第441話
村は井戸のある広場を中心に、円形に二十棟ほどの家が並んだ小規模なものだ。
家々はどれも高床になっている。砂地という不安定な地盤を直接使うことなく、更には万が一高波が来た時にも多少は対応できるようにだろう。海に向かってなだらかな下り坂になっている浜でありながら、全ての家が同じ高さで建っているのも、そのおかげだ。
三人の子供たちはそれぞれエレナとリリウムとフィリップの手を引き、村の各所の説明を口々にくれる。
しかし三人とも行きたい方向がバラバラで、フィリップたちは苦笑を交わしながら各々の手を引く子供たちについていくことにした。
村の中で一番大きい建物は、浜に一番近い位置にある船造りの工房。と言っても王都二等地の民家と同じくらいのサイズで、外観も、恐らく内装も比べるべくもない代物だ。
二番目に大きい建物は、工房と反対側にある礼拝所。
これはフィリップが一見して教会のようだと感じる尖塔のある背の高い建物で、十字架まで掲げられている。
「あれね、ラグーンにある神殿と同じ形なんだよ! 双子の建物は共鳴して、そこに居なくてもお祈りが届くんだって!」
「へぇ……。魔術的な意味があるんだね」
フィリップはにこやかに頷き、「礼拝所とラグーンの神殿」と調査すべき場所を心のメモ帳に書き記す。
「それで、あそこが村長のおうち! 村長、燻製を作るのがとっても上手なの! あっちがね──」
顔も知らない村人の家がどれで、その人はどんな人で、という無意味な説明が続く。
フィリップは殆ど聞き流しながら不都合な情報が聞こえてこないかを頭の半分で処理しつつ、頭の残り半分と目はエレナとリリウムに向いていた。
二人ともフィリップと似たような状況だが、エレナは真面目そうな女の子にあれこれ質問している。内容までは分からないが、二人とも海の方を向いて、時折沖の方に指を向けたりしているから、もしかしたらセイレーンの出没位置なんかを聞いているのかもしれない。
リリウムはというと、男の子にせがまれて魔術を披露している。フィリップはともかく本職の魔術師は鼻で笑うような初級魔術の劣化版だが、村長は「外の人間は珍しい」とまで言っていたし、現代魔術を見るのは初めてなのかもしれない。
「──で、あの子はネア。たまに怖いときもあるけど、でも優しいの! あの男の子はサリィ。足がすっごく速いんだよ!」
一通り説明を終えたのか、手を握ったままの女の子はフィリップを見上げ、にっこりと笑う。
「何かご質問は?」とでも言いたげな視線に押されて、フィリップは少し考えたあと、一度手を放した。
「君の名前は? 僕はフィリップ。フィリップ・カーター」
「えへへ、苗字がある名前って、なんかおかしーね! 私はルティ! 本当はアルティヴェリスっていうんだけど、長いからみんなルティって呼んでる!」
女の子──ルティは無邪気に笑って言った。
姓という慣習のない地域があると知ってはいたが、フィリップは僅かに眉根を寄せる。
初対面でいきなり「お前の名前って変だね」と言われていい気はしない。とはいえ、フィリップは異常なほど異文化に対して寛容だ。彼女が人間であれば、その些細な表情の変化さえ無かっただろう。
むしろ、フィリップの後ろに控えたカノンがぎちぎちと謎の音──恐らくガスマスクの下で大顎を咬み合わせた威嚇音──を鳴らした反応の方が、ずっと大きい。
「魔物さん、どうしたの? お腹空いた?」
「……いや、気にしないで。よろしくね、ルティ」
「うん、仲よくしようね!」
その文化はあるらしく握手を交わすと、ルティはそのまま再び手を繋いだ。
「フィリップ、どこか見てみたいところはある? 案内してあげる!」
「うーん……じゃあ、礼拝所の中を見てみたいな」
思考は一瞬。
そもそも礼拝所と神殿くらいしか見るべき場所は無く、どうせどちらも確認する。ならば近い方から順番に、という単純な結論を出すのに、一瞬以上は掛からない。
「いいよ! 行こ!」
特に入るのに制限があるわけではないのか、ルティはフィリップの手を引いて平然と礼拝所の扉を開けた。
