人がそれを日常的に食べていて、体に変調を来していないことはなんとなく分かるが、試してみる気にはならない。


 彼は肩を竦め、両手を組んで祈る姿勢を取った。ルティもそれに倣う。


 「父なるダゴン、母なるハイドラ、大いなるクトゥルフよ。お恵みに感謝します」

 「感謝します」


 胃腸の性能が違うのだろうか、なんて考えていたフィリップは、その祝詞を一度は聞き流す。

 彼ら深きものが口にする祈りとして何ら不思議はない、自然な行為だと。


 しかし、それを聞いているのはフィリップだけではなかった。


 「……なに、それ?」


 硬い、血の通っていない声。

 振り返ると──さっきまで隣にいたリリウムは、今はフィリップの二歩ほど後ろで青い顔をしていた。眉根は寄せられ、双眸には明らかな嫌悪感が宿っている。


 「お祈りだよ。神様のお庭から食べ物を分けて貰ったから、そのお礼をするの!」

 「そういや、この村以外じゃ珍しい信仰かもしれんな」


 悪びれた様子も隠し立てする気配も無く、ルティは天真爛漫に、オスメロイは思い出したように言う。

 答えを受けて、リリウムは「それって」とフィリップに確認するような、或いは縋るような目を向けた。


 カルトなのか。いやカルトだろう。だがどうすべきか。

 言わんとしていることは分かるが、フィリップの意見は違う。

 

 「村の外の人間がいる時には、その人にバレないようにやるべきですね。カルトと間違われて虐殺されたくなければ」


 それより生魚が気になるとばかり、フィリップの視線は皿の上に戻る。その適当さ加減が、むしろリリウムに落ち着きを取り戻させた。


 「間違われて、って……カルトじゃないの?」

 「……いや、別にあんたらに強要しちゃいないし、危害を加えてもいないだろ?」


 “虐殺”という強い言葉に警戒心を抱いたオスメロイが弁解するように言う。


 だが、その思考は甘いと言わざるを得ない。

 