「カノン、外で待ってて。エレナとパーカーさんが入ろうとしたら、それとなく止めて」
「畏まりました」
先導するルティに聞こえないよう背後のカノンに囁き、フィリップだけが礼拝所の中に入る。
「教会のようだ」と思った外観の印象は間違っていなかったようで、内装もバシリカ様式の教会に近しいものだった。信徒用の椅子が並ぶ回廊を奥まで進むと講壇と書見台があり、最奥には聖女像がある。
ただ、壁や柱は言うに及ばず、信徒用の椅子や神父が使う書見台までもが低質な木材で作られており、触ると棘が刺さりそうなほどだ。装飾性に乏しいという言葉がお世辞になるほど質素、というか、殆ど整備されていないように見える。
ステンドグラスもなく、中はガラスも嵌っていない窓から差し込む光と、幾つかの燭台で照らされているだけだ。これでは雨や曇りの日には相当に薄暗いことだろう。
「さあ、どうぞ入って!」
「……うん」
ルティに促され、フィリップは講壇のある奥まで歩く。
燭台の蝋燭はつい先ほど換えたばかりなのか、どれもこれも殆ど減っていない。一見して低質そうだと思った信徒用の椅子は、やはり使い込まれて古くなっているが、遠目からの印象に反して手入れは行き届いているようだ。押してみると少し軋むが、埃を被っていたり、棘が出ていたりはしなかった。
「礼拝所はよく使うの?」
何を言っているんだと、人間相手なら笑われる質問をするフィリップ。それは自覚しているのか、口元が微妙に綻んでいた。
一神教に於いて、毎週日曜日に礼拝が行われるのは常識だ。朝からだったり正午からだったりと地域によって差異はあるが、教義上、日曜日に礼拝をすることは決まっている。
そして──彼らがその習慣に倣っていようと、無視していようと、どうでもいい。
彼らが人外であることは確定している。彼らの信仰が何処に在ろうと、どんな形であろうと、この期に及んでは特に重要ではない。
ルティはその質問がおかしなものだとは思わなかったのか、楽しそうに答えてくれる。
「うん! あのね、ラグーンの神殿は特別な儀式とお掃除の時にしか入っちゃいけないから、普段はここでお祈りするの!」
「へぇ……。ん?」
なんとなく書見台を覗くと、そこには一神教の聖典が置かれていた。
王都製らしき紙製の本。しかも、教会に普通置かれるハードカバーの大判本ではない。コンパクトに製本された持ち運び用のものだ。誰かの置き忘れか、貰ったか、奪ったか。どれでもいいが、それは書見台の収納部で埃を被っていて、どう見ても本懐を遂げられていなかった。
なんとなく置いてあるだけなのか、フィリップたちのような稀に訪れる余所者に対するカムフラージュなのか。
「……神父様はいる?」
「ううん。お祈りの時は村長が司祭さまだよ」
「お祈りって、どんなの?」
ダゴンとハイドラの存在を知ってはいるが、関連する儀式の内容や、与えられる恩恵に詳しくないフィリップは興味本位で問いかける。
もし危険で邪悪な──例えば村に入った人間を同族へ変貌させるような──ものなら今すぐに村を消し飛ばすことになるという意識はあったが、あくまで興味が先だった。
「うーん……どんなのって言われてもなあ……。そうだ! ちょっとそこに座ってみて!」
やや警戒しつつ、フィリップは言われるままに信徒用の椅子に座る。
ルティは入れ替わりに講壇に立つと、書見台と殆ど同じくらいの身長故にフィリップが見えず、諦めて横に立った。
「皆はそこに座ってね、それで村長が呪文みたいなのを唱えるんだけど、えーっと……いあ、なんとか、なんとかって」
「え……!?」
平然と──頑張って思い出しながらではあるが、隠す様子のない語り口調に、フィリップは半笑いで驚く。
それはどう考えても邪悪言語による祝詞、神へ届けるための言葉であるにもかかわらず、ルティはその内容を覚えていないようだ。神話生物「深きもの」──クトゥルフやダゴンの末裔、惑星外にルーツを持つ異種族であるというのに。
「幼体だから? それとも……」
話してみた感覚だと、ルティは外見通り十歳前後の精神年齢だ。実年齢は不明だが、深きものは不老存在ではないし、概ね外見と一致しているだろう。
まだ幼く、信仰というものを理解していない可能性はある。
いつぞや遭遇した深きもののように「恩寵を求め、伝統を重んじる」なんて意識は無く、むしろ一般的な人間の子供と同じで「よく分からないけどそういう習慣だから」祈り、信仰しているかのような行動を取っているだけかもしれない。
或いは、フィリップが即座に思いつかない人外的な理由かもしれないけれど。
「君たちが信仰してる神様の名前は?」
フィリップはまた半笑いで問う。
ちなみに一神教に於ける神である唯一神に名前は無い。強いて言うのなら「唯一神」というのが名前だ。他と区別する必要が無い唯一絶対の存在に名前は必要ないらしい。
カノンは「神の名前は軽々に音に乗せるな」と言っていたし、ずっと前に、シュブ=ニグラスにさえ「邪神の名前は毒になる」と教えられた。フィリップ自身も他人の前で邪神の名前を出さないように気を配っているくらいだ。
他「人」と云うだけあって、ミナとエレナを除く人外はその範疇に入らないわけだが。
どんな反応をするのだろうと興味を抱いたフィリップに、ルティはにっこりと笑って平然と答える。
「ダゴン様とハイドラ様! 五年に一度の儀式の日だけ会えるんだよ!」
平然と──それを聞いたのがフィリップ以外であったのなら、どんなことになるか考えたこともないような笑顔で。
フィリップはちらりと教会の玄関扉に目を遣り、しっかりと閉まっていることを確認する。
カノンが暴れている気配もないし、エレナとリリウムはまだ他の子供たち──ネアとサリィと言ったか──と戯れているのだろう。
ここにいたのが彼女たちだったら──という意味ではない。
邪悪言語で紡がれたわけではない以上、邪神の名前が即座に精神や正気へダメージを与えることはない。
だが、間違いなくカルトとして報告されるだろう。
腕に覚えのある冒険者だったらこの場で殺されている可能性だってある。ルティだけでなく、他の村人たちも全員纏めてだ。
「……それ、僕に言ってもいいの? っていうか、大人とか村長とかに「村の人以外に言っちゃ駄目」って──」
「──あっ!! そ、そうだった!!」
フィリップに聞かれて漸く、ルティは「しまった」という顔になる。
同じことをしたのがカノンだったら「こいつホントに馬鹿だな」と愉快そうに冷笑するところだが、フィリップはむしろ安堵したような穏やかな笑みを浮かべた。思ったよりちゃんと子供だと。
彼女は「神話生物の幼体」ではなく、人間同様の知性を持ちつつ未だ発達段階にある、幼子だ。
そう認識を改めて、フィリップは安心させるように笑いかけた。
「大丈夫、誰にも言わないし、僕も怒らないよ。教えてくれてありがとう」
「うん……!」
ほっとしたように笑顔を返すルティ。
フィリップは頷き、五年に一度だけあるという儀式──降臨か招来か接触かは不明だが、とにかく邪神を呼びだす儀式に興味を戻した。
「ダゴンとハイドラか……。どんな儀式なの?」
フィリップは呪文詠唱のみで、魔力消費も殆ど無く邪神を呼びだすことが出来るが、これはかなりのレアケースだ。
シアエガを召喚しようとしていた司祭は魔法陣を設置し、人間の眼球や人間以上の寿命を捧げて漸くだった。黒山羊でさえ、一応は母親に当たるシュブ=ニグラスを呼びだすのに生贄や儀式を必要とした。普通はそうだ。強大な存在を顕すだけの、複雑で面倒な手順を踏まなくてはならない。
呼べば来るような、身近で都合のいい邪神はいない。
仮にも神だ。呼びかけ、代償を支払い、相手の機嫌が良ければ気紛れに報酬や恩寵を頂ける。それが上位者と劣等存在の正しい関係性だ。
だから。
「えーっと、神殿に生贄を捧げて、村の皆でお祈りするの!」
ルティのその答えに、フィリップは然程驚かなかった。
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