 「“使徒”──一神教のカルト狩り部隊はそんなこと気にしませんよ。というか、精神汚染を避けるために調査無しで範囲攻撃をぶっ放す可能性もゼロじゃない」


 というか、フィリップも一緒に来たのがルキアやステラだったらそうしている。

 或いは彼らが人間であったのなら。


 そんな思考が顔に出たのか、オスメロイが両足に力を込めていつでも立ち上がれるように備えたのが分かった。

 彼の表情は強張り、視線はフィリップの荷物に──黒鞘のロングソードに向く。空気の変化を感じ取り、ルティは怯えたようにフィリップと父親を交互に見遣る。


 「……怖い顔だなあ。説得力はないかもしれないけど、僕はカルトが大嫌いなんだ。君たちをカルトだと判断したのなら、村人全員、今頃ゲロと汚物に塗れて死んでるよ」


 殺気を放って威圧するなんて芸当を身に着けてはいないフィリップだったが、言葉に含まれたどろりとした何かが、三人に息を呑んで硬直することを強いていた。


 子供の戯言。粋がった妄言。

 普通はそう切り捨てるところだが、フィリップの声には無視できない真実味がある。既に何人ものカルトを惨殺してきた経験がその所以だろうか。


 「……まあ、チクろうって奴は子供と遊んだりしねぇか」


 僅かに震えた声で呟いたオスメロイが肩を竦め、納得したと示す。

 単なるアピールかもしれないが、一先ず、それでフィリップが放つどろりとした気配は霧散した。


 しかしそれは彼が口封じや先制に出ないというだけで、部屋の中に立ち込めた剣呑な空気が解消されるわけではない。事の発端であるリリウムは、まだ納得していなかった。


 「カルトじゃないの? 確かに、村の人は皆いい人だったけど……」


 リリウムは半信半疑といった風情でフィリップに問う。


 いい人であることとカルトであることは、別に、同居しない要素ではない。

 善人が、例えば人助けのために邪法に手を出した場合でも、“使徒”はそれを殲滅対象として認識するだろう。


 だがリリウムの中で、カルトは悪い人だというイメージが強いようだ。これなら、まだ説得の余地はある。


 「パーカーさん、生まれも育ちもずっと王都? 田舎の方じゃ、自然信仰とか偶に見るよ」


 以前に訪れた禁書庫の記録を思い出し、さも自分の目で見たことのように語る。

 実際にフィリップが目の当たりにしたのはカエルをふんわり有難がっている村の一例だけだが、既に“使徒”によって滅ぼされた異文化を、フィリップは知識として知っていた。


 「それ、いいの?」とリリウムは怪訝そうに尋ねる。

 良くはない。あれも“使徒”にバレたら村ごと焼かれるだろうし、フィリップが教会に報告していないことだって問題視されるだろう。


 それを分かった上で、フィリップはなんでもないことだと言わんばかりに肩を竦めてみせる。


 「度を越したら“使徒”が送り込まれるだろうけど、前に行った村じゃ、司祭がお目こぼししてた。ちょっと文化が違うからって目くじら立ててたらキリがないよ。エレナだって……というか、エルフだって一神教徒じゃないしね」


 それは確かに、とリリウムは頷くが、「でも」とだけ言って口を噤んだ。


 アンデッドであるミナだって、一神教からすると優先駆除対象だ。それ以前に人食いの化け物なので、人類の天敵だが。

 だがリリウムはこうして一緒に冒険しているし、最近では恐ろしく気持ちの悪い外見をマスクで隠した魔物、カノンまでパーティーに加わった。それが許せて、土着信仰が許せないことはないだろう。


 今はただ少し驚いているだけだ。

 そう信じて、フィリップは言葉を重ねる。


 「住む場所が違えば生活が変わる。生活が変わると思考が変わる。そして思考は思想や信仰に繋がる。山の近くに住んでる人は獣や地滑りを恐れ、警戒し、それを遠ざけてくれる神様を求める。農家の人たちは害虫を嫌って雨を望むから、虫を遠ざけて雨を呼んでくれる神様を求める。……それと同じで、海の近くに住んでる人は、食べ物を海に求めるから、漁を成功させてくれる神様を求める。それって、自然なことじゃない?」

 「……うん」


 ゆっくりと頷くリリウムが心の底から同意しているのか、相槌的に頷いただけなのかは分からない。それを見極めるだけの目をフィリップは持っていないし、これ以上の説得の言葉もまた持ち合わせていない。


 だが、何も彼女を説得する必要はないのだ。

 彼女が彼らをカルトであると思っていたって、フィリップには関係のない話だ。彼女が王都に帰って教会に告げ口し、この村が殲滅対象になったって構わない。


 フィリップはへらりと笑い、講義か説教じみた会話を締めにかかる。


 「まあ、気持ちは分かるよ。カルトはただカルトであるだけで気色が悪い。奴らは存在してしまったことを後悔しながら死ぬべきだ。なるべく惨たらしく、なるべく苦しんでね」

 「そこまで言ってないわよ!?」


 冗談めかした言葉を、リリウムは完全な冗談と受け取って突っ込む。

 その勘違いを正すつもりのないフィリップは、リリウムが浮かべたものより明朗な笑顔を作った。


 「あはは。まあ、何が何でもここを拠点にしなくちゃいけないってわけじゃないんだ。パーカーさんがどうしても二人が嫌いだって言うなら、今からでも外にテントを張って寝て、明日の朝に村を出よう」

 「私……大丈夫。信仰のことは理解も共感も出来ないけど、でも、村の人たちのこと、人間として嫌いなわけじゃないから」


 言って、リリウムは二人にばつの悪そうな、けれど確かな笑顔を向ける。

 そのルティとオスメロイは人間ではないのだけれど。



